第156話 時音の憂鬱

 部屋の中心に置かれた赤い丸テーブルの上にティーセットを並べると、北条先輩が慣れた手付きで紅茶を淹れ始める。

 細くて綺麗な指先で、自身の長い前髪を片耳にかける仕草が妙に艶めかしい。


 北条先輩が甘い香りの湯気が立つ紅茶をカップに注ぐ際に少しだけ前屈みになると、襟元の深いゆったりとしたワンピースからその奥が見えており、豊満な胸の谷間が見えて俺は思わず目を逸ら……さずにあえてガン見した。

 普段から隙のない人だと思っていたのだが、意外と無防備な人だ。

 とはいえ、北条先輩は絵になるというか、その一挙手一投足の全てに自然とコチラの視線が惹き寄せられてしまいついつい魅入ってしまう。

 天性の男殺しとは、まさに彼女の事を言うのかもしれない。


「草薙くん。ダージリンは好き?」


 唐突にそう聞かれて、俺の思考がダージリンという単語から記憶を呼び起こす。

 確か、エクスが毎朝淹れてくれる紅茶がダージリンだったよなぁ……と。


「あ、はい。ダージリンティーならエクスが毎朝ウチで……」


「毎朝ウチで?」

 

「……じゃなくて!? 昼休憩の時にアイツが家で水筒に入れてきたやつを飲ませてくれるんですよ! あ〜、この香りが堪らなく良いですよねー!」


「そう。それは良かったわ」


 危ない危ない……。

 毎朝ウチでダージリンティーを淹れてくれるなんて言ったら、一緒に同棲している事がバレて大問題になるところだった。

 俺とエクスの同棲を知るのは、アヴァロンと関係のあるカナデとヒルド、それに村雨先生と犬塚先輩の四人だけだ。

 それを一般人である北条先輩に知られたら、色々と面倒な事になるかもしれない。

 うっかり口を滑らせないように気を付けていこう。


「話には聞いていたけれど、草薙くんは面白い子なのね」


「え? そ、そうッスか?」


「うん。なんていうか、見ていて飽きないもの」


 慌てて取り繕っていた俺を見ても北条先輩は特に疑ることもなく優しく微笑み、ダージリンティーの注がれたカップを乗せたソーサーを目の前に差し出してきた。

 ソレを受け取り砂糖を入れてスプーンで混ぜていると、北条先輩が妙に上目遣いで聞いてくる。


「ねぇ、草薙くん。エクスさんとキミはいつも一緒に居るのよね?」


「まあそうッスね。でも、それがどうかしましたか?」


「ウチの学校でアナタたちはとても有名人だからちょっとね。特に草薙くんは美少女三人を引き連れて歩くハーレム主人公くんなんて言われているわよ」


「は、ハーレム主人公っスか……。まさか、そんな風に言われていたとは」


「そんな噂を聞いたら、流石の私でもどんな男子生徒なのか気になっちゃうわよ。まぁ、実際キミに会ってみたらその噂も本当なんだなって頷けたけれど」


「ん? それはどういう意味ですか?」


「イケメンだったって事よ。フフッ」


 まあ確かに傍から見てみれば、俺は漫画やアニメなどでよくあるハーレム系主人公だろう。

 でも、その事をまさか北条先輩が気にしていたなんてまったくの想定外だった。

 しかも、イケメンだなんて面と向かって言われたら流石に照れちゃう〜!


 口元を隠してクスクスと笑う北条先輩に照れ臭くなり俺が頬を掻いていると、先輩が改まった様子で姿勢を正し話を続ける。


「今朝は危ないところを助けてもらったのに、あんな酷い態度を取ってしまってごめんなさい。私もその……異性に体を触られたのは初めてだったからつい気が動転してしまったの」


「いやいや、それは気にしないでください。というか、異性に体を触られた事がないってマジっすか?」


「えぇ、そうだけど。どうしてそんな事を聞くの?」


「いや、俺の知り合いに犬塚という変態……じゃなくて先輩がいるんですけど、奴が北条先輩と幼馴染って聞いていたから手を握るとかそういう経験くらいはあるものだと思ってましたよ」

