第16話 彼女の涙
「だからぁ~、私は他の人とセイバー契約を結んだから無理って何回も説明しているじゃない! もう諦めて他を探してよ!」
帰宅してリビングに入るや否や、苛立った様子のエクスがスマホを片手に怒鳴っていた。
「とにかく、もう二度と連絡してこないで。じゃあね……もう!」
「……えらくご機嫌斜めだな。なんかあったのかエクス?」
「あ、ツルギくん! お帰りなさい。ちょっと、セイバー契約を結ぶ予定だった人から電話やらメールやらがきていて余りにしつこかったから電話して怒ったんだ」
片手に持つオタマを上下に揺さぶりながら、エクスが眉を顰めて頬を膨らませる。
料理中だったのか、エクスはピンクの愛らしいエプロンを身に付けていた。
「……なんかその話を聞くと、その相手に申し訳ないんだけど俺が謝った方がよくないか?」
「ううん。ツルギくんが気を遣う必要なんてないよ! というか、その人は私のことを自分の彼女かなにかだと勘違いしているようでさ? ホント困っちゃうんだよね……って、きゃあっ! お鍋が焦げちゃう!」
香ばしい匂いから一転して、焦げるような臭いがリビング内に立ち込める。
すると、エクスが慌てた様子でキッチンへ駆けて行き困った顔で鍋を混ぜていた。
「あーもうどうしよう~……せっかく上手に作れていたと思ったのに~!」
「そのくらい俺は気にしないから落ち込むなよ?」
「だぁって〜、昨日の夜から仕込んでおいたんだよ? それなのに、もう……」
口先を尖らせてシチューをかき混ぜるエクスが、なんとも微笑ましくて、俺はその頭に手を置いた。
「エクス。お前の料理の腕前は見事だからこのくらい焦げたって十分に美味しいって」
「そ、そうかな~? そう言ってもらえると嬉しいな。えへへ~っ」
鍋の横に置かれていた大皿で口元を隠すと、エクスが照れくさそうに笑う。
その笑顔に、俺はしみじみと癒されていた。やはり妻に持つなら家庭的な女の子だろう。
このまま俺とエクスの仲が睦まじくなれば、そういうことも夢ではないかもしれないんじゃないだろうか。
とはいえ、今の俺ではそうもいかないだろう。
もっと彼女に、そう感じてもらえるような男になれるよう努力しようと思えた。
「ワンチャンあるかもしれねえよな……」
「ツルギくん?」
「んぁ? いや、なんでもねえよ。気にしないでくれ」
「そうなの? それより、お風呂湧いているから先にどうぞ」
「俺が先でいいのか?」
「もちろんだよ! だって、ツルギくんはこの家の家主なんだからさ?」
ウィンクしながら微笑んだエクスに俺はひっそりと、マジで結婚してくれねえかなと思い悶々とした……。
○●○
夕食を終えたあと、俺は薄暗いリビングでひと息ついていた。
エクスは例のセイバー候補とのやり取りで相当疲れたのか、先に就寝してしまった。
「魔剣と戦うわ、セイバー候補にはストーキングされるわで、エクスも大変だよな……」
両親の仇を討つためアヴァロンに入隊することを選んだエクス。
カナデと比較すると、彼女はかなり大人びて見えるけれど、中身も見た目も普通の女の子だ。
本来なら俺たち同様に学校へ通い、同い年の女子たちと学園生活を謳歌するはずだっただろう。
でも、その道をエクスは自ら捨て去り、聖剣の精霊として戦っている。
そんな彼女に、パートナーである俺はなにかしてあげられないかとずっと考えていた。
勿論、魔剣と戦うこともそうなのだが、それ以外のことで協力してあげたいのだ。
とは言っても、エクスのようにアヴァロンへ提出するレポート作成などは無理だろう。
家事などはどうかと考えもしたが、エクスがそれを受け入れてくれなかった。
この家でお世話になっている以上、自分が家事をするのは当然のことだ、と。
「俺もアイツのためになにかしてやりたいんだけどな……」
その答えを探そうにも見つからない。
見つけたところで、あいつはきっと遠慮するだろう。
せめて、あいつの心の拠り所にでもこの俺がなれればいいのだが……。
水の入ったグラスをぐびりと煽って、自室のある二階へと向かう。
静寂の中に漂うひんやりとした廊下の空気に、背筋がぶるりとした。
一歩踏み出したつま先が階段に沈むと、ギシギシと軋む音が辺りに響く。
そして、踊り場に差掛ったとき、エクスの寝室からすすり泣くような声が聴こえて俺は足を止めた。
「……エクス?」
扉に耳を当てながら息を顰めてみる。
