第24話 つーくん、バイバイ
時が流れて翌朝を迎えたその日、我がクラスに一人の編入生が現れた。
「初めまして。今日からお世話になりますエクス・ブレイドです。よろしくお願いします」
とまあ、本当に突然過ぎることなのだが、その日エクスが俺の同級生となった。
屈託のない愛らしい笑顔にあざとさを孕んだ小首の傾げ方。
早朝一発目のエクスによる爽やかな挨拶で、うちのクラスの男子たちが速攻で骨抜きにされていた。
「……ねぇ、つーくん。これってば、どういうことか説明してくれる?」
「……いや、説明もなにも俺だって昨日の夜にいきなり聞かされたから知らん」
エクスがうちの高校へ編入をするというカミングアウトを聞かされたのは、昨日の帰り道だった。
エクスいわく、今回のような事態を想定した上で、我が校への編入を決めたということだ。
今日から俺のクラスメイトになった美少女エクスの晴れ晴れしい一日の幕開けだというのに、俺の隣に席を持つカナデはえらくご機嫌斜めだった。
そしてなぜか、俺の左隣に席を設けられたエクスはというと……。
「ねぇ、ツルギくん。今日はお弁当を作ってきたからお昼になったら一緒に食べよう~?」
……着席早々、甘えるような声音で俺に話かけてくる。
「まだ一時限目も終わっていないのにいきなり昼飯の話かよ?」
「だって、これからツルギくんといつでも一緒に過ごせると思ったらウキウキしちゃって、朝早くに目が覚めちゃったからお弁当を作ってきたんだよ?」
本当にエクスは女子力が高い。
まさに、女子の中の女子、キングオブ女子だ。
「まぁそれはいいとして、そんなにくっつくなよ。ちょっと恥ずかしいだろ?」
「え~? なんでよ~? なんかこうしていないと落ち着かないんだモン!」
俺に机に自身の机をくっつけ、必要以上に距離を詰めてくるエクスに右隣のカナデが頬を引くつかせる。
「へ、編入初日からイチャつくとか、なんかムカつくし……」
「あ、カナデさん。おはよう! 今日からよろしくね?」
「あぅっ、笑顔が爽やかすぎて、なんか憎めないし……」
とまあこんなノリのエクスだから、カナデも苦戦していたりする。
こんなハーレム主人公のような光景に、俺はクラスの男子たちから猛烈な嫉妬の眼差しを向けられているのは言うまでもない。
「あ、いっけなーい! ツルギくん、英語の教科書を忘れてきちゃったから見せて~?」
「編入初日から教科書を忘れてくるとかドジっ子ですかお前は?」
「だって、仕方ないよ。今朝も色々とあってバタバタしていたしさ。でも、ツルギくんが隣の席だから問題ないけどね?」
「ちょ、エクス。そうやって腕に胸を押しつけてくるなって! 俺の息子がおっきしちゃうだろ?」
「だって、こうした方が教科書を見やすいんだモ~ン」
俺の腕に抱きついて頬を寄せてくるエクスにマジで戸惑う。
今は授業中であり、黒板に集中しなければならない。
だが、クラスメイトたちの視線は完全にこちらを向いている。
そして、黒板の前では、カツカツと音を立てて村雨先生がムッとした表情で英文法をひたすら書いている。
先生がその手に握るチョークの削れ方が明らかに普通ではなく、苛立っているのがすぐにわかった。
これは、嫌な予感しかしてこないぞ……。
「あのさ~、エクスちゃん? 教科書ならつーくんのものじゃなくて、隣の柴田君に見せてもらえばいいじゃん?」
「私はツルギくんとくっついて勉強したいんだモ~ン。誰でもいいというワケじゃないんだよ〜」
「エクス、村雨先生が怒っているから早く机を離せ。でないと、俺が怒られそうだ」
ピッタリとくっついた机と椅子を離して俺がそう言うと、エクスが頬を膨らませた。
「むぅ〜! どうして今日はそんなに冷たいのさ~? 家の中ではいつも優しいのに……」
「な、おま!? それを言ったら――」
エクスの台詞に教室内が騒然とする。
……このバカ、よりにもよってなんつーカミングアウトしてくれてんだ!?
