ヤマンバと四枚目の御札   <童話>

ヤマンバと四枚目の御札

 その晩、優真ゆうまはなかなか眠れませんでした。

 寝る前にママが読んでくれた絵本の終わり方が気にいらなかったのです。


 その絵本というのは「ヤマンバと三まいのおふだ」という昔話でした。


 昔々、山寺に和尚さんと小僧さんがいました。ある日のこと、小僧さんは山に一人で栗拾いにゆこうとします。でも山には怖ろしいヤマンバという魔物がいるので、心配した和尚さんは小僧さんに魔除けのおふだを三枚くれて送りだしました。


 夢中で栗を拾っているうちに、小僧さんは山奥深く入り込み、そこで一軒の家を見つけます。その家には年とったばあさまがいて、小僧さんが来たのを喜び、栗や芋をごちそうしてくれました。腹一杯になった小僧さんは眠くなって寝てしまいます。

 夜中に目が覚めた小僧さんは、ばあさまが魔物のヤマンバだと気づいて逃げるのですが、ヤマンバは小僧さんをどこまでも追ってくるのです。


 小僧さんは山道を死にものぐるいで逃げながら、和尚さんのおふだを一枚うしろに放ると、出来たてふかふかの饅頭の山になり食いしん坊のヤマンバを足止めしました。二枚目はお酒の樽になり、お酒の好きなヤマンバの足をとめさせました。三枚目のおふだが川の流れになったその隙に、山寺に逃げ込んだ小僧さんを、和尚さんは急いで戸棚に隠します。

 そして、山寺までやってきたヤマンバを素知らぬ顔で囲炉裏端に案内すると、ヤマンバの変身の術をおだてて、小さな豆に姿を変えたところで、パクリと食って退治してしまうのでした。めでたしめでたし。



「ヤマンバがかわいそうだ」と一人っ子の優真は思ったのです。

 小僧さんに悪いことをしたわけじゃないのに。もしかしたら仲良くなりたかっただけかもしれないのに。僕だったら、どうするかなあ。やっぱり逃げちゃうかなあ。

 ひとつ寝返りをうつと優真は小さな寝息を立てはじめました。


 

 * * *


 優真は大きな栗の木に下に立っていました。

 まわりは深い森。木洩れ日に染まる地面には、割れたイガから艶々とした栗の実が顔を覗かせています。栗はあちこちに落ちていて、優真は夢中で拾い始めました。


「ぼうや、どこから来たの」


 優しい声に優真が目を上げると、栗の木の後ろから、藤色の小袖を着たおばあさんが頬笑みかけていました。豊かな白髪を肩のうえできれいにまとめてあります。


「ぼく、おうちからきたの」


 そう言いながら、おうちはどこだろうとちょっぴり不安になりました。


「ぼく、おなまえは?」


「優真」


「優真くん。おばあさんの家はすぐそこだから、その栗を茹でてあげましょうか」


 そう言うと、おばあさんは優真と手をつなぎました。その手の柔らかさは田舎のおばあちゃんを思い出させます。優真は嬉しくなってついて行きました。


 おばあさんの家は小さいけれど清潔で暖かでした。囲炉裏にかけた鍋がコトコト煮えて小豆の甘い匂いがしています。優真は栗だけでなく甘いお汁粉もたくさん御馳走になりました。おばあさんが何くれと無く世話を焼いてくれるので、すっかり満ち足りた優真はウトウトと眠くなりました。


 はっと優真が目を覚ますと、もう夜でした。おばあさんと同じお布団で眠っているのでした。トイレに行きたくなったので、隣で寝ているおばあさんを起こさないように、そっと温かい布団を抜け出しました。

 トイレが見つからないので外に出ると、その夜は満月で、皓皓とした月明かりが小さな家を照らしていました。

 ここはどこなんだろう。優真は初めて訝しく思いました。

 こんな山奥で、おばあさんはどうして一人で暮らしているのだろう。


 用を足して家の中に戻ろうとすると、一筋差し込んだ月影が、おばあさんの寝顔を照らしました。昼間は穏やかで優しげな面差しでしたが、今見れば、白髪を枕辺に散らし、苦しげに歯を食いしばり歯ぎしりをしています。眉間に深く刻まれた皺が恐ろしげな陰をこしらえていました。


 ヤマンバだ!


