第142話 エピローグ

 寒気がするほど冷え切った病室内に足を踏み入れた俺の眼前には、ベッドの上に寝かされたエクスがいた。

 そして、エクスの顔の上には白い布が被せられており、俺はその姿を前にして心臓が早金を打っていた。


「まさか、そんな……エクス?」


 ガクガクと震える両脚を無理やり一歩づつ動かし、ベッドの上で仰向けに横たわるエクスへと近づく。

 両脚と同様に落ち着きなく震える指先で彼女の顔に被せられた白い布を取り払うと、エクスが穏やかな表情を浮かべて静かに瞳を閉じていた。

 その顔を見た瞬間、俺は立っていることができなくなり、その場で尻もちをついた。


 俺は……エクスを助けることができなかったのか!?


「あー……ネギ坊? 一応説明をしとくけどよ。オメエはあの時、俺様の魔剣のオーラに呑まれて自我を失っちまったんだよ」


「自我を、失くした?」


「そうだ。そんで、抗体を採取する前にだなぁ〜……」


 そこまでスレイブが話したところで俺の脳裏に欠落していた記憶の一部が流れ込んでくる。

 ……あの時、俺はみんなの制止を振り払い、魔剣のオーラに自我を奪われて女王蜂の魔剣を殺していた。


「こんな事って……俺が……俺がエクスを!?」


「えっと、ネギ坊? とりあえず、落ち着けよ」


「落ち着いてなんかいられるかよバカ野郎! 俺は……俺のせいでエクスが死んだんだぞ!?」


「え? あ、いや~なんつーか……こんなことは言いたくねえんだけど実はなぁ……」


「ああああああああああああっ!? エクスっ……許して、くれぇ……」


 その場で四つん這いになり俺は床を殴りつけると、止めどなく溢れてくる涙で濡れてゆく自分の手元を見つめた。


 俺が魔剣のオーラに呑まれて自我を奪われさえしなければ、エクスは死なずに済んだ。これはもう取り返しのつかない状況なんだ。


 エクスがいないこの世界で魔剣と戦う意味なんてない。

 俺はいつもアイツが傍にいてくれたからこそ、どんなに恐ろしい奴らとも戦えてきた。

 でも、そんな俺の心の支えであったエクスはもういない……それも全部、俺自身のせいで――。


「……スレイブ、魔剣を出してくれ」


「あ? そりゃなんでだ?」


「俺はエクスを救えなかった、アイツのパートナーとして失格だ。それに、アイツがいない世界でなんて俺は生きていくつもりなんてない……」


 俺はエクスを守ると誓いを立て魔剣たちと戦ってきた。

 それなのに、守るべきはずのエクスを俺は自分の不甲斐なさゆえに失った。

 絶対に守ると約束したのに俺はここにきて、エクスを守ることができなかった。

 こんなクソ野郎すぎる自分が俺は許せない……だから、この場で腹を斬る!


「これは俺の責任だ。エクスだけじゃなく、魔剣の毒に冒されていた他の人たちも救えなかった……。その償いとしては全然足りないかもしれねえけど、俺の命で責任を取らせてくれ」


 両膝を床に着けたまま上半身を起こすと、俺はベッドの上で静かに横たわるエクスを見つめた。

 まるで眠っているように見えるエクスの死に顔はとても綺麗だ。

 そんなアイツともう二度と会えないなんてとても耐えられる気がしない。

 

 きっと、今頃エクスは幼い頃に失った両親と天国で再会を果たし、久々の家族水入らずの時を過ごして幸せにしているかもしれない。

 そこに俺が割り込んだらアイツは怒るだろうか?