「……家の中では、だと?」
手に持つチョークを砕いて、村雨先生がこちらをじろりと睨んでくる。
おまけに、クラスの女子たちも挙って俺に敵意を向けていることが丸わかりだ。
このままこの場に留まり続けていたら、確実に胃に穴が開いてしまう。
ここは戦略的撤退をすべきだろう……。
「あの、先生? 酷い腹痛なので今すぐ保健室に行ってもいいでしょうか?」
「ダメだ、そのまま我慢しろ。それと草薙、キミはあとで生徒指導室へ来い。キミには教育的指導が必要なようだ……」
「あ、あはは~。ですよね~?」
どうしよう……本格的に胃が痛くなってきた。
とりあえず、腹部を押さえて文字通りの手当てを試みる。うん、全然効果がない。
やはりこんなものは気休めにしか過ぎない。本気で胃薬が必要なレベルだ。
「ぐぬぬ……これは、堪らん」
「ちょ、ツルギくん大丈夫? 先生! ツルギくんが本当に具合悪そうなので、私が保健室で看病してきます!」
「ちょっと待て、ミスブレイド……。キミは編入初日から、私の授業をサボるつもりなのかな? いくらキミが英語に長けているとしても、いち生徒として私の授業を受ける義務があるのだぞ?」
「ごめんなさい。私は退屈な授業よりも、ツルギくんのことが心配なので辞退します」
「退屈な授業だから辞退する……だと? その発言は私に対する挑発行為として受け取っていいのか?」
「村雨先生。そんなに怖い顔をしていると、顔のしわが増えちゃいますよ?」
「ええい、エクス・ブレイド! その横柄な態度、この私が叩き直してくれる!」
「生徒に向かって随分と大人げないことを言うんですね? いいですよ、相手になります!」
一触即発の危険性を孕んだエクスと村雨先生のやり取りに緊張が走る。
気のせいかわからないけれど、先生が魔剣を取り出しそうな構えを取っている。
それに合わせて俺の隣に座るエクスも《ミラー》を展開しそうな雰囲気だ!
だが、そのとき、カナデが机を両手で叩いて立ち上がった。
「つーか、二人ともマジでいい加減にしろって感じだし!」
怒気を含んだカナデの声にエクスと村雨先生の二人が目を丸くする。
そんな二人を睨みつけるようにカナデは視線を動かすと、低い声で続けた。
「保健室ならアタシが連れて行きます。それでいいよね、つーくん?」
「え? あ、ああ……」
「はい決定。それじゃあ、つーくんを保健室に連れて行きまーす!」
俺の腕を強引に引くと、カナデが教室の外へ連れ出そうとする。
その様子をエクスと村雨先生の二人は呆然と見つめて瞳を瞬かせていた。
○●○
ところ変わってここは保健室。
オキシドールの匂いと静けさが漂う白い空間には誰もおらず、もぬけの殻となっていた。
保健室の先生は都合により不在だったらしく、室内には俺とカナデの二人きりだ。
俺は保健室のベッドで横になると、キリキリと痛む腹を擦る。
視線の先では、カナデが薬品棚の引き出し開けて胃薬を物色していた。
「……すまねえなカナデ。マジで助かったわ」
「助かったじゃないっしょ。なんで編入初日のエクスちゃんと村雨先生が、あんなに仲いいの? それってちょっとおかしくない?」
不満そうな表情を浮かべてカナデが胃薬とミネラルウオーターを放り投げてくる。
それを両手で受け取り中身を取り出すと、俺は苦笑して頬を掻いた。
「きっと、あの二人が似た者同士だからじゃねえの? なんか、二人とも気が強いというかさ?」
「……ふーん。てかさ、つーくんってホントにウソが下手だよね?」
「は?」
呆けた返事を返す俺にカナデはズカズカとした足取りで迫ると、両手を腰に当てて眉を顰めた。
「本当はさ、アタシの知らないところで色々と危ない目に遭ってるっしょ?」
「な、なにを根拠にそんなことを言っているんだよ?」
顔を近づけてきたカナデから思わず視線を逸らしてしまった。
多分こいつは、なにかに勘付いているのかもしれない。
俺を見つめる瞳に真剣さが伝わってきた。
「ねぇ、ちょっと上着脱いでみて」
「えっ?」
「今すぐ上着を脱いでって言ったの。ほら早く!」
