第141話 夢と後悔
あれから一体どれ程の時間が流れたのだろう。
徐々に覚醒されてゆく俺の意識が、途絶えた記憶を必死に辿ろうとしている。
確か俺はスレイブと敵の巣穴に乗り込み、目的である女王蜂を見つけて戦闘になったと思うけど、そこからの記憶がない。
俺はどうなっちまったんだ……
「うぅ……ここは?」
ゆっくり瞳を開いてみると、俺は真っ白な部屋の中にあるベッドの上に寝かされていた。
鎌首もたげながら首を巡らせてみると、そこは病室のような部屋だった。
とはいえ、ベッドが置いてある以外はにもなく、本当に真っ白とした内装の一部屋であり、俺以外の気配をまったく感じられなかった。
「俺は……どうしてこんなところに……みんなは?」
不意に頬を撫でてきた心地よい風に視線を横へと向けてみると、その部屋には大きな窓があり、薄手の白いレースのカーテンが外から流れ込んでくる清風に揺られて大きく膨らんでいた。
どことなく香る磯の香りにつられて上半身を起こして窓の外を見ると、その先にはキラキラと輝く青い大海原が広がっていて、静かな波の音が俺の鼓膜に届いてきた。
「どこだよここは? あ、そうだ! カナデやヒルド、それに安綱さんと村雨先生は――」
「ツルギくん」
「!」
と、慌てる俺のすぐ近くから聴こえてきた優しい彼女の声に首を巡らせてみると、そこには真っ白なワンピースを着たエクスが微笑を浮かべたままいつの間にかベッドの上に腰かけていた。
そんな彼女の姿を確認した瞬間、俺はホッと胸を撫で下ろすと、ベッドに腰かけていたエクスの手を取りギュッと握りしめた。
「エクス、無事だったのか!? 良かった~」
安堵する俺を見つめてエクスが柔和に微笑んでくる。
詳しいことは思い出せないけれど、どうやら俺は無事に抗体を回収することができて、エクスを救うことができたようだ。
俺は再び元気なエクスの姿を見ることができて涙が出そうになった。
でもこれは、俺に協力をしてくれたみんなの力があったおかげだと思う。
カナデやヒルド、それに村雨先生や安綱さんたちには感謝しても足りないくらいだ。
それにしても、他の皆はどこにいるのだろうか?
さっきからエクスの姿しか見えないし、外の景色には海が広がっているし、というか、なんで俺はこんなところに運ばれたのか甚だ疑問だった。
「なぁ、エクス。俺はどうしてこんな場所に……」
「ツルギくん。今までありがとうね」
「え? なんだよ急に?」
「ううん。なんでもない……でも、これだけは伝えておくね――」
エクスは少し寂しそうな顔をしてぽつりと言うと、そっと俺に抱きつき、耳元で囁いてきた。
「……もう少しで本当のツルギくんが目を覚ますと思うけれど、そのときは絶対に後悔なんてしないでね?」
「後悔しないでって、そりゃどういう意味だ?」
「もうじきわかるよ。本当に今までありがとう……」
「エクス?」
俺から離れてニッコリ微笑むと、エクスの身体が急に透け始めた。
その様子に俺が当惑していると、俺自身の意識も遠のいてゆくような感覚に襲われ、気付くと真っ暗な闇の中へと落ちて行った。
○●○
最初に俺の感覚が捉えたものは、どこかに寝かせられているということと、カツカツと時を刻む秒針の音だった。
先ほどとは違い、全身が気怠く酷い頭痛がする。
それに、この鼻をつく臭いは……オキシドールか? だとすればここは、病室ということになるのだろう。
ということは、ここは頼乃さんが勤める病院の中なのかもしれない。
「よぉ、ネギ坊。ようやく目が覚めたか?」
何度も聞き慣れたその低い声音に、俺は自身の左腕に寄生したスレイブに視線を移した。
「スレイブ……?」
「ケケケッ、自我はしっかりとあるみてえだな。それだけ確認できりゃあ十分だぜ」
スレイブはそれだけ言うと、無言になった。
いつもならケタケタと笑って憎まれ口のひとつでも叩いてくるような気がするけれど、今のスレイブはどこか物静かだった。
その様子に少しばかりの違和感を覚えたけれど、俺はとくになにも言わず上半身を起こして周囲を確認した。
