第4話 彼女との出会い

 ――放課後、どんよりとした鉛色の雲で街全体が覆われていた。

 そのせいで、夕刻時の校舎の中も薄暗さを増しており、下駄箱へ向かう足取りがどことなく重く感じた。

 ふと外の景色に目をやれば、サッカー部の面々が、今日も声を上げて練習に励んでいる。

 爽やかな汗を流し、スポーツという名の青春を謳歌するのは悪くないことだ。

 しかし、俺はそんな『青春』よりも『性春』の方が好きだ。


「……フッ。俺も彼らに負けず、今宵も白人美少女との性春に明け暮れるとするか」


 そんなくだらんことを考えながら、下駄箱で靴を履き替えていると、メールの受信音が昇降口に響いた。

 おそらく、メールの差出人はカナデだろう。


「すまんな、カナデ。俺には、やるべきことがあるんだ……」


 実を言うとHRのとき、カナデから顧問の先生との面談が終わるまで待って欲しいと頼まれていた。

 だが、三十分以上待てども、面談が終わる気配がなかったので『先に帰る』と、ハート付きメールを送信しておいた。

 するとその数秒後、カナデから『帰るな!』と、激おこクマさんスタンプ付きのメールが返信されてきて、ほんの少しだけ後ろめたさを感じていたりする。

 でも、多忙な俺は友人の返信に既読スルーという技を用いて、対処した。


「さて、我が家で俺の帰りを待っている白人美少女たちのために帰るとするかって……うげ、雨かよ」


 昇降口から出た直後、俺の頬に冷たい水滴が落ちてきた。

 不意に空を見上げて見れば、雨の雫がしとしと降りだしてきた。


「本降りになる前に急いだ方が良いな。カナデの事を待たなくて正解だったぜ」


 とは言うものの、その想いとは裏腹に無情にも雨足はどんどんその勢いを増してゆく。 


 頭に乗せたスクールバッグが、水気を吸ってずっしりと重くなる。

 それに伴い、降り注ぐ雨も勢いを強めてきた。


「クソッ。これはカナデを待たなかった俺への罰か? 神様も面倒臭いな……」


 激しく降り続ける雨空の下で、必死に首を巡らせて雨宿りをできる場所がないかを探してみる。

 するとそのとき、視線の先に古びた神社を発見した。


「よし。あの神社の軒下で雨宿りできそうだな」


 今日の天気予報で雨が降るという報道はされていなかった。

 つまり、この雨は夕立なのだろう。

 それならば、少し待っていれば時期に止むかもしれない。

 そんなつもりで俺が神社の鳥居をくぐったそのとき、全身に強烈な違和感を感じた。


「なっ、なんだ!?」


 自分でもなにが起きたのかわからなかった。

 鳥居をくぐった瞬間、身体が鉛のように重く感じて動けなくなった。

 頭は普段のように働いているけれど、その脳波信号が身体に伝わっていないような感覚がして身動きが取れない。

 おまけに、周囲の景色も灰色に見えて、音も聴こえなくなった。


「なんだよこれ……えっ!?」


 自分の身に起きている不可思議な現状に当惑していると、神社の境内の方から人影のようなものが勢いよくこちらに吹っ飛んできた。


 身体の自由が利かない俺は、その対象物と見事に衝突すると、そのまま神社の外へと投げ出された。


「痛ってえ~。なんだったんだ今のは……って、え?」


 背中に感じる鈍痛に顔をしかめていると、俺の腰元に重みを感じた。

 その重みに視線を下げてみると、俺の腰元には白いローブを纏った人が覆い被さるようにこちらへ身体を預けていた。


「お、おい、アンタ。大丈夫か?」 


 俺の呼びかけに反応をすることなく、ローブ姿の人物はぐったりとしている。

 恐らく気を失っているのだろう。

 そいつの四肢はピクリとも動く気配がなく、まるで死んでいるかのようだった。


「おいおい冗談じゃねえぞ……とにかく救急車を――!?」


 予期せぬ緊急事態にスマホを取りだして電話を掛けようとした瞬間、背筋にぞくりとしたものを感じた。


「な、なにかいる……」


 後方から忍び寄るように聴こえてくる足音。

 その音に戦々恐々としながら首を巡らせてみると、俺の背後に恐ろしいものが立っていた。


「あ……あぁ……」


 それは赤黒い皮膚をした人間だった。

 いや、人間というにはあまりにも不完全だった。

 俺の視界に映るそれは、骨と筋肉が剥きだしとなった未完成な人間だった。

 例えるならそれは、人体模型の半身ような姿だ。


 そいつは口元から白い湯気を吐き出して、静かにこちらを見つめている。

 血のように赤い双眸は鋭く細められており、こちらに対して明確な殺意を抱いているように見えた。

 しかも、その化け物の手には、どす黒い西洋の剣が握られており、その切っ先が地面に一筋の線を描いていた。


「なんなんだよ……いったいなんなんだよ、お前はっ!?」


「ヴオオオオオオオオオオオッ!」 


 化け物が咆哮を上げた瞬間、全身からぶわっと汗が噴き出した。

 この場から逃げなければ確実に殺される。

 それを直感したのか、俺の身体は既に動いていた。


「うわあああああああああああああっ!?」


 特に意識したわけじゃないのに、俺は白いローブ姿の人物を肩に担いでその場から走り出していた。 

 雨宿り目的で立ち寄ったはずの神社なのに、どうしてこんなことになったんだ?


「ふざけんじゃねえよコンチクショウ! なんでこんな目に遭わなきゃなんねえんだよ!」


 苛立だった自分の声が雨の音にかき消される。

 耳を澄ますと、後方から水たまりを踏みつけるