第67話 名もなき聖剣

 師匠の研究室をあとにした俺たち四人は、レイピアさんきってのお願いを受けて、今度は彼女の研究室へと立ち寄っていた。


「ちょ、散らかっていますけど、どうかお気になさらないでくださいね?」


「これがちょっと……ねぇ」


 デスクやら床に散らばっていた書類をそそくさと拾いながら、レイピアさんが苦笑いを浮かべて研究室の片付けをしている。

 そして、その光景を目の当たりにしている俺たちは呆然としていた。


 床に散らばった書類の束だけならまだしも、着ていたであろう白衣や衣服などが、だらしなく放置されていた。

 レイピアさんは、優しくてグラマーな美人だけど、部屋を片付けられない女子のようだ。


「空き巣にでも入られたみてえな惨状だな……ん?」


 ふとした拍子でレイピアさんのデスク前にあったキャスター付きの椅子に視線を落とすと、その背もたれに神々の神器らしきものが垂れ下がっていた。


 俺は椅子の背もたれにかけられた薄紫色のブラ……ではなく、神々の神器をサッと手に取り、研究室の片付けを手伝うカナデとヒルドに背を向けると、それを顔に押し付けここぞとばかりに息を吸い込んだ。


「……ほぅ、悪くない」


「つーくん、なにしてんの?」


 背中にかけられた凍りつくような冷たい声音にピクリと反応し、手に持った神々の神器をそっと椅子の背もたれに戻すと、俺は何事もなかったように振り返り、カナデに微笑んだ。


「どうしたカナデ? なにかあったのか?」


「すっとぼけんなし!? 今、明らかにレイピアさんのブラジャーを顔に押し付けていたっしょ!」


「バカを言え。俺は今、研究室の片付けを手伝っていただけだぞい?」


「ぞいってなにキモっ!? つーか、アタシの目は絶対に誤魔化せないかんね!」


 ……チッ。目ざとい女だ。

 本当なら、ブラジャーとショーツの両方を堪能しようと思っていたのだが、その計画がこれでパァだ。


 俺の顔を指差して激昂するカナデの声に、離れた位置で片付けをしていたヒルドと、洗濯物を抱えたレイピアさんが「なにごとですか?」と、こちらに歩いて来た。


「レイピアさん。こんなとこに下着とか置いてたら、つーくんに盗まれちゃうよ?」


「え? 下着って……ひゃあああああっ!?」


 椅子の背もたれにかけられてい自身の下着に気付いたのか、レイピアさんが素っ頓狂な声を上げて突っ込んできた。

 その勢いで突き飛ばされた俺は、背後にあった大きなガラスケースに背中を強打して地面に蹲った。


「あ! ご、ごめんなさいツルギさん!」


「いや、謝るくらいなら突き飛ばさないでくださいよ……。ていうか、レイピアさん。これは?」


 鈍痛を伴う背中を擦って、俺が背後にあったをガラスケースを指差すと、レイピアさんが眼鏡のフレームを指で抑え、こそばゆそうに頬を掻く。


「それは、私が開発した聖剣なんです」


「へぇ〜。これがレイピアさんの聖剣ですか?」


 ガラスケースの中にある台座に突き立てられたその剣は、刀身が細い突剣だった。

 拳を守るような形状をした持ち手部分は金色の装飾が施されており、気品があるというか、なんとも上品なデザインだ。


「この聖剣は私が初めて造ったものなんです。どうでしょうか?」


「凄いじゃないですか! しかも、とても綺麗で扱い易そうなのに、どうしてガラスケースの中に納めたままなんですか?」


 顎先に人差し指を当てると、ヒルドが不思議そうに小首を傾げる。

 すると、レイピアさんが困ったように笑った。


「それはなんといいますか……この子に問題があると、周囲から言われているからなんですよね」


「問題、ですか?」


 俺が聞き返すと、レイピアさんが小さく頷く。


「はい。この子は、を選んでくれないんです。本来聖剣は、完成したあとに適正者を自らが選出し、無事に契約を終えて初めて聖剣として認められるのですが、この子だけはどんなに試してみても適正者を選出してくれなかったんです」


