第179話 レーヴァテイン

 突如として現れた血のように赤い髪色をしたロングコート姿の若い男は、冷淡な表情で俺たちをゆっくり見渡すと静かに地面に降り立ち、両脇に抱えていた北条先輩とマドカさんをどさりと地面に落とした。

 その衝撃で二人は呻くような声を漏らすと、苦痛に顔を歪ませていた。


「北条先輩、マドカさん!?」


「やれやれ。まさか、キミが直接出てくるとは予想外だったよ。レーヴァテイン」


 【レーヴァテイン】

 泰盛さんにそう呼ばれた赤髪の若い男は、鋭い目付きでティルヴィングとエペタムの二人を睨め付けると、落胆したように鼻を鳴らした。


「お前たち二人が付いてこのザマか。やはり、俺が来て正解だったな」


「あらん? それはまた随分と感じの悪い事を言ってくれるじゃないのよん、レーヴァ」


「あー……つーか、アンタが出てくるとか、俺っちたちってそんなに信用なかったってこと?」


「信用するかどうかよりも、俺は成功するか否かで判断し行動をする。その結果、お前たちでは成功しないと判断し参上したまでだ」


「それはそれはアンタのご期待に応えられず、ごめんなさいねん」


「……ティルヴィング」


「なによん?」


「貴様は俺に斬られたいのか?」


「ちょ、冗談よ! そんなに怒らないでよんレーヴァ〜」


「俺に対する言動には十分注意しろ。さもなくば、例え同族であろうと斬る」


 俺から少し離れた位置に立つレーヴァテインという男がドスの利いた声でそう言うと、ティルヴィングが表情を強張らせていた。

 それは勿論、エペタムも含めてだ。


「んもぅ、マジレスとかしないで欲しいわよねん」


「あー……聞こえたら殺されるかもしれないからやめた方がいいよティル姉」


「泰盛、お前も少し遊び過ぎだ。己の使命をまっとうしろ」


「ふむ、それもそうだったね。済まないレーヴァ」


「今回は目を瞑る。それにしても……」


 と、レーヴァテインと呼ばれた男は魔剣を構える俺の方に一瞥だけくれると、興味なさそうに背を向けた。


「……この程度か。取るに足らんな」


「おい、スレイブ。アイツ、今なんか言わなかったか?」


「小声すぎて聞き取れなかったが、なんかため息吐いてなかったか?」 


 奴がなにを口走ったのかわからなかったが、とにかく初見で真っ先に感じた事はコイツがかなり強いということだ。

 一見、無防備に思えるその立ち方にもまったく隙が見当たらない。

 それに、奴は俺に対して背中を向けているというのに、まるで鋭く見据えられているような感覚に囚われる。

 今まで対峙してきた魔剣たちの中で恐らくコイツがナンバーワンの実力者なのだろう。

 だが、今この状況でそんな事は関係ない。

 マドカさんと北条先輩の二人が負傷しているんだ。

 早くここから助けてあげなければ!


「ところで泰盛。例の剣は俺が手に入れてきたのだが、肝心のホーリーグレイルが一つ足りなかった。お前の娘がその片割れを持っているという話だったはずだが、なぜだ?」


「おや? 娘の時音が持っているはずだけど見つからないのかい?」


「どちらがお前の娘かわからんが、ここに運ぶ途中で調べても見当たらなかった。この場合はどうする?」


「ふむ、それは困ったね。ところでレーヴァ、ひとつ質問してもいいかな?」


「なんだ?」


「キミがここに連れてきた二人とは別にもうひとり女性が一緒にいただろ? その人はどうしたんだい?」


「斬った」


「!?」


 なんの躊躇いもなく一言だけ言い放ったレーヴァテインに俺は目を見張った。

 コイツは今、政代さんを斬ったと発言した。そんな事をして彼女の夫である泰盛さんが黙っていないだろうと願い俺が泰盛さんの方に目を向けると、彼は特に同様している様子もなく腕組みをしていた。

 

