第190話 スサ

 ふと気付くと、俺は真っ黒いドーム型のようなだだっ広い空間の中にポツンとひとりで佇んでいた。

 周囲を見渡してもとくに目立つような物はなく、真っ黒い空のようなものがどこまでも続いていた。


「……どこだ、ここ?」


 自分がどこにいるのか分からなくて、とりあえず一歩踏み出そうとした時、足元でぴちゃりと音が鳴った。

 不意に視線を落としてみると、俺の足元が辺り一面赤ワインのような色味をした水溜りになっていた。

 しかも、その水溜まりは頭上に広がる黒い空と同じでどこまで広がっており、風もないのにその水面が波紋を広げるようにして揺れていた。

 その表面に映る歪んだ自分の姿を見て俺は深くため息を吐くと、両手を腰に当ててもう一度だけ周囲を見渡した。


「なんだよこれ? 人類補完計画が発動でもしたのか?」


 エヴァネタはさておき、どこまでも広がる赤ワインのような水溜まりと真っ黒い空。

 遠くの景色は地平線のように緩く湾曲しているけれど、それ以上の情報を得ることは出来そうになかった。

 なんなんだよこの世界? 俺はどっかの異世界にでも転生したのか? いやいや、もしそうだとしたら救いようがないだろこれ……。


「なんか、最近こういう光景をやたらと見ているような気がしてならねぇな。おーい、エクスぅ! カナデぇ! ヒルドぉ〜? 誰かいないのかぁ〜?」


 誰もいないとわかっていながらも遠くに向けて声を上げてはみたけれど、案の定というか誰からの返答もなく、ただただ静寂だけがそこにはあった。

 なんだろう……こういう展開とかやめてもらっていいですかね?

 

「また訳のわからねぇ状況かよ。ホントいい加減にしてくれねぇかなぁ〜」


「おい」


「!?」


 突然背後から聞こえた声に反応して素早く飛び退くと、いつの間にか俺の真後ろに瓦礫の山が築かれていた。

 そして、その中腹付近に頬杖をついて座っている白髪の若い男がいた。


「だ、誰だアンタ?」


「俺が誰かなど、どうでもいいだろ。そんな事より……」


 と、白髪の若い男は面倒くさそうにゆっくり腰を上げると、居丈高に俺の事を見下ろしてきた。


「なんだこのザマは? 格下相手にふざけているのか?」


「え? あ、は? 格下相手にって、なにが?」


「やれやれ。ほら、見てみろ」


「え、いや、だからなにを?」


「いいから見てみろ」


 戸惑う俺を他所に白髪の若い男は上空を見上げると、パチンと指を鳴らした。

 するとその直後、瓦礫の山の頂上付近に猫目のような空間が現れ、外の様子が映し出された。


「なんだよこれ……外の景色、なのか?」


「これはお前の視界だ」


「俺の視界?」


「そうだ。お前の視界とは言っても、肉体の方のものだがな。それにしても、自我を失っているとはいえ、を使役しているというのに、あのような格下相手に翻弄されているばかりか劣勢に追いやられているなど、なんとも嘆かわしいことだ」


「あの、その格下相手ってのは、誰のことなんだ?」


「見ればわかるだろ。この黒い鎧の男だ」


 そう言って、白髪の若い男が指差した方に視線を向けると、猫目のように開かれた空間に湾曲した二本角が特徴的で漆黒の鎧を纏う存在が映し出されていた。

 ソイツが手に持つ長剣から察するに、アレがレーヴァテインなのだろう。

 奴は宙に浮きながら長剣を巧みに振り回していて、俺にダメージを与えている様子だった。

 とはいえ、実際の俺はこの謎空間にいるわけだし、一体全体なにがどうなっているのだろうか?


「赤龍と青龍の力をもってすればあの程度の相手など赤子の手を捻るのも同然だ。それがどうしてまたこうなったのやら」


「え、なんかスンマセン。ていうか、その赤龍と青龍ってのは?」


「やれやれ。それも知らないままに自我を失くしてここに落ちてきたのか? はぁ〜、これだからお前は……。これはいよいよ交代の時期だろうな」


「交代?」


「そうだ。交代だ。俺は散々我慢してきたのだから、ここらで表に出ても良いだろ?」


「良いだろうって、そもそもアンタ誰?」


「はぁ〜……お前という奴は」


 と、落胆したように白髪の若い男はかぶりを振ると、瓦礫の山から飛び降りて俺の真正面に着地した。

 間近で見ると、白髪の若い男は思っていたよりもかなり若くて体格も良く、俺とそんなに歳が変わらないような容姿をしていた。

 前髪で目元が隠れているからどんな目付きをしているのかまではわからないけれど、喋り方や身の振る舞いから察するにかなり好戦的な性格をしているのだろう。

 それに、コイツの着ている黒いノースリーブのシャツから伸びている両腕の至る所には無数の傷痕が刻まれていた。

 なんだろう……どことなくだけれど、コイツの両腕に刻まれた傷痕が俺のものと似ているような気がする。

 一体、コイツは何者なんだ?


