第148話 犬塚の懸念
犬塚先輩の話によると、北条先輩とは小学校から現在までの付き合いがあり、お互いに本音で語り合える仲だったという。
そして当時、剣道の師範代をしていた北条先輩のお母さんが営む剣道場の元、幼い二人は厳しい稽古に耐えながらも互いに成長し、いつしか剣道の大会などで優秀な成績を納めるほどの実力者になったようだ。
「あの頃の時音くんはとても勇ましくてね。同年代の男子たちが皆揃って叩きのめされていたよ」
同年代の男子たちでも歯が立たないほど強かった北条先輩と唯一肩を並べられたのが犬塚先輩ただひとりだったらしく、そこから二人は互いの実力を認め合い切磋琢磨する良きライバル関係だったそうだ。
その後、二人は中学校を卒業して北条先輩のお母さんの元から離れ、全国でも最強と名高い剣聖高校剣道部の村雨先生の下で新たに稽古へ励むことになったという。
「一緒に過ごしてきた時間が長いからから周囲の同級生たちにはよく恋仲なんじゃないかと、よく冷やかされたものだよ。僕自身としてはそんな気持ちを彼女に抱いてはいなかったし、それは時音くんも同じだったと思うんだけどね」
「あの、犬塚先輩。ただのリア充による惚気話をするだけならもう帰ってもらえないスか? 流石に聞いてて殺意が湧いてくるんで」
「おいおい、誤解しないでおくれよ草薙くん。僕の心の中にはいつもキミしかいないからね?」
「……やっぱ殺そうかな」
「ツルギくん。このままだと犬塚先輩の話が長引くからここは抑えて」
眉間にシワを寄せ、目の前に立つ変態への殺意を露わにする俺をエクスが宥めてくる。
確かにここでいちいち突っかかっていたら話が余計に長くなるのは確かだ。
ここはエクスの言う通りぐっと堪える事にしよう。
「さて、ここからが本題なんだけれど、草薙くんは今朝の時音くんを見てキミはどう思ったかな?」
「どうって、そりゃあなかなか良い――」
「彼女がなにかに怯えているように思えなかったかい?」
「……っ」
真剣な表情でそう返してきた犬塚先輩に俺は思わず言葉を飲んだ。
言えない……本当はなかなか良いおっぱいの感触だったなんて口が裂けても言えるワケがない。
ここは話を合わせるとしよう。
「た、確かに言われてみればそうだったかも知れないっスね」
「やはりキミもそう思ったか……」
いつになく神妙な面持ちの犬塚先輩に俺とエクスは当惑した。
この人が女子に対してこんな思い悩むような表情を見せるなんて信じられないことだ。
ここは真面目に話を聞いてあげたほうが良いかもしれない。
「こんな話をキミたち二人へ話すべきではないとは思うんだけど、実は彼女のお父さんが海外の仕事先で突然行方不明になってしまったらしんだ」
「えっ!?」
北条先輩のお父さんが仕事の都合で海外へ単身赴任しているという情報はヒルドから聞いていた。
だが、そのお父さんがその仕事先で行方不明になったという情報は初耳だった。
「ここ数週間前くらいだったかな……。その連絡をウチの母が彼女の母親である北条師範代から聞かされたらしくて、それから彼女の様子が徐々に変わっていったんだ」
「変わっていったていうか、そりゃあ自分の父親が仕事先で行方不明になったなんて聞かされれば誰だって様子がおかしくなるのは当然なんじゃないんスか?」
「勿論それはそうだと思うけれど、僕にはどうしても彼女がそれとは違った理由で様子がおかしくなったように思えてならないんだ」
犬塚先輩はそこまで言うと、周囲にいた生徒たちの視線を気にするような素振りをして俺に小声で話し始めた。
「時音くんのお父さんが行方不明になったという一件を聞いたから僕も彼女を心配して接してきたんだけど、それがここ数日辺りから急に避けられるのうになり、部活で会っても露骨に僕から距離を取るようになったんだ」
「それは北条先輩が犬塚先輩の変態性に気が付いたからじゃないっスか?」
「……草薙くん、僕は真面目な話をしているんだけど」
