第36話 男子なら、誰もが一度はしてみたいこと

 燦々と輝く太陽が、我が家の庭先を照らしている。

 ハンガーに吊るされた洗濯物がずらりと並び風に揺られているさまをみて、俺はふぅっと息を吐いた。


「よし、今日もいい天気だな!」


 石囲いの小さな池で泳ぐ金魚たちも、いつもと違ってどこか上機嫌な様子で泳いでいるように見える。

 まさに、充実した休日の早朝。

 平和とはなんて素晴らしいんだ!


 快晴の空の下で洗濯カゴに詰め込まれた洗濯物を干しながら、俺は穏やかな日常を堪能していた。


「さて、あとは物干し竿にシーツを干して……ん?」


 洗濯カゴに手を伸ばした俺の視界に、それは突然現れた。


 薄い白生地の小さなクリーニングネットから微かに見える赤い色。

 俺はそれをネットから静かに取り出すと、両手で広げて太陽へとかざした。


「……コレが、神々が人類に与えた聖なる神器というわけか」


 太陽光に晒された細く三角形を成したそれは、薄手でありながらも真っ赤な薔薇のようにその存在を強く主張していた。

 両サイドから中心に向かって施された刺繍は、巻き上がる炎をイメージしたようであり、どこか攻撃的だ。

 それを両手の人差し指と親指で横に広げてみると、二つの大きな穴が空いており、向こう側の景色がよく視えた。

 あれ? ひょっとして、これをこのまま顔に被れば……。


「……スパイダメェン」


 ちょっと、ネイティブ風に言ってみたりする。

 ともかく、このけしからん神々の神器をもっと詳しく調べる必要があるな。

 俺はその真っ赤な神器をそっと顔に被ると、これでもかというくらい深呼吸をした。

 そして――。


「……フオォォォォォォォォォッ!」


 高らかに歓喜の声を上げた。


「なにしてるの、ツルギくん?」


 背後から聴こえた冷たい声音に振り向くと、部屋着の上にピンク色のエプロンを着た金髪の美少女が、オタマを片手に呆れた表情で縁側に立っていた。


「……アイム、スパイダメェン」


「うん、違うよね。スパイダーの要素が微塵もないよね? というかそれ、私の下着だよね!?」


 シルクのような光沢のある長い金髪。

 そして、色白な肌に碧眼の可愛い顔立ち。


 そしてなにより、華奢な身体付きでありながらセックスシンボルが見事な成長を成し遂げている白人美少女。

 チャームポイントである頭のアホ毛が左右に振れながら激昂している彼女こと、俺のパートナーである『エクス・ブレイド』は、目尻を吊り上げながらプンスカ怒っていた。


「おいおい、そんなに怒るなよエクス。俺はただ、洗濯を干すついでにアメコミのヒーローごっこをしていただけだぜ?」


 俺が手首から糸を飛ばすようなポーズをすると、エクスが頬を引き攣らせてこめかみを押さえた。


「ヒーローごっこをするのは自由だけど、私の下着を顔に被ることだけはやめてくれるかなぁ~?」


「わかった。それならこうしよう」


「だからって、頭に被るのもなし! んもぅ、どうしてツルギくんはそういうおかしなことを平然とするかなぁ~」


 エクスはがっくり肩を落とすと俺に歩み寄り、頭に被っていた神々の神器をひったくるように奪った。

 頭に装備した神々の神器を奪われ、その名残惜しさに俺が両手を伸ばすと、エクスが顔の前で人差し指を立ててくる。


「いい? 今後は、私の下着を顔や頭に被ったりしないこと。わかったかな?」