 

「確かに犬塚くんとは幼馴染だけれど、彼は紳士というか女の子に気安く触るような人じゃないわ。まぁ、男子には違うみたいだけれどね……」


「北条先輩は奴のソレをご存知で?」


「えぇ……。彼の幼馴染としてそれはとても目を背けたくなるような事だけれど、そういう恋愛価値感は人それぞれだからね」


 その表情に影を落として語る北条先輩は、あの変態の性癖を知っているようだ。

 自分の幼馴染が変態というのは、なかなか受け入れ難い真実だと思えるのだが、彼女はそれを真摯に受け止めている様子だ。

 

「でもああ見えて、ルックスは勿論だけど、とても優秀で優しい人だから女子たちにはすごく人気があるのよね」


「確かに、あの人の周りには常に取り巻きみたいな女子たちが数人は居ますからね。でも、そんな犬塚先輩に北条先輩自身は恋愛感情とかを抱いたりはしないんですか?」

 

「うん。ないわね」


「そ、そうですか」


 即答できるあたり、北条先輩の中で犬塚先輩は眼中にないようだ。

 まあ、あの人の実態を知ってしまえばよほど特殊な性癖を持つ女子以外はドン引きするのが普通だろう。


「そういえば、確認したかったのだけれど……エクスさんはキミの彼女なの?」


「え? あ、はい。そうですね」


「……ふーん、そうなんだ。ふーん」


「え? あの、北条先輩? 俺、なにか気に触るような事とか言っちゃいました?」


「ううん、別に気にしなくていいわよ。エクスさんが彼女ねぇ〜。ふーん」


「……っ」


 エクスが俺の彼女である事を何気なく口にしただけなのだが、北条先輩が少しだけ不満そうな顔をしてプクッと頬を膨らませた。

 ……あらやだなにその態度? まさか俺に彼女がいるという事実に嫉妬しているのかしらん!?


「ねぇ、草薙くん。エクスさんがキミの彼女だとしたら、十束さんと編入してきた一年生のあの可愛い女の子はどうなの?」


「北条先輩はカナデの事も知ってるんスね。アイツは入学式の時からのツレというか親友というか、まあそんな感じの関係ですね。あ、それと、アイツにいつもくっついている金魚のフンみたいな女子はヒルドって言う変態です」


「女の子に変態なんて呼び方をするのは感心しないわよ草薙くん。それより、十束さんは女子テニス部のエースとして有名だから勿論私も知っているわ。それにエクスさんも二学年では常に成績がトップ入りしていたから知っていたわね。それと、そのヒルドちゃんに関しては最近編入してきた子だからあまりよく知らないけれど、男子たちの間ですごく可愛い子として有名みたいよ」


 紅茶の注がれたカップをソーサーと一緒に持ち上げて口元へと運び、会話を弾ませる北条先輩はどこか楽し気だ。

 パッと見の印象で少し近寄り難いイメージだったけれど、こうして話してみればそんな事はなく年相応の女の子だ。

 それにしても、エクスとカナデとヒルドの三人が我が校でそんなに有名だったとは知らなかった。

 まぁ、アイツら三人は誰もが認める美少女だし、いつも連れ歩いている俺としても鼻が高いというものだ。えっへん!


「それにしても、あんなに可愛い女の子を三人も連れて歩くなんて草薙くんも罪な男子よね?」


「いえいえ、恐縮です。まぁ、この俺がイケメンという事実が生んだ結果というやつでしょうね?」


「フフッ、調子に乗っちゃって。でも、そんなキミは校内じゃ、『女垂らしの草薙』で通っているらしいわよ?」


「ガッデム!? 女垂らしとは心外な。これでも俺は奥手な純情ボーイですよ?」


「あはは、ウソばっか。奥手と言う割には、随分と手慣れているように見えたけど?」


「そ、そうですかね〜?」


「うん。だって、キミとは異性としてもごく自然と話せてとても楽しいし、普通の男子なら私もそうはならないと思うの。それに、キミは聞き上手な所があるからついついなんでも話せちゃいそうな気がしてくるもの」

