第31話 グラムの脅威
肉を貪るような音と骨を砕くような音……それと、なにかを啜るような音がフロア内に響く。
おそらく、グラムがアーサーのことを喰っているのだろう。
「うぅっ!?」
黒い球体から背を向けると、エクスが口元を押さえた。
フロアに漂ってくるこの鉄さびのような臭いと生臭さは、吐き気をもよおすのに十分だった。
「エクス、俺から離れていろ」
「ツルギくん、どうするつもりなの?」
「奴を叩くなら今がチャンスだ。それに、さっきからあの球体がどんどん肥大化しているのが気になってならねえ……」
大型トレーラーほどの大きさまで肥大化した黒い球体に、俺は聖剣を構えてじりじり接近してみる。
先ほどまで聴こえていた不快な音も現在は静まりかえっていた。
「蛇が出るか鬼が出るか……。どちらにせよ、戦う事にはなるだろうけどな」
「あら。鬼だなんて酷いですわね?」
「!?」
球体の中からグラムの声が聴こえた刹那、その場から反射的に飛び退いた俺に向けて球体から鋭い角が飛び出してきた。
それを咄嗟に躱して後退すると、角が飛び出した箇所を起点として黒い球体の中心に大きな亀裂が広が入る。
すると、卵から孵化する雛鳥のように球体を破り捨て奴が現れた。
「ウソッ……」
「これが……グラムかよ?」
俺たちの前に再び姿を晒したグラムは、四階建てのビルに匹敵するほどの巨躯を有していた。
二本角が生えた漆黒のヘルムと禍々しいフルプレートアーマーを持つその容姿は、一見するとアーサーと同じように見えるが、ヘルムには面貌がなく、鎧の所々には赤い炎のような模様が描かれていて、より分厚く堅牢な物に変化していた。
ただそれよりも、俺が一番驚いたのは、人間だったグラムの顔が狼のように変わっていたことだった。
「ンフフッ。この姿になったのは、実に三年ぶりでしょうか……。アーサー様のおかげで完全復活できましたわ」
大きく裂けた口元に手を添えて赤い双眸を笑ませるグラムの姿に、俺の脳裏になにかが過った。
おそらくだけど、俺はこの姿をどこかで見た記憶がある。
「……巨大な黒い影に二つの赤い光。まさか、母さんから送られてきた写メに写っていたのって……!」
「あら? わたくしの姿をご存じで?」
「おい、グラム……テメェに一つ聞くが、三年前にお前は海外にあるリゾート地に居たことがあるか?」
恐る恐る俺が問うと、グラムが灰色の獣毛に覆われた頬に手を当て首を傾げる。
「……海外のリゾート地? あら、懐かしいこと! 確かに、三年前にそのような場所に訪れた機会がありますわね。とはいっても――」
「?」
「そこにいた人間を全員殺して食べたことしか覚えていませんけどね?」
肩を竦めてそう言ったグラムに、俺は一瞬で頭に血が昇った。
コイツが、親父と母さんを――!
「グラアアアアアアアアアアアアアムッ!」
「あら? 急になんでしょう?」
おどけるグラムに聖剣を構えて飛び出すと、俺は奴の片脚から顔の高さまで一気に駆け上り、その顔面に向けて一閃を放った。
だが、その一撃に対してグラムは頭を振ると、ヘルムで防いできた。
「ちょっと、いきなり不意打ちとは随分と無礼ですわね。それでも剣士ですかアナタは?」
「うるせぇ! テメェだけは絶対にぶち殺してやるっ! エクス、サポートは任せたぞ!」
「待って、ツルギくん! 作戦もなしに戦うなんて危険すぎるよ!?」
「構うもんか! こいつは俺の両親の仇だああああああああっ!」
全身が憎しみと怒りに震えて仕方がなかった。
身体を駆け巡る血液が沸騰しているような感覚がして、今にも爆発しそうだ!
両手の聖剣でグラムの足元や胴体を何度も斬りつける。
しかし、重圧なその装甲に傷ひとつつけることができなくて、俺は歯噛みした。
「そんなことしても無駄ですわ。アーサー様が纏っていた鎧とは違って、装甲も分厚くなっていますから貴方が何度斬りつけようとも傷などつけられませんわ」
足元にいる俺を見てグラムが口の端を吊り上げて嗤う。
その顔を見上げて俺は舌打ちをすると、再び奴の脚甲に飛び乗り一気に顔面まで駆け上がった。
「鎧が硬くてダメってんならぁ……その目ん玉を抉りだしてやるあああああああああ!」
「あら怖いこと。でも、それもまた無駄なあがき――」
グラムはコバエでも払うかのように片手を振ると、鎧を駆け上る俺を叩き落とそうとする。
振り抜かれた巨大な腕の隙間を掻い潜り奴の顔面まで到達すると、俺は再度聖剣を振り抜いた。
ヒュッと空を切る音がして、聖剣の刃がグラムの頬を斬りつけると、灰色の獣毛と共に奴の鮮血が舞い上がった。
やはり、鎧に覆われていない箇所ならダメージを与えられる。
そうとわかれば、徹底的にコイツの顔面を切り裂いてやる!
