第93話 夢と涙

 夢の中に現れる私と同い年くらいの彼女には、血の繋がった妹がいた。


 彼女の妹はとても寂しがり屋で、姉である彼女がいつも傍にいないと眠れないほど姉に依存していた。

 でも、それには理由がある。


 彼女たち姉妹の両親は二人が幼い頃に他界していた。

 それは不慮の事故によるものとされたらしいけれど、それは世間体での建前にしかすぎず、実際は世界中でも秘密裏にされるような事件に巻き込まれ命を落としていた。

 その真実を知った彼女たち姉妹は、物心ついてから政府公認の特殊機関のような軍隊に入隊志願するために血の滲むような努力をしていた。

 それから二人は、その涙ぐましい努力が結果として実を結び、特殊部隊に入隊することができ、正義のために変な化物たちと戦っていた。


 だけどそんなある日、彼女は上層部の人間がその化物たちを軍事兵器として紛争地域に売却しているという信じ難い事実を知ってしまった。


 正義感の強かった彼女は、その悪事を見過ごすことはできなかった。

 そこで自分が最も信頼していた上官にその事実を打ち明けたけれど、それから間もなくして任務の最中、彼女と妹は殺されそうになっていた。

 それも、にだ。


 彼女が信頼を寄せていた上官は、なんの躊躇いもなく部下である彼女に刃を振り抜き、崖の下へと落とした。

 薄れゆく意識と視界から遠のいて行く視線の先では、涙して彼女の名前を叫び、崖から身を乗り出して片手を伸ばす妹の姿があった。

 彼女はそれがとても心残りだったと思う。

 それは、唯一無二である大切な妹を残して自分だけが先に死んでしまうからだ。


 いつしか彼女の視界は深い闇に包まれた。

 音も無く、仄暗い水底に沈んでゆくような感覚がすれども、耳に残る妹の声だけが頭の中で反響するようにずっと響いていた……。


 ――お姉ちゃん、ソラ――お姉ちゃん!?


 とても不思議なんだけど、崖の上から泣き叫ぶその子の名前を私は知っているような気がした。

 そして、彼女は私にとって、とても大切な何かを思い出させてくれそうな予感がしているんだけど、いつも名前が思い出せない。

 あの子の名前を思い出せたら、私の失った記憶を押し留めている大きな扉を開けられるような……そんな感覚がずっとしていた。


 なんだっけ……くらら? くろら? くろう? ダメだ。今日もやっぱり思い出せそうもないや……。

 そのあとはよくわからないけれど、そのシーンを見終わったあたりで私はいつも目が覚める。

 これで何度目になるかもわからないほど頻繁に同じ夢を見ている。

 そして、目が覚めた時に、決まって私は涙を流しているのだ。

 そして、今回もまた同じだった……。


「…………また、あの夢か」

 

