第164話 裸の付き合い
北条先輩の家でお泊りする事になった俺は豪華な夕食をいただい後、用意してもらった客室へ一度戻り、浴場へと向かっていた。
来客用のスリッパをパタパタと鳴らし、高級老舗旅館のような構造をしている広大な北条家の中を歩き回っているとようやく目的地である大浴場へと辿り着いた。
というか、家の中で道に迷うとかどうなってんだよコレ。
案内図が欲しいレベルの広さだぞ。
「えっと、ここでいいんだよな?」
眼前にある紺色の布地に白文字で大きく『湯』と書かれた暖簾をくぐると、その先には広々とした脱衣場が存在していた。
大きな鏡のある洗面台には備え付けのドライヤーが置かれており、体重計や扇風機、それに自動販売機までもが設置されており、完全に温泉旅館そのものだった。
その設備に唖然としつつも、俺は壁際にある棚へ向かうと、幾つもある脱衣籠の一つを選んでその中に自分の制服やら下着やらを放り込むと、タオルを片手に浴場の引き戸を開けた。
「……マジかよ」
咽るような湯けむりに覆われたその先には、立派な石囲いの屋根付き露天風呂があり、檜のかけ流しからは絶えず給湯されていた。
まさかとは思うけど、コレって天然の温泉じゃないのか?
「スケールがやべぇなおい……。これならいっそのこと温泉旅館にでもした方が良いんじゃないのか?」
「はっはっはっ。僕もそう思うよ」
「えっ?」
不意に湯けむりの奥から聴こえてきた男性の声に目を凝らしてみると、頭の上にタオルを乗せた泰盛さんがひとりで露天風呂に浸かっていた。
ヤバイ、今の独り言を聞かれてしまった。
「あ、泰盛さん。スミマセン、今のは冗談でして聞かなかった方向で……」
「泰盛さん……か。そこはお父さんと呼んでもらってもかまわないんだがね?」
首だけをコチラに巡らせそう言うと、泰盛さんが手招きをしてくる。
なんというか、これはなかなか気まずい空気だ。
「キミも体を流したらコッチで一緒に浸かろうじゃないか。裸の付き合いは大事な事だと思うだろ?」
「あ、はい。じゃあ、お言葉に甘えて」
人にとって、裸の付き合いというものは結構重要だったりする。
昔、聞いたことがあるけれど、男同士で風呂に入りると、互いに腹を割って話せるとかなんとか。
恐らく、泰盛さんもそういう感じなのかもしれない。
「ん? どうしたんだい? 入らないのかな?」
「あ、いえ! 入ります!」
泰盛さんに催促され手早く身体を洗うと、俺はそそくさと少し離れた所へ入湯する。
浴場には誰もいないと思っていたのだが、泰盛さんがいるとは想定外だった。
「草薙くんだったね。うちの時音はどうだい?」
「え? 北条先輩ですか?」
「おや? キミは時音の彼氏だと言うのに、そんな呼び方をしているのかい?」
「あ、いや、別に俺は北条先輩とお付き合いさせてもらっているワケじゃなくて……」
「はっはっはっ、なるほど。流石に時音の父親である僕の前で堂々と彼氏を名乗るのは気が引けるのかな?」
……うん。ものすんごく勘違いなさっている。
というか、泰盛さんの中で俺は完全に北条先輩の彼ピッピという扱いにされているようだ。
「僕が言うのもなんだけど、うちの時音は政代さんに似てとても美人だろ? それにスタイルだって良い」
「それは俺も思います。あんな美人な先輩なんてそうそう出会えないですよね」
「そうだろ。でも、時音はああいう生真面目な性格をしているものだから異性が近付き難いと思うんだ。だから僕も少し心配をしていたんだが、キミのような素晴らしい彼氏を連れてきたから本当に安心したんだよ」
上機嫌に笑うと泰盛さんがコチラに顔を向けてくる。
なんだかこのままだと、本当に北条先輩の彼氏認定されてしまうような気がしてならない。
俺には共に死線を潜り抜けてきたエクスという最高の彼女がいる。
だからこそ、これ以上話がややこしくなる前に訂正をしておきたいところだ。
「あの、泰盛さん。なにか勘違いをしていると思うんですけど、俺は北条先輩の彼氏では――」
「見たところ、キミは正義感があって勇敢そうだし、身体もかなり鍛え込んでいるようだね。父親としては、娘を守ってくれるような強い男は大歓迎だよ」
「あるぇ〜? 泰盛さんも人の話を聞いてくれない感じですかねぇ〜!?」
まったくコチラの話を聞いてくれそうにないムーブをかましてくる泰盛さんにマジで焦る。
ひょっとして、この人も政代さんやマドカさんと同じで暴走してゆくタイプの人なのかなぁ〜?
「ところで草薙くん。唐突に聞くが、キミは高校生の割にヤンチャが過ぎるというか、それとも相当な荒行を積んでいるのか知らないが、随分と痛々しい傷痕が体中にあるんだね?」
「え……あ、これは〜」
魔剣との死闘で俺の全身に刻まれた傷痕を指差して、痛いところを突いてくる泰盛さんに思わず頬が引き攣る。
ヤバイヤバイ。ついウッカリ他人と一緒に風呂なんて入っちゃったけれど、体中の傷痕の事をすっかり忘れていた!
