第5話 魔剣の精霊

 雨でぬかるんだ地面に何度も足を取られそうになってかなり苛立つ。

 でも、ここで転倒なんかしたら、もう絶対に走れないだろう。

 そのくらいに俺の両脚は限界を迎えていた。


「ハァ、ハァ、クソッ……勘弁してくれ」


 彼女を抱えたまま校舎裏にある建造物を目指す。

 そこにあるのは剣道部道場であり、内側からカギが掛けられるようになっている。

 なんとかそこへ逃げ込めれば、少しくらいの休憩はできるだろう。


「ハァ、ハァ……ようやく、着いた――」


 滑り込むように剣道場へ駆け込むと、俺は素早く扉にカギを掛け、道場の床に倒れ込み天井を仰いだ。


「なんとか、急場は、凌げた、けれど、これからどうするよマジで……?」


 喉がヒューヒューと音を立て、耳元では心臓の鼓動がうるさく鳴っている。

 人間ひとりを担いだ状態で、こんなに長距離を走ることなど普通ならできないだろう。

 しかし、俺は常日頃から重りを付けてランニングなどをしていたらかそれができた。

 やはり、親父から教わってきた鍛錬を怠ならなくて良かった。


「……ははっ。日頃の修行が実を結んだ結果だなおい。つーか、こんなことに巻き込まれるくらいなら、あの時カナデを待っとけばよかったな……」


 あの時にカナデを待っていたら、こんな事件に巻き込まれることはなかっただろうなんて思っていたりする。

 でも、もしそうだとしたら、ここにいる彼女が窮地に陥っていたかもしれない。

 まあ、今も十分に窮地な状況なのだけれど……。


「とりま、しばらくここで体を休めねえと……動けねな」


「……う、うぅ……」


 呼吸を整えながら深呼吸をしていると、隣で横たわる彼女の口から僅かに声が漏れた。

 俺はすぐさま飛び起きると、彼女の身体を抱き起して必死に声をかけた。


「意識が戻った!? おい、大丈夫か? しっかりしろ!」


「ふぇっ?」


 気の抜けた声で彼女は瞼を擦ると、焦点の合わない瞳で俺の顔を見つめる。

 それから数秒して焦点があったのか、彼女は何度か目を瞬かせると……その顔色を青くさせていった。


「えっと、あの……」


「……きゃあああああああああああああああああああああっ!?」


 絹を裂くような女の悲鳴とはこのことか。

 俺は彼女の上げた強烈な悲鳴に思わず耳を塞いで思わず後転した。


 すんげ―悲鳴だった。

 正直、鼓膜が破れるかと思った。


 彼女は胸元を隠すように立ち上がると、怯えた表情で俺を睨みつけてきた。

 別に何をしたわけでもないのにそんな風に身構えられると、助けたこっちとしては大変ショックである。


「あ、アナタ……私に何をしていたの!?」


「いやいや、何もしてねえから! 通りがかった神社でキミが突然俺の方に吹っ飛んできて、そしたら今度は化け物が……」


「化け物? そっか、私はセイバー候補のもとへ向かう途中で魔剣のオーラを感知してそれで戦闘に……」


「えっと、あのー?」


 彼女はこめかみに手をあてると、真剣な表情で黙り込んだ。

 日本語が話せるようで割と安心したけれど、先程から俺をチラチラ見る瞳が警戒心満載でちょっと悲しい。


「えっと、キミの名前は何ていうの? 私の名前はエクス。エクス・ブレイド。キミが見たというその化物だけど……ううん、何でもないや。とにかく私を助けてくれてありがとう」


 エクスと名乗ってきた彼女は、艶のある長い金髪を片手で払うと、ようやく微笑んでくれた。

 どうやら、俺が危険人物ではないと理解してくれたらしい。


「いや、礼なんかいいよ。それより俺の名はツルギ、草薙ツルギってんだ。よろしく!」


「草薙ツルギくんか……。私も名前に刃、ブレードが付くから、なんだか同じだね?」


 そう言って優しく微笑んだ彼女に、俺は見惚れていた。

 ……やだなにこの子マジ可愛いんですけど!?


 悪戯っぽく微笑んできたエクスちゃんに俺の心がときめく。

 そうだよ、やっぱ白人美少女だよね?

 その容姿もさることながら性格も美しいとか完璧だわ。


 けれど、今はこんなところで萌えている場合じゃない。

 彼女なら例の化け物とこの街についてなにか知っているだろう。

 今はそれを訊くことが最優先だ。


「あのさ、話を戻すけどエクスちゃん。俺たちを襲ってきたあの化物はいったいなんなんだ? それにこの街の様子も変だし、キミならなにか知っているんじゃないのか?」


 俺の質問にエクスちゃんは咳払いを一つすると、腕組みをして言う。


「……えっと、ちゃん付けされるとなんだか恥ずかしいから、私のことはエクスって呼んでくれていいからね?」


「そうか。じゃあ、エクスで」


「うん、それでいいよ。ところで、キミは既に巻き込まれてしまっているから説明しておくけれど、あいつは『魔剣の精霊』と呼ばれた怪物なんだ。そして、私は『聖剣の精霊』という奴らを殲滅するための特殊部隊員であり、私とツルギくんがいるこの空間は《ミラー》といって私たち聖剣の精霊が魔剣の精霊と戦うために造りだした異空間世界の中なの」


「……っ」


 ……やだなにこの子。

 可愛い顔して中二病なのかしら? 