 ベッドから上半身を起こして目元の涙を指先で拭うと、真横に視線を向ける。

 すると、私のすぐ隣には幸せそうな顔で寝息を立てているネギがいた。


 夜中にこっそり私がベッドに忍び込んだ事を彼は知らない。だって、内緒だしね。

 きっと、この状況で彼を起こしたら驚いて跳び起きるだろう。

 でも、そんなことはしない。

 だって、ベッドの上でスヤスヤと眠るネギの寝顔を見るのがここ数日の楽しみになっていたからだ。

 そう言えば、昔もこんな風に誰かの寝顔を見つめて微笑んでいたような記憶がある。

 でも、それが誰なのかわからない。

 多分だけど、その誰かは私にとって、とても大切な人だったと思う……。


「おい、ソラス。何度もネギ坊のベッドに潜り込んでなんか楽しいのか?」


 ネギの寝顔を微笑ましく見つめていると、お喋り機能がついた彼の最新型義手であるスレイブが、呆れたような口調でそう尋ねてきた。

 勿論、楽しいに決まっている。

 ネギは日本人だけど、顔も格好良いし、身体も凄く鍛えられていてなにより優しい。

 だから、私好みの男の子だった。

 結構エッチなところもあるけれど、意外と奥手なところもあるから見ていて可愛い。

 だから、私はスレイブの質問に対して素直に頷いた。


「うん。これが楽しみなの」


「それはいいけどよ、その度にネギ坊がおばちゃんにぶっ飛ばされてるんだぜ? お前はサディストか?」


「だって、こうでもしないとネギが一緒に寝てくれないんだモン。仕方ないじゃん」


「それはそうだけどよ、ネギ坊には心に決めた女がいるみたいだぜ? まさかとは思うが、ソイツからネギ坊を寝取るつもりか?」


 スレイブの言葉に私は少しムッとした。

 ネギには彼女がいる。そんな事は知っている。

 でも、その彼女はここからかなり離れた場所にいるらしいから彼には会えない。

 というか、エミリアおばさんが助けた恩をきっちり返させるまで働かせるとかって話をしていたから、もうしばらくはここに滞在する事になるだろう。

 でも、それが私は嬉しかった。


「ねぇ、スレイブ? ネギの彼女はどうして彼を迎えに来ないの? 彼の事を愛しているんでしょ?」


「そんなもん、ネギ坊がここにいることを知らねえからに決まってんだろ?」


「そんなのおかしいよ。もし大切な人が行方不明になったなら、私は絶対に探しに行く」


 自分にとって本当に大切な人がそんな事態に陥ったなら、どんな手段を使ってでも探そうと思うのが普通だと思う。

 でも、ネギの彼女はそれをしていない。

 だから私は、なんだかイラッとしているのだ。


「いや、そうかもしれねえけどよ、ネギ坊の彼女はそれができない状況なんじゃねえのか? だから、コイツの方から帰ろうとしているんだと俺様は思うがな」


 彼の事情をさも知っているかのように話すスレイブがなんかムカつく。

 ネギと出会ってまだ間もないけれど、私だってそれなりに彼の事を知っているつもりだ。と、思う。


「私だって、ネギの気持ちを理解しているよ。だから、こうやって一緒に寝ている」


「ケケケッ! そりゃあただ単に、オメェの独占欲が強ぇってだけのことだろ? 本当にネギ坊を想うなら、さっさと開放してやる方が余程コイツのためだぜ?」


「そんなことスレイブに言われたくない」


「ケケケッ。強欲な女だぜオメェは」


 なんだか、私をものすごくワガママな女の子みたいに認識しているスレイブがやっぱりムカつく。

 私は純粋にネギの事が好きなだけだ。

 ネギのためならなんでもしてあげるんだモン! 例えばこう……うん、今はやめておこう。スレイブが話しかけてくるし。


「……スレイブには負けるつもりないから」


「あ? なんで俺様に対抗意識を燃やしてんだ?」


「なんかネギの事を私より知っているような事を言うから」


「そりゃあ俺様はネギ坊とよく話をしているからな。それだけのことだぜ」


「それがムカつく。私もネギともっといっぱい話したいのに」


 スレイブの事を睨みつけながらネギの右腕を抱きしめていると、部屋の外からエミリアおばさんの声が聴こえてきた。

 どうやら、ネギを起こしに来たみたい。


「オラッ、ネギ助! いつまで寝ているつもりなんだい! さっさと起きて朝の仕事を……って、ソラス!?」


「あ。ヤバい」


 いきなり部屋のドアを開けてきたエミリアおばさんと目が合った。

 すると、エミリアおばさんは鬼のような形相を浮かべて、私の隣でスヤスヤと眠るネギにズカズカとした足取りで近づく。


「えへ、えへへ〜……エクスぅ〜? 裸エプロンとか、キッチンでするのかよ〜?」


 ネギは寝ぼけているのか、目を閉じたまま私の腰に抱きつき頬ずりをしている。

 そんなネギが可愛くて、私が頭を撫でていたら、エミリアおばさんが額にたくさんの青筋を浮かべて両手の指関節をボキボキと鳴らし始めた。


「こんのスケベなクソガキがぁ……うちのソラスになにしてくれてんのさっ!?」


 エミリアおばさんはそう怒鳴ると、ネギの顔を鷲掴んで持ち上げ、そのまま壁に投げつけた。

 壁に衝突して目が覚めたネギは、自分になにが起こったのかわからないといった様子で仰天していて、逆さまになったまま固まっていた。


「…………なんで?」


「なんでじゃないよこのクソガキ! ソラスを部屋に連れ込んでなにをしていたんだい!?」


「ソラスを部屋にって……いやいやいやいや知らないからマジで!?」


「すっとぼけるんじゃないよこのスケベ! アンタは罰として朝飯抜きだよ!」


「だからなんでっ!?」


「あちゃ〜……」


「ケケケッ! だから訊いただろ? オメェはサディストなのかってよ?」


 そのあと、エミリアおばさんがネギの襟首を掴んで外に投げ捨てようとしていたから、私とスレイブが事情を説明して彼を助けた。


 今夜からはエミリアおばさんが彼を起こしに来る前に自室へ戻るように気を付けよう。


 本当にゴメンね、ネギ。

 

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