 でも、俺はアイツと離ればなれになるのは嫌だった。

 だから俺も……エクスのもとに向かいたい――。


「グスッ……スレイブ、今まで色々とありがとうな」


「おいおい、本気かよネギ坊!?」


「あぁ、本気だ。アイツがいない世界でなんて俺は生きて行けない。自分勝手なことを言ってるのは十分承知している。でも、すまない……」


「はぁ~……だから嫌なんだよこういうのは~」


 懇願するように話す俺にスレイブは呆れたようなため息を吐くと、その口から魔剣を吐き出した。

 その時、エクスの方から衣擦れするような音がした気がするけれど、おそらく気のせいだろう。

 

「まぁ、アレだな。オメェがそこまで言うなら俺様も止めやしねえ。それに、をするにも冗談が過ぎるってことをアイツらに教えられるだろうしな?」


「グスッ……それはどういうことだ?」


「なんでもねえよ。それよりほらっ! サパッと腹を斬ってエクスのとこに行ってやれ」


 どこか愉快そうにしているスレイブを俺は怪訝に思ったけれど、そんなことは今さらどうでもいい。

 俺は足元に落ちていた片刃の魔剣を両手で掴むと、鋭く尖った先端を自分の腹部に向けた。


「グスッ……ごめんなエクス。今からお前のもとに向かう俺を許してくれ」


 ベッドの上で横たわるエクスを一瞥して俺は大きく息を吸い込むと、一息で腹を貫けるように魔剣を高く掲げる。

 そして、この場にはいない皆の顔を思い浮かべた。


「カナデ、村雨先生、ヒルド、それに琥珀ちゃんと頼乃さんと安綱さん。みんなに迷惑をかけてスミマセンでした。こんな責任の取り方しかできなくて申し訳ねえけど……今まで、本当にありがとう――」


 カナデやみんなに別れを言わず切腹をする自分に罪悪感を抱くけれど、今の俺にはこのくらいのことしかできない。

 それになによりも、エクスを救えなかった自分が俺は一番許せなかった。

 こんな形で自決するのは責任から逃げているだけだと思われるかもしれないけれど、どうか許して欲しい。

 そして、せめて最後くらいは愛するエクスの傍で死にたい。

 今の俺の想いはそれだけだった。


「スレイブ。また来世で会うことができたら、その時はまたよろしくな……じゃあ――」


 と、俺が両手で握った魔剣を自身の腹部に突き立てようとした刹那、スレイブが気の抜けるような声で言う。


「おーい、オメェら〜。ネギ坊が切腹しちまうけど、いいのか〜?」


『そんなのダメぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?』


「――うぇっ!?」


 両手で握った魔剣で俺が今まさに切腹しようとしたその直後、ベッドの上でエクスがむくりと起き上がり俺に飛びついてきた。

 しかも驚くことに、香炉が置かれていた棚の裏から真っ青な顔をしたカナデまで飛び出してきてきて俺は目を剥いて驚愕した。


「ツルギくん! 私はこの通りちゃんとから死んじゃダメぇぇぇぇぇっ!?」


「つーくん、全部ウソだから! 真に受けて死ぬとかマジでナシだし!?」


「エクス? それにカナデも……これはどういうことだ!?」


 瞳をうるるとさせて抱きついてきたエクスとカナデに俺が当惑していると、スレイブがケタケタと笑いながら言う。


「ケケケッ! だから俺様がさっき言っただろ? 『悪ふざけをするにも冗談が過ぎるってことをアイツらに教えられるだろうから』ってな?」


「悪ふざけ……だと!?」


 スレイブの話によると、自我を失った俺が女王蜂である魔剣を倒したあと、安綱さんの服に大量に付着していた液体から抗体を採取することができたらしい。

 そのおかげでエクスと魔剣の毒に冒されていた人々は無事に回復をしたらしいのだが、今回の件で暴走した俺にをすべきだと言い出した奴がいるらしい。

 その提案にスレイブを含むエクスとカナデの二人は難色を示したらしいのだが、その『黒幕』に上手く丸め込まれてしまい仕方なくそうしたという話しだった。


「……なるほどな。それでお前たちは、この俺をハメたというわけか?」


「ケケケッ! 本当にタチの悪い冗談だったぜ。今回が最初で最後にしてくれよな?」


「ほ、本当は私たちだってこんな事をしたくなんてなかったんだよ! だから私は、ツルギくんが意識を失くして眠っている時に耳元でって、教えたんだよ?」


 どうやら、俺の夢の中に現れたエクスが言っていたあのセリフは、現実世界でこれが冗談であるということを伝えるために本人が俺の耳元で囁いたことが夢の中で影響したことだったらしい。