 魔剣の精霊? 聖剣の精霊? なにそれおいしいの?


 説明を受けた俺の反応がお気に召さなかったのか、エクスは一瞬だけキョトンとしたあと、眉間にシワを寄せて頬を膨らませた。


「んもぅ、ツルギくん! 私の話を信じていないでしょ? 今、説明した通り、この《ミラー》の中で私たち聖剣の精霊は魔剣の精霊と戦うの! ちなみに、《ミラー》というのを簡単に説明すると、現実世界と同じ時間軸上にあるもう一つの疑似世界で、その名の通り《ミラー》。鏡の向こうに見える世界みたいなものなんだ。信じてくれた?」


「……うん。それとなく、ね」


「……その顔はまだ信じていない感じでしょ?」


「いや、信じているよ。だって、エクスが可愛いもん」


「それ今の説明とまったく関係ないよー! でもまあ、可愛いって言ってくれたことは素直に嬉しいけど……。でも、真剣に話をしている人をからかうのはダメだよ?」


 俺の顔を見上げながら一本指を立て、怒り顔をするエクスが可愛くて堪らん。

 このまま彼女を遠いどこかに連れ去ってしまいたいところだが、今はそうも言っていられない。

 とにかく、彼女と一緒にこの窮地を乗り切る術を探すべきだ。


「とりあえず、エクスの話は理解したよ。それで、ここから脱出するためにはどうしたらいいんだ?」


「それなんだけど、この空間から脱出するためには――」


 と、エクスがその方法を説明しようとした刹那、道場の扉が爆発でもしたかのように勢いよく破られた。


 顔に吹き付けてくる砂埃に俺が顔をしかめていると、視線の先にあの化け物の姿が映って顔の筋肉が引き攣った。


「うひぃっ!? 奴が来たぞエクス!」


「間違いなく魔剣の精霊だね。こうなった以上は、ここで戦うしかないか……」


「戦うって、アレと? どうやって!?」


「ツルギくん。キミを巻き込んでおいてこんなことを言うのもなんだけど、あいつと戦うため私に協力して欲しいの!」


「マジでか!?」


「マジだよ!」

 

 素っ頓狂な声を上げる俺にエクスが真剣な表情で頷く。


 これはもう避けては通ることのできない状況らしい。

 ともすれば、エクスに協力する他ないだろう。


「オーケーわかった。俺も協力するぜ。でも、具体的に俺はなにをすればいい?」 


「そこなんだけど、アイツを倒すためには私の中にある魔剣討伐用戦闘デバイス『聖剣』が必要なんだ。でも、その聖剣を取りだすためにはちょっと時間が必要となるから、ツルギくんにはその間だけ奴の意識を私から逸らして欲しいんだ!」