「そうか。彼女を斬ったんだね」


「コイツらがこの剣を蔵の奥から探し出してきた時、それを奪おうとした俺に最後まで抵抗してきたから斬り伏せた。なにか問題でもあるか?」


「彼女は死んだのかい?」


「知らん。運が良ければ生きているだろう。なにか問題でもあるか?」


「いや、問題ないよ。ただ僕が思うに、キミの力ならそこまでする必要性はなかったんじゃないのかなと少しだけ思えてね」


「邪魔する者を斬り伏せるのは当然の事だ。それに、たかが人間ひとりが死んだところで世界は変動しない。故に、なんの問題もない」


「そうだね。キミの言う通りだ」


 淡々とした口調で冷酷な事を言うレーヴァテインに一瞬、泰盛さんの纏う雰囲気が変わったような気がしたけれど、彼はそれ以上なにも言わずに肩を竦めていた。


 自分の奥さんである政代さんがコイツに斬られたというのに冷静でいられるなんて、やはり泰盛さんは正気ではない。

 そして、その泰盛さんを狂わせている人物が恐らくこのレーヴァテインという魔剣の精霊なのだろう。

 それなら、コイツをぶっ倒せば泰盛さんを正気に戻せるんじゃないだろうか。

 まあどうせ戦うことになるのだから、ここは先手必勝で斬りかかるのもありかも知れない。

 と、俺が魔剣を握りしめ、今まさに踏み出そうとしたその直後、コチラに背を向けているレーヴァテインから声がした。


「やめておけ小僧」


「!?」


「お前が俺に斬りかかろうとしているのは既にわかっている。同族のよしみで見逃してやるつもりではいるが、貴様が死に急ぎたいというのなら話は別だ」


 魔剣を構える俺をレーヴァテインは肩口から鋭く見据えてくると、こちらの出ばなをくじいてきた。

 やはり一筋縄ではいかない相手のようだ。

 とはいえ、コイツをどうにかしないと北条先輩もマドカさんもどこかで重症を負っているであろう政代さんも助けられない。

 恐れるな俺……三人を助けられるのは俺しかいない。

 コイツは俺が倒すんだ!


 そんな俺の決意を感じ取ったのか、レーヴァテインが呆れたようにため息を吐いた。


「フッ、自らの死を選ぶつもりか。ティルヴィング」


「なによん?」


「コイツが例の小僧なのだろう?」


「そうよん。見ればわかるでしょ?」


「そうか。なら残念だったな」


「残念だったって、なにがよん?」


「お前がこの小僧を仲間に引き入れたいと話していただろ。残念だが、それは叶わなくなったという事だ」


「……坊やを殺すの?」


「あぁ。それ以外の選択肢はない」


「……そう。それは残念ね」


「そういう事だ」


 俺の方に物悲しげな視線を向けてきたティルヴィングにレーヴァテインは短く告げると、地面に突き刺さっていた自らの魔剣を引き抜いてコチラに向き直った。

 その瞬間、全身の毛穴がぶわっと開き、嫌な冷や汗が溢れ出る。

 互いに刃を構えて気付いたけど、コイツの纏う強烈な殺気に周りの空間が歪んでいるように見えてくる。

 これは、少しでも油断をしたらアッサリと殺されかねないかもしれない。

 そこまで時間はないけれど、慎重に戦うしかないだろう。


「おい、ネギ坊注意しろ。奴は相当強ぇぞ」


「へっ、上等だぜ。俺の仲間を傷つけた代償が高くつくってことをこの野郎に教えてや――」


「お前はなぜ我々と敵対する?」


「――!?」


 瞬きをしたその直後、身の丈ほどある赤黒い長剣を水平に構えたレーヴァテインが目前にまで迫っていた。

 その行動に仰天しながらも俺は咄嗟に魔剣を構えて後方に飛び退く。

 だが、その距離すらも瞬く間に容易く詰められ、俺は奴に肉薄されていた。

 そして次の瞬間、レーヴァテインが両手で握る長剣を振り抜いてくる。

 その斬撃を受け止めると、奴はどこか感心したように両眉を上げた。


「ほぅ、勘の鋭さと反応速度は申し分ない。だが、それだけでは並程度だ」


 次々と繰り出される長剣の乱舞をなんとかギリギリのラインで防げている。

 しかし、奴が俺の首元目掛けて真っ直ぐ振り抜いてきた重たい一撃の衝撃を完全に殺すことが出来ず、俺は地面の上を何度も転がった。


「ナイス防御だぜネギ坊!」


「いてててっ……ナイスなんて言えるようなもんじゃねえよ」


 あと数秒反応が遅ければ、俺の首は胴体から切り離されていただろう。

 奴の攻撃には緩急があり、常に全力で応戦しているコチラの体力を確実に奪ってくる。

 コイツ、相当戦い慣れしている。

 そう思えば思うほど、レーヴァテインとの実力差を嫌でも実感してしまう。

 奴の一挙手一投足から目が離すな!

 少しでも油断をしたらそれは自らの死へと繋がる。集中だ、集中しろ!


「小僧、お前にもう一度聞く。なぜ我々と敵対する?」


 長剣を構えたままコチラにゆっくりと歩み、また同じことを問いかけてくるレーヴァテインに警戒しつつ、俺は奴の顔を睨みつけた。


「そんなもんお前らが悪に決まってるからだろ」


「悪……か。ならば、お前にとっての正義とは人間なのか?」


「は? 別にそうとは限らな……」


「ネギ坊、来るぞ!」


 何気ない会話をしてくるのかと思いきや、レーヴァテインは風のような速さで接近してくると、そこから両手に持つ長剣を幾重にも振り回し俺を圧倒してくる。

 コイツ、俺が返答するのも待たないで攻撃仕掛けてくるとかズルくない?

 しかもぶっちゃけ、その質問の真意もよくわからないし、俺の集中力を分散しようとしているのが狙いなのか?