「……さっきのは夢か」
「あ? どうかしたのか?」
「いや、さっき……海の見える真っ白な部屋の中でエクスに会う夢を見たんだ」
「……」
事も無げに俺がそう伝えると、スレイブはなにも言わずそのまま黙り込んだ。
やはりいつものスレイブと様子が違う。
それが気になった俺はスレイブに訊いた。
「どうしたんだよスレイブ? いつものお前らしくねえな」
「俺様にだってそんな時くれえあるぜ。それより、ネギ坊……」
「スレイブ、エクスはどうなった?」
と、スレイブが言うよりも先に俺の方が口を開いていた。
先ほど見た夢の事が気になり、どうしても聞きたくなった。
俺は本当に抗体を回収することができて、皆と無事に戻ってこられたのか。
そして、俺はエクスを救う事ができたのかという事だ。
「途中から意識がなくなってどうにも思い出せないんだが、抗体は無事に回収できたのか? というか、みんなはどうした?」
「それなんだけどよ……なんつーか」
妙に言葉を濁すスレイブに俺は首を捻る。
なんというか、今のスレイブを見ていると俺になにか言い辛そうな事を抱えているように思えたからだ。
「なんだよお前らしくねえな。どうしたんだよ?」
「いや、俺様的にこういうのは好きじゃねえっていうか、苦手なんだけどよぉ……」
「なんだよじれったいな。言ってみろよ?」
「あー……まあその、なんつーか――」
煮え切らないその態度に俺が眉を顰めて催促すると、スレイブが深い溜息を吐いてから重い口調でただ一言だけを口にした。
そして、その言葉に俺は絶句する。
「…………エクスが、死んだんだ」
「……は?」
その一言を聞いた瞬間、ゾッとするような悪寒が背中を走り、俺の全身が総毛だった。
エクスが……死んだ?
その言葉を頭の中で繰り返すと俺は寝ていたベッドから飛び降り、エクスの病室を目指して必死に走った。
「お、おい、ネギ坊! 少しは落ち着け!」
「ふざけるな! そんなこと……そんなこと信じられるかよ!?」
病院の通路を駆け抜ける俺にすれ違う看護婦や医者が迷惑そうな顔を向けてくる。
だが、俺はそんな視線を気にも留めず、エクスがいる病室へと真っ直ぐに向かった。
エクスが死んだなんて信じたくないし、信じられなかった。
でも、それをこの目で確認したいという衝動と、胸の奥から湧き上がる凄まじい不安で心がどうにかしていまいそうだった。
お願いだから悪い夢であってくれ……足を走らせながら思うことはそれだけだった。
「ハァ、ハァ……ついた」
エクスのいた病室へはすぐに到着できた。
俺は病室のドアの前に立つと胸元を片手で抑えて息を整える。
心臓の鼓動が俺の不安を掻きたてるように耳の奥でうるさく聞こえてくる。
きっと大丈夫だ。スレイブは俺を驚かせるために冗談を言ったに違いない……と、俺は何度も自分に言い聞かせた。
しかし、当のスレイブは病室の手前くらいからなにも話さなくなった。
「エクス……」
病室のドアノブに手を掛けると、俺はゆっくりとドアを開け放った。
その瞬間、汗ばんだ俺の顔を凍てつくような冷気が撫でてくる。
なんでこんなに病室が冷えているんだ?
この中にはエクスがいるのに、どうしてこんなに冷房を効かせる必要があるんだ?
だが、そんな俺の疑問は病室の中に足を踏み入れた瞬間に氷解した。
「……そんな、ウソだろ?」
つい数時間前までに見たはずの光景が確かにそこにはあった。
でも、その時に見た光景とは明らかに違う箇所があった。
「……え、エクス?」
病室の中にあるベッドの上には確かに彼女がいた。
でも、その彼女はベッドの上で仰向けに寝かされており、その顔の上にはハンカチのような白い布が被せられていた。
そして、その奥には香炉がひとつ置かれていて線香が一本だけ立てられており、その先端から漂う白い煙が病室内を静かに漂っていた。
それはまるで、動揺する俺の心を現わしているかのように……。
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