「わかった。でも、俺はただ……」


「ただ?」


「なんというか……もっと、エクスを身近に感じたかっただけなんだ」


「えっと、どういうこと?」


 青い瞳に当惑の色を浮かべてエクスが小首を傾げる。

 俺はその瞳を真剣に見つめながら話を続けた。


「こうやって、エクスの洗濯物を顔に押し付けると、お前がすぐ傍にいるような気がしてとても心が落ち着くんだ」


「そ、それなら、私の近くに居ればいいと思うけど……」


「それじゃダメなんだ! 例えば、お前が料理をしている時に、俺が後ろから抱きついて『エクスたん、しゅき〜』とか言って、その首筋をクンカクンカしてきたら困るだろ?」


「困るというか、普通に引くと思うけど……」


「だろ? でもな、俺はいつでもエクスの傍にいて、お前の温もりと優しい匂いを感じていたんだ。でも、それができないからこそ、使用済みの下着……じゃなくて、洗濯物の匂いを嗅いで癒されているんだ」


「ねぇ? 今、とても聞き捨てならない台詞が聴こえたけど気のせいかなぁ~!?」


 ……おっと、いけね。危うく口を滑らせるところだった。


 別に俺はエクスの使用済み下着の匂いを嗅いで、『変態さんですね?』みたいな愚行をしたことはない。

 しかし、たまたま洗濯機の上に彼女のすんばらしいブラジャーが置いてあったから、それを眼鏡に見立てて遊んでいたことはある。

 だがその際に、ブラジャーから仄かに香った甘いエクスの匂いがとても忘れられなくて、こういうクセがついてしまったのだ……。


「あのさ、ツルギくん。そういうことを私の見ていないところでしていたら、流石にちょっと引くよ? というか、ツルギくんのことを嫌いになっちゃうかもよ?」


「ごめんなさいもうしません。だから俺を見捨てないでエクスぅっ!?」


「いや、必死すぎでしょ!? まぁ、そんなことはないと思うけど、なんというか――」


「ん?」


 ――そんなに私の匂いが好きなら、いつでも嗅いでくれればいいのに。


「なん……だとぅ!?」


 恥じらうように頬を染めながらそう口にしてきたエクスに、俺は目を見張る。


 いつでも嗅いでいい……だと!?

 それはつまり、料理中に後ろから抱きしめてクンカクンカしながら、エッチなことをしてもオッケーということなのか!?


「やっほー! つーくんにエクスちゃん、おっはよ〜」


「なぁ、エクス。それなら、今からお前を抱きしめて思いっきり匂いを嗅いでもいいか?」


「え、ちょ……アタシのこと無視とか酷くない?」


「べ、別にいいけど……ここだと恥ずかしいから、部屋の中にしてね?」


「いやいや、エクスちゃんも無視するとかそれ酷いっしょ!?」


「まったく、お前は本当に恥ずかしがり屋さんだな? わかったよ、それなら俺の部屋でゆっくりと――」


「無視すんなぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 亜麻色の髪に緩やかなウェーブパーマをかけた髪。

 健康的な肌には張りと艶があり、俺のパートナーであるエクスに引けを取らないプロポーションの持ち主。

 彼女が街中をひとたび歩けば、並大抵の男子は挙って振り返ることだろう。

 ただ難点を挙げるとすればそれは、ちょっとおバカでカマッテちゃんな部分がある俺の親友兼同級生こと『十束カナデ』は、エクスの腰にそっと回した俺の片手をガシッと掴み、目くじらを立てて叫んできた。