「知ってますよ。てか、マジレスすんじゃねえよ調子狂うじゃねえか」
「あの、北条先輩が犬塚先輩を避けるようになった事に対して、なにか思い当たる節はなかったんですか?」
「思い当たる節……ね」
人差し指を顎先に当て小首を傾げるエクスを見て犬塚先輩は視線を上げると、諦めたように肩を竦めてかぶりを振った。
「……残念ながらないかな。時音くんとは長い付き合いだし、僕なりに彼女の事を知っていたつもりだったんだけど、そういう慢心がよくなかったのかもしれないかな」
「彼女の事ならなんでも知ってると勘違いして、幼馴染にフラられる典型的なパターンだな」
「んもぅ、ツルギくん! それは流石に犬塚先輩に失礼だよ!」
「お、おぅ……すまんエクス」
「いつもおかしな犬塚先輩が北条先輩の事で真面目に悩んでいるんだからちゃんと話を聞いてあげないとダメだよ?」
俺の眼前に一本指を立てると、エクスが片手を腰に当てて眉根を寄せた。
やれやれ、少しばかり悪ふざけが過ぎたようだ。
ともかく、犬塚先輩から北条先輩の話を聞かされても俺にしてやれる事なんてない。
とはいえ、この人が割とガチに悩んでいる姿を見るのもあまり気分の良いものではない。
はてさて、これはどうしたものか……。
「そう言えば話が変わるけれど、つい最近に北条師範代と街中でたまたま会うことがあってね。その時に北条師範代が気になる事を口にしていたような気がするよ」
「それはどんな事だったんですか?」
興味津々な様子のエクスに犬塚先輩は少しだけ物思いに耽ると、なにかを思い出したように口を開いた。
「確かここ最近……時音くんが悪夢を見ると話していたと思うんだ」
「悪夢?」
「そうだね。その悪夢の中で時音くんが得体のしれない小鬼たちから恐ろしい仕打ちを受けて目が覚めると話していたような気がするんだ」
雰囲気のある犬塚先輩の語り口調に恐怖心を煽られたのか、隣に立っていたエクスが青い顔をして俺の片腕に抱きついてきた。
夢の中で毎晩のように小鬼に襲われるなんてそれは普通じゃない。
まさかとは思うけど、これはガチ心霊系の話なのか? ぶっちゃけ、俺もそういう系はあまり得意ではないからぞくりとする。
「まあ本人に確認したわけではないからそれがどうなのかわかりかねるけど、もしそれが原因で時音くんの私生活に影響を与えているのなら僕としてもなんとかしてあげたいんだけどね。でも、その彼女に僕自身が避けられているから歯痒い思いをしているのもまた事実なんだけど……。いや、僕のこういう余計な行為が彼女に多大なストレスを与えて悪夢を見せているのかもしれないな」
「いやいや、それは流石にないっスよ」
「だといいんだけどね。僕は昔から時音くんによくお節介をやきすぎだと注意されていたからさ。ついそんな気がしてしまったんだよ、はははっ」
乾いた笑いを漏らして、その表情に陰を落とした犬塚先輩に流石の俺もむず痒さを覚えた。
悪夢を見るという事は、その人間が現実世界で精神的になにかしらのストレスなどを感じてそれが夢に影響を及ぼしているという可能性はなくもない。
だが、これだけ幼馴染である北条先輩を本気で心配し、懸命に気遣っている犬塚先輩にその原因があるとは考え難い。
というか、この人の辛気臭いツラを見たくないからここはフォローしておこう。
「犬塚先輩。俺が思うにそれは北条先輩のお父さんが仕事先で行方不明になった事が原因で彼女の精神面になにかしらの影響を与えているとかじゃないんスかね。先輩の気遣いがストレスだとかそれは違うんじゃないッスか?」
「キミが僕をフォローしてくれるなんて嬉しい限りだよ。確かに、草薙くんが言う通りその可能性も充分にあるとは思うよ。でも、僕にはもっと他になにか原因があるんじゃないかと思えてならないんだ。だから――」
「その原因を突き止めるために俺たちに協力してくれ、と?」
核心をつく俺の一言に犬塚先輩は安堵したように微笑んだ。
「流石は草薙くんだ。話が早くて助かるよ。その事についてなんだけどキミに――」
