第104話 百合の精霊契約

 隔壁を斬り開いて登場したエペタムにカナデ、ヒルド、レイピア、そして、オジェの四人が顔色を青くして凍りつく。


 そんな四人の表情を見てエペタムがギョロリとした赤い双眸を笑ませると、鋸歯をギチギチと噛み合わせた。


「キシャシャシャ……まずはひとり死亡確定だなぁ〜?」


 ドクドクと血が溢れ出る脇腹を押さえて、地面に倒れているヒルドを一瞥してエペタムがニヤリと嗤う。


 ヒルドはその額にぶわりと脂汗を浮かべると、苦しそうな呼吸で吐血した。


「ケホッ、カナデさん……お怪我はありませんか?」


「ヒルドちゃん!? どうしてアタシなんかを!」

 

「フフッ……そ、そんなの、カナデさんを、守るために決まっているじゃありませんか? だって、私はアヴァロンの人間……ゲホッ!」


 カナデに上半身を抱き起こされ、苦悶に歪んだ表情を浮かべると、ヒルドが血を吐き出した。

 その状況にカナデが酷く狼狽していると、レイピアがすぐさま駆け寄り、ヒルドの負傷具合を確かめる。


「ヒルドさん! かなり痛むとは思いますけど、傷口を見せてくださ……なっ!?」


 血が溢れ出す脇腹を押さえていたヒルドの手を除けた瞬間、レイピアが絶句する。

 その様子を間近で見ていたカナデは、瞳に涙を溜めてレイピアに訊いた。


「レイピアさん! ヒルドちゃんの怪我はどうなの!?」


「これは、どうしたら……」


 エペタムのチェーンソーで裂かれたヒルドの脇腹からは臓物が見えていた。

 それだけでなく、傷付いた臓器からの出血も確認され、深く抉られた傷口の縫合をする術もない。

 まさにそれはエペタムが宣告した通り、一人目の犠牲者が出ることを回避できない状態だった。


「ケホッ……レイピアさん。カナデさんを連れて逃げてもらえませんか?」


「な、なにをそんな! まだ、諦めては……」


「もう、いいんです……自分の体のことは、自分自身が一番わかっていますから……」


「そんなこと言わないでよヒルドちゃん!? お願い……死んじゃダメだし!」


 弱々しい声音で話すヒルドの片手を握り、カナデが嗚咽を漏らして涙を流す。

 このままではヒルドが確実に命を落としてしまう。

 なにか、彼女を救う手立てはないものかと、レイピアが頭をフル回転させていると、彼女たちの前に聖剣のレプリカを構えたオジェが立った。


「おい、お前ら! ここは俺が食い止めてやっから、早く逃げろ!」


 黒いチェーンソーを唸らせるエペタムの前にオジェは立ちはだかると、聖剣のレプリカを構えたまま肩口から瀕死のヒルドを見て言う。

 

「そのままだとヒルドが死んじまう。そうなったら、ヘグニさんに会わせる顔がねぇ……だから、ここは俺に任せて早く逃げろ!」


「で、でも、オジェさんはどうなさるおつもりですか!?」


「この中でコイツと戦えるのは俺だけしかいねえだろうが! だから、早く行けっつってんだよボケ!」


 口悪くそう叫ぶオジェに、黒いチェーンソーを唸らせながらエペタムがげんなりしたように肩を落とした。


「あぁ……んだよ。もう男をバラバラにすんのは飽きたんだけど?」


「うるせぇよコラァッ! テメェの相手は俺なんだよ! レイピア、さっさと行け!」


「で、でも、ここから逃げたとして、ヒルドさんが……」


 ヒルドの傷は、今すぐにでも緊急オペをしなければ助からないほどだった。

 しかし、医療棟への道のりはあまりにも遠く、その前にヒルドが力尽きてしまうことは目に見えて明らかだった。

 そんな窮地にレイピアが酷く狼狽していると、オジェが声を上げる。


「お前のその胸に抱いてる聖剣は使えねえのかよ!? 見たところ、まだ契約者がいねえから手元にあんだろ?」


「あ……」


 聖剣は精霊と契約を結ぶと、その精霊の体内に光の粒子として入り、必要に応じて召喚する事ができる。

 それがまだ成されていないため手元に存在するレイピアの聖剣を見て、オジェはそう言ったのだ。


「一か八かだけどよ、そこにいる英雄くんのダチに聖剣と契約させるとかして、ヒルドをセイバーにすればまだ助かる見込みがあるんじゃねえのかよ? つーかもうそれに賭けるしかねえだろ!?」


