第132話 敵襲

 カナデとプリクラマシンの中で抱き合っていたところを見られてしまった俺は、その場から逃げるように走り出したエクスを追って足を走らせていた。


 繁華街から離れて駅前通りを駆け抜け、その先にあるランニングコースと大きな池のある広々とした公園の中でようやくエクスに追いついた。

 エクスのやつ、意外に足が速過ぎるだろ。


「ちょ、待ってくれってエクス!」


 細い右手首を掴んで俺が呼び止めると、振り向いたエクスはポロポロと涙を流していた。

 やはり、さっきの光景を見られたのがマズかった。とはいえ、俺に言い訳をする権利などない。

 頬を二、三発くらい引っ叩かれる覚悟はしていた。

 しかしエクスは、掴んだ俺の手を振り払おうともせず、その場で足を止めるといきなり抱きついてきた。


 予想外だったその行動に俺が戸惑っていると、エクスが静かな声音で言う。


「……ダメだよね、私。こうなるかもって最初からわかってたのに、いざその現場を見たらすごくショックでさ、思わず逃げ出しちゃったよ」


 俺の胸元に顔を埋めながらエクスがくぐもった声でそう話す。

 俺はそんなエクスの頭を撫でると、彼女の華奢な身体を優しく抱きしめた。


「すまない……俺が浮気心を出したせいでお前を悲しませた」


「ははっ。ツルギくんの浮気心なんて今に始まったことじゃないじゃん。でも、うん……謝ってくれてありがと」


 エクスはそう言うと、潤んだ蒼い瞳で俺の顔を見上げてきたけれど、少しだけ目線を落とした。


「……ツルギくん。正直に答えて欲しいんだけど、カナデさんのこと、好き?」


「え? いやぁ〜……」


 咎めるような口調でもなく、物腰柔らかな感じでとんでもない質問を投げてきたエクスに俺は狼狽する。


 ぶっちゃけ俺の中でエクスが一番だけれど、カナデのことも好きかもしれない。

 付き合いが長いだけあり、アイツは俺のことをよく知っていて気が利く部分もあるし、なにより可愛いのだ。


 そんなカナデに真正面から好きだと言われて嬉しくないハズがない。

 でも、それを正直に答えるなんて地雷を踏むのと同じ事だ。

 しかし、俺を見つめるエクスはいつも以上に穏やかな表情を浮かべて俺に再度問いかけてくる。


「別に怒らないから正直に言っていいよ。カナデさんのこと好き、でしょ?」


 上目遣いをしてくるエクスから視線を逸らすと、俺は頬を掻きながら数秒間だけ間を置いて小さく頷いた。


「……好き、かもしれん」


「だろうね。あれだけ一生懸命なカナデさんに猛烈なアプローチをかけられたら、そりゃ誰だって靡いちゃうよ」

 

 エクスはそう言うと、目元の涙を拭ってくすりと笑った。

 てっきりブチ切れられると思っていたのだが、存外エクスは穏やかな雰囲気のままであり、まるで俺がそう答えるとわかっていたような様子だった。

 

「怒らねえのかよ? 俺、浮気したんだぜ?」


「とは言ってもキス止まりだし、ツルギくんからなにかをしたわけじゃないでしょ?」


「まぁ、そうだけど」


「それなら許してあげる」


「え?」


「だって、私はだからね。それに、ツルギくんは色んな女の子たちにすぐモテちゃうから、それを気にしていたらきりがないし気疲れしちゃうモン。それにカナデさんなら別にいいかなって思えるしさ?」