寝室の奥から聴こえてくるのは、やはりエクスのすすり泣く声だった。
そっとしておこうか迷ったけれど、エクスの事が心配だったので、一声かけてから入室することにした。
「エクス、入るぞ?」
一応ながら、数回ノックを入れてからゆっくりと寝室の扉を開けてみる。
そして、奥に広がる薄暗い部屋の中を見渡すと、ベッドの上で毛布に包まったエクスがいた。
彼女は眠りながら泣いているのか、頭まで被った毛布の中からすすり泣く声がする。
そんなエクスに近づくと、俺はベッドの脇に腰を下ろして優しく声をかけた。
「エクス、大丈夫か?」
「……ないで」
「え?」
「パパ……ママ……私を置いて行かないで……一人は嫌だよぉ……」
くぐもったその声は両親を呼んでいた。
おそらく、エクスは夢の中で失った両親のことを追いかけているのかもしれない。
「エクス……お前」
過去の悲しみを夢に見ながら眠るエクス。
彼女は夢の中でも苦しんでいた。
その姿を見て、胸の奥が締めつけられる感覚に襲われた。
この感覚を俺は知っている。
心を抉らるような苦しい思いと、終わりの見えない絶望感。
それは失われた者への深い悲しみと、ふとした瞬間に感じる孤独感だ。
親父と母さんが事故で死んだときに俺も経験したことがある。
「……エクス、お前には俺がいるぞ」
眠りながら涙するエクスの頭を俺はそっと撫でた。
今の俺には彼女の辛さが理解できる。
だからこそ優しく出来るのかもしれない。
指通りの良い金色の髪を撫でていると、寝ボケたエクスが、俺の腰に抱きつき顔を埋めてきた。
「……行かないで……一人にしないで」
「エクス……」
居ても立っても居られなかった。
今のエクスに必要なものは、寄り添える温もりと安心感。
それを得ることで、彼女の心はきっといくらか守られるだろう。
それなら俺がすることはひとつしかない。今はただ、彼女を抱きしめてあげることだけだ……。
寝りながら頬を濡らすエクスをそっと抱きしめるように寄り添うと、俺は静かに呟いた。
「エクス、今のお前はひとりじゃない。俺が絶対に守ってやるから安心しろ……」
その言葉を口にすると、エクスの表情が少しだけ和らいだように見えた。
本当はもっと両親に甘えていたかったハズだろう。
でも、魔剣という存在に彼女はそれを奪われてしまった。
それからというもの、エクスはずっとひとりきりで孤独や寂しさと戦ってきた。
それはとても立派なことだ。なかなかできることではない。
そんなエクスを俺は守りたい。ずっと、傍にいてあげたいのだ――。
「例えどんなことがあろうと、必ず最後までお前を守り抜いてやる。そして、お前を苦しめるその孤独から救い出してみせるから、俺に任せろ。だから、今はおやすみ……」
「あり、がとう……」
エクスの口から漏れたその一言に俺は微笑んだ。
抱きしめた腕の中で感じるエクスの体温がとても心地良い。
その夜、俺はエクスを抱きしめまま深い眠りに落ちていった……。
○●○
窓の外から微かに聴こえてくる小鳥のさえずりに意識が引き戻されてゆく。
指先に感じる滑らかでサラサラとしたものを撫でながら、俺はそれに顔を近づけた。
「んぁ……スンスン……」
鼻孔を通り抜けてゆく甘い香り。
両腕の中で感じる心地良いその温もりを、俺は手放せなかった。
この肉感のある柔らかな感触はクセになる。しかし、これはなんの感触だっただろうか?
「うん〜……ん?」
覚えのあるそのプニプニとしたものに顔を埋めながらゆっくりと瞼を開けてみると……そこには、エクスの豊満なおっぱいがあった。
「……!?」
「あ……お、おはよ」
「え、エクス……?」
「その、なんというか……くすぐったいんだけど……」
「ほああああっ!? ご、ごめんエクス! わざとじゃないんだ! とも、言えないけれど許してくださいホントスンマセンした!」
すぐさま飛び起きて正座をかますと、何度も床に額を叩きつけて土下座する。
……エクスはきっと怒っているだろう。
否、怒らないわけがない!
眠っていたエクスに抱きつくだけならまだしも、おっぱいに顔を埋めていたのは流石にマズい。
これは嫌われてしまったかもしれない……。
早朝からガクガクと震えながら俺は土下座を続けていた。
床に叩きつけた額が痛むけれど今は我慢だ……。
「……ふぅ〜っ」
頭の上から、エクスの深いため息が聴こえてくる。
……嫌われちゃったかな? 失望されちゃったかな? どうしたら許されるかな!?