「そういう事でしたか……失念していました、それなら!」


 捲し立てるように話すオジェにレイピアは自身の胸に抱いた聖剣を見てから顔を上げると、瀕死のヒルドを抱き締めていたカナデの顔を見る。


 カナデはレイピアの聖剣と共鳴反応を起こした存在だ。

 そんな彼女であれば、自身が造り出した聖剣と契約を交わすことができ、ヒルドを救うチャンスを得られる可能性がある。

 それに、今の彼女たちには時間がない……ならば、迷っている時間すら惜しい。


 そう判断すると、レイピアはカナデに叫んだ。


「カナデさん! 急いでこの聖剣と契約を結びましょう!」


「契約って……それでヒルドちゃんを助けられるの!?」


「ヒルドさんを助けられるかどうかは確約できません……でも、もしそれが成功すれば彼女を助けることができます!」


 レイピアの言葉にカナデはグイッと袖口で目元の涙を拭うと、力強く頷く。

 そして、徐々に青白くなってゆくヒルドの顔を見た。


「ヒルドちゃん、アタシが絶対に助けてあげる……レイピアさん、その聖剣とアタシを契約させて!」


「わかりました! では、急ぎましょう!」


「できるだけ俺が時間を稼いでやる! だから、諦めねぇでなんとかしろよ!」


「あぁ……つーか話し終わった? そろそろバラバラにしたいんだけど?」


「うるせぇよコラァッ! 誰がテメェにバラバラにされるかってんだ! レイピア、頼んだからな……ウオラァァァァァァッ!」


 黒いチェーンソーを唸らせるエペタムにオジェは斬りかかると、激しい火花を散らして戦闘を開始した。

 そこからレイピアとカナデはヒルドの身体を抱えて距離を取ると、T字路の角に身を隠した。


「それでは、始めましょう!」


 レイピアは自身の胸に抱いていた聖剣の柄から二つのホーリーグレイルを取り外し、その内のひとつをカナデに手渡す。

 それを受け取ったカナデは、青く煌めいたホーリーグレイルを見つめた。


「カナデさん、そのホーリーグレイルをどちらかの手の甲に押し当ててください」


「オッケー。わかったし!」


 レイピアに促され、カナデが自身の左手の甲にホーリーグレイルを押し当てて数秒後、その手の甲に焼けるような痛みを感じてカナデが顔をしかめた。


「熱っ! くぅ……つぁ!」


「現在、聖剣のホーリーグレイルがカナデさんの身体と融合しようとしています。それが上手く成されれば、その痛みはすぐに消え失せ、アナタの手の甲にホーリーグレイルが埋め込まれるはずです!」


 レイピアの説明を聞きながらカナデは手の甲にホーリーグレイルを押し当てたまま涙目で頷く。

 すると、今まで左手の甲に感じていたはずの痛みが自然と和らいだ。

 そして、ホーリーグレイルを押し当てていた手を退けると、カナデの手の甲に淡く青い輝きを放つホーリーグレイルが埋め込まれていた。


「はぇ? 痛くなくなったし……」


 手の甲に埋め込まれたホーリーグレイルを見て、カナデがキョトンとした顔をしていると、レイピアが胸に抱いていた聖剣が光の粒子となり、カナデの胸の中へと吸い込まれてゆく。

 その光景にレイピアは歓喜して微笑み、両手を合わせて声を上げた。


「やった、成功です! では次に、こちらのホーリーグレイルをヒルドさんの体内に埋め込んでください!」


「わ、わかったし! ヒルドちゃん、超絶痛いと思うけどゴメン!」


 もう一つのホーリーグレイルをレイピアから手渡され、カナデが片手を震わせながらそれをヒルドの裂けた脇腹へ埋め込んでゆく。

 その行為にヒルドが呻き声を漏らすと、自身の着ていた服の裾を噛んでグッと堪えた。


「ぐくっ……ぐぬぅ……」


「レイピアさん、ホントにコレで大丈夫なの!? なんか、ヒルドちゃんが苦しそうなだけど!」


「今、カナデさんのホーリーグレイルがヒルドさんをセイバーとして受け入れるかの選定をしているのです。これに成功すればヒルドさんは助かります。ですから、あともう少しだけ見守っていてください!」


 精霊とセイバー候補が契約を結ぶ事に失敗をすれば、そのセイバー候補は魔剣の成り損ねとなり、化物に変化してしまうリスクがある。

 しかし、今はそんな事で迷っている場合ではなかった。


 契約の成功を祈るように固唾を飲んで見守るレイピアとカナデ。

 そして、その時が訪れる……。


「……はぇっ? なんか、アタシの胸の真ん中が光ってんだけど?」


 ヒルドの体内にホーリーグレイルが埋め込まれてから数秒後、カナデの胸元が淡く青い輝きを放つと、ヒルドの身体もまた同じような光に包まれた。


 その様子を見ていたレイピアが、なにかを確信したように頷く。


「せ、成功です! では、カナデさん。急いでヒルドさんに体液を与えてください!」


「レイピアさん……その、ってなに?」


「そこからですか!?」


 カナデによるまさかの発言にレイピアは、度肝を抜かれる。

 現役の高校生ならば、生物や保健体育の授業などでその程度の知識を得ているだろうと予想していたレイピアの考えが簡単に覆されたのだ。


「た、体液というものはですね、カナデさんの身体から出る分泌液の事です! 例えば、血とか唾液とか……あ〜もぅ〜! その程度の知識は高校生のカナデさんなら既に受講済みのはずですよぉ〜!?」


「……マジ?」


 苛立ちを露わにして両手をブンブンと振って説明をするレイピアを尻目に、カナデは体液について考える。

 そんな事、授業で習ったっけ? 