「カナデならいいって、本気かよ?」


「うん、本気だよ。だって、カナデさんは親友だし、なによりツルギくんのことを本気で好きになってくれているからさ」


 ……なんて寛大な心の持ち主なんだ。

 敵に塩を送るとか、上杉謙信かよ。


 エクスはカナデとキスをした俺を許すと言った。しかも、カナデが相手なら浮気されてもいいとまで言ってきた。

 普通の女子ならその場で別れ話に突入し、ひとつの青春が終わっていることだろう。

 しかし、そうはならず、俺の彼女であるエクスはそれを許容したのだ。


 こんなに優しくて素敵な彼女と出会えた俺は、自分で言うのもアレだが、なんて幸せ者なのだろうとマジで泣きそうになった。

 それと同時にエクスに対する愛情がさらに増して、一生離れたくないという想いで胸が一杯になった。

 やはり、俺のヒロインはエクスしかいない、と。


「エクス」


「ん? なに?」


「好きだ。愛してる!」


「え? ちょ、ツルギく……んぅ!?」


 俺は戸惑うエクスを抱きしめると、そのまま熱い口づけをした。

 無論、ディープな方だ。


 自分で言うのもなんだが、俺はスケベで浮気者だ。勿論その自覚はある。

 でも、自分から手を出そうというつもりはない……と、思う。

 エクスは俺の全てを満たしてくれる最高の彼女であり、運命を共にできるパートナーだ。

 そんなエクスを俺はこれからも守り抜き、彼女の心も身体もその全てを愛したいと真剣に思う。


 茜色だった空がいつの間にかその影を落として辺りもすっかり暗くなり始めていた。

 ぽつりぽつりと灯されてゆく街灯の下で、お互いの想いを確かめ合うように何度も重ねていた唇をゆっくり離すと、エクスが俺の胸元に頬を寄せて微笑んだ。


「ツルギくん、大好きだよ。これからもずっと私の傍にいてね」


「当たり前だろ。俺は死ぬまでお前の傍にいるよ」


「うん、ありがと。それじゃ、そろそろみんなのところに――!?」


 と、言いかけたエクスが背後を振り返り表情を強張らせる。


 その様子に俺はエクスを背にして身構えると、スレイブに呼びかけた。


「スレイブ、起きてるか?」


「おうよ。敵か?」


「おそらく、そうだろうな……かなり近くから強い殺意を感じる」


「ツルギくん、その茂みの向こうだよ注意して!」


 エクスの台詞に俺が公園の茂みの奥を睨みつけていると、暗がりの向こうから虫の羽音が聴こえてきた。

 その羽音に神経を集中させていると、暗がりの奥から街灯の灯りに照らされソイツは姿を現した。


 赤と黒の混じり合ったような色味を持つ外殻に六本の脚。

 背中に生えた筋のある透明フィルムのような羽を高速で羽ばたかせ俺たち二人の前にゆっくりと姿を見せたソイツはスズメバチの姿をしていた。

 スズメバチとは言っても、その大きさは人間の頭部と同じくらいの大きさがある。

 奴は真っ赤な両目に俺たち二人の姿を映すと、下顎を左右に開いてギチギチと不快な音を漏らした。


「人型じゃねえから安心したけどよ、ただのデカイ蜂ってワケじゃねえよな?」


「相手が人型じゃなくても油断しない方がいいよ。敵はスズメバチに擬態しているくらいだから多分、尾尻の針とかに――」


「ネギ坊!」


「わかっているよ!」


 エクスが説明しようとした刹那、奴が風船のように膨らんだ尻の先端をこちらに向けて黒い杭のようなものを発射してきた。

 俺はスレイブの口から魔剣を素早く引き抜き、奴が発射してきた黒い杭のようなものを魔剣で叩き落す。


「これは……クナイか?」


 俺が地面に叩き落としたものは、紫色の液体がべったりと付着した黒いクナイのような形状をした刃物だった。

 その刃物を見てエクスは表情を眉を顰めると、スズメバチに擬態をした魔剣の精霊に視線を戻して言う。

 

「ツルギくん、注意して! その刃物に付着している液体はおそらく毒だよ!」


「流石にそれくらい見りゃわかるよ。エクス、アイツは俺とスレイブで始末するからお前はどこかに隠れていろ!」


「うん、わかった! でも、ちょっと残念かな?」


「なにが残念なんだよ?」


「だ、だって……それは――」


「それは?」


 ――ツルギくんにエッチなことをしてもらえないから、かな?