「ちょ、ちょっと待てカナデ! いきなりそんな、ああんっ、ダメえええええっ!」
カナデはいきなり俺をベッドに押し倒して腰上に跨ってくると、制服のシャツを両手で掴み、一気に捲り上げてきた。
そしてその瞬間、カナデの顔色が真っ青に変わる。
「やだ……つーくん……なに、この傷痕?」
「い、いや……これはその」
完全にシャツを捲り上げられた俺の上半身には、魔剣との戦いで負ってきた痛々しい傷痕の数々が刻まれている。
それを目の当たりにしたカナデは青い顔で絶句しており、その瞳を白黒させていた。
「……こんな傷痕、去年の水泳大会の時にはなかったじゃん。ねぇ、つーくん! 一体なにがあったの!?」
「こ、これはその、アレだ! 俺が自主トレしているときに負った傷で――」
「そんなわけなじゃん! なんでそんなウソばかりつくの!」
「!?」
怒りで声を上げたカナデに俺はびくりと身を竦めた。
咎めるようなその視線で身じろぎひとつ取れなくなる。
これはもう誤魔化しの利かないレベルの展開だ。
でも、真実を伝えてはならない……。
それを伝えてしまえば、カナデのことだから首を突っ込んでくるに違いない。
しかも、それがキッカケとなり、カナデまでもが危険に晒されてしまう可能性があると思えたからだ。
「……ねぇ、つーくん。本当のことを教えてよ?」
カナデが俺の腹部に両手を置いて顔を伏せた。
はらりと垂れ下がった前髪のせいでその表情は窺えない。
でも、きっと怒っているだろう。
カナデの声音が妙に低い。
「……だから、違うって」
「つーくんはさ、アタシがどんだけ心配しているか考えたことある?」
「え? いや、ないけど……」
「そうだよね? つーくんは、なにかあっても全然アタシに教えてくれないし。それを見てアタシはいつも心配しているんだよ? ……もっと相談して欲しいのに、いつもそうやって誤魔化してばかりでさ……どうして? どうしてそんなにアタシのことを信用してくれないの!?」
「か、カナデ……」
ぽろぽろと涙が溢れる瞳を両手で押さえて、カナデが嗚咽を漏らす。
彼女が涙する理由が俺にはわからない。
でも、腰上に跨るカナデはとても悲しそうな表情をしていた。
「つーくんは……隠し事が本当に下手なんだよ……。アタシね? つーくんとエクスちゃんが変な化け物と戦っていたところをこの目で見たんだよ!」
「え!?」
涙を拭いながらそう叫んだカナデに、俺は思わず顔を強張らせた。
魔剣との戦いは常に人知れず行ってきたつもりだった。
しかし、それをカナデは目撃したと言ってきた。
「……あの日、ショッピングモールで別れたあと、つーくんとエクスちゃんにやっぱり謝ろうと思って引き返したって話したじゃん? その日にね、アタシちゃんと見ていたんだ。つーくんとエクスちゃんがライオンみたいな化け物に襲われているところ。……でも、そしたら急に二人と化け物が消えちゃって夢でも見ていたのかなって思ってた――」
確かにあの日、エクスが《ミラー》を展開するまでの僅かな間だけ、俺たちは現実世界にいた。
そこから移動するまでの瞬間をカナデは何処かから見ていたようだ。
それがあったから、翌日にあのような事を訊いてきたのか……。
「つーくんは誤魔化そうとしていたけれど、全部バレバレだっつーの。てか、色々と……鈍感すぎだし」
カナデはキュッと唇を引き結ぶと、なにも言わずに身体を重ねてきた。
「……好き」
「え?」
「……ホント、鈍感すぎてマジでムカツクし……」
カナデはくすんと鼻を啜りながら、目元の涙を拭うと、俺の顔を見つめながら続ける。
「……どうしてアタシがつーくんをこんなに心配しているのか、流石にもうわかるっしょ? いい加減にアタシの気持ちにも気付いてよ……」
「カナデ、お前――」
と、訊き返そうとした俺の口をカナデの柔らかな唇が塞いできた。
眼前にあるカナデの顏は静かに瞳を閉じており、涙でしっとりと濡れた白い頬は朱色に染まっていた。
いつの間にか首の後ろに回されていた彼女の細い両腕が、俺との密着度を強めてくる。