そんな不安に怯えていたのだが、そのあとに聴こえてきた彼女の声は存外穏やかだった。
「ツルギくん。別に私は怒ってなんかいないから顔を上げてよ」
「ま、マジ?」
「うん。怒ったりなんかしてないよ」
エクスはベッドの上で両膝を抱え込むと、そこに顔を埋めた。
勘違いかもしれないけれど、彼女の耳が真っ赤に染まっているような気がした。
「あの、エクス……さん?」
「……ねぇ、ツルギくん? 昨日のことだけど、私その……変な寝言とか言っていなかった?」
抱えた膝に顔を埋めたままエクスがポツリと言う。
そのとき、頭のアホ毛が忙しなく左右に揺れているのが気になったが黙殺した。
「変な寝言? いや、変な寝言なんて言っていなかったぞ?」
「ほ、本当に!? それなら、いいんだけど……」
がばっと顔を上げたエクスの頬が紅潮している。
どうやら、本人的に昨晩のことをなんとなく覚えているらしい。
エクスは艶めく長い金髪を片耳にかけると、どこか恥ずかしそうに視線を彷徨わせる。
その様子を見て俺は肩を竦めると、エクスの隣に腰を下ろした。
「なぁ、エクス。別に無理して強がらなくてもいいんだぞ? 辛いことは誰にだってあるし、弱みだって誰にでもある事だ。お前はそれを俺に見せないようにしているようだけれど、俺たちはパートナーなんだから隠す必要なんてないんじゃないか?」
「やっぱり人の寝言を聞いていたんじゃないか! もう~っ!」
俺に寝言を聞かれたことが相当に恥ずかしかったらしい。
エクスは不貞腐れたように頬を膨らまると、俺の顔を恨めしげに見上げてきた。
「べ、別に、私は強がってなんかいないし弱音だって吐かないモン! それに、私の方がアヴァロンでは先輩だし、ツルギくんに泣き言なんか言わないからね絶対!」
真っ赤な顔で抱えた両膝を見つめながら、エクスが足の指先をもにょもにょと動かす。
彼女は弱音や後ろめいた発言を意地でもしたくないらしい。
多分それは、パートナーである俺が不安になると思っているからなのだろう。
本当は泣き言のひとつやふたつ言いたいだろうに。何気にプライドが高いようだ。
でも、そんなちっちゃな見栄を張るエクスが、俺は見ていて可愛かった。
「なぁ、エクス」
「なに?」
「ギュッとしていいか?」
「ふぇっ!? な、なんで?」
「だって、お前が可愛いんだもん」
「ツルギくん、私のことをバカにしている?」
「別にそうじゃねえよ。俺はただ、お前にもっと甘えてくれって言いたいんだよ」
「なにそれ? でも、まあ……」
と、呟いてから、エクスは俺の肩に寄りかかってきた。
「ツルギくんがそう言ってくれるなら……ちょっとだけ、甘えちゃおうかな?」
触れ合う肩に感じる温もりで鼓動が早まる。
不意に視線を移してみると、頬を朱色に染めたエクスが俺の顔を見て微笑んでいた。
潤んだ蒼い瞳と艶めく形の良い唇。
微かに聴こえてくるこの音は、エクスの鼓動だろうか。
「エクス……」
「ツルギくん……」
気が付くと、お互いの距離がグッと詰まっていた。
これはアレだ。絶対アレだ。キスだ、キスできる雰囲気だ!
とくんとくんと脈を打つ音が耳元で聴こえてくる。
なんか今なら……色々とイケる気がする!
そっとエクスに顔を近づけてみると、彼女が拒む様子はない。
というか、瞳を閉じているし!?
これなら、回復行為とか関係なく、エクスと甘いキスが――。
――ピンポーン!
……できると思っていたら絶妙なタイミングでインターフォンが鳴り響いた。
出たよこの展開。いい感じになろうとすると邪魔が入るとかいう定番のアレだろ?
「……」
「……」
暫し無言のままエクスと見つめ合っていると、今度は連続してインターフォンが鳴らされた。
その気の抜けた音に、せっかくの良い雰囲気が台無しにされてゆく。
「……あんにゃろう。クイズ番組じゃねえんだから、連打しても回答権なんて得られねえつーの」
「あの、ツルギくん。カナデさんが迎えに来たみたいだけどいいの?」
「気にするなエクス。俺はお前のためなら学校なんて……」
と、言いかけた直後、我が家の階段を何者かがどたどたとした足取りで駆け上がってくる音がする。
……あいつ、いつもどこから不法侵入していやがるんだ?
「ちょっとつーくん、いるんでしょ〜? 早く出てこーい!」
「……ツルギくん。行ってらっしゃい」
「……あぁ、行ってくるよ」
その後、俺は消化不良な気持ちのままカナデに連れられ登校することとなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます