第153話 北条家のしきたり
マドカさんに連れられ、広大な敷地を所有する北条家へと到着した俺はその入り口にて、呆然と口を開けまま立ち尽くしてしまった。
「ま、マジかよ……」
俺の目前に聳えたるは、どこぞの奉行所ですかと聞きたくなるほど立派な門構えをしたお屋敷の入り口だった。
頑丈そうな太い木の幹を削って造られたであろう観音開きの門の横には、檜の表札で『北条』と書かれていた。
多分だけど、どこかの有名な彫師の先生が手がけたものなのかもしれない。
ただ北条と書かれているだけなのに、見ているだけで驚異的な圧を感じる。
荘厳という言葉は、まさにこれの事なのだろう。
「さぁ、ツルギさん。こちらへどうぞ」
「え? あ、はい」
「まだ入り口だというのにそんなに緊張なさらないでください。貴方様が本当の緊張感を味わう事になるのはこの先ですから」
「それってどーゆーことぉ!? ていうか、それを聞いた途端に俺ストレスでめっちゃ吐きそうなんスけど!」
「あら、それは大変。私としたことが、胃薬を常備しておくべきでしたね」
「そういう問題じゃねぇんだけどなっ!?」
北条という名前だけでなく、その住まいも凄まじいというか、ここから放たれる威圧感といったら半端ではない。
それを例えるなら、荒廃した世界で最も恐れられたデカイ黒馬に跨がる世紀末覇者の目の前に立たされたような気分だ。
「ツルギさん、こちらです」
「あ、はい」
マドカさんに導かれるまま屋敷の敷地内へ足を踏み入れて行くと、そこには見事な日本庭園が存在していた。
個性的な形で整えられた
「このまま政代様がお待ちしている場所までご案内します。あ、だからといって先を行く私の後ろ姿を見つめて視姦するのだけはご遠慮ください。気持ち悪いので」
「そんなことしねぇから!? ていうか、いちいち気持ち悪いとか言わないでくださいよ、年頃の男子は結構傷付きますよそれ!」
「あら、それは失礼を致しました。では、そのお詫びとして私の後ろ姿をお好きなだけ舐めるように観察し、ツルギさんの思うままに視姦してくれてかまいません」
「なんで視姦すること前提なんだよ!? それだとマドカさんがただ単に俺に視姦されたがっているように聞こえますけど!」
「あら、失礼。では、これでご勘弁を」
「は? これってなにを……」
「チラッ」
「ぬふぅん!?」
スタスタと先を歩いていたマドカさんはその場で立ち止まりこちらへ振り返ると、突然スカートの裾を両手で摘み上げ中のショーツを見せてきた。
なんて恐ろしい人だ。
年頃の男子に詫びとして自分のパンツを見せてくるなんて、最高かよ!
もっとじっくり見させてくれ!
「お気に召されたようでなによりです」
「くっ……悔しいけど、ご馳走さまでした」
「では、先を急ぎましょう」
マドカさんのショーツは、紫色にバラのような刺繍が施された紐パンだった。
うちのエクスも紫とか赤とか黒とかの下着を持っていたけれど、流石に紐はない。
これが大人の女性の下着事情というやつか。レベルが高くて鼻血が噴き出しそうだぜ!
「政代様はこの先にある道場にてお待ちしております。履物は道場にある下駄箱へ収めてください」
「えっと、マドカさん。なんで道場なんですか?」
「政代様はこの辺りでも有名な剣道の師範代をなさっている御方です。故に、お会いするのは道場の中なのです」
「いやいや、それだとまったく説得力ないですよね。普通に考えて客人と会うなら客間とかでしょ?」
「それはツルギさんの勝手な解釈ですね。そういう貴方様の身勝手な考えが同居人である彼女の脱衣行為を盗撮しようという思考に至って――」
「あーそうですね! 俺が悪ぅございましたからその話はもう勘弁して!?」
制服のポケットから取り出したフラッシュメモリーを俺にチラつかせ、盛大に煽ってくるマドカさんは最早サディストだ。
くそぅ〜……人質を取られている以上、反論することすらままならないなんて辛い。
でも、なんかマドカさんの見せてくるあの冷たい目付きはちょっと癖になるかもしれない。
「さぁ、ツルギさん。到着しましたよ。準備は宜しいですか?」
「いや、準備もなにも適当に会ってお礼をしてもらって終わりでしょ?」
「フフフッ、そうだと良いですね」
不敵な笑みを浮かべるマドカさんに、俺は嫌な予感がした。
そもそも普通に考えて、客人を道場に呼ぶこと自体があり得ない話だ。
あれ? ちょっと待てよ……なんか俺ってば、マドカさんに上手く騙されてない!?