強く押しつけられたカナデの唇はとても熱く、少しだけ開かれた隙間から漏れ出す吐息が生温かくて艶めかしい。
数秒間に及ぶそのキスが、とても長く感じたのは周囲の静けさのせいだろうか。
カナデは俺からそっと唇を離すと、満足そうな表情でニコッと笑った。
「……ようやくわかったっしょ? アタシの気持ち」
「カナデ、お前は俺のことを……好き、だったのか?」
「ははっ、なにその顔? ていうか、キスされるまで気付かないとか最低っしょ……」
カナデはもう一度俺に抱きつくと、深く息を吐き出した。
胸板に押しつけられた、カナデの豊満で柔らかな胸の感触と肉感に顔が熱くなる。
そして、トクトクと脈打つ心臓の鼓動はとても早く、彼女の顔は明らかに赤らんでいた。
「……つーくんに助けられたあの日から、いつの間にか好きになってた……。最初はクズっぽい人だなとか思っていたけれど、一緒にいると超楽しかったし、ずっとこんな風にそばに居れたら幸せだなって、思うようになっていたんだよ? そんでね、なんでも正直に話し合えるような関係になれたら、そのときにちゃんと告白しようとか思っていたんだ……。でもね、そこにエクスちゃんが現れた――」
カナデはそう呟くと、俺の頬に手を当て儚く微笑んでくる。
その笑顔を見た瞬間、俺は胸の奥が苦しくなった。
「どしてだろね? アタシの方がつーくんと長い付き合いのハズなのに、その日々をさ、エクスちゃんはあっという間に埋めちゃった。ホント、意味わかんないし……」
「カナデ……」
「アタシはものすごく悔しかった。とくに、ここ最近の二人を見ているとさ、胸の奥がチクチクとして、すごく辛いよ……」
カナデは俺に恋をしていた。
それも一年前からずっと……。
しかし、俺はそれに気付いておらず、エクスとばかり行動を共にしていた。
……いや、違う! 本当はカナデの気持ちに気付いていた。
でも、俺はカナデとの今の関係がとても心地良かったから、それに甘えていたのだ――。
「ね、つーくん? アタシが付き合ってって言ったら……どうする?」
「そ、それは……ごめ――」
と、次の言葉を口にしようとした俺の唇をカナデが人差し指で塞いできた。
「……やっぱいいや。なんか、もっと辛くなりそうだから……今のナシ、ね?」
カナデはそう言うとすぐさま俺の腰上から飛び降り、こちらに背中を向けてきた。
「はぁ~っ……なんか告白したらスッキリした~。ていうか、つーくんはエクスちゃんにしか興味なさそうだし、外野のアタシはそろそろ退場しよっかな〜?」
「待ってくれカナデ! 俺は――」
「はい、この話はもう終わり! というか、ここで引かなきゃさ……いつまでもアタシ……つーくんのことを…………諦められなく、なっちゃうし……」
声を震わせながらカナデが天井を仰ぎ見る。
こちらに振り向こうとしないカナデの両肩とグッと握りしめられた両手が僅かに震えていた。
彼女がどんな表情をしているのか。
それを直接確認しなくても、俺にはわかっていた。
「……そ、そろそろ先に戻るね! 今まで仲良くしてくれてありがとね、つーくん! でもさ、アタシ――」
「カナデ?」
「……アタシ、まだ……割り切れそうにないや」
駈け出すようにその場から離れて行くその小さな背中へ伸ばした俺の右手が空を掴む。
このままだと、なにか大切なものを失うような気がして言い知れぬ焦燥感に煽られた。
だけど、声をかけようにも結局、言葉に詰まってしまい俺はなにもできなかった。
いや、なにもしてやれないと悟ったのだ。
「それじゃね。……つーくん、バイバイ」
保健室の入り口手前でこちらに振り向くと、カナデは小さく手を振ってその場を去って行った。
そのとき、アイツが泣き顔を誤魔化すように作り笑いを浮かべていたのを俺は見逃さなかった。
でも、俺はカナデの後を追うようなことはしなかった。
追う資格がないと自分で理解していたからだ。
「……ごめんな、カナデ」
その日を境に、俺はカナデと口を利くことはなくなった。
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