 とはいえ、俺を騙したことに違いはない。


「エクス。お前、家に帰ったら覚悟しとけよ?」


「ふぇっ!? 許して、くれないの……?」


「当たり前だろうがっ!? 俺がどれほどの悲しみに打ちひしがれていたかお前にわかるか? 罰として、帰ったら二十四時間ぶっ続けで休む暇も与えずにエロイことをしまくってやるから覚悟しろよ!」


「に、二十四時間も休みなく!?」


「当然だ。お前はもう俺なしでは生きられない身体にしてやる!」


「そ、それは別にいいけど……二人きりじゃなきゃ嫌、だよ?」


「え? あ、うん。そう、だな……」


 真っ赤な顔をしてモジモジするエクスに俺は妙な興奮を覚える。

 ……やだなにその可愛い反応? そんな風にされたら、俺の聖剣が早くもむくむくとしてきちゃう!? 本当はエクスが無事だったから単純に俺がイチャコラしたいだけなんだけど、この感じならワンチャンイケるかもしれない。

 今晩は赤飯かな?


 なーんて妄想を抱きながらエクスと二人で見つめ合っていると、俺たちの仲を裂くようにしてカナデが割り入ってくる。


「あのさ、つーくん。アタシを放置しないでくれる?」


「ん? カナデもいたのか?」


「いや、流石に気付いてたっしょそれ!? んもぅ、なんでいっつもアタシを放置するし~!」


 カナデは俺の胸倉を掴んでくると、頬を膨らませて上目遣いをしてきた。

 ……イカンイカン。なんかデートの事もあって目の前のカナデが可愛く見えてしまう。まぁ、実際は可愛いんだけど。

 というか、コイツも俺を騙した共犯者のひとりだから、なにか罰を与える必要があるな……。

 そんなことを考えていると、カナデが物欲しそうな顔をして俺に訊いてくる。


「つーくん、アタシにはなんもないの?」


「そうだったな。お前もエクスと同様に共犯だったからなにかしらの罰が必要だな……」


「ま、まさかつーくん! エクスちゃんだけならぬ、アタシにも二十四時間ぶっ続けでエッチなことを!?」


「お前、しばらくうちに出入り禁止な?」


「なんでアタシだけ普通の罰!? しかも出禁とか地味に辛いし! だって、つーくんにはこれくらいのお仕置きをした方が本人のためになるって言われたからアタシとエクスちゃんは……」


「ずっと気になってたんだけどよ、その『黒幕』は誰よ?」


「えっと、それは……」


「誰っていうか……ね?」


 エクスとカナデがその視線を香炉が置かれた棚の方へと向けられる。

 するとその瞬間、棚がガタリと動いた。

 どうやら、この最低最悪なこの企画を立案した黒幕は棚の中に隠れているらしい。


「しっかし、ネギ坊が腹を斬るなんて言ってきた時は流石の俺様もヒヤヒヤしたぜぇ~。ていうかよ、普通死んだ人間は病室じゃなくて霊安室に安置するだろ? だから、俺様的にネギ坊ならすぐに気付くと思っていたんだが、そうでもなかったな?」


「おい、スレイブ。エクスが死んだとかお前の口から聞かされてこんな状況を目の当たりにしたら動揺するに決まってんだろうが!? ていうか、知ってたんならもっと早くネタばらしをしろよ! 危うくマジで切腹するところだったじゃねえか……まぁ、それはもういいとして、それより――」


 と、俺は睥睨するように目を細めると、このどっきり企画を立案した『黒幕』が隠れている棚の方へと視線を向けた。

 おそらくだが、こんな悪質極まりないことを企む奴は俺の知る限りでこの世に一人しかいない。

 