と、犬塚先輩が言いかけたところで昼休憩時間の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
その音に廊下に出ていた生徒たちや教室の中にいた生徒たちが慌ただしくなると、犬塚先輩が肩を竦める。
「おっと、もうこんな時間か。それじゃあ草薙くん、この話の続きはまた明日に」
「え? 明日でいいんスか?」
「これは僕の頼み事だからね。キミたちの予定を無視してまで強引に話を進めるわけにはいかないよ。だから、今日ではなく日を改めさせてもらうよ」
手短にそう言い残すと、犬塚先輩はこちらに背を向けてから後ろ手を振り、俺たちの前から去って行った。
あの男好きで有名な犬塚先輩が北条先輩の事に対してこんなにも真剣になるだなんて目を見張る事だけれど、先輩は本当に北条先輩の身を心配しているのだろう。
そう考えると、俺も少し気になる事がある……。
「ねぇ、ツルギくん。犬塚先輩に協力するの?」
「あの人がいつになく真剣に頼み事をしてきたんだ。それを無下にはできねえよ。それに、俺も今朝の北条先輩を見て気になる事があるからな……」
今朝、俺が北条先輩を助けた時、彼女は俺の姿を見てどこか戦慄した様子で気を失った。
あの時、北条先輩は俺になにを見て恐怖したのかとても気になるところだ。
とはいえ、確かな情報もないのに俺たちが自分勝手に北条先輩のプライベートな部分にズカズカと足を踏み込むのは流石に間違いだろう。
理由はどうであれ、その辺の事情を犬塚先輩にもっと詳しく聞いてから動くべきだ。
「まぁ、今の段階で俺たちがなにかをしてやれるわけではねぇから、とりあえず犬塚先輩から話の続きを聞いてからだな」
「お、お化けとかそういう関係の内容じゃない事を私は祈ってるけどね!」
「あん? なんだよエクスぅ〜。お前ひょっとしてお化けが怖いのかええ? んもぅ、可愛いやつだなぁ〜。それなら今晩は俺が一緒に寝て――痛っ!」
「あら、失礼」
片腕に抱きついたエクスとイチャコラしようとしたその時、背後から艶のある黒髪をボブカットにした女子生徒が俺に肩をぶつけて去っていった。
あまり見かけない子だったが、犬塚先輩の取り巻きメンバーだろうか?
それにしては随分と感じの悪い女の子だ。
「かなり感じの悪い子だったね。ツルギくん大丈夫?」
「ああ、平気だよ。きっと俺と犬塚先輩のやり取りに変な嫉妬をして肩をぶつけてきたんだろ。気にすることはねえよ。それより、エクス。今晩は一緒に……」
「ちょっと、つーくんとエクスちゃん! なんでさっきからアタシの事をずっとシカトしてんの!?」
「「えっ?」」
突然背後から飛んできた甲高い声に振り返ってみると、目元に涙を浮かべたカナデが腰元に抱きつくヒルドを引きずってこちらに歩んできていた。
「ぐすっ……。さっきから二人の事をずっと呼んでたのに、アタシのこと無視するとか有り得ないしぃー! ていうか、ヒルドちゃんをなんとかしてよぉ〜!」
「そうだったのか、気付かなくてスマン。つーか、ヒルドの事だから適当に乳でも触らせておけばそのうち満足して自分から教室に戻るだろ。だから頑張れよ」
「なんでアタシがそんなことさせなきゃいけないってーの! なんかもう最近のヒルドちゃんてば、アタシにセクハラばっかしてくるからマジで嫌なんだけど!?」
「えへへへ〜、お姉さまの温もりにマジ尊死しちゃいますぅ〜。一生このまま離れたくありませ〜ん」
「ツルギくん。流石にこれは見ていられないよ」
「まぁ、そうだな」
ガチ泣き状態になったカナデの姿を見るに耐えられなくなった俺はエクスと協力してヒルドを引き剥がすと、そのまま一年の教室へと放り投げてきた。
その後、エグエグと泣くカナデを俺たち二人が懸命に慰めたのは言うまでもない。
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