 と……。


(レイピアさんが言う、そのぶんぴつえきってのは、血とか唾液の事らしいけど……あ、それなら!)


 と、なにかを閃いたように両手をポンと打ったカナデの記憶に特別車両の中でツルギとキスをした時の光景が呼び起こされた。

 

「……唾液って言うなら、でもいいってことだよね?」


「カナデさん、わかったのですか?」


「オッケー任せて! ちょっと抵抗あるけど、ヒルドちゃんのためなら……」


 と、サムズアップしてカナデは微笑むと、瀕死のヒルドを抱き起こして大きく深呼吸をしたのち、その淡い桃色の唇に自身の唇を重ねて舌を絡ませた。

 その瞬間、ヒルドの肩がピクリと跳ねる。


「ンゥッ!?」


 まったく予期していなかったカナデの行動に、ヒルドが猫のように大きな目を見開いて驚愕する。

 しかし、それから程なくして、その表情が弛緩したように蕩け始める。


(……な、なんですかこの感じ……スゴく、気持ち良い……)


 ヒルドの身体を抱き締めながら深くキスをするカナデ。

 この時、ヒルドの中で新しい感情が芽生えた。


 それは本来、異性によって摘み取られてしまうはずだった小さなつぼみ

 しかしそれが今、カナデと唇を重ねたことにより、開花されたのだ。


(どうしよう……カナデさんの唇が柔らかくて気持ち良い。このまま、心も体も溶けちゃいそう……というか、カナデさんが凄く可愛い……)


 気が付くと、ヒルドはカナデの背中に両手を回しており、より強くキスを求めていた。

 その行動に、カナデが戸惑った表情を浮かべる。


(……ちょ、なんかヒルドちゃんが、めっちゃアタシの舌を吸ってくるんだけど!?)


 ヒルドの激しいキスに当惑しながらも、それが彼女の命を救う行為であると割り切ってカナデもキスを続ける。

 実際のところ、ヒルドの傷は既に完治していたのだが、その事に二人は気付いていない。

 しかも、カナデはともかくとして、ヒルドに至っては全身を駆け巡るようなその心地良い感覚にどっぷりと浸かっており、離れるつもりは皆無だった。

 そして、そんなヒルドとカナデの官能的な光景を前にしたレイピアは、その顔を真っ赤に染めてアワアワとしていた。


「……ぷはぁっ! ヒルドちゃん傷は? まだ痛い? ていうか、治った!?」


「ま、まだダメっぽいです……。だから、カナデさん。いいえ、カナデお姉さまに……もっと、キスして欲しいです!」


「いや、お姉さまって……まぁいいや。それじゃあ、もう一回するね!」


「は、はい……」


 トロンとした表情で頷くヒルドに、カナデが再びキスをする。


 そんな美少女二人が重ね合う唇の隙間から漏れ出す卑猥な音に、最早レイピアすらも興奮を覚えていた。


(こ、これが……精霊とセイバーの回復行為……お、奥が深いですぅ〜!)


 真剣な表情で二人をマジマジと観察しているレイピアを他所に、ヒルドは自身の片手を伸ばすと、カナデの豊かな膨らみのひとつにそっと触れた。

 その瞬間、カナデが目を見開いて身体をピクンと反応させた。


「ちょ、ヒルドちゃん!? なんで!」


「カナデお姉さま……。今、向こうでオジェ先輩が私たちのためにあのキモチェーンソー男と戦ってくれています。ですから、それを助けなければいけないと思います!」


 瞳を輝かせてそう語るヒルドに、カナデは戸惑いながらも疑問を口にした。


「いや、だからって……アタシの胸を触る必要とかなくない?」


「あります!」


 至極真面目な顔で凄んできたヒルドに、カナデが壁にたじろぎながら瞳をぱちくりとさせていると、その頬を朱色に染めながらヒルドが続ける。


「オジェ先輩を助けるには、カナデお姉さまの中にある聖剣が必要です。そして、その聖剣を取り出すためには……」


「せ、聖剣を取り出すためには?」


「……私がカナデお姉さまに、性感を与える必要があるんです!」


「…………は?」


 ヒルドの口から聞かされたその衝撃的な内容に、カナデは呆けた声を漏らしたあと、すぐ傍にいたレイピアに視線を送ったが、当のレイピアはバツの悪そうな顔をすると、そっと視線を逸す。


「さぁ、お姉さま……聖剣を召喚しましょう!」


「…………えええええええええっ!?」

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