「まったく、が、これならもういい加減に外へと出られるだろう」


「えっと、ごめん。まったく話についていけないんだけど、説明してくれない?」


「フンッ、そんな説明は後だ。今はやられっぱなしのこの戦が腹立たしくてならない。戦場へ行くぞ」


「戦場って、まさかお前レーヴァテインと戦うつもりかよ!?」


「それ以外になにがあるんだ? とりあえず、お前は黙ってここから見ていろ」


「黙って見ていろって、レーヴァテインの野郎はめっちゃ強いんだぜ!?」


「お前がそう思うならそうなんだろうな。お前の中では」


「お前、ひょっとしてオタクか?」


「うるさい。とりあえず、黙って見ていろ!」


 白髪の若い男は少し気恥ずかしそうにそう言うと、そのまま光の粒子に変わり俺の前から消え去った。

 その場にポツンと残された俺はいまだに当惑したままで、瓦礫の山の頂上付近に現れた猫目に映し出された景色を呆然と見上げていた。


「……すぅ〜。どうしたもんかねこれは? ていうか、なにがどうなってんのよこれ!?」


『あ。丁度良い機会だから、お前は俺の戦う姿を見てよく学べ」


「え? それって、どういう……」


「ぐちゃぐちゃうるさい奴だな。いいから黙って俺について来い!」


「え? ちょ……あらああああああああああ!?」


 白髪の若い男の声が謎空間に響き渡ると、俺の意識は瓦礫の山の頂上に現れた猫目の中へと吸い込まれていった。


 なによこれ? なんなのよこれは一体!?


 沸々と頭の中に浮かび上がる疑問符に向き合おうとしている最中、いつの間にか俺はあの謎空間から抜け出し、現実世界へと戻って来ていた。

 そして……。


「どうした草薙ツルギ? 貴様の本気はこの程度のものか!」


 えらくご機嫌斜めのレーヴァテインと俺は空と地上で向き合っていた。

 もうなにがなんだかわからん事だらけだ。

 しかし、ひとつわかる事があるとすれば、それは俺の体の自由が効かないという事だ。

 それなのに俺の体は動いている。

 これは一体、どうなっているのだろうか?


「やれやれ。俺の本気がこの程度だと? 格下風情が随分とこの俺に舐めた口を聞くじゃないか?」


「ほぅ、そんなボロボロのなりをしてこの俺を格下風情呼ばわりするか?」


「当然だ。お前如き格下が俺の上に立とうなど万死に値する行為だ。その身をもって地獄の苦痛を与えてやろう」


「貴様、本当に草薙ツルギか? 随分と雰囲気が変わったように思えるが」


「なんだ? この俺に臆したのか? くははははっ! おい、格下!」


「?」


「すぐに死んでくれるなよ……ここからが、本当の戦なのだからな!」


 ……え? やだなにこのいかにも少年漫画とかにいそうな強キャラ感出す主人公的な台詞。俺が言ってるんじゃないからね? なんか知らんけど、俺の口が勝手に喋ってるだけだからね? 勘違いしないでよね!?


 現実世界に戻り、これまた色々と困惑している俺を他所に俺の体(オートマチックで動いている)は、空に浮遊しているレーヴァテインに聖剣を向けてめっちゃ煽っていた。

 しかしながら、そんな俺にレーヴァテインは特に動じる事なく静かにコチラを見下ろしていると、どこか呆れたように肩を竦めた。


「正気を失くしたか小僧? まあいい。それでは、貴様の望み通り殺し合いの続きを始めようじゃないか!」


「殺し合いだと? フンッ、バカが! お前の頭は随分と能天気なようだな?」


「なに?」


「殺し合いになんてなるはずがないだろ? 俺が表に出た以上、これから始まるのはコチラ側の一方的な暴力だ! 楽に死ねると思うなよ格下ァ!」


 ……ちょ、やめてくんないそういう物騒な物言いというか煽り運転的なノリ!?

 それ、ちょっと悪そうなチンピラが誤って極道の車を煽っちゃって返り討ちとかにされる展開だよぉ!?


 俺の意思とは関係なく俺の口はペラペラとよく喋り、体は勝手に動いている。

 そんな状況にどうしたものかと考えあぐねていると、頭の中にあの謎空間で出会ったアイツの声が聞こえてきた。


(おい、ツルギ。今からお前にこの体での正しい戦い方を見せてやる。よく学べよ?)


『おいツルギじゃねえよ! つーか、偉そうに誰なんだよお前は!?』


(俺の名はスサ。『スサノオ』だ。とりあえず、よく見ていろ!)


 頭の中に聞こえたきた白髪の若い男こと、スサノオはそう告げると、俺の体の主導権を握っているのかレーヴァテインを相手に身構えた。

 そんな俺たちを空に浮遊しているレーヴァテインはジッと見つめていたかと思うと、突然大声をあげて笑い始めた。


「はっはっはっ! ますます面白い奴だな貴様は! それだけの虚勢を張れるだけの自信があると言うのか? いいだろう。そうでなくては面白くない!」


 かなり上機嫌になったのか、レーヴァテインは愉快そうに肩を揺らして笑うと、片手に持つ長剣を空に掲げて眼下にいる俺の姿を真っ直ぐ見つめてきた。

 なんかわからんけど、マジでヤバい予感がしてならないのは、俺だけなのだろうか?


「……俺の前に立ちはだかる愚かな者共は皆等しく破壊してくれる!」


 スサノオの怒号にも似た台詞が開戦の合図となったのか、レーヴァテインが長剣を振り下ろしてきた。

 それに合わせてスサノオに操られた俺の体もその場から駆け出すと、空と地上での激しい戦闘が再び始まった。





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る