第155話 お説教

 政代さんとの真剣勝負に難なく勝利した俺だったが、今度は強引にお礼をさせろと迫られており、心底困り果てていた。

 しかし、そんな俺の背に甲高い声が届き振り返ってみるとそこには、私服姿の北条先輩が腕組みして立っており、コチラを睨みつけながらツカツカと歩んできた。


「お母様、これは一体どういうことですか!」


「まぁ、時音。身体の方はもう大丈夫なの?」


「私ならとっくに大丈夫です! それよりこれは一体どういう事なのかと私は問うているのです!」


「コレと言われてもねぇ……」


 北条先輩は淀みない足取りで道場内に歩んでくると、マドカさんに一瞥をくれる事なくそのまま正座をした政代さんへとにじり寄る。

 そのあまりにも剣呑な空気に、見ている俺も気圧されて息を呑んだ。

 しかし、当の政代さんはまったく動じる素振りも見せずに冷静な雰囲気を保ったまま近寄ってきた北条先輩の顔を見上げていた。


「時音。アナタはどうしてそんなに怒っているのかしら?」


「そんなの怒るに決まっているじゃありませんか! だいたい、お母様はいつもいつもそうやって……え?」


 政代さんに対して激昂する北条先輩の視線が、不意に脇に置いていた折れた日本刀へ向けられた。

 その瞬間、先輩の顔色が一気に青ざめ口元を押さえ絶句した。


「それは……本物の刀じゃありませんか! まさか、それで彼に斬りかかったのですか!?」


「えぇ。そうだけど、それがなにか?」


「それがなにかじゃありません! これは立派な犯罪行為なのですよ? お母様にはその区別すらもつかないのですか!?」


「犯罪行為だなんて大袈裟ね。そんなに怒る事じゃないでしょう。アナタもそう思うわよねマドカ?」


「え!? そ、そうですね……」


「それは本気で言っているのですかマドカお姉ちゃん?」


「あ、あぅ……」


 北条先輩からの強い非難の目を浴びた途端、クールなはずのマドカさんが視線を逸して狼狽し始めた。

 冷淡かつポーカーフェイスのマドカさんでも流石に北条先輩には敵わないらしい。

 先程から真っ直ぐ睨みつけてくる北条先輩の視線から逃れるように目を泳がせている。


「マドカお姉ちゃん。無理してお母様に付き合わないでください。本当はこれが間違っている事であると理解しているでしょ!」


「わ、私は、その……」


「なにを言うの時音。これは、アナタを大切に想う私にとってとても大事なことだったのよ。それをそんな目くじら立てて――」


「私を大切に想うからといって、命の恩人である同じ高校の後輩に刃を向ける事が正しいとでも仰るのですか!」


「う〜ん……まぁ、そうかもしれないけれどでも、アナタが言う通り今回は少しやり過ぎたかもかもしれないわね」


「どう考えてもやり過ぎです! 本当に反省してくださいお母様、それとマドカお姉ちゃんも!」


 声を荒げて怒りを露わにする北条先輩に、政代さんとマドカさんの二人が完全に萎縮して縮こまっている。

 この絵面はなかなか面白いな。

 どうやら、この北条家では先輩が一番強いようだ。


「こんな事をして彼になにかあったらどう責任を取るおつもりだったのですか? ちゃんと彼に謝罪をしてください!」


「わ、わかったからそんなに怒らないでちょうだい時音。く、草薙さん……」


「はい?」


「この度は、大変に失礼な事をしてしまい誠に申し訳ございませんでした」


「申し訳ございませんでした」


 政代さんとマドカさんの二人は正座をしたまま体をコチラに向けると、三つ指を立てて深々と頭を下げてくる。

 北条先輩が言う通り、警察沙汰になるような案件ではあったが、俺が一般人に負けるようなことはまずないのでお咎めなしにしようと思う。

 それに、先輩に激しくお説教をされて反省の色を見せている二人がなんだか可哀相に見えてきたからここは許してあげるとしよう。


「いや、別に俺も怪我をしたわけじゃないんで大丈夫ですから二人とも頭を上げてください」


「まあ、なんて慈悲深く優しい子なのかしら。とても気に入ったわ」


