第25話 奪われた唇

 カナデからの告白を受けた日から、数週間が過ぎた日曜日の午後。

 俺はリビングのソファに背中を預け、ぼんやりとテレビを眺めていた。


 あの日以来、カナデが毎朝迎えに来ることはなくなった。

 でも、そのおかげで、カナデが危険なことに巻き込まれる心配はなくなった。

 だけど、あの日からずっと、この胸に渦巻くモヤモヤとした気持ちは解消できないままだった。


「…………っ」


 なにをしていても、ふとした瞬間にカナデの泣き顔が浮かんでくる。

 それを忘れようと、エロゲやエロ動画、更にはエクスの着替えを覗いたりして少しでも気を紛らわせようと試みたが、結局のところは改善されることもなく、余計に胸の奥が疼くだけだった。


「……カナデ」


「ねぇ、ツルギくん。ちょっといいかな?」


 虚空を見つめて溜息を吐いていると、後ろからエクスが声をかけてきた。


 今日のエクスは、背中に牛乳プリンのイラストがプリントされたベビーピンクのパーカーにショートパンツという格好をしている。

 いつもの金髪ロングヘアも、現在はシュシュで束ねており、豊かな胸の前へと垂らしていた。

 そんなエクスは電話の子機を片手に俺の傍らへ腰を下ろすと、難しい顔で話してくる。


「今ね、アヴァロンと村雨先生の事で話をしてきたんだけど、アヴァロン側が私の報告書と提案を受け入れるにはまだしばらく時間がかかるそうなんだ……」


 少し疲れた表情を浮かべて、エクスが肩の凝りをほぐしている。

 実を言うと、俺たちは魔剣である村雨先生を救済するため色々と行動をしていた。

 とは言っても、俺はなにもしておらず、殆どエクスに任せきりだ。

 魔剣の精霊である村雨先生を救済するという提案に、やはりというか、アヴァロン側は難色を示してきた。

 それでも、エクスの必死な交渉により、前向きに検討してもらえることとなったのだが、その道のりは思っていた以上に険しいようだ。


「一応、私のお爺ちゃんのおかげで彼女を殲滅対象から特別監視対象にランクを引き下げることまではできたけれど、完全に対象外として認定をするにはまだ難しいみたい」


 ソファから伸ばした両足をパタパタさせて、エクスが不満そうに唇を尖らせる。

 でも、彼女が色々と説得をしたおかげで村雨先生が他のセイバーたちに抹消される心配がなくなったのは大きな進歩だ。


「そう腐るなよエクス。お前のおかげで先生が他のセイバーたちに襲われる心配はなくなったわけだし、今は良しとしようぜ。てか、お前の爺ちゃんてアヴァロンの関係者だったのか?」


 こともなげに俺がそう訊くと、エクスがえっへんと言わんばかりに胸を張った。


「うん! 私のお爺ちゃんはアヴァロンの創設者だからね。それくらいの権限は持っているんだ」


「な、なるほどな……。どうりでお前の無茶な要望がいつもすんなり通るわけだ」


 アヴァロン側に申請したエクスの要望が、割と容易く許可されていて常々疑問に思っていたのだが、彼女の祖父がアヴァロンの最高権力者であると知り納得がいった。 

 だとすれば、この案件も時間の問題なのかもしれない。


「それなら、その提案もそこまで待たずに通りそうなもんだけどな?」

 

 と、言ってみたものの、隣に腰を下ろすエクスは「う〜ん」と、唸った。


「……実を言うとね、アヴァロン側が私の提案を受け入れないことには一つ大きな理由があるんだ」


「その理由ってのは?」


「実はつい最近、手練れのセイバーたちが複数の死傷者を出してまで捕えた凶悪な人型魔剣がいたらしいんだ。でも、その魔剣が内部関係者をそそのかして脱獄したらしくて、それがあるから村雨先生を簡単に信用することが難しいって言われているらしいんだ」


「人型魔剣が脱獄って……はぁっ!?」


 正気の沙汰とは思えないその情報に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。


 手練れのセイバーたちが多くの犠牲を払ってまで捕えた人型魔剣。

 そんなヤバい奴を脱獄させたバカがアヴァロンの内部にいるなんて信じられなかった。


「アヴァロン施設内のセキュリティコンピューターに外部からのハッキングを受けた痕跡があったらしくて、その影響で防犯カメラの映像にその犯人の姿が映っていなかったらしいんだ……。一体、何のためにその人が凶悪な魔剣を脱獄させたのか詳細は不明らしいんだけど、各国にあるアヴァロン支部で非常事態宣言が発令されているらしくて、お爺ちゃんが私にも気を付けろと言ってきたんだ」