「え? 精霊が聖剣を選ぶんじゃないんですか?」


「いいえ。を選ぶんですよ?」


 レイピアさんはそう言うと、ガラスケースの中に納められた聖剣を見つめてケースの表面を指先で撫でた。


 前にエクスが話していた事を思い出したけれど、まさかその選出方法が、精霊が聖剣を選ぶのではなく、聖剣が精霊を選んでいるとは知らなかった。


「精霊を選出できない聖剣は不良品と判断され、廃棄処分となってしまうのですが、この子は私が初めて造った聖剣なので、どうしても破棄されてしまうのが嫌でした。それで、私はこうやって自分の研究室に飾っているんです。勿論、それを博士に伝えたら怒られちゃいましたけどね?」


 ははっと、乾いた笑いを漏らしたレイピアさんの表情はどこか物悲しげであり、その横顔を見ていた俺たちも複雑な気持ちになった。


「一応、破棄されることは回避できたのですが、いつまでもオブジェにしているわけにもいかないと頭の中でわかってはいるんですけどね。それでもやっぱり……」


 確かに、自分が手塩にかけて造り出した物を破棄されると言われたら嫌だと言いたくなるのは当然だ。

 ましてやそれが、初めて造った物であるならば尚の事だ。


「ちなみに、この子には他の聖剣にはないな能力が備わっているんですよ。それを活かせないまま終わりになんて私は絶対にしたくありません!」

 

「へぇ〜。この聖剣には特質な能力があるんですか。ちなみに、それってどんな能力なんですか?」


 こともなげに俺がそう訊くと、レイピアさんがえっへんと胸を張った。


「それは、『アンチウィルス』です!」


「……っ」


 ……どうしよう。その能力を聞かせれて、まったく使い用途が見えてこない。


 両手を腰に当て、ドヤ顔をするレイピアさんに俺が言い淀んでいると、隣に立つヒルドが挙手してきた。


「あのぅ、レイピアさん? そのアンチウィルスって、パソコンとかに入ってる保護プログラムですよね? でも、聖剣は魔剣を倒すための武器なんですから、それって必要なくないですか?」


 ……言っちゃったよ。それは一番触れてはいけないデリケートな部分なのに、ヒルドがツッコんじゃったよ。


 悪気もなくその点に触れてきたヒルドに、額から冷や汗を流してレイピアさんが硬直する。

 やはり、彼女自身もその能力について思う所があったようだ。


「そ、そんなことはありませんよヒルドさん! だって、聖剣とはいっても、独自のAIコンピュータを内蔵した兵器ですから、つまり、ウィルスに侵される可能性だってあるかもしれないじゃないですか?」


「あの、ツルギ先輩。エクスさんの聖剣がコンピュータウィルスに侵されたことなんてありましたか?」


「え……いや、ないと思うけど」


「じゃあ、必要ないじゃないですか」


 ……鬼ね。この子、鬼だわ。


 自身の理論をバッサリと切り捨てられ、レイピアさんが涙目で鼻を啜り始めた。

 どうしよう。フォローの入れ方がさっぱりわからねえ……。でも、レイピアさんを助けてあげないと、流石に可哀相だ。


 そんな事を思いながら、俺が言葉を探していると、ヒルドが更にたたみかける。


「あのぅ、実はその余計な能力が原因でこの聖剣が精霊を選出できないとか、そういう可能性もあるんじゃないでしょうか?」


「それはないと断言できますぅー! ただ、この子が精霊を選出しないのはその……ヒック……性格というか、そういう……エグッ」


 ……やめたげてよヒルドぉっ! レイピアさんのライフはもうゼロだよぉ〜っ!?


