妖怪三執念  <現代ファンタジー>

妖怪三執念

 朝、学校に来て、下駄箱を開けたら五寸釘が入っていた。


 鈍色に艶めく金属は長さ約15センチメートル程の代物だ。世に聞く五寸釘に間違いないだろう。現代科学が全否定するオーパーツのごとき存在感で僕の上履きを押しつぶしている。


 人生十一年目にして最大の衝撃に手を出しかねていると、いきなり膝裏に強烈な蹴りをくらった。痺れた脚を抱え込んで、コンクリートの三和土たたきに転がると、頭上でけたたましい笑い声が響く。


 赤いミニスカートから突き出た黒いスパッツの足にはブランドのシューズ。九頭身の美少女が最高に機嫌のいい顔で見おろしていた。


蔵作くらつくりさとる! 下駄箱で固まってんじゃねえよ!」


 風に遊ばせている長い髪を、女は白い指先で肩にはらった。

 クラスのヒエラルキーに君臨する血の女王、権度罠ごんどわなしおり。

 脳内ディスプレイに『敵が現れた!』という文字が浮かぶ。


「なに、なに? ラブレター、キタってか?」


 整った顔を下卑た薄笑いで歪めて、僕の下駄箱を覗きこむなり、権度罠はヒッと息を引いて大袈裟にのけ反ってみせた。


「臭ッ。お前の上履き、腐乱臭がする!」


 ――おかしいな。五寸釘が目に入らないのか?


「どしたのー? オラも混ぜてー!」


 金ラメのジャージでやってきたのは、原地下ばるちかうらん。チアダンスーチームのレギュラーで頭皮まで日焼している。脳内ディスプレイには『二人目の敵!』


「おはっ。なにしてんのー?」


 素っ頓狂な声は、根恵那ねえなコリン。幼稚園から新体操で鍛え上げた筋肉質の持ち主で似合わないフリルを着たがる女。表示は『三人目の敵』


「ハッシュタグ。腐乱臭!」


 高く振り上げた人差し指を僕に向けて、権度罠がアニメっぽいポーズを決めた。


「ぐはーっ! 蔵作、ヤベー!」


「くっせー! 全員待避いー!」


 三人は「ひっひっひ」と声を揃えて笑った。その笑い方でよく揃うなと思う。

 僕の小学校生活はこの三人のお陰で多大なる支障をきたしている。

 きっかけは実にくだらない事件だった。


* * *


 五年の一学期のはじめ頃、図書館での体験学習の帰り道。

 僕らの斑は学校に戻ろうと商店街をのんびり歩いていた。


「みんな、アイス食べない? あたし、奢ってあげるよ」


 コンビニの前で、権度罠がいたずらっぽい目つきで誘った。


 同じ斑にはコリンもうらんもいた。他のメンバーが踊るような足どりで自動ドアに吸い込まれていくのを見送っている僕を、権度罠が振りかえった。


「どうしたの? 蔵作も来いよ!」


「――いらない」


 なんで給食前にアイスを押してくるんだか僕には分からなかった。

 それまで愛くるしくパッチリと見開いていた権度罠の目が細く釣り上がった。


「あんた、チクるつもりね?」


 いつもより4オクターブ低い声が出てきて驚いた。音域の広いヤツだ。


「そんなことしないよ」


「うそつけ!」


 不穏な空気に気づいたメンバーが店内からぞろぞろ戻ってきた。

 すると権度罠が吐き捨てるように叫んだ。


「アイス中止! 全部、蔵作のせい!」


 長い髪をひるがえして、後ろも見ずに歩き出す。


「なんでだよー」 「蔵作、なにしたの?」


 ガッカリしたみんなは僕を睨んだ。

 イジメが始まったのは、その日からだ。



 * * *



「ちょっと、しおり。朝学習の当番じゃねえの?」


 筋肉コリンがすっとんきょうな声を出す。


「忘れてた! コリン、うらん、付き合って!」


 権度罠は汚物を見る目で僕を一瞥すると、家来たちを連れて走り去った。




「セーバイいたしましょう!」


 僕の腰の高さから、突如、澄んだ声がした。

 あどけない幼女が白い喉を反らして僕を見上げている。

 薄桃色の浴衣に朱い帯を締めて、ふっくらした頬が幼かった。


「セーバイ?」


「あい」


 こくんとうなずく。セーバイってなんだろう。セーバーなら知ってるけど。


「君、だれ?」


「おさきです」


「おさきちゃん?」


「あい。おさきはおつかいです」


 吹き出してしまった。


「あのね、ここは小学校だから、何も売ってないよ?」


「お買い物ではありませぬ」


「おつかいに来たんじゃないの?」


「おつかいで参りました」


 通じないもどかしさに愛しいものを感じる。 


「おさきちゃんは、ここで何してるのかな?」 


 小さな白い人差し指が僕の胸を貫くように下駄箱に向けられた。


「五寸釘をお届けにまいりました」


 幼女が口を開けて笑ったら、なぜだか全身に鳥肌が立った。

 僕は身をのけぞらせ、目の前の恐怖から逃げようとした。

 ところが、足が石のように固まって動かない。


 おさきは上目遣いにまばたきした。


「さあ参りましょう」


 幼女に手を引かれた僕は、操られたように五寸釘を握って校庭を横切り、体育館の裏手の雑木林へと向かっていった。


「え、ここって……」


 このところ僕が毎日のように来る場所だった。


 雑木林の奧には水の淀んだ池があり、小さなおやしろの鎮座する島に渡る太鼓橋が架かっている。橋のこちら側には大人が背を屈めないとくぐれない低さの鳥居があって、そこに取り付けられた額には「三周年権現」と墨書されていた。