「ふざけたマネをしてくれやがったなその大バカ野郎は。考えただけで腹立たしいぜ!」


 話によると各国のアヴァロン支部で脱獄した凶悪魔剣の手配書が配布されたらしい。

 その配布書に脱獄した魔剣の情報が記されており日本支部にも既に届いているという。

 でも、その手配書が俺たちの手元にはまだ届いていないので警戒が必要ということだ。


「ふざけやがって。なにを考えてそんな暴挙を起こしたんだろうなそのバカ野郎は?」


「それは私にもわからないけれど、私の知り合いでひとり行方不明になっている人がいるって、お爺ちゃんが教えてくれたんだ……」


「エクスの知り合いって、何者なんだそいつは?」


「彼の名前は『アーサー』。本来、私と契約を結ぶ予定だった人だよ」


 そう口にして顔を伏せると、エクスが深く溜息を吐く。


 あまり想像したくはないが、その男がこの事件に関与している可能性があるような気がしてならなかった。

 それに、もしその人物が、この件に関与しているとすれば、知り合いであるエクスの心中はさぞ複雑だろう。

 契約を結ぶ相手だった男が魔剣側に寝返る。そんなことは、考えたくもない話だ。


「まだそうと決まったワケじゃないんだし、そんなに落ち込むなよ? な、エクス」


「……うん、そうだよね。それよりツルギくん。話は変わるけど、カナデさんと喧嘩でもしたの?」


 その言葉にぎくりとした。

 ここ最近の俺とカナデは、お互いに距離を置いて近づこうとしていない。

 それにカナデとの出来事を俺はまだエクスに打ち明けていなかった。


「な、なんだよ急に? どうしてそう思うんだ?」 


「だって、最近カナデさんが朝迎えに来なくなったし、学校でもツルギくんが全然カナデさんと話していないからどうしたのかなって思ってさ?」


 少し心配そうな面持ちで、エクスが俺の顔を覗き込んでくる。

 エクス自体はカナデと交流があるようで時折話をしている姿を目撃していた。

 でもおそらく、カナデも俺とのことを話してはいないのだろう。

 その微妙な俺たち二人の関係に、エクスは気付いていたようだ。


「ま、まあ、喧嘩って程のことでもねえけど、ちょいと色々あったんだ……。でも、そのおかげでアイツを危険から遠ざける事ができたんだ。むしろ都合がいいだろ?」


「……そうかもしれないけれど、その割にはツルギくん元気ないよね? あ、そうだ! 今から一緒に気晴らしも兼ねてデートに行かない?」


「え? デート?」


「そうそう。ここ最近お互いに色々とあってなんだかショボーンって感じだったでしょ? それをこうパーッ! と、振り払う感じでさ。二人で出掛けようよ、ね?」


 ニコパッと明るい表情を浮かべてエクスが俺に腕を絡めてくる。

 確かに、近頃の俺はくすぶっていた。

 それならここは、彼女の粋な計らいに乗るべきだろう。


「そうだな、たまには気分転換も必要だろうしデートに行くか、エクス!」


「そうと決まれば早速準備をしなくちゃね。レッツゴー!」


 こうして俺はエクスの提案により、二人でデートをすることとなった。


 ○●○


 茜色に包まれた夕刻時の歓楽街。

 その一角にある映画館の外で、俺は男泣きをしていた。


「ツルギくんもう泣かないでよ〜。確かにあのラストシーンはかなり衝撃的だったとは思うけれど、そこまで号泣するほどのことでもなかったと思うよ?」


「うぅっ……だってよ~。最後の最後で主人公をあんな形で死なせる必要はなかったんじゃねえかって思えてさ~。しかも、残された彼女が可哀想で……うおーーーん!」


 えぐえぐと咽び泣く俺の背中を擦りながらエクスが困ったように笑う。


 つい先ほど二人で鑑賞した恋愛映画の結末が衝撃過ぎて、涙が堪えられなかったのだ。


「ツルギくんは意外と涙もろいんだね。あ、ちょっとあの公園で休もっか?」


 エクスが指差した先には赤レンガで舗装された歩道が特徴的な公園があった。

 その公園内はアンティーク調の洒落た街頭や、動物の形に整えられた植木が並んでいた。

 その一角にあるベンチに腰かけると、俺たち二人は夕闇に変わりつつある空を見上げた。


「今日は色々とありがとうなエクス。だいぶスッキリした気がするよ」