「要するに囮って事か?」


「言い方は悪いけれどその通りだね。キミを巻き込んでしまって申し訳ないけれど奴を倒すにはその方法しかないんだ!」


 魔剣の精霊を睨みつけるエクスの表情が険しくなる。

 俺たちが生き残るためには、エクスの中にあるという聖剣と呼ばれた兵器かなにかが必要らしい。

 それを取り出すまでの間、奴の意識を彼女から逸らすことが俺の使命だ。


「……オーケーわかった。どうせこのままだとゲームオーバーになっちまうんだ。喜んで協力するぜ!」


 道場の壁にかけられていた木刀を二本拝借すると、俺はその切っ先を化け物に向けて声を張った。


「おいこの人体模型野郎! お前の相手はこの俺だ。どっからでもかかってきやがれ!」


「ヴオオオオオオオオオオッ!」


 俺が挑発をすると、魔剣が眉根を寄せて咆哮を上げてきた。

 皮膚の表面がビリビリと痺れるようなその声量に俺はごくりと喉を鳴らすと、両手に持った木刀を構えて駆け出した。


「エクス、時間は稼いでやるから早くしてくれ! 流石に真剣と木刀じゃ、あまりにも分が悪すぎるからな!」


「わかってる。頼んだよ、ツルギくん!」


 俺の言葉にエクスは力強く頷くと、離れた場所で瞳を閉じて精神集中をし始めた。

 その間に俺は魔剣の精霊に接近し、奴が繰り出す乱暴な攻撃を回避して木刀を叩き込んだ。


「ウラウラウラウラアアアアアアアッ!」


 魔剣の腹部やら脚部などを木刀で叩きつけるが、奴は怯む様子もなく平然としており、身の丈ほどある黒い西洋の剣を振り回してくる。

 それでも、当初の思惑通り魔剣の意識をこちらに向ける事はできているから概ね成功だろう。

 とは言え、こんな戦いをいつまでも続けられるわけがなかった。


 俺の振り抜いた木刀が魔剣の刃で斬り落とされる。

 半分になった木刀を投げ捨てると、俺は新たな木刀を壁から抜き取り、再び応戦した。


「おいエクス! そのなんとかデバイスってのはまだ取り出せないのか!? そろそろこっちも限界が――」


「んくぅ……ハァンっ」


 ……え? なに? なんか今後ろの方から喘ぎ声みたいな声が聴こえたんですけど?


「んぅっ……くぅぅ……アッ」


 この場に似つかわしくない艶めかしい嬌声にゆっくり振り返ってみると、視線の先で壁に寄りかかるエクスが、頬を紅潮させて自身の胸を厭らしい手つきで弄っていた。


「……お前、なにしてんの!?」


「ふぇっ!?」


 俺の呼びかけにエクスはハッとした顔をすると、胸を弄っていた右手をサッと後ろに隠した。


「ち、違うよ! これは、その……儀式のようなもので、私の中にある聖剣を取り出すためにはこうやって……せ、性的な快楽を得ないとダメなんだ!」


 真っ赤な顔でしどろもどろになりながらそんなことを言うエクスに、俺は愕然とした。

 この子、ダメな子だ。


「バカなのっ!? こんな危機的状況でオ○ニーするとか、正気の沙汰じゃねえぞマジで!」


「仕方ないじゃないか! 私のデバイスは本当にこうしないと取り出せないんだもん!」


「バカですか? お前はバカですか、ええ!? そもそも俺は――」


「ツルギくん、後ろ!?」


 常軌を逸したエクス行動に仰天して完全に敵へ背中を向けていた。

 そんな俺に魔剣は凶刃を振り上げると、容赦なく襲いかかってきた。


「のはあっ!?」


「ツルギくん!?」


「俺のことはいい! それより、早くその聖剣とか言う兵器を取り出してくれ!」


「で、でも!」


 魔剣の振り下ろしてきた刃を紙一重のところで躱すと、俺はエクスに背を向けて木刀を構えた。

 まさかのとんでもない光景に度肝を抜かれたけれど、今はエクスを信じて時間を稼ぐしかない。


「とにかくお前の言うことは理解した。なんでもいいからその聖剣とかいう武器を取りだしてくれ!」


「そ、そうは言うけれど、一度モチベーションが下がってしまうとなかなか感じることができないんだよ~」


「生々しいことを言うんじゃありません!? 今度は邪魔しねえから急いでくれ!」


「ぜ、善処するよ~」


 耳まで赤くなったエクスを背にして再び魔剣と剣を交える。

 今度は流石に油断できない。

 相手は真剣であり、それに対して俺は木刀である。

 しかも、こちらの攻撃が一切通じないというのだから最早負け戦に近い状況だ。


「こんな一方的な喧嘩なんて冗談じゃねえぞ!」


 戦い始めてから数分後、またもや道場内に女子の卑猥な声が漏れ始める。

 木刀を魔剣に打ち込むたびに重く鈍い音が道場内に響くが、それに混じって聞こえてくるエクスの官能的な嬌声にモヤモヤした。


「まるでエロビデオを見ながら殺し合いをしている感じだな。カオス過ぎるだろこれ……」


 魔剣が振り抜く刃を回避したとき、視界の端にエクスが映り込む。

 エクスは道場の壁に身体を預けながらローブの胸元に片手を突っ込み、呼吸を乱して悶えていた。


 小さく吐息が漏れ出す唇はしっとりと濡れ、快楽で歪んだ表情が俺の股間を刺激する。 

 それはもう、悶絶するレベルのものだった。


「……クソッ。なんてエロイんだ」


「ツルギくん、前!?」 


 エクスの張り上げた声にハッとした直後、魔剣が剛腕を振り抜いており、俺は殴り飛ばされ道場の壁に背中を打ちつけてその場で蹲った。

 あれだけ油断しないように心掛けていたけれど、やはり性欲には勝てないらしい。


「ツルギくん、大丈夫!?」


「……チッ、油断したぜ。俺は大丈夫だ。それよりエクス、お前は早く聖剣を――」


 額から流れてくる脂汗を袖口で拭い視線を上げたとき、魔剣がエクスの背後に迫っていた事に気付いて総毛だった。


「エクス、危ねえ!」


「ふぇ?」 


 呆けた返事を漏らしたあと、エクスが後方を振り返った。

 だが、そのときには既に魔剣が刀身を大きく振りかぶっており、血のように赤い奴の双眸がニンマリと笑んでいた。


「エクス、伏せろ!」


「きゃあっ!」

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