 この変な名前の神社は近寄ると祟ると噂されていて、ここに空き缶を捨てた四年生が水疱瘡をこじらせたとか、ここでいちゃついたカップルが破局したとか。切れ味に欠ける怪談ばかりだったが、なぜだか権度罠たち三人組はこの場所を恐れて避けるので、僕の唯一の避難場所だったのである。


「ようこそ、いらっしゃいませ」


 太鼓橋のむこうで、小柄な神主さんが腰を折って深くお辞儀をしていた。

 黒い烏帽子をかぶって平安時代の貴族みたいな抹茶色の着物をきていた。


「お待ちしておりました。どうぞ。こちらへお越し下さい」


 こんな小さい神社でも神主さんがいるんだ。

 大人の存在にほっとした僕は幼女に手を引かれて太鼓橋を渡った。とろりと淀んだ水面に僕らの影が落ちると、幼女の着物の裾から黄色い稲穂のようなものが見えたよう気がした。


 神主さんは両袖の先を胸元で合わせて、長いしゃもじみたいなしゃくを捧げ持っている。間近で向き合うと杓で隠れていた顔が見えた。


 カメだった。


「ごめん。僕、帰る」


 僕はその場で踵を返した。


「だめですう」


 幼女が手をはなしてくれない。それは信じられないほどの力だった。


「お待ち下さい。蔵作悟さん」


 カメが僕の名前を呼んだ。


「なんで、僕のことを――?」


「すべて存じておりますよ」


 震えて振りかえる僕にカメがうなずいた。


「あの三人娘たちに苦しめられていることも、あの者たちに妖怪が取り憑いていることも、すべて存じております」


「妖怪だって?」


「そうです。その昔、この地には三人の執念深い女の悪霊が棲みついておりました。その名も『三執念さんしゅうねん』。その悪霊を封じたのが、この神社だったのですが、月日とともに忘れ去られ、神社の名も『三周年権現』と誤る始末。あげく封印の力は弱まり、悪霊どもは逃げだして、この学校の三人の娘に取り憑いてしまったのです」


「おじさんは誰なの?」


「わたくしも、おさき狐も、その昔、三執念を封じた神様のお遣いです」


「きつね?」


 幼女がうれしそうに笑った。やっぱり着物の裾から尻尾がはみ出している。


「このお宮には絶えて久しく人が来なかったところに、悟さんが毎日のようにお詣りしてくださったので、神様はたいそうお喜びです。もう一度妖怪を封じる為に是非とも力をお貸し下さいと申しております」


「ええ? どうすればいいの?」


「これをお使いください」


 カメの神主はカナヅチと30cmほどの藁人形を差しだした。


「ひえっ! 呪うんですか?」


「目には目をといいますからね」


「もっと爽やかな方法はないんですか」


「選んでいる時間はありません。こうしている間にも、妖怪三執念は罪もない者をネチネチ苛めているのですよ。奴らを封じられるのは、悟さんだけなのです」


 僕のような思いをする誰かが他にもいるなんて、想像すると胸が痛んだ。


「わかりました。じゃあ、やります」


「おお。勇者よ! 打ちつけるのは、こちらの誤字の額にどうぞ!」


 藁人形を受けとったとたん、僕の着ていた服が白装束に変わった。

 頭には五徳ごとく(コンロの鍋をのせる金具)がはまり、火のついたロウソクがボウボウ燃えている。胸には小さな鏡がペンダントのように掛けられ、足は下駄履きだった。


「やめて! なにこれ! 恥ずかしい!」


「なにごとも形からです」


「だって、これ、あからさまにヤバいでしょ!」


「いいえ。本来の自分なら間違っても着ない服、手に触れない道具を持つことによって、あなた自身が封印していた熱いパトスがほとばしるのです」


「コスプレの人が同じようなこと言ってたけど」


「がんばれー」


 キツネの幼女が可愛い声援をくれる。


「ほら、思い切り振りかぶって! そおれ!」


 カメとキツネに煽られた僕は、ヤケになって五寸釘で藁人形を打ちつけた。


 カンカン! ガンガン! カンカン! ガンガン!

 

 この胸にどれほどの悔しさが燻っていたのか、いまこそ分かった。

 夢中で金槌を振るううちに、すべてが浄化されゆくような清々しい気分になった。



* * *



 あろうことか。僕が五寸釘を打ち込む姿が「呪ってみた」というタイトルで動画サイトにアップされたのは翌日のことだった。カメの神主の仕業に違いない。


 最初のうちは「ヤバイ」「ドン引き」「後ろになにかいるw」などとはやされていたが、次第に「いっそ清々しい」「これこそロックだ」「汗がまぶしい」などと好意的なものに変わり、最後には「祭りだ、わっしょい」「そいや、そいや」と共感だらけの横断幕が画面をおおい隠した。


 その日からイジメはピタリとおさまる。


 例の三執念は僕と目が合うと、のけぞるように目を逸らすようになった。

 まあ、あれだけアクティブに呪われたら恐いかもしれない。


 その後も、三執念が横柄な口をきくと、相手が「呪うよ」と返すようになり、その都度、目を剥いておびえる仕草が受けて、女王たちはいつしかリアクション三姉妹と呼ばれるまでに転落していった。


 僕はといえば、インディーズバンドからオファーが来て、放課後は楽しくドラムを叩いている。神様のお陰かもしれない。

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