第10話 つーくんのバカ!

 午後一時を過ぎた。

 現在、ファーストフード店内で昼食を摂る俺たち三人の空気は、まさに最悪だった。


「……」


「……」


「……」


 ……お、重い。この空気は重すぎる!


 なんかわからんけど、俺の正面にはムスッとしたカナデが座っており、時折こちらを見てはプイと顔を背ける。

 そして、俺の隣に腰を下ろすエクスは、注文した商品に無言でかじりついていた。


 この場に立ち込める雰囲気が悪すぎて、口に入れたハムサンドも不味く感じてしまう。昼食くらい穏やかに食べたいものだ。

 しかし、この空気どうしたものか……。

 うん、そうだ。会話をしよう!


「あ、あのさ? お互いの自己紹介も終えたことだし、そろそろ話し合わないか?」


「なんで? マジで謎っしょそれ?」


「それって、必要なの?」


「……ね~」


 ……やだなに超怖いんですけど、うちの女子二人。

 話しかけるのも嫌になるわん。


 相変わらずエクスとカナデの二人が険呑な雰囲気を放っている。

 この二人を混ぜ合わせたら、危険な化学反応とか起こしそうでマジ恐かった。


「あのさ~、そろそろ話すとかしてくれねえか? あまりにも気不味くて、昼飯も不味いんですけど……なんちゃって?」


「……」


「……」


 なんかもう、ホントに泣きそうだった。


「コホンッ。それじゃあ、そろそろツルギくんが可哀想だから、私が助け舟を出してあげようかな?」


「え、エクス……」


 にっこりと微笑んでそう言ってくれたエクスが、マジで女神に見えた。

 やっぱり彼女は最高のパートナーだ。エクスたん、だいしゅき~。

 あとはこの、不貞腐れたカナデの機嫌を改善できればいいのだが……。


「えっと、カナデさんだっけ? アナタには悪いけれど、ツルギくんから手を引いてもらえるかな?」


「ぶふうっ!?」


 耳を疑うようなエクスの発言に、俺は口に含んだお茶を盛大に噴き出した。


「ツルギくん。これでオッケーだよね?」


「全然ダメだよそれ!? どこもオッケーになっていないし余計ややこしいだろ!」


「そうかな? 私はツルギくんのパートナーとして正しいことを言ったつもりだけど?」


 形の良い唇に人差し指を当て、エクスが小首を傾げる。

 すると今度は、眉根を吊り上げ、カナデが身を乗り出してきた。


「は? つーくんのパートナーとか意味わかんないし! てか、そんなのアタシは認めないし!」


「アナタが認めなくても、私は彼と運命を共にするパート――もふっ!?」


 口を滑らせるエクスの口を俺は慌てて塞ぐ。

 よもやエクスは地雷だ。

 これ以上、なにもしゃべらせない方がいいだろう。


「エクスぅ~? ちょ~っと、黙ってようか?」


「どうして? この先のことを考えても、彼女には本当のことを説明した方がいいでしょ!」


「それはわかる……。それはわかるけれど、もっとオブラートな感じで包んでくれないかな!?」


「ねえ、つーくん」


「なんだ?」


「その『おぶらーと』で包むってなに? なんとか熟語?」


 奇跡のバカがここにいた。

 どうやら、カナデは俺の言葉の意味を理解していないらしい。

 いや、待てよ? それならこれを利用して、カナデを欺けるかもしれん……。


「……カナデ。実はな、オブラートというのは、高級スイーツのことだ」


「ええっ!? そうなの!」


 驚いたように目を瞠るカナデに、思わず笑いそうになった。

 無論、そんなわけがない。オブラートはオブラートだ。精々粉薬を包むくらいしかできない。

 だが、この流れで上手く話しを躱せるかもしれん。


 勝機を得たと言わんばかりに悪知恵を働かせる俺を、エクスが呆れたような目で見つめてくる。

 彼女が言いたいことはよくわかる。

 だけど、今はこの面倒な誤解を解けるかどうかが重要だ。

 

「クックックッ。お前にはずっと秘密にしていたが、俺とエクスはこの世で最も製造が難しいとされた究極のスイーツ『オブラート』を完成させようとしているんだ」


「そうだったの!? てか、つーくんがそんなこと考えていたなんて知らなかったし!」


「まあそうだろうな。そこで俺は、ここにいるエクスと出会い系で知り合い、お互いの目的を共有し合おうとして――」


 と、言いかけたとき、カナデがマドラーを外してカップの中身を俺の顔にぶちまけてきた。


 突然訪れた予想外の展開に店内が騒然とする。

 隣に腰かけているエクスも、俺のことを見つめて呆然としていた。


「……ホント、つーくんて最低。もう少しマシなウソついたら?」


 カナデの口から放たれた冷たい言葉と、冷たいカフェラテのおかげで俺は冷静になった。

 カナデは少しズレていて、常識がないけれど可愛げのあるおバカだ。

 でも、そんな彼女を俺はバカにし過ぎた。

 