 

 丸テーブルに頬杖を付きながら優しい表情で微笑んでくる北条先輩に、思わず顔が熱くなった。

 うぬぬ、やはり北条先輩は美人だ。

 今までに数多の美女や美少女たちを見てきたが、彼女もその中に余裕でランクインできる美貌の持ち主だ。

 そんな女の子にべた褒めされて喜ばない男はいない。

 ダメ、このままじゃ北条先輩の事を好きになっちゃう〜! それに俺の股間に生えた聖剣が反応しちゃうから話題を変えよう。

 ということで、俺は話を方向転換する事にした。


「そ、そういえば、北条先輩の部屋にお邪魔させてもらってひとつ気になった事があるんですけど聞いてもいいですか?」


「えぇ、勿論よ。なにかしら?」


「そこにある棚なんですけど、一年毎に同じ月日が書き記されたDVDケースが綺麗に敷き詰められているんですけど、アレは一体なんなんですか?」


 この部屋に入ってから不意に俺の目を惹いたアンティーク調の棚がある。

 その棚の上段には、辞書や参考書の類がビッシリと敷き詰められているのだが、その下にある幾つものDVDケースが気になっていた。

 まさかあの清楚な北条先輩が、えちえちなビデオを所有しているとは考え難い。

 それにケースに書かれた年月日を見てみると、今から十年以上くらい前から始まっているようなのだが、今年のモノだけがない様子だ。

 これは一体なんなのだろう? 


 そんな俺の心中に応えるように、北条先輩もその視線を棚に合わせると、どこか懐かしむように口を開く。


「あぁ、あのDVDね……。アレは私のお父様が毎年送ってきてくれていたビデオレターよ」


「ビデオレター?」


「そう、私のお父様は精密機械を製造する研究施設の職員でね。私が小さい頃から海外で暮らしているの……。それで私の誕生日になるとプレゼントと一緒にあのビデオレターを贈ってきてくれていたのよ」


「そうだったんですか」


「えぇ。でも、向こうでお父様になにかあったらしくてね。今年のモノはまだ届いていないの……」


 その場でゆっくりと立ち上がると、北条先輩は静かな足取りで棚まで近づいてゆく。

 そして、DVDケースをひとつだけ手に取り、どこか愛おしむかのようにしてその表面を撫でていた。

 その時の北条先輩の表情にはどこか憂いというか寂寥感が漂っており、俺には酷く悲しげに見えた。

 確か犬塚先輩の話によると、彼女のお父さんが行方不明になっているという事だ。

 そのせいで今年のビデオレターが届いていないのだろう。

 

「でもね、私はお父様が無事に帰って来てくれると信じているの。だって、どんなにピンチになってもお父様は必ずやり遂げる人だってお母様が自慢するようにいつも話していたから、私もお父様の事を信じているのよ」


「北条先輩……」


「……フフッ、なんだか湿っぽくなっちゃったわね。ここ最近おかしな夢ばかりを見ていたものだから、私も俯き加減になってしまったのかもしれないわね」


「おかしな夢、ですか?」


「そう。本当におかしな夢というか、恐ろしい夢よ。聞きたい?」


 コチラに振り返りながらそう口にしてきた北条先輩の表情から、俺はなにかしらの小さなSOSのようなモノを感じ取った。


 確か犬塚先輩から聞いた話の続きに、北条先輩が夜な夜な夢の中で小鬼に襲われる夢を見て毎晩うなされているという事を語っていたと思う。

 もしそれが、彼女のお父さんが行方不明になったという事に起因して直接的に夢として現れているのならば、納得もできないわけではないのだが、どうにも気になる節がある。

 ここは詳しく聞いておこう。


「もしよければ、その夢について俺に聞かせてもらえませんか?」


「勿論よ。ありがとう」


 北条先輩は俺の返答に安堵したような笑みを浮かべると席に戻り、静かに話し始めた。

 

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