「痛ああああああああい!?」
俺が地面に着地してグラムを見上げてみると、奴は片頬を押さえて地団太を踏んだ。
「よくも……よくもレディの顔に傷を付けてくれましたわね!」
「なにがレディだこの化け物! 今からテメェの顔をズタズタにしてやんよ!」
「いい度胸ですこと……それこそ食べ甲斐があるというものですわ。でも――」
「!?」
強烈な突風に俺が顔をしかめた直後、グラムのつま先が真横から襲いかかってきた。
その不意打ちに反応できなかった俺は、グラムに蹴飛ばされ空宙を舞った。
「がはっ!?」
「油断し過ぎですわね。こう見えて、わたくしの動きは俊敏なのですよ?」
「ツルギくん!?」
グラムに蹴り飛ばされた俺はフロアの壁をぶち抜くと、隣のフロアに転がった。
激痛と酷い吐き気に悶絶しながら自分の鎧を見ると、腹部の装甲が大きく陥没していた。
この鎧を纏っていなければ、今の一撃で即死だっただろう。
「フフフッ。さぁ、愉しい鬼ごっこの始まりですわよ〜!」
俺が空けた壁の穴からグラムは覗き込んでくると、その赤い瞳をニヤリと笑ませた。
すると、片手に持った巨大な魔剣で壁をぶち破りこちら側のフロアへ侵入してきた。
「さぁ、セイバーさん。その身体を真っ二つにして食べてあげましょうか? それとも、ジワジワと手足をもいでから食べてあげましょうか?」
「ぐっ……どれも却下だよ、クソ犬がっ!」
「ああ〜ん! 怯えたその様子が、わたくしにとって最高のスパイスですわ〜!」
グラムは負傷した俺を見るなり、真っ赤な舌で口元をべろりと舐めてから巨大な魔剣を振りかざしてくる。
その光景を見上げながら聖剣を構えようとした瞬間……俺は総毛立った。
「あ……聖剣がねぇ!?」
先程グラムに蹴飛ばされた際に、俺は聖剣を向こうのフロアへ落としていた。
この状況下で武器を手放すなんて、最大のピンチだ!
「それでは、レッツ、ディナータ〜イム!」
そういうなり、上機嫌な様子で振り上げていた巨大な魔剣をグラムが一気に振り下ろしてくる。
その刃を転がるようにして回避すると、俺はすぐさま立ち上がり身構えた。
「なめやがって、絶対にぶっ殺……ごふっ!」
突然、喉の奥から込み上げてきたものを地面の上に吐き出すと、俺は片膝を地面に付けていた。
マズい……さっきのダメージで身体が言うことをきかない!
「はい、チェックメイト〜!」
グラムの弾んだ声が耳に届いて顔を上げると、奴の振り抜いた魔剣が真横から迫っていた。
これは流石に躱せない。
というか、回避したくても両脚が動いてくれない。
そのとき俺は自分の死を覚悟した……。
「クソッ、こんなところで……親父、母さん。すまねぇ……」
迫りくる刃がスロー再生のようにゆっくりと遅く見える。
その切っ先は、確実に俺の胴体を目掛けて迫っていた。
……詰んだ。こればかりはどうすることもできそうにない……。
迫りくる刃になす術なく、俺が諦めようとしたその時――。
「聖剣、『シールドモード』!」
と、エクスの声が耳に届いた。
『了解。シールドモード『プリドゥエン』発動』
俺の纏う鎧から合成音が聞こえた直後、背面から盾が飛び出した。
眼前に飛び出した盾が、魔剣の刃と俺の身体の隙間に入り込むと、鈍い金属音を響かせて魔剣の軌道が逸れた。
それと同時に俺の身体は盾もろとも吹き飛ばされ、地面の上を何度か転がって壁に激突して停止した。
「かはっ……た、助かった」
九死に一生を得た俺が再び顔を上げてみると、グラムの魔剣がフロアの壁に深く刺さっていて、奴が手をこまねいていた。
「ああ〜んもぅ! これだから最新型の聖剣は嫌いですわ! ……あら?」
壁に刺さった巨大な魔剣を引き抜こうと奮闘していたグラムが周囲に首を巡らせると、見覚えのある濃霧がフロアの中を満たす。
すると、その奥から村雨先生と犬塚先輩が駆けつけてきた。
「草薙、遅れてすまなかった! 身体の方は大丈夫か?」
「村雨先生、それに犬塚先輩も……」
「草薙くん。キミがグラムに蹴飛ばされたのを見たときは正直ヒヤヒヤしたよ……」
安堵した表情の二人に俺は涙が出そうになった。
二人はカナデを安全な場所へと移動させたあと、俺を助けに来てくれたのだろう。