「政代様。この件に付いての責任は全て私のせいでございます。故に、この身を使ってツルギさんに御奉仕してお詫び致しますのでご安心ください」


「あら、それでいいのマドカ。アナタはまだヴァージンでしょう?」


「致し方ない事でございます。ツルギさんはド変態中のド変態、その欲望で時音お嬢様を汚されてしまうくらいならこの私がその代わりに汚されましょう」


「マドカ、あなた……」


「はぁ〜もぅ〜……。その事に付いてのお詫びなら私が彼に直接致しますので、お二人はなにもしないでください!」


「時音様!?」


「と、時音! それはまさか!?」


「なんですかお母様?」


「アナタ、まさかその歳で……もう身籠るつもりなの!?」


「なんでそういう発想になるのですか!? んもぅ、とりあえずこの人たちと一緒にいても話がちっとも進まないので私の部屋へ行きましょう草薙くん!」


「え、あ、はい。てか、どうして俺の名前を?」


「病院に運ばれたあと、マドカお姉ちゃんから聞きました。それより、早く行きましょう」


「待って、時音! お母さんがちゃんと避妊具を用意するからそれまでは待ちなさい!」


「時音お嬢様ァッ! 早まってはいけません!」


「あ〜もぅ〜、ウルサァァァァァイ!」


 辟易とした北条先輩は二人に背を向けると、俺の片腕を掴んで道場の外へと向かう。

 そんな俺たちを政代さんとマドカさんの二人がまるでこの世の終わりでも見ているかのような顔でずっと見つめていた。

 別に、俺としてはさっさと帰りたいだけなので北条先輩になにをするつもりもない。

 だから、そういう勝手な妄想をしないで欲しいところだ。

 

「本当にごめんなさい草薙くん。ウチのお母様は昔からあんな感じで暴走するというか、沢山の人に迷惑をかけるの。ごめんなさい」


「あ、いや。とても個性的なお母さんで良い……とは思わないけど、悪意があったわけじゃなさそうだから気にしてませんよ」


「キミは優しいのね。ところで――」


 と、北条先輩の視線が俺の左腕に向く。


「……やっぱり視えない。私の気のせいだったのかしら?」


「え? なにがですか?」


「ううん、なんでもないわ。それより、お茶を用意するから私の部屋で待っていて」


 北条先輩に導かれるまま長い廊下を進んで行くと、先輩の部屋らしき一室の前に辿り着いた。

 その部屋は他の部屋と違い洋室になっており、ドアには『TOKINE's ROOM』と、ハード型のプレートが掛けられていた。

 

「さぁ、中に入って」


「あ、お邪魔します」


「じゃあ、その辺りで適当にくつろいでいてね」

 

 北条先輩は俺を部屋の中へすんなり通すと、優しい笑顔を浮かべてドアを締めた。

 パタパタと遠ざかって行くその足音に耳を澄ませながら、俺は彼女の部屋の中をぐるりと見渡した。


「ふむ。北条先輩のイメージとは違って、かなりファンシーな内装だ」


 白とピンクを基調とした内装の部屋は、二十畳ほどの広さがある部屋だった。

 中に設置された家具類も洋風のものがかなり多く、『和』をイメージさせる北条先輩とはまったく真逆の印象を抱いた。

 ベッドの上にはクマやネコのヌイグルミが壁際に沿って置かれており、机の上にも小さなヌイグルミが幾つも飾られている。

 これはなんというか、普通に可愛らしい女の子の部屋といった感じだ。


「北条先輩って、見かけによらずこういうの好きなんだな」


「おい、ネギ坊」


「ん? なんだよスレイブ」


 机に置かれていた小さなクマのヌイグルミを俺が手に取っていると、突然スレイブが話しかけてきた。


「ネギ坊、オメェは気付いたか?」


「気付いたかって、どういうことだ?」

 

「あのお嬢ちゃんの事だよ。言わなくてもオメェなら感じ取れんだろ?」


 唐突なスレイブの言葉に、はてと首をひねってみる。

 北条先輩について気が付いた事か。

 まあ簡潔に言えば、美人でスタイルが良くて、たわわに実った果実を持つ可愛い物が好きな先輩……いや、違う。そうじゃない――!


