第157話 悪夢
北条先輩の口から語られるその内容に俺は静かに耳を傾けていた。
まず、彼女が悪夢に悩まされ始めたのは、今からひと月ほど前だという。
「最初の頃は仄暗いトンネルのような中をひとりで歩いているだけの夢だったの。でも、それがいつしか誰かに追い回されるようになり気が付いたら赤い妖気のようなものを纏った複数の小鬼たちに襲われる夢へと変わっていったわ……。それが毎晩のように続いた時は本当に頭がおかしくなりそうで、外に出るのも怖かったわね」
重い口取りで語る北条先輩の表情はとても暗く、丸テーブルの上で握られたその両手には力が込められていた。
夢の中で彼女を襲う小鬼たちの目的は不明だが、奴らが北条先輩に残虐極まりない事をしてくるという話らしい。
そんな悪夢を毎晩見ていれば、誰だって気が狂いそうになってしまうのは当然の事だろう。
しかし、そんな北条先輩にもここ最近で大きな変化があったという。
「本当にたまたまだったんだけど、去年にお父様からいただいた誕生日プレゼントの綺麗な宝石をお守り代わりとして身に着けて眠るようにしてみたの。そしたら、私の夢に変化が起きたの」
「その変化とは?」
「夢の中で小鬼たちを追い払ってくれる人が現れたの! これはまさに奇跡だと思ったわ」
まるで、憑き物でも落ちたかのように晴れやかな表情で話す北条先輩はようやく笑顔に戻った。
彼女のお父さんがくれたその宝石のおかげなのかは不明だが、先輩がちゃんと眠れるようになったというのは好ましい結果だろう。
それでも、完全に体力が回復したというわけではなさそうだが。
「でも、まだ体調は良くなさそうですよね?」
「まあね。でも、安心して眠れるようになっただけでも重要なことよ」
「そうですね。それで、その夢に現れる人物は何者なんですか?」
何気なく俺が問うと、北条先輩が口をへの字にして首を捻る。
「その人の容姿はいつも青い光に包まれているからよくわからないのだけど、その人が現れると腰に携えた刀のような物で小鬼たちを切り払い私を助けてくれるの。一応私の勝手なイメージだけど、その人は鎧武者のような姿をしているような気がしたわね」
「鎧武者、ですか?」
「そう! まるで戦国武将のような鎧武者ね! 夢の中に現れるその人が何者かはわからないけれど、その人からとても温かくて優しい感覚がするのよね。これもきっと、お父様のおかげだわ」
悪夢の中で何度も小鬼たちに襲われ続けていた北条先輩を救った謎の鎧武者。
その人物は、いつもぼんやりとした青い光に包まれているようで何者なのか本人にも皆目見当もつかないらしいのだが、その人物が彼女にとって安心できるような存在に思えたらしい。
「まぁ確かに、その話を聞く限りでは先輩のお父さんがくれた宝石のおかげだと思えますよね」
「そう思うでしょ! そしてね、小鬼を払ったあとその人が私の前にしゃがみ込んでなにか話しかけてくるのよね」
「それはなんて話しかけてくるんですか?」
「あまり上手くは聞き取れないのだけれど、私に向かって何度も……刀がどうとかって、言っているような気がするのよね」
小鬼を払ったその人物が、彼女へなにかしらのメッセージを伝えようとしているようなのだが、それがどうにも上手く聴き取れないらしい。
ただ、聞き取れた内容によるとその鎧武者はしきりに『刀』という単語を口にしているとの事だ。
人が見る夢には様々なメッセージ性が込められていると聞いた事があるけれど、その夢も北条先輩へのなにかしらのメッセージを伝えているのかもしれない。
「それからと言うもの、夢の中に現れるその人がなにを伝えようとしているのか懸命に聞き取ろうとしているんだけど、いつもそれが叶わないのよね」
「う〜ん。詳しい事はわからないですけど、話を聞く限りでは北条先輩のお父さんがくれたその宝石になにかしらの不思議な力があって先輩を悪夢から助けてくれているんだろうなぁ〜って事はわかりましたね」
「フフッ、私もそう思っているわ。きっと、お父様が私を遠くから見守ってくれている証拠だと思うの。だから、私はその宝石を失くさないようにいつもカバンに付けて……!?」
「先輩?」
「……うそっ」
先程までニコニコしていた北条先輩が、自身の机の上に置かれていたカバンに目を向けた瞬間一気に青ざめた。
なんだ? 一体なにがあったんだ?