それが本当に嬉しくて、鼻の奥がツンとしていた。
「村雨先生に犬塚先輩……本当に、ありがとうございます」
「とりあえず、ここは危険だな。草薙、奴の目を欺いているうちに、キミをエクスのもとへ連れてゆく!」
「さぁ、行こう。草薙くん!」
二人は俺に肩を貸すと、グラムの後方に開いた大穴に向かい走り出す。
不意に振り返ると、グラムが濃霧の中を見渡して呆然としているようだった。
「なんですのこの霧は……目くらましですか? でも……逃がしませんわ!」
「チッ、こちらに気付いたか! 犬塚、草薙を頼むぞ!」
グラムが俺たちの方向に振り返り、赤い相貌を光らせると、村雨先生が踵を返して魔剣を構えた。
「ここは私が引き受ける! キミは今すぐエクスのもとへと向かえ!」
「でも、先生! ひとりで戦うなんて危険だ!」
「それは承知の上だ。しかし、私は死ぬつもりなど毛頭ない……。なにせ、まだキミたちとの楽しい修学旅行が待っているからな?」
グラムの方に魔剣を構えたまま村雨先生は首だけでこちらに振り返ると、ウィンクを投げてくる。
その姿を見て俺は鼻を啜ると、強く頷き返した。
「先生……必ず戻りますから、それまで頑張ってください!」
「無論だ。さぁ、早く行け!」
「草薙君。急ごう!」
俺たちを背にして日本刀を構えていた村雨先生が濃霧の奥へと消えてゆく。
それから数秒して、霧の向こうで赤い火花が散っていた。
「……俺が戻るまで絶対に死なないでくださいよ村雨先生」
「ツルギく~~~~ん!」
「つーく~~~~~ん!」
犬塚先輩に肩を借り、壁に開いた大穴を潜ろうとしたとき、穴の向こうからエクスとカナデが姿を見せた。
二人は俺が手放した聖剣を真っ赤な顔で抱えており、よろめきながらもこちらに駆けてくる。
「ツルギくん、無事でよかった!」
「すまないエクス。さっきのシールドはマジで助かったぜ」
「ううん。ツルギくんをサポートするのが私の役目だから……」
「ありがとうエクス。……それより、カナデ。なんでいるの?」
「アタシだけ扱いが冷たいし!? アタシだって……つーくんの役に立とうと思ってこのクソ重たい剣を持ってきてあげたっしょ!」
「一応だけど、避難させたつもりなんだけどね?」
むすーっと頬を膨らませるカナデに犬塚先輩が苦笑する。
このお転婆娘がジッとしているわけもないということなのだろう。
「そうか、ありがとうよカナデ。それより、ここから先は危険だ。犬塚先輩と一緒に避難していてくれ」
「はえっ? つーくんは、まだあの化け物と戦うつもりなの!?」
心配そうな表情でカナデがそう訊いてくるが、俺はそれに頷いて聖剣を受け取った。
「あぁ。俺はアイツを絶対に倒さなきゃならねえんだ……。例えどんなことがあってもだ」
「そんな……死んじゃうかもしれないのにどうして!?」
「……奴は、俺の親父と母さんを殺した張本人だった。そんな奴を放って置くわけにはいかねぇし、絶対に許せないんだ!」
俺が強い口調でそう言うと、カナデが黙って顔を伏せた。
こいつのことだから、きっと俺のことを心配をしているのだと思う。
それでも俺は、グラムを倒すことしか頭の中にはない……これだけは、誰にも譲れないことなのだ。
「……ねぇ、つーくん」
「なんだ?」
「必ず……戻ってくるよね?」
「当たり前だ。俺は絶対に負けねぇ!」
「わかった……それなら、必ず帰ってきてよね!」
カナデはそう言って目元の涙を指先で拭うと、ニカッと微笑んで俺の手を握ってくる。
その言葉に力強く頷くと、俺は彼女の肩に手を置いた。
「……任せろ。それじゃ、行ってくるぜカナデ!」
「うん! 絶対に待っているから、必ず帰ってきてよね!」
「草薙君。十束さんの事は僕に任せてキミは一刻も早く先生を!」
「わかっています。エクス、回復を頼む!」
「うん。わかった!」
その後、犬塚先輩がカナデを連れて別の場所へ移動したのを見計らい、俺はエクスからこれでもかというくらい濃厚なベロチュウを受けて全回復をした。
そのとき、さり気なくだけど、ついでにエクスのおっぱいを触らせてもらい、俺は心身共に絶好調となった。
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