「暴走した俺へのお仕置きとはいえ、流石にこれは冗談がきついんじゃねえのか……ヒルドよぉ?」


 魔剣を構えながらゆっくりと棚に近づく俺の気配に気付いたのか、今回の黒幕である『ヒルド』は割と潔く姿を現すと、病室の壁を背にしてダラダラと冷や汗を流していた。


「ご、ごきげんようですツルギ先輩~。こ、この可愛い私になにか御用ですかぁ~?」


「用があるから呼んだんだよ。それにしても、お前はまた随分とロクでもないドッキリをこの俺に仕掛けてくれたな?」


「そ、そそそれはぁ~! つ、ツルギ先輩のためを想いましてですね!?」


「どの辺りに俺を想う部分があったんだコラッ!? こればかりは随分と悪ふざけが過ぎたんじゃねえのか? ええ?」


「そ、そんなことありませんよ~? というか、だいたいツルギ先輩がイケないんですよ!?」


「ほぅ、逆ギレか? それなら、お前の遺言としてその理由を聞いてやろうじゃねえか?」


 病室の隅へと追い込まれ逃げ場を失ったヒルドは俺の顔を指差してくると、やや逆ギレ気味に捲し立ててくる。


「そ、そもそもツルギ先輩がいろんな女性たちに手を出すからイケないんですよ! エクスさんという彼女がいながら私のカナデお姉様にまで手を出そうとするし、そんなクズみたいな男子にはこれくらいの罰を与えた方が丁度良い――」


「ヒルド」


「な、なんですか?」


「お前の血は……何色だぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


「ぎにゃあああああああああああああああああっ!?」


 俺はヒルドに対して幾重にも魔剣を振り抜き背を向けると、スレイブの口の中にゆっくりと納刀した。

 こればかりは許すわけにはいかない……俺の純真無垢な気持ちを弄んだ罰だ!


「……草薙流奥義、『服滅斬』!」


「え、ちょ、ツルギ先輩……? その、ふくめつなんとかって――」


 と、困惑した様子のヒルドがその場から一歩動いた刹那、履物だけを残して着ていた服と下着の全てが紙吹雪のようにぶわっと宙に舞い上がり、病室の中を鮮やかに彩った。

 そして黒幕であるヒルドは……あられもない姿となった。


「え、ちょ……まああああああああああああああああっ!?」


「お前はそこで反省してろ。ちなみに、ベッドの上にあったシーツと毛布も粉微塵にしてやったからな?」


「鬼ですか!? ていうか、寝具類までも奪うとかこの鬼畜ぅ~!」 

 

「さてと。黒幕も成敗したことだし、村雨先生と頼乃さんと安綱さんの三人にお礼も兼ねて家に招待してパーティーでもすっか?」


「ケケケッ! それなら俺様はピザが食いてえ!」


「あ、それなら私がサラダとかナゲットを作るね!」


「じゃあ、アタシもエクスちゃんを手伝うし!」


「お前は出禁だって言っただろ?」


「なんでっ!? アタシも参加させてよ、つ~くぅ~ん?」


「仕方ねえな。まあ、お前も色々と頑張ってくれたし特別にしてやるよ」


「いやったぁぁぁぁっ! そんじゃま、ピザの注文はアタシがしとくね?」


「あの、お姉様? まさかとは思いますけど、丸裸にされた私をここへ置き去りになんてしませんよね? 私を置いて皆さんで楽しくレッツパーリーなんてしませんよねカナデお姉さむわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 このあと、病室で騒いでいたことを頼乃さんに厳しくお説教をされたけれど、俺たちは今回の騒動を無事に解決させることができた。

 とはいえ、俺の左腕に寄生したスレイブの持つ魔剣のオーラには今後とも十分な注意が必要だと改めて思えた。

 もしあの時、安綱さんの服に抗体が付着していなかったらと思うと正直ゾッとする。

 それに、俺が自我を失う時に頭の中で聴こえてきたあの声も気になるところだ。


 エクスが無事だったから良かったものの、俺は魔剣のことについてもっと知る必要がある。

 その辺りのことも含めて今度時間のあるときにでも、スレイブと話をしてみようと密かに思った。


「ていうか、誰か……私の着替えを用意してくだすわぁぁぁぁぁぁい!?」

 


      ――第五部 完

 

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