「別にお礼なんていらないよ。ツルギくんが悩んでいたら手を差し伸べるのがパートナーとしての私の務めだモン」


「パートナーか……そうだな、ありがとう」


 不意に見上げた空には幾つかの星が煌めきを放っていた。

 歩道に沿って並ぶ街灯がその役目を果たすように明滅し始めると、園内を明るく彩った。

 エクスと出会ってから数か月。

 その日々が、とても遠くに感じて感慨深くなる。

 魔剣に襲われエクスと出会い、俺たちは契約を交わして様々な魔剣と戦った。

 今思うと、俺たちの日々は戦いばかりだったような気がする。

 でも、その死線をエクスと共に乗り越えてきたからこそ強い信頼関係が生まれた。

 俺が傷つくたびに涙ながらに助けてくれるエクス。

 そこには、パートナーという言葉の垣根を超えたものを感じている。

 だからこそ、こうしてエクスと過ごす平穏で安らげるこの時間が特別に思えるのかもしれない。


「どうしたのツルギくん? さっきから私の顔をジーっと見つめて」


「いや、お前と出会ってから日が浅いっていうのに、なんだかもう何年も一緒に過ごしてきたように思えてさ? それがなんだか不思議だな~って、思えたんだ」


「フフッ、それは奇遇だね。実を言うと私もそう思っていたんだ」


 こそばゆさを感じつつも互いにニカッと微笑み合うと、俺はわけもなく心が弾んでいた。


 俺たちの周囲に誰か居たのなら奇異な目で見られていることだろう。

 でも、生憎と今この公園内には俺とエクスの姿しかなかった。

 そんな二人きりだけという雰囲気がまた心地良くて、気付くと俺はエクスの横顔を見つめていた。


「……私ね。ツルギくんと出会えて本当に良かったと思っているんだ」


「なんだよ急に改まって? 今はそうかもしれないけれど、最初はそうでもなかったんだろ?」


「そんなことないよ。私はあの日、ツルギくんと出会いセイバー契約を結んだあの瞬間になにか運命的なものを感じたんだ……」


「えっと、エクス?」


 そう言うと、エクスが微笑みながら俺の肩に寄りかかってくる。

 そのときにふわりと鼻を撫でた甘い香りに、胸の鼓動が早まった。


「……ねぇ、ツルギくん。全ての魔剣を倒し終えたあとも私たちは一緒にいられるのかな?」


「なんだよそれ。そんなの当分先の話だろ?」


「そうなんだけど、私はなんというか……ツルギくんと過ごすこの時間が好きなんだ。キミはその……どう、思う?」


 俺の顔を覗き込んできたエクスの瞳が不安そうに揺れている。

 それは意思の疎通を確かめるようであり、俺の心境を見出そうとしているようだった。


「そりゃあ俺だってお前と過ごす時間は好きだぜ? 魔剣と戦うような張りつめた緊張感もないし、それでいてなんというか……」


「んもぅ、そういう事じゃなくて! ツルギくんは私と一緒にいて……幸せ?」


 小首を傾げて見つめてくるエクスに顔が熱くなった。

 彼女と一緒にいて幸せかなんて、言うまでもなく幸せに決まっていた。

 俺は両親が死んでから三年間ずっとひとりぼっちだった。

 そんな孤独を感じずにはいられない心の隙間を埋めるようにエクスが現れた。

 彼女は俺と同じで両親を失ったことによる孤独を知る。

 それ故に、互いの気持ちを理解し合えるから、互いの寂しさをわかりあえるからこそ一緒に居て心地良い……。

 それを分かち合える存在が身近に欲しかった……これは、俺が一番強く望んでいたことだった。


「なあ、エクス」


「ん? なに?」


「面と向かってこういうことを言うのもアレなんだけど。俺は……その」


 そこまで言いかけて言葉に詰まる。

 次に繋げるべき台詞は頭の中にはっきりと浮かんでいるのに、途端うまく口に出せない。

 街灯の灯りに照らされたエクスの蒼い瞳が宝石のように煌めいて俺の顔を見つめている。

 白く透き通るような頬は、どこか赤みを帯びていて、俺の言葉の続きを待ちわびているようだった。


「……えっと、なんというか、俺はお前の……」


「私の?」


「お、お前の……」


「……うん」


「……お前の……おっぱいが好き――いたたたたっ!?」


「なんでこの雰囲気でそういう最低な発言が出てくるのかなぁっ!?」


 眉根を寄せてエクスが俺の頬をつねってくる。

 正直、こんなことを言うつもりなんてなかった。これはちょっとした照れ隠しだ。