 そう思った途端にぞわぞわと優真の全身が総毛立ちました。


 優真は振り向きもしないで山道を駆けおりました。あんなにたくさん採った栗も置いてきてしまいました。怖ろしくて怖ろしくて取りになど戻れません。


「ぼうやぁ、待ってえええ」


 ほどなくして後ろから呼びかける声が聞こえました。振り返ると、夜目にも白い髪を長く振り乱し、着物の裾を端折って細い脛を剥きだしたヤマンバが、大きな口を開けて、ひどく嗄れた声で叫んでいます。


「あぶないよお。どこへ行くのおおお」


 その声と姿のおぞましさに肝を潰して、優真は震えあがりました。


「優真くーん。なんで逃げるのおおお」


「助けてえ! ママ、助けてえ!」


 優真は和尚さんのおふだがないかとポケットをさぐりました。

 きっとここはあの絵本の中なのです。三枚のおふだがあれば、いっそ炎や氷や雷を出して、ヤマンバをやっつけられると思ったのです。


 すると、出てきたのはおふだではなく、幼稚園の<なかよしカード>でした。

 なかよくしたい子にこのカードをあげると相手もお返しにくれるから、なかよしの出来上がり。優真は同じクラスの子のなかよしカードを全部持っています。


 優真はなかよしカードを見たとたんに、逃げだした自分が恥ずかしくなりました。


 ヤマンバのおばあさんは栗とお汁粉を食べさせてくれて、ひとつしかないお布団で一緒に寝てくれたのに、ぼくはどうして恐がって逃げたりしたんだろう。

 見た目はちょっと恐いけど、そんなこといったら大好きなマナティだってセンザンコウだってちょっとは恐いじゃないか。


 優真は勇気をふるって立ち止まると、追いついたヤマンバになかよしカードを差し出しました。するとカードはひらりと地面に刺さり、そこから芽をだし茎をのばした竜胆リンドウの青い花々が二人を包み込むように咲き乱れました。


「まあ、なんてきれいなんでしょう」


 頬笑んだヤマンバの笑顔はまぶしいほどに優しく、優真は顔を赤くしてヤマンバに謝りました。


「おばあちゃん、逃げたりしてごめんなさい」


 すると、おばあさんは腕を広げて優真をだっこした。


「優真くん。ありがとう」


 おばあさんは優真の頭をそっと撫でました。


「わたしがヤマンバだと分かるとね、みんな恐がって逃げていってしまうの。優真くんは戻って来てくれたのね。優真くんは優しい。ほんとうにありがとうね」


 おばあさんは優真を胸に抱いてぽろぽろと涙をこぼしました。


「ぼく、こわくないよ。全然」


 優真は一生懸命に言いました。

 ヤマンバはひとりぼっちで寂しかったんだ。

 いままで誰も気がついてあげなかったんだ。


「さっき、ぼくのなかよしカードあげたでしょ? だからもう、なかよしなんだよ」


「そうなのね。そしたらおばあちゃんも優真君に何かあげなくちゃね」


 ヤマンバは竜胆の花を腕一杯に摘んで優真にくれました。


「はい。なかよしのしるし」


「ありがとう」


 優真は花束といっしょにヤマンバを、ぎゅうっと抱っこしました。

 そんな二人を、空から丸いお月さまが優しく照らしていました。



 * * *



 優真はとても幸せな気持ちで目が覚めました。

 そしてはっと両手を見ましたが、竜胆の花はどこにもありませんでした。


「なんだ。夢かぁ……」


 お布団に起きあがると、枕元の絵本が目にはいりました。

 昨日の夜、ママが読んでくれた「ヤマンバと三枚のおふだ」です。

 表紙には、逃げていく小僧さんとヤマンバの姿が影絵のように描かれていました。

 パラパラとページをめくると、なにか挟まっています。


 優真は目を瞠りました。「なかよしカードだ!」


 そのカードには、青い竜胆の花が描かれていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る