第72話 不穏な動き

 エレベータに乗り込み一階のフロアに到着すると、そこには目を見張る光景が広がっていた。


「うへぇ~! なんかめっちゃ色々なお店があるじゃん!」


 カナデの視界に飛び込んできたもの。

 それは、一階のフロア全体に軒を連ねた様々な飲食店だった。

 そのバラエティーにとんだ飲食店はアヴァロンで働く者たちの憩いの場となっており、昼時の一階フロアはなにかの展示会でも行われているのではないかと錯覚するほど人で賑わっていた。


「昼の時間になると、研究員や職員、それに、非番のセイバーや精霊さんたちもここで昼食を摂っていますからね」


 一階フロアを行き交う人々の姿は皆それぞれで、白衣姿の研究員やローブを着た者たちなど様々である。

 そんな人で溢れるフロアの中を縫うように移動すると、レイピアが後ろにいるヒルドとカナデに声をかける。


「結構、人に流されて迷子になることもありますから、二人とも私から離れないように気を付けて――あ~れ〜えええええええええ~!?」


「ちょ、レイピアさん!?」


「言ってた本人が流されてどうするんですか……」


 別のエレベーターから降りてきた研究員たちの人波に呑まれ、レイピアの姿が見えなくなった。

 その光景を呆然と見ていたカナデとヒルドは、互いの顔を見合わせるとため息を吐く。


「ねぇ、ヒルドちゃん? こういう時って、どうすんの?」


「これはもう、諦めるしかないですね……。レイピアさんを」


「見捨てるの!? でもまあ、ヘタに探しに行ったらアタシたちも迷子になりそうだし、諦めよっか?」


 一番年長者であるはずのレイピアの捜索を早々に断念すると、ヒルドとカナデはレストランという選択肢を諦め、近場にあったファーストフード店で昼食を購入し、外へと向かうことにした。


 ○●○


 お互いに昼食を購入し、建物の外へ行くと決めたその判断が功を奏したのか、外の日差しはとても穏やかで暖かく、ひと気もなくて落ち着ついた気持ちで昼食を摂ることができそうだった。

 カナデとヒルドはアヴァロン本部の建物から少し離れたところにある薔薇園の中に設置されたアンティーク調の丸テーブルと椅子を発見すると、そこへ腰を下ろした。


「はぇ~、建物の外にこんな場所があるんだね~」


「フフフッ。実はこの薔薇園は私にとって、お気に入りの場所なんです!」


 得意げな顔になると、ヒルドはその場でくるりと回り、ローブの裾を翻す。

 建物の外にあるその薔薇園は、コの字型の設計で造られており、赤だけでなく、白や黄色といった色とりどりのバラが栽培されている。

 一度その中へ足を踏み入れれば、そこは不思議の国と思えてしまうほどに、ファンシーな空間なのだ。

 そんな雰囲気にあてられたのか、カナデが周囲に目を配ったあと、ヒルドを見て言う。


「なんていうかさ、ヒルドちゃんってドレスとか着てここに居たら、貴族のお姫様みたいだよね?」


「へ!? そ、そうですかね?」


 こともなげにそんな事を口にしてきたカナデにヒルドは頬を赤くすると、両手で持ったマドラーから伸びたストローを咥えて恥ずかしそうに俯いた。

 その姿がなんとも愛らしく思えたカナデは微笑みながら頬杖つくと、ヒルドをからかい始める。


「なんかヒルドちゃんってさぁ、お人形みたいだよね。白くて小さくて可愛いっていうかさ? 自分の部屋に飾っておきたくなるみたいな?」


「な、なんですかそれ? 私はお人形さんじゃないんですから、部屋に飾ろうとしないでくださいもぅっ!」


「あはは~、冗談だからそんなに怒んないで。でも、こうやって改めて見ていると、本当に可愛いから羨ましいなぁ~って思うんだよね?」


「そ、それはどういう意味ですか?」

 

「なんていうかさ、ヒルドちゃんは妹? みたいな感じがするから可愛がりたくなるんだよね。アタシってば、ひとりっ子だしさ?」


 カナデはそう言うと、ヒルドのツインテールをそっと手に取り、指通りの良い感触を楽しむように指先で弄んだ。

 本人としては、幼い頃に遊んでいた人形を思い出してそうしているのだが、毛先を弄ばれているヒルドはその顔を真っ赤にして萎縮しており、高鳴る心臓を押さえるように慎ましい胸に手を当てていた。


 ――どうしよう。カナデさんに髪を触られているだけなのになんかドキドキしてる!


「ヒルドちゃんって、枝毛とか全然ないよね? 超綺麗な髪だよ~」


「しょ、しょんなことない……ですよ?」


「ていうかさ、シャンプーとかなに使ってんの? めっちゃいい匂いするんだけど?」


「はわわ~……そ、そんな匂いとか嗅がれたら……」


 スンスンと鼻を鳴らして髪の匂いを確かめるカナデの行動に、ヒルドは昇天しそうだった。

 男性に触れられたこともなければ、同性にそのようなことをされた経験のないヒルドにとってそれは初めての経験であり、不思議な感覚だった。

 とはいえ、それ自体は不快なものではなく、逆に快感にも近い印象だ。


「なんだろう? ムスク系の香りとか?」


「か、カナデしゃん……そ、そろそろ……」


「え? あ、ごめん! 嫌だった?」


「へっ!? べ、別に嫌じゃやないですけど……」


「じゃあもう少しだけ嗅いでいてもいい?」


「へっ!? ま、まあ……もう少しだけなら……」


 再び髪の匂いを嗅がれたヒルドは、自身の下腹部辺りがきゅう~っと締まるような感覚に襲われた。 

 股の上に置かれた両手は妙に汗ばんでおり、握るその手に力が入る。

 ちらりと横目でカナデを見やれば、ツインテールに結わった髪を彼女が真剣な表情で嗅いでいる。

 その姿を瞳に映した時、ヒルドの中に新しい感情が芽生えた。


 ――ダメ……十束さんにもっと、色々なところを嗅いで欲しいって、思っちゃう。


「う~ん……やっぱわかんないや。ごめんねヒルドちゃん。めっちゃ良い匂いだったから思わず嗅いじゃったよ」


「あ、いえ……別に大丈夫です。なんなら、髪の毛以外とかでも構わないかもです」


「え?」


「ああいやああああっ!? なんでもないです、気にしないでください!」


 小首を傾げるカナデに、ヒルドが両手をワタワタ振っていると、薔薇園内を隔てる茨の壁の向こう側から男性たちのくぐもった声が聴こえてきた。


「それで、どうなんだと聞いているんだが?」


「あぁ? ダリぃなぁ〜……」


 茨の壁に阻まれた向こうから聞こえてきた男たちの声は、片方はどこか剣呑であり、もう片方はなんとも気怠そうで覇気がない声だった。

 その二つの声にヒルドとカナデは瞬きをすると、静かに耳をそばだてた。


「……なんだろね? 喧嘩とかしてんのかな?」


「それはわかりませんけど、ここってこの時間帯だとあまり人が来ない場所なんですよね。それをわかっていてここに居るということは、そんな感じかもです……」

 

 カナデとヒルドは互いに顔を見合わせると、茨の壁にできた僅かな隙間の向こう側を覗き込んだ。


「とにかく、ダリぃけど〜……あの女はティル姉のお気に入りだからよぉ……」


「ちゃんと約束は果たしてもらえるのだろうな? そのために協力しているんだぞ!」


「あぁ? ダリぃなぁ~……そんなの、ティル姉の計画が終わったら返してくれんじゃねえのぉ〜?」


「ふざけた返事だな」


 言い争うような男二人の声に、ヒルドとカナデは息を潜めると、茨の壁の隙間からグッと目を凝らして向こう側の様子を窺う。

 すると、その隙間から見えたのは、右手首に赤いブレスレットを着けた白衣姿の男の背中だった。

 白衣の姿の男は、真っ白な頭をボリボリと掻き、背中を丸めている。

 その正面には、もうひとり話し相手となる男がいるのだが、その姿は白衣の男の背中に隠れて見ることができない。


「……なんか、計画がどうとかって話てるっぽいけど、なんだろね?」


「それに、女がどうとかって言ってますから、これはひょっとすると……ひとりの女性を二人の男性が奪い合っているドロドロな恋愛模様かもですよカナデさん!」

 

「ヒルドちゃん、なんでそんな嬉しそうなの?」


 人様の色恋沙汰に瞳を輝かせるヒルドに、カナデが呆れたような目を向ける。

 万年、人の不幸は蜜の味とよく言われるが、それを露骨に楽しんでいるヒルドの発言をカナデはどうにも受け入れ難かった。


「どっちが本命なんでしょうか? それとも、二人とも遊び相手だったりとか!」


「いやいや。それ、当人たちからしてみればガチで笑えないやつじゃ――」


「あぁ? なんなのお前たち?」


『!?』


 がさりと音がしたあと、すぐ傍から聴こえた気怠そうな男の声に二人が戦々恐々として視線を戻すと……白衣の姿の男が茨の壁を突き破り上半身をこちらに晒していた。


『……ぎぃやあああああああああっ!?』


 つんざくような女子二人の悲鳴に、白衣の男はカエルのようにギョロリとした眼を細めると、ギザギザとした鋸歯をギッと噛み合わせて顔をしかめた。

 その時、茨の壁の向こうにいたもう一人の男がその場から逃げるように去ってゆく姿をカナデは見逃さなかった。


「あぁ? ダリぃなぁ〜……お前ら、なんなの?」


「あわわ……わ、私たちは、ここでお昼ご飯を食べていて……」


「あぁ? 昼飯ね……あっそ」


 そこまで言うと、白衣の男は退屈そうに鼻を鳴らして茨の壁から上半身を引き抜き、そのまま何事もなかったようにどこかへ去って行った。

 それを確認し終えたヒルドは、耳元で早金を打つ自分の心音を抑えるように胸元に手を当て、乱れた呼吸を整えようと努めていた。


「さ、流石にびっくりしましたね……これからは、覗き見することを自重しますよホント」


「……さっきの人」


「へっ? どうしたんですかカナデさん?」


「ううん。今の白衣を着た男の人とは別に、もうひとり向こう側にいたんだけど……」


「それがどうかしたんですか?」


 訝るようにそう尋ねるヒルドに、カナデは記憶を巡らせると、なにかを思い出したようにハッとして呟く。


「……もうひとりの人、さっき、つーくんを連れてった人だった」




 



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