「どうやら気付いたみてぇだな」


「あぁ、勿論だ。これは俺の推測だが恐らく……」


「おぅ、それで?」


「……北条先輩が身に着けている下着は黒のレースだ!」


「はっ?」


「一見すると清楚なイメージの女の子ってのは、意外と大胆な下着を身に着けている事が多い。しかもそれでいて、ちょっと大人びた雰囲気を纏っているからひょっとすると一部が透けているかもしれねぇ。そして、その宝具が眠っている場所は恐らくそこのクローゼットの下段にある引き出しの中だ!」


「バカかオメェは!? 俺様が聞いてるのは、あのお嬢ちゃんの言動についてだよコンチクショウがっ!」


「あ、そっち?」


「あ、そっち? じゃねえだろ!? なんでオメェはいつも女の下着だの乳のデカさだのくだらねえ事にしか頭が回らねぇんだ!」


「いやん。そんなにマジレスしないでよスーたん」


「誰がスーたんだボケェ!?」


 どうやら、俺の推理は見事に外れていたらしい。

 スーたんことスレイブいわく、北条先輩は俺の左腕つまりは、スレイブが寄生している腕の方を注視していたという。

 

「あのお嬢ちゃんは俺様の方を見るなり『気のせいだった』とか口にしやがった。なんでもねぇ人間が俺様のオーラに気付くわけがねぇ……。こりゃあ、なんかありそうだぞ?」


「う〜ん。そう言われてみれば、今朝助けた時も先輩が俺を見て青ざめていたような気がしたよな〜」


「だろ? 俺様的にはさっきの態度がどうにも気になってならねぇ。つーわけだから、あのお嬢ちゃんを調べてみんぞネギ坊!」


「いやいや、いくら怪しいからといって北条先輩のあんな所やこんな所を調べるなんて流石にマズくないか?」

 

「誰があのお嬢ちゃんの身体の隅々を調べろとか言ったよコンチクショウ!? ともかく、普通の人間が俺様のオーラを感知できるなんて事はまずありえねえはずだ。しかし、あのお嬢ちゃんは俺様の気配を確認するような仕草を見せた……。だからよぉ、とりあえず手始めにこのお嬢ちゃんの部屋を調べてみるってのはどうだ?」


「おいおい、いくら怪しいからって女の子の部屋の中を調べるとか……最高かよ! よし、それなら最初にそこのクローゼット下段の引き出しから――ん?」


 不意に視界の端に入ったアンティーク調の棚に俺の目が留まった。

 勉強熱心な北条先輩らしいというか、棚の中には辞書や参考書などがビッシリと敷き詰められていたのだが、その下段に並べられた物に俺は気を惹かれた。

 これは……DVDか?


「これって、DVDだよな。まさか、あの北条先輩がえちえちなビデオを隠し持って――」


「お待たせしてゴメンネ」


「わぉっ!?」


 部屋の隅に置かれたアンティーク調の棚に俺が手を伸ばしたその時、ティーセットをトレイに乗せた北条先輩が戻ってきた。


 ……危なかった。

 あと数秒ほど反応が遅れていたら、俺は北条先輩に殴られていただろう。


「どうしたの草薙くん? なんだかスゴイ汗をかいているみたいだけど」


「いいえ。女の子の部屋に入った緊張感で変な汁……じゃなくて、汗が噴き出しただけです」


「フフッ、そんなに緊張しなくていいのに。それじゃあ、お茶にしましょう」


 北条先輩はニッコリと笑ってそう言うと、お茶の用意をし始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る