「どうした小僧。俺の質問に答えられないのか?」


「んだよウルセェな! 別に人間すべてが正義とは言わねえけど、少なくともお前たちがしていることは完全に悪党のそれだろう!」


「わからんな。そもそも善悪とは、それを観測するお前たち人間が己の価値観で勝手に決めつけた概念のようなもの。なにが善でなにが悪かなど誰にも判別などできない」


「なにわけわかんねえ事を言ってんだテメエは? 哲学者にでもなったつもりかよ!」


「例えば野生動物が空腹を満たすために狩りをし、力の弱い獲物を捕食する行為はお前たちにとって悪なのか?」


「な、なんだよその質問は? さっきの話からはそんなの関係ないだろ!」


「自然界において獲物を狩るのは生きる上で当然の事。それすなわち自然の摂理であり、この世に生きる生物にとって当然の行為だ。だがしかし、お前たち人間は同族がそれと同じような目に遭う光景を酷く嫌悪し、野生動物を悪として判別しようとする。それはおかしな事だと思わないか?」


「な、なにを言ってるんだお前は?」


「我々からすれば、人間はこの世界で最も自分勝手で横暴な事をする生き物だ。それを滅ぼしてしまえば世界は元の平穏を取り戻す事が出来る。それが我らの使命であり、お前人間で言うところの善だ」


「なにをごちゃごちゃと……それを言うならテメェらも十分に自分勝手で横暴な事をしているじゃねえか!」


「なぜそう思う?」


「はぁっ!? なぜもクソもねぇだろ! 世界を元に戻すから人間を滅ぼす? それの方がよっぽど自分勝手な事だろうが!」


「お前たち人間は自らの利益のためだけにこの世界のバランスを崩す事しか考えない存在だ。それを滅ぼしてなにがいけないと言うのだ?」


「この野郎……。さっきから人の話を聞く耳すら持たねえであーだこーだとぬかしやがって……テメェらのやってる事は全部――」


「お、おい! ネギ坊!」


「なんだよスレイブ! 俺は今ものすんごく頭にきてるから少し黙って」


「逃げるぞ!」


「は?」


「今回ばかりは相手が悪すぎるぜ。早く逃げるぞネギ坊!」


 長剣を軽々と振り回しながら一方的な事ばかりをのたまうレーヴァテインに俺の怒りが頂点に到達しそうだったその時、いつもなら勝ち気で自信家なはずのスレイブが急に弱気な事を口にしてきた。

 コイツがビビっているなんて珍しい。

 一体どうしたってんだ?


「落ち着けよスレイブ! 一体どうしちまったんだ!?」


「お、オメエは気付かねえのか?」


「なにがだよ?」


「コイツの化け物染みた力にだよ! こんなの今まで戦ってきた連中とは桁違いだ。しかも、俺様たちは鎧化を八割まで解放してんだぞ? それなのに、奴は生身のままで俺様たちが防戦一方……。オマケにこの野郎はまるで本気じゃねえ。完全に手を抜いていやがるんだぞ!?」


「そんなバカな事があるわけ……痛っ!?」


 スレイブの言葉を俺が素直に聞き入れられずにいると、突然体の至るところに痛みが走った。

 その痛みに自身の体をよく見てみると、俺の纏う鎧と生身の部分が裂傷だらけになっており、夥しい量の血が流れていた。

 この全身に刻まれた無数の傷、一体いつの間に付けられたんだ!?


「なんだよこれ……。さっきまでこんなに負傷していなかったよな!?」


「ネギ坊、野郎にはなにか得体の知れない能力がある。ここのままだと確実に俺様たちが負ける……。ここは一旦逃げるぞ!」


 俺たちは今まで沢山の強敵と戦いその度に勝利してきた。

 それは今回も同じだと思っていた。

 だけど、今の俺はスレイブが言うように鎧化を八割まで開放しているのにも関わらず、レーヴァテインからの攻撃を防ぐので精一杯になっていた。

 そして奴はというと、仏頂面で長剣を構えたまま息すら上がっておらず、俺の事を退屈そうに見つめている。

 しかも、さっきからずっと受け流していたと思っていた奴の斬撃は確実に俺の全身を抉っており、いつの間にか重症を負わされていた。

 それに気が付いた直後から急に心拍数が跳ね上がり、尋常じゃない量の汗が噴き出してきて体が震えてきた。

 俺は……レーヴァテインに怯えているのか?


「お前たち人間の理屈で例えると、我々にとって人間を滅ぼす行為は善である。だが、お前たちからしてみればそれは悪となる。ならば、こことは別次元の観測者からこの争いを評議してもらえば、そこでまた新たな概念が生まれるのかもしれないな」


「さ、さっきからわけわかんねえ事ばかりほざいてんじゃねえよ!」


「ん? 先程とは打って変わり言葉に威勢もなく、随分と恐怖に駆られているようだな。ならば、これ以上の戦闘は最早無意味。すなわち――」


「?」


「……これで終わりという事だ」


「マズい!? ネギ坊、避けろぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 スレイブの叫び声が俺の鼓膜に響いた刹那、レーヴァテインが水平に振り抜いた長剣の刃が俺の魔剣を弾き飛ばし、そのまま鎧部分を切り裂いて俺の脇腹をすり抜けた。

 その瞬間、俺は自分の腹部の真横から侵入してきたとても冷たいモノが真一文字に通り抜けていった感覚に茫然とし、斬られた箇所から噴き出した自分の血液を見つめていた。





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