第四部

第82話 プロローグ

 太陽光さえも阻まれた森林の奥深く。

 奈落へと繋がるような深い崖を背にした幼い顔立ちの彼女は、眼前で聖剣を構える姉の背中を見つめ震えていた。


 彼女の姉は目前に立つ敵に神経を研ぎ澄ませ、聖剣を握りしめている。

 しかしその四肢には、刃で斬り裂かれた傷痕が幾つも顔を覗かせており、そこから血の雫を滴らせていた。


「……クラウ、逃げて」


 姉の口から聞かされたその言葉に、肩の辺りで切り揃えた金髪が特徴的な幼い顔立ちをした少女『クラウ』は、首を横に振る。


「嫌、私もお姉ちゃんと一緒にいる!」


「それはダメよ。ここでお姉ちゃんと一緒に死んだら、の悪事を証明できない!」


 クラウを一瞥する姉の目は、もう後がないことを物語っていた。

 現に彼女たち姉妹の背後には崖が迫っており、まさに背水の陣となっていた。


「お願いクラウ。お姉ちゃんが奴らを食い止めるから、アナタはここから逃げて!」


「そんなの嫌! 私はお姉ちゃんが――」


「お願いだから聞き分けて!」


 傷だらけの姉の口から放たれたその強い口調に、クラウはびくりとその身を竦める。

 どうして自分たちがこのような目に遭わなければならないのか。

 どうして正義のためには戦ってきた自分たちが、に殺されようとしているのか理解できなかった。


「クラウ……これが最後よ。お願いだから、早く逃げ――」


「お姉ちゃん!?」


「!?」


 最愛の妹に意識を削がれていたほんの一瞬の隙を突かれ、クラウの姉は同じアヴァロンのセイバーによって斬り飛ばされた。

 

「きゃああああああああっ!?」


「お、お姉ちゃん!?」


 無慈悲な刃で斬られた彼女は、鮮血を撒き散らしながら奈落のように深い崖の下へと落ちてゆく。

 その光景をクラウはなにもできず、ただ見つめる事しかできなかった。


「嫌……お姉ちゃあああああん!?」


 崖の下へと落下した姉の姿はもう見えない。

 代わりにクラウの背後には、ジャリッと地面を踏む音が聴こえた。


「悪く思うな。お前たち姉妹は、


 同じアヴァロンの仲間は、表情のない顔でそう告げると、その手に持つ聖剣を高々と掲げた。

 そして、その刃が振り下ろされたその瞬間――クラウは目を覚ました。




「ハァ、ハァ……また、なの?」


「あらん? どうしたのクラウ。酷い顔よん?」


 クラウの傍にあるソファに座っていたのは、毛先が外側にはねたクセのある紫色のボブカットに豊満な身体を締め付けた赤いボンテージ姿をした魔剣の精霊【ティルヴィング】だった。

 ティルヴィングは長い脚を組み直すと、煙草を一口だけ吸って、ふぅっと煙を吐いた。


 現在、二人が身を寄せているのは、国道沿いにあるモーテルの一室だった。

 クラウは肩まで切り揃えた金髪と華奢な身体が汗でびっしょりと濡れており、額にびっしりと張り付いた玉のような汗を手の甲で拭った。


「……また、あの夢を見た」


「あの夢って、クラウのお姉ちゃんが殺された時のやつかしらん?」


 ティルヴィングが無遠慮にそう訊くと、

クラウはこくんと頷いて膝を抱える。


「……そう」


「可愛そうな話よねん。クラウたちはなんにも悪くないのにね〜ん? あの時、アタシが居なければクラウも殺されていたでしょう……アヴァロンの連中に」


 灰皿で煙草を揉み消すと、ティルヴィングは膝頭に顔を埋めたクラウの横に腰かけ、彼女の細い肩を抱き寄せ頬を寄せる。

 そんなティルヴィングの行為にクラウの心は満たされていた。


「ねぇ、ティル」


「なあに〜?」


「アヴァロンを絶対ぶち壊そう」


 決意を秘めた瞳でクラウがそう言うと、ティルヴィングは赤い瞳をぱちくりさせたあと、くすりと微笑んだ。


「そうねん。そのためにアタシはクラウに協力しているんだもの。アナタの殺されたお姉さんの敵討ちを手伝ってあげるわよん」


「ティル。ありがとう」


「いいのよん。アタシはクラウの味方だから……」


 クラウの頬にティルヴィングはキスをすると、小柄な彼女の身体をそのままベッドに押し倒して熱い口づけをした。


「ちょ、ティル?」

 

「別にいいじゃない。寂しいんでしょん? だ・か・ら……」


 モーテルの一室で二つの影が重なり合うと、ギシギシと軋むベッドの音が響き、それに合わせて美少女の濡れた声が漏れる。


 元アヴァロンの精霊だった彼女の心に開いた大きな穴は、敵であるはずの魔剣の精霊によって埋められている。

 だが、魔剣であるティルヴィングは、クラウの寂しさや悲しみを受け入れ、身も心も優しく包んでいた。


 姉を失った寂しさを埋めるため、ティルヴィングから慰めをもらうクラウは、ただただそれに満たされていた。


 最愛の姉を奪ったアヴァロンは、クラウにとって悪でしかなかった。

 最愛の妹として愛してくれた今は亡き姉にとってもアヴァロンは悪でしかなかった。


 ならば、どうするべきなのか……。


 ――アイツらを必ず地獄に落としてやる!


 火照る身体と快楽にその身を任せながら、クラウは天井を見つめてアヴァロンへの復讐を誓う。

 全ては姉を奪ったアヴァロンへの復讐……そのためだけに彼女は、己の刃を研ぎ澄ましていた。

 


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