「……んんっ!?」


 その一言に、俺はスレイブの鎧化を止めてでも、エクスと聖剣召喚をしようかどうかとマジで迷った。


 俺にエッチなことしてもらえなくて残念?

 そんなこと言われたら、エッチなことをしたくて堪らなくなるじゃんっ!? いや、それならコイツをちゃっちゃっと始末して、今晩辺りにでも俺の部屋でとっても素敵な初体験を……。


「おい、ネギ坊。発情するのは構わねえけど、今は奴を始末することに集中しろ」


「安心しろスレイブ。俺は発情すればするほど集中力が上がる……とくに股間の辺りがな?」


「……そうかよ。とりあえず、鎧化を始めるぜ?」


「なんだよスレイブ。随分と素っ気ねえな?」


「はいはい。そんじゃ始めるぞ」


 呆れたような声でスレイブはそう言うと、俺の左半身を瞬く間に鎧化させてゆく。

 鎧化したことで力が漲ってきた俺は右手に持つ片刃の魔剣を構えると、スズメバチに擬態した魔剣の精霊に向かい駆け出した。


「うおらあああああっ!」


 俺が横一線に振り抜いた魔剣を奴は俊敏な動きでひらりと躱すと、羽音を響かせながら旋回し、太い樹木の幹にとまった。

 するとそこから尻の先端をこちらに向けて再び毒付の刃物を発射してくる。

 その刃を打ち払い距離を詰めると、奴が空へ飛び上がる前にその羽根を切り裂いた。


「よっしゃ! これでこいつは蟻んこと変わらねえぜ!」


「ケケケッ! 確かに蟻んこみてえだな? それならとっととトドメを刺しちまえ相棒!」


 全ての羽を失い飛行することができず、地面にぼとりと落ちた魔剣の精霊に俺は刃の先端を真下に向けると、そのまま一気に振り下ろした。


「これで終わりだぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 スズメバチに擬態した魔剣の精霊の腹部に刃の先端を突き刺すと、奴は逆さまになった状態でしばらく藻掻いていたが、徐々に動きが鈍くなりやがて停止した。

 そして、その身体が黒い砂に変化して風に吹かれ霧散する様を見つめて俺は安堵の息を吐くと、後ろを振り返りエクスにサムズアップする。


「終わったぞ、エクス」


「お疲れ様! 今日は楽勝だったね?」


 エクスはニッコリ笑うと俺に駆け寄り、そのまま抱きついてくる。

 俺は地面に突き立てた魔剣を引き抜くと、肩を竦めた。


「まあな。この程度の魔剣相手なら、複数いても負ける気がし――」


「待って、ツルギくん……今のと同じ魔剣のオーラに周囲を囲まれてるよ!?」


「……マジ!?」


 エクスの切迫した声に俺が驚愕した矢先、樹木の影から同じスズメバチに擬態した魔剣の精霊が複数現れた。

 こいつら、群れで移動でもしているのか? 

 奴らは赤い両目を闇夜に光らせると、耳障りな羽音を鳴らして俺たちを取り囲んできた。


「冗談じゃねえぞおい……エクス、俺から離れるなよ!」


「うん、わかって――」


「ネギ坊、来るぞ!」


 スレイブが声を上げた直後、スズメバチに擬態した魔剣の精霊たちが俺たち二人に向かって一斉に毒付きの鋭い刃を放ってきた。

 その刃を俺が魔剣と鎧化した左腕で必死に打ち払っていると、真後ろにいたエクスから呻き声が聴こえた。


「くぅ……うぅ……」


「エクス!?」


 慌てて振り返ると、エクスが血の滲んだ片腕を押さえて苦しげな表情を浮かべて地面に座り込んでおり、その身体を震わせていた。




 




 

 

 

 

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