「なんだカナデか。いつからそこにいたんだ?」


「いや、さっきからずっと居たし! ていうか、つーくんだけならまだしも、エクスちゃんも無視とか酷くない!?」


「ひゃあっ!? か、カナデさん……いつの間に来ていたの?」


「ガチで気付いてなかったの!? それ、マジでショックなんですけどっ!」


 プンスカ怒りながら、腕組みして頬をふくらませるカナデに、エクスが両手を合わせてごめんと頭を下げる。

 どうやら、本当にカナデのことが見えていなかったらしい。


「んで、今日はなにをしに来たんだ? そんなよそ行きの格好なんてしやがって、またひとりで買い物にでも行くのか?」


「またってなに!? ていうか、ひとりで買い物なんて言ったことないし! ていうか、そんな話じゃなくてコレを見てよ」


 悪態をつく俺を他所にカナデはハンドバッグの中に手を突っ込むと、そこから三枚の紙切れを取り出した。


「ジャジャ~ン! コレ、なんだと思う?」


「どうでもいいわ」


「興味なさ過ぎっしょ!? ちょっとは、気にしてよぉ!」


「カナデさん……それって、まさか!」


 素っ気ない俺とは別にカナデが持つチケットらしき物を見た途端、エクスが瞳を輝かせる。

 その反応を見たカナデは、勝機を得たと言わんばかりに豊かな胸を張ってドヤ顔を決めた。


「これはね、つい最近オープンしたばかりの超絶有名なテーマパークの……入場券で〜す!」


「へ〜」


「うわあ〜っ! スゴイ、スゴイ!」


 その場でピョンピョンと跳ねながら拍手をするエクスを見るに、カナデが持ってきたそのチケットは彼女にとって、とても魅力的なものなのだろう。

 だが残念なことに、俺はそのチケットよりも、ぽよんぽよん跳ねるエクスの胸の方が魅力的で仕方なかった。


「前にさ、エクスちゃんが遊園地とか一度も行ったことないって話していたからさ、うちのパパに頼んで買ってもらったんだよね〜」


「パパだと? かぁ〜っ……お前は随分と厭らしい女に成り下がったもんだな。正直、失望したぞ?」


「いや、そういうパパじゃないし!? 普通にリアルパパだし! ていうか、つーくんはいつもそういうことしか言わないからマジムカつくしぃ〜……」


 ギリギリと歯軋りをしてカナデが俺を睨んでくる。

 ……あらやだこの子、マジで怖いわん。

 とっても小粋な冗談のつもりで言ったのだが、当のカナデは親の敵でも見るように睨んでくる。

 その表情から察するに、この先で面倒な展開になるような気がして、素直に謝ることにした。


「悪かった。マジレスしないでくれ。んで? そんなチケットを持ってきてどうするつもりだったんだ?」


 俺がそう訊くと、カナデはふんすと鼻を鳴らす。


「その理由を知りたいなら、つーくんがアタシに優しくしてくれなきゃ教えな〜い」


「わかった」


「え? ちょ、きゃあっ!? なんでいきなり胸を触ってくるし!」


「え? だって、お前が優しくしてくれっていうから、俺はそのけしからんおっぱいにで優しくしてやろうと……いたたたっ!?」


 などと口にしていたら、エクスに思いっきり脇腹をつねられた。


「どうしてツルギくんはそうやって、他の女の子にもエッチなことをするかなぁ〜!」


「わ、わかった! もうしません許してくださいエクス様っ!?」


 激痛が走る脇腹を擦り俺が土下座して謝ると、エクスが腕組をして頬を膨らませる。

 その隣では、カナデが妙に顔を赤くしてもじもじとしていた。


「ごめんねカナデさん。ツルギくんにセクハラさせちゃって」


「へっ!? あ、アタシは別にそんな、き、気にしてないっていうか……」


「カナデさん?」


「つ、つーくんがアタシをちゃんと女の子としてな目で見てくれていたのが……なんか、嬉しいし」


「え、え〜……」


 カナデによるまさかの発言にエクスが唖然とする。

 そんな二人を俺がほくそ笑みながら見つめていると、エクスが強引に話を戻した。


「と、ところでさ! そのチケットどうしたの?」



「はえっ? あぁ、コレね! 前に学校でエクスちゃんが遊園地に行ったことないって言ってたから、三人で行こうと思って持ってきたっしょ」


「そうだったの!? ありがとうカナデさん!」


「なるほどそういうことか。んで、その遊園地にはいつ行くつもりだったんだ?」

 

「えっ? そんなの今に決まってるっしょ」


「……ん?」


 呆けた顔をして小首を傾げるカナデに俺もエクスも同時に首を傾げる。

 どうやら、俺たちはこれから三人で遊園地へと出掛けるようだ……。


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