こんな傷痕だらけの体を見たら誰だって良い印象など持たないだろうし、疑念を抱くのも仕方ないことだ。
はてさて、これはどう誤魔化してみたものか……。
「こ、これはですねそのぉ……なんというか、ちょっとヤンチャし過ぎた証っていうか、男の勲章ってやつですよ。なははははっ!」
「なるほどね。体の傷は男の勲章というやつか。それなら、そういう事にしておこう」
……上手く誤魔化せたってことでいいのかな?
泰盛さんが俺の傷痕に対して深く追求してくるような素振りはなかった。
まぁ、これ以上あれやこれやと聞かれても困るから、早めに大浴場から出たいのが本音だ。
とはいえ、それはそれで泰盛さんに失礼だと思えちゃうから困ったものだ。
そんな風に考えていると、泰盛さんが話を続けてくる。
「キミの傷痕を見て昔を思い出したけど、こう見えて僕も昔はヤンチャをしていた時期があったんだよ」
「え? そうなんですか?」
「まあね。とは言っても、学生時代の話だけどね」
泰盛さんからの意外な発言に俺は目をぱちくりと瞬かせた。
この人、真面目そうに見えて実は元ヤンだったのか?
「まだ幼かった頃から僕はずっと正義の味方に憧れていてね。それから強者から弱者を守るためにひとりでよく立ち向かっていたものだよ。でもね、それが成長するにつれていつの間にかこの辺りでもそれなりに名の知れた不良として忌み嫌われるようになってしまったんだ」
小さい頃からテレビの特撮ヒーロー番組が好きだった泰盛さんは、弱い者イジメをする人間が許せない性格だったらしく、そういう連中から弱い人たちを守るために立ち向かっていたという。
しかし、年齢が上がるにつれて、そんな彼の行いをただの暴力として周囲の人々は見るようになり、いつしか泰盛さんは『不良』というレッテルを貼られてしまったという。
「あの時に守ったはずの仲間たちからも避けられるようになって、当時はショックだったね。でもね、今更それを払拭できない所まで僕は上り詰めてしまっていたのさ」
「それで泰盛さんはどうしたんですか?」
「そのまま不良になってしまったんだよ。でも、そんな暴力ばかりの生活にいよいよウンザリしていた僕の前に意外な人物が現れてね。僕の腐った性根ごと完膚なきまでに叩きのめしてくれて無事に不良を卒業することになったのさ」
遠い目をして過去を語る泰盛さんの目には、どこか憂いが滲んでいる。
誰かを守るために立ち向かっていたはずなのに、それが周囲から受け入れられなくなり不良と認識されてしまった泰盛さんが可哀相に思えて仕方なくなる。
人は見た目によらないとよく言うけれど、泰盛さんは研究員という職業の割には体格もしっかりしているし、よく見れば体のアチコチに傷痕のようなモノが見て取れる。
これは、あながち作り話ではないのだろう。
というか、そんな辛い体験をして不良になってしまった泰盛さんを叩きのめし更生させたというその相手がすごく気になるところだ。
「おや? 僕の話に興味がありそうな顔をしているね。続きを聞くかい?」
「そうですね。その泰盛さんを更生させたという相手が気になりますよね。それへ一体どんな人だったんですか?」
「政代さんだよ」
「え?」
「当時、彼女は地元で最強と謳われていた美少女でね。それを聞きつけた喧嘩自慢のヤンキーたちが挙って彼女にタイマン勝負を挑んでいたんだよ。そして、この僕もそのひとりだったのさ」
正直、耳を疑った。
あの政代さんが、この辺りで有名な喧嘩最強の美少女だったなんて信じられなかった。
「あの頃、僕らの間でひとつの噂が広まっていてね……。北条家のお嬢様を喧嘩で倒せた奴は、玉の輿になれる権利を得られるなんて逸話があったのさ。正直、そういった富や権力に興味などなかったけれど、最強と言われたその美少女と一度だけ手合わせしてみたいと思ってね。まぁその結果、ボコボコにされたんだけどね」
照れ臭そうに鼻先を掻くと、泰盛さんは口元を笑ませて短く息を吐いた。
まさか泰盛さんが若き日の政代さんにボコられていたとは驚きだ。
つーか、どんだけ強いんだよあの人は。
「まったく想像がつかないですね。泰盛さんもそうですけど、あの凛々しい政代さんが元ヤンだったなんて」
「ははっ。彼女は元ヤンというより、身に降る火の粉をただ払っていただけだったんだよ。それがいつの間にかそんな噂となって広まってしまい、街中のヤンキーたちを集めてしまうようになったというワケさ。かつての政代さんにしてみれば、とんだはた迷惑な話だっただろうけどね」
かつてを懐かしむように思い出深く語る泰盛さんの表情は、とても穏やかで楽し気だ。
でも、その話の中でふと気になる事がある。
そこからどうして二人は付き合う事になったのだろうか。
ちょっと訊いてみよう。
「あの、気になるんですけど、どうして泰盛さんは政代さんと結婚する事になったんですか?」
「少し長くなるけど、聞くかい?」
笑顔で問いかけてきた泰盛さんに俺は無言で頷く。
この二人の馴れ初めは、一体どんな始り方だったのだろう。
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