「宝石が……ない」
「え?」
「今朝まではちゃんと付いていたはずなのに、どこに行っちゃったの!?」
「え、ちょ、北条先輩?」
「冗談じゃないわよ! どこに、一体どこに行っちゃったのぉぉぉぉぉぉ!?」
酷く取り乱した様子で机に近づくと、北条先輩は中身を漁るようにしてカバンをひっくり返した。
机の上に散乱した教材や筆記用具を掻き分けて宝石を探す北条先輩からは鬼気迫るものを感じる。
しかし、必死に探している彼女を嘲笑うかのようにお目当ての宝石はどこにも見当たらないようだった。
「……こんなのウソよ。アレがないと、私はまた小鬼たちに襲われてしまうわ!」
「お、落ち着いてくださいよ北条先輩! ひょっとすると、宝石を手にして眠ることで安心したから悪夢が変わったかもしれないじゃないですか。ですから、今は普通に眠れるかも――」
「そんな事は絶対に有り得ないわ! だって、あの宝石があるとないとでは全然感覚が違うもの!」
「か、感覚が違うって……そんなに違いがあったんですか?」
「そうよ! あの宝石を身に着けていると、周囲の人や物から不思議なオーラみたいなモノが――」
「不思議なオーラ?」
「……ゴメン、なんでもないわ。今のは忘れてちょうだい」
うっかり口を滑らせたと言わんばかりに北条先輩は急に黙り込むと、そのまま俯いてしまう。
なんだか、今の話を聞くにその宝石には本当に不思議な力があるような気がしてならない。
とはいえ、現物がココにはないから確認のしようもないわけなのだが……。
「どうしよう……。またあの悪夢にうなされる日々を送る事になるだなんて私には耐えられない。どうしよう、どうしようお父様……」
自身の両肩を抱いて、涙目になりながらカタカタと小さく震える北条先輩に俺は困惑する。
先輩の顔色が青白くなっていく。
彼女にとって、唯一の救いであるはずの宝石を失ったとなれば、これは本当にマズい感じだ。
「お父様からいただいたあの宝石がないと私は絶対にまた悪夢に襲われる……。今朝までカバンに着けていたはずなのにどこかへ失くしてしまったのかしら」
「北条先輩、今朝までは確かに持っていたんですよね?」
「えぇ。今朝までは確実にカバンに付けていたんだけど、その後に病院で目覚めた時はどうだったか覚えていないのだけれど……あぁもう、どうしよう!」
頭を掻き乱して天を仰ぐと、北条先輩はその場に両膝を着いて蹲り頭を抱えた。
このままだと北条先輩が発狂しかねない。
ここは俺がその宝石を探してあげるしかないようだ。
「落ち着いてください北条先輩。とりあえず、その宝石の特徴とか教えてもらえませんか?」
「と、特徴? そうね、青くて綺麗で菱形をした宝石だったわって、どうしてそんな事を聞くの?」
「俺が今から探しに向かうからです。青くて綺麗で菱形をした宝石ですね。わかりました!」
「そ、そんな、恩人のアナタにそんな事させられないわよ!」
「いいんですよ。それより、どこかに落としたとか思い当たる節はないですか?」
「思い当たる節って言われてもわからないわ。でも、確かに今朝までカバンに着けていたのは事実よ」
「だとすると、今朝の交差点辺りが怪しくないですか? あそこで先輩は意識を失くして倒れたじゃないですか。可能性があるとすれば、きっとあの交差点ですよ」
俺の推測に北条先輩は、「そうかもしれないけど……」と、困ったように首を傾げた。
綺麗な宝石と言っていたくらいだから、急いで回収しないと誰かに拾われてしまう可能性が高い。
ここは即刻探しに行くべきだろう。
「北条先輩、とりあえずその宝石を俺が探しに行ってきますから先輩はここで療養していてください」
「草薙くんにそんな事までしてもらうわけにはいかないわよ! それなら私が行くわ」
「それはダメです。今の北条先輩には休息が必要ですし、なにより政代さんがそれを許さないと思いますよ? だから、ここは俺に任せてください」
「そ、そうは言われても……」
「とにかく、急がないと誰かに持ち逃げされてしまう危険性がありますからかも俺はもう行きますね!」
「待って、草薙くん! それなら――」
「――承知しました時音お嬢様」
「うはぁっ!?」
部屋を出ようする俺の背に北条先輩が声をかけた瞬間、窓際にある遮光カーテンの裏側からマドカさんが突然現れた。
「ま、マドカさん!? いつからそこに隠れていたんですか!」
「ツルギさんと時音お嬢様がこの部屋に入る前からです。それより、時音お嬢様。ここはこのマドカにお任せください」
「その前にマドカお姉ちゃん。私の許可があろうがなかろうが、人の部屋に先回りして隠れるのはやめてくれる?」
「失礼しました。しかし、これも全て時音お嬢様を守るためのこと、ご容赦ください。さて、変態のツルギさん」
「変態は余計だろうが」
「失礼。では、ツルギさん」
呆れる俺にマドカさんは振り返ると、肩にかかった髪をサッと払う。
「時は一刻を争う事態。外に車を用意していあります。急ぎましょう」
「それはどうもありがとうございます。じゃあ、北条先輩。あとは任せてください」
「なにからなにまでアナタにお願いをして本当にごめんなさい草薙くん。このお礼はキチンとするから」
「それではツルギさん、参りましょうか?」
そう言ってマドカさんは俺の片腕に自身の片腕を絡めてくると部屋の外へと連れ出し、軽快な足取りで歩みを進める。
「さて、ツルギさん。先程は言及をしませんでしたが、貴方様が時音お嬢様とどのような会話をなさっていたのか車の中で詳しく教えてくださいね?」
「いやいや、先に部屋へ侵入していたんだからその一部始終を聞いていたんじゃないんですか?」
「私が聞き取れたのは時音お嬢様が旦那様への事を話していた部分だけです。故に、私が聞きたいのはその前の会話です」
「そんな事を聞いてどうすんだよ!? ていうか、アンタにはプライバシーってものがねえのか!」
「ツルギさん、それをアナタが言いますか?」
胸元から取り出した例のメモリースティックをチラつかせてくるマドカさんに、俺はそれ以上なにも言えず下唇を噛んだ。
悔しいけれど、前科持ちの俺にはこの人に対して逆らう事はできない。
ここは大人しく、彼女の望みに応える事にしよう。
「それではツルギさん。私と仲良く車へ乗りましょうか?」
「……はい」
その後、俺はマドカさんにガッチリと片腕をホールドされたまま今朝の交差点へと向かう事になった。
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