「政代様、件の草薙様をお連れしました」
「入っていただきなさい」
道場を仕切る引き戸の前でマドカさんが正座をして声を張ると、向こう側から落ち着きのある女性の声が返ってきた。
どうやら、この引き戸の向こう側に北条先輩のお母さんである政代さんが居るようだ。
「では、失礼します」
正座をしたままマドカさんが引き戸を開けると、道場の中の様子が窺えた。
広々とした空間に落ち着きのある色合いの壁と床。
我が家にも道場が隣接しているが、北条家の道場はキチンと手入れがされているようでとても綺麗な印象だ。
壁に掛けられた木刀や竹刀もかなり上等そうなものばかりが見て取れる。
そんな道場の中をぐるりと見渡す俺の視線が最終的に向いた先には、達筆な字で『心技体』と書かれた掛け軸と、いかにも立派な兜鎧が鎮座していた。
そしてそれらの前で真っ白な剣道着を身に纏ったひとりの女性が正座しており、こちらをジッと見つめていた。
「ご紹介致します。こちらの御方が現北条家当主である『北条政代』様です」
「初めまして草薙さん。私が時音の母である北条政代です」
畏まったマドカさんに紹介されたその人は、腰まである長い黒髪と淀みのない綺麗な瞳をした色白の美人だった。
姿勢正しく正座をする姿が凛としていて北条先輩によく似ており、彼女が高校生のひとり娘を持つ母親とは到底思えないほど若く見えた。
しかし、それでいてその瞳にはにハッキリとした力強さがあり、彼女が北条家の当主である事を物語っている。
「草薙さん。本日はお忙しい中お越し頂き誠にありがとうございます」
「あ、いや、恐縮です」
「マドカもご苦労さま。それで、どうだったのかしら?」
柔和な表情で迎えてくれた政代さんの視線が俺の隣に向けられると、マドカさんが小さく頷いた。
「はい。申し分ないかと」
「そう……。マドカがそう言うのなら仕方ないわね」
マドカさんの返答を聞いた政代さんはどこか落胆したように肩を落とすと、短くため息を吐いた。
なんだこのガッカリされたような感じは……? 俺がなにかしたっていうのん?
「あのぅ〜、マドカさん? あまりこんな事を聞きたくはないんスけど、なんか政代さんガッカリしてません?」
「そうでしょうか? 私には政代様が覚悟を決めたように思えますが」
「なにそれどゆこと? そもそもなにを覚悟――」
「草薙さん」
「は、はい!」
隣に正座するマドカさんに耳打ちをしていると、急に政代さんから声が飛んできた。
その声に俺がびくりと肩を竦めていると、政代さんが意を決したように口を開く。
「今日は娘の命を助けていただいた貴方にお礼も兼ねて大事なお話があります」
「大事な話、ですか?」
「そう……大事な話です」
……なんだこの空気は?
いきなり場の雰囲気が張り詰めてたというか、ものすんごく殺気立ったような気がしてならないんですけど〜?
ともかく、なんか怖いからその大事な話とやらを聞いてみることにする。
「えっと、政代さん。その大事な話とはなんですか?」
「既にマドカからお聞きなさっているかもしれませんが、我が北条家には古い時代からの大切な『しきたり』が在ります」
「しきたり、ですか?」
「えぇ。しきたりです」
突然険しい表情になり、しきたりという言葉を口にしてきた政代さんに俺は首を傾げた。
先程送迎車の中でマドカさんの平一族について話を聞いていた際に、面倒なしきたりのせいで彼女が散々な目に遭ったという事は耳にしていたが、北条家にもそのようなしきたりがあるというのは初耳だ。
というか、なぜ政代さんはこのタイミングでしきたりなんて言葉を口にしてきたのだろう?
「そこに居りますマドカの一族と同じように我が北条家にも似たようなしきたりが存在しています。その事についてマドカからはなにもお聞きはしていないのですか?」
「あの、マドカさん? まったくもって初耳なんだが!?」
「それはそうでしょうね。私はその事についてなにも申しておりませんから」
「そうでしたか、ならば結構。私が直接ご説明致します……。北条家に伝わるしきたりとは、北条家に生まれた女は己が命を救った殿方に誠心誠意を以て尽くし、その生涯を捧げるというものでございます。つまり――」
「つ、つまり?」
「うちの時音を……娶ってくださいまし!」
「はぁ!?」
政代さんの口から放たれたその内容に、俺は頭の中がパニック状態になった。
北条家の女は己が命を救った男にその生涯を捧げる? 俺が北条先輩を娶る? なにそれ意味わかんな〜い!?
まったく予期していなかった展開に俺が狼狽していると、政代さんがその瞳を鋭く細めてコチラを見つめてくる。
「とはいえ、時音の母である私としましては貴方様がどのような御人なのかをこの目でシッカリと見極めたいところ。ですから、この場を借りて貴方様と剣術による一本勝負をお願いしたく申し上げます」
「なんでそうなるのかなぁ!?」
「それが時音の母である私の定めだからでございます」
「とんでもなくハタ迷惑な定めだな!?」
さらなる面倒な展開にあたふたふる俺を他所に政代さんは素早く立ち上がると、後ろに飾られていた兜鎧から一本の日本刀を抜き取り構えた。
「古来より、北条家は強き者が当主になる事と義務付けられています……。故に、草薙さんの武人としての力量を失礼ながら測らせていただきます」
「え、ちょっと待ってなにこれどゆこと? ていうか、お礼の話はどこに消えたのん!?」
「だから申したでしょう? 貴方様が本当の緊張感を味わう事になるのはこの先だと」
「そんなフラグいらねぇから! ていうか、なに笑ろうてんねんマドカさん!?」
「フフフッ、いとおかし」
「いやいや、いとおかしじゃねえから! 全然面白くねぇから!?」
口元を片手で隠し、クスクスと笑うマドカさんを見て俺は血の気が引くのを感じた。
まさかこの人、こうなる事を知っていて俺をここへ連れてきたのか!?
「さぁ、草薙さん。マドカから真剣を受け取り、この私と勝負をしてください」
「マドカさんから真剣を受け取れって……これガチの日本刀だったんですか!?」
「えぇ。そうですよ」
「なにしれっとカミングアウトしてんのテメェ!? ていうか、模造刀じゃねえものをアンタは俺に振り回してたんかい!」
本当に全てが嫌になってきた。
マドカさんもそうだけど、やはり政代さんもかなりやべぇ奴だった。
というか、お礼の話から一転して真剣を使った勝負とか正気の沙汰じゃねえぞこれ。
「あの、政代さん? なんでガチの日本刀を使って勝負するんですか?」
「真剣を使わなくして、相手の力量を測るなど難しきこと。互いに命のやり取りをしてこそそれが成せるというもの……では、いざ尋常に勝負!」
「ツルギさん。はい、どうぞ」
「はい、どうぞ。じゃねえぇぇぇぇぇ!?」
マドカさんから放り渡された日本刀を俺がキャッチした瞬間、政代さんが鞘から刀身を引き抜いて静かに身構えた。
こんな事になるなんて聞いてないぞ!
やっぱり、素直に付いて行くんじゃなかったああああああああああああっ!?
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