 前髪から滴るカフェラテが、テーブルの上へポタポタと落ちる。

 それを袖口で拭おうとしたら、エクスが慌ててハンカチを取り出し俺の顔を拭いてくれた。


「だ、大丈夫ツルギくん!?」


「ああ。問題ねえ……」


「ていうか、つーくんてば、アタシのことナメ過ぎっしょ? つーくんのそういうところ、ホント嫌い」


「……嫌いで結構だよ、このバカたれ。俺がエクスとどうこうしようと、お前には関係のねえ話しだ。これ以上、あーだこうだ言うな」


「……関係、あるし」


「ねえだろ」


「あるって、言ってんじゃん!」


「ねえよ! 少なくとも、俺からすれば迷惑なんだよそういうのが!」


 俺の怒号が店内に響くと、エクスがあたふたとする。

 そして、俺の正面に立つカナデは下唇を噛むと、手にしたマドラーをギュッと握りつぶした。

 

「……これ以上、お前と話すことなんてなにもねえ。エクス、帰るぞ!」


「え? でも……」


「いいから帰るぞ!」


「そんなの……勝手すぎるし」


「あ?」


 席を立ち、出入り口へ向かおうとした俺の服をカナデが掴んできた。


「……つーくんは、いっつもいっつもそうやって、自分勝手だし」


「だからなんだよ? お前に迷惑かけたことなんて一度もねえだろ?」


「迷惑なんてかけてない……でも、アタシは――」


 俺の服を掴むカナデの右手が震えていた。

 それに気付いて視線を下げると、カナデのテーブルに幾つもの水滴が落ちていた。

 

「お、おい、カナデ……どうして、泣いているんだよ?」


「どうして彼女ができたことを教えてくれなかったの!? なにも知らないで浮かれていたアタシがバカみたいだし!」


 瞳から溢れ出る涙を袖口で拭いながら、カナデが俺の顔を睨みつけてくる。

 初めてカナデの泣き顔を見た気がした。

 その瞬間、俺は耐えがたい罪悪感に心を締めつけられ、胸が苦しくなった。


「酷いよ……ホント、酷すぎだし……」


「あ、いや、その……」


 ダメだ。言葉が浮かんでこない。

 涙するカナデを前に、なんと言葉をかけるべきなのかわからない。

 そりゃそうだ。俺はカナデと喧嘩したこともなければ、泣かせたことなんて一度もない。

 それだからこそ、この状況の対応策がわからないのだ。


「えっと……ち、違うよ、カナデさん! 私とツルギくんは、付き合ってなんか――」


「うっさい! いきなり人の前に現れて、つーくんとイチャイチャしてなんなの!? アタシの方が、つーくんと先に知り合っていたのに……」


「だ、だからそれは……」


「うっさいってーの! マジで話しかけんな!」


 カナデに怒鳴られてエクスがたじろぐ。

 俺を庇うためにフォローを入れようとしてくれたようだけど、今のカナデには逆効果だ。


 目元の涙をぐしぐし拭うとカナデが席を立つ。

 その姿を俺が無言で見つめていると、カナデが振り向きざまに言う。


「つーくんのバカ! もう知らないし! 勝手に彼女とか作って死ね! てか、ライオンか何かに噛まれて死んじゃえ!」


 カナデはそう言い残すと、出入口の方へ走り去って行った。

 その後ろ姿を見つめて俺が立ち尽くしていると、エクスが袖口を引いてくる。


「……ツルギくん、ごめん。私が余計な事を言ったから、あの子……」


「別にお前が謝ることなんてねえよ。あいつが勝手にキレて帰っただけだ。それより、ここに居るのも気不味いから、そろそろ出ようぜ?」


 俺がそう言うと、エクスが意気消沈した様子で頷いた。


 背後から感じる多くの視線が鬱陶しい。

 それは嘲笑だったり非難だったり色々あるけれど、なにより俺が苛ついていたのは、あの場でカナデを泣かせてしまった自分自身だった。


「……クソッ。どうしろってんだ」


 カナデの姿はもう見えない。見えたところで俺がなにかをしてやれるはずもない。

 あいつとの友人関係は、おそらくこれで終わりだろう。

 そう思うと、意外と呆気ない幕引きだったかもしれない。


 その日、俺とエクスの二人は、罪悪感という最悪の手土産を持ち帰る形でその場をあとにした。

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