 でも、台詞の選択肢を完全に誤った。

 それにエクスは激怒しているのだろう。


「ごめんごめんマジでゴメン! もう許して冗談だから!?」


「まったく……。どうしてツルギくんはいつもそういうエッチなことしか言えないのかな~……はい」


「え?」


 腫れ上がった頬を擦っていると、エクスが瞳を閉じて唇を突き出してきた。

 その行動に俺が当惑していると、エクスが片目を開けた。 


「今ので頬に怪我したでしょ?」


「怪我といえば怪我だけど……それがどうしたよ?」


「だから、その怪我を回復してあげるからキス、しよ?」


「なん……だと!?」


 ……エクスたん、マジカワユス激萌えブヒブヒでありますぅ~!


 まさかのお誘いにごくりと喉が鳴る。

 完全に桃色ムードを壊したと思っていたけれど、エクスの中では継続中だったようだ。


「ねぇ、いつまで待たせるの? 早く……んっ」


「い、いいのか?」


「うん。いいよ」


「し、舌とかものすんごく激しく絡めちゃうかもしれないけど本当にいいのか!?」


「えっと……まあ、いいけど」


「エクスぅ!」


 興奮のあまりエクスの両肩を掴むと、俺はそのままベンチの上に押し倒した。

 正直、殴られるかもしれないという恐怖はあったが、こんな雰囲気じゃどうしようもない。

 拳の二、三発は覚悟していた俺だったが、押し倒されたエクスは抵抗してなかった。

 それどころか逆に瞳を閉じると、俺の右手をそっと掴み、そのまま自分の胸に押し当て唇を突きだしてきた。


 ……いいんですよね? ここが初体験の場所になってもいいってことですよね!?


「エクス、行くぞ!」


「うん、来て……」 


 何度か深呼吸をして心を落ち着かせてからエクスに唇を近づける。

 もうすぐ、この俺も大人になれる。

 しかも、相手は憧れの白人美少女であるエクスだ。

 これはなんというか……神展開だぜ!


 唇の先端がもうすぐで触れる。

 がっついてはダメだ。あくまでクールに取り繕え!


「え、エクス……んちゅぅ〜……」


「……ちょっと待って!」


 瞳を閉じて、俺が優しく唇を重ねようとしたそのとき、エクスが目を開けて口を押えてきた。


「んもう、なんだよこれからって時に!」


「……魔剣のオーラを感じるんだ。しかも、すごく近くに!」


「え? ウソだろ!?」


 魔剣のオーラを感知してエクスは身体を起こすと、周囲に視線を飛ばした。

 それに合わせて俺も警戒していると、仄暗い木の影から何者かが現れた。


「……エクス、なのか?」


 木の陰から現れた人物はそう呟くと、ゆらりとした足取りで街灯の下に立ち、こちらを見つめた。


「あぁ……やっと出会えたね、エクス!」


 その人物は目深に被っていたフードを外すと、歓喜したように両手を広げた。

 癖のある金髪に西洋人特有の整った目鼻立ち。

 高身長でありながら、がっしりとした体躯。そして、その男が纏う見覚えのある白いローブに俺は首を捻った。


「……あのローブって、どこかで見た覚えがあるような?」


「ウソでしょ……まさか、アーサー?」


 口元を押さえて絶句するエクスに俺の視線が向く。

 その表情は酷く青ざめていて、目前の男に対して恐れを抱いているように思えた。


「ずっと探したよ、僕の愛しい天使。さぁ、久々にハグさせておくれ!」


 その男は駆け出す勢いそのままにエクスを抱きしめると、その頭に頬擦りをした。

 ……なにこの外国版トレンディードラマみたいな展開? 俺はモブキャラなの?


「あぁ……懐かしい、エクスの匂いだ! キミをこの腕でまた抱きしめられるときがくるなんて、神に祈らずにはいられないよ!」


「やめて放してよアーサー! 私はもうアナタのパートナー候補じゃないんだよ!?」


「いいや。キミは永遠に僕のパートナーさ! その証拠に、神が僕たちをまた巡り会わせてくれたじゃないか?」


「だから、違っ――」


「エクス……」


 アーサーと呼ばれた男は嫌がるエクスを力づくで抱き寄せると、そのまま顎先に手を添えて強引に――その唇を奪った。

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