 冷静なヒルドの返答にレイピアさんの語気から力が失われてゆく。  

 そのあまりにも無残な姿に俺が心を痛めていると、不意にカナデが口を開いた。


「多分、そういうの関係ないっしょ。アタシが思うにこの子が精霊を選出しないのは、その精霊たちに原因があるような気がするけどね?」


 レイピアさんの話を隣で聞いていたカナデが、ガラスケースの中の聖剣をジッと見つめてそう呟く。

 その根拠のない台詞にレイピアさんは表情を崩すと、泣き顔でカナデに抱きついた。


「ヒック……カナデさんには、この子の気持ちがわかるんですね! 私もこの子に問題があるなんて微塵も思っていないですぅ〜!」


「なんていうかさ、この子って凄く繊細な感じっていうか、人見知りで寂しがり屋みたいな気がするんだよね? アタシみたいに」


「んん? どこの誰が繊細で人見知りで寂しがり屋だこら? お前にそんな可愛らしい一面がひとつでもあったか?」


「んなっ!? 失礼過ぎっしょそれ! アタシってば、超絶繊細だし、人見知りだし、寂しがり屋だしぃ〜っ!」


「安心しろ。それは気のせいだ」


「むぅーっ! ホント、つーくんムカつくし!」


 瞳を細めた俺にカナデがぷーっと頬を膨らます。

 カナデのようなスポーティ系女子が繊細で寂しがり屋を語るなど片腹痛い。

 それを語るならエクスの事だろう。

 俺はそう思う。


「カナデ、お前は強い。故に、ひとりでも生き抜ける逞しさがある!」


「その根拠なに!? つーか、つーくんはアタシのことわかってなさ過ぎだし!」


「バカを言え。俺はお前のことを誰よりもわかっているぞ」


「え!? そ、そう?」


 急に頬を染めて、モジモジとするカナデを見つめながら俺は優しく微笑む。


 まったく、俺がどれほど長くつるんでいると思っていやがるんだコイツは。

 俺はカナデと出会ってから、ずっと彼女を見てきた。だからこそ、わかることだってあるんだ……。


「カナデ、お前は……」


「うんうん! アタシは、なに?」


「Dカップだ」


「は?」


「だから、お前のバストサイズはDカップだろ? ちなみにエクスはEカップだ」


「アタシのことをわかってるって、バストサイズのことだけ!? つーか、最低すぎっしょそれっ!」


「え? ダメなの?」


「んもぅ! ホント、殺すし〜っ!」


 あっれ〜? おっかしいな〜? 

 俺は誰よりもカナデのことをわかっていたつもりなんだけど、なんか怒られちったぞ?


 目尻を吊り上げ、本気で俺を絞め殺そうとしてくるカナデに割とマジでびびった。

 でも、そんなカナデを宥めるように、レイピアさんが間に入ってくれた。


「まぁまぁ二人とも落ち着いてください。とにかく、生みの親として私が願うのは、この子が精霊を選んで立派な聖剣になってくれることですよね」


 我が子をいつくしむような優しい表情で、レイピアさんはガラスケースの中にある聖剣を見つめた。

 それを横目で見ていたカナデは俺を見てからフンッと鼻を鳴らすと、レイピアさんの隣で同じように聖剣を見つめていた。


「あ! そろそろお腹が空いてきましたよね? 時間もちょうどランチタイムですし、四人でアヴァロン内にあるレストランにでも行きませんか?」


 レイピアさんの提案に女子二人の表情がパアッと明るくなる。

 時刻もちょうど昼過ぎだ。

 それなら、それを断る理由はない。


「いいっすね。そんじゃ、行きましょうか!」


「アタシはパスタがいい!」


「私もカナデさんと同じで!」


「はいはい。それでは、移動しましょう」


 と、俺たちが外へ出ようとしたその直後、研究室内にブザー音が鳴り響いた。


「あら? 誰か来たみたいですね……あっ」


 レイピアさんはパタパタとした足取りで研究室の入り口に向かうと、ドアの横にあるモニターを覗いてその表情を強張らせた。


「どうして、彼がここに?」


 そのただならぬ雰囲気に俺達三人は、互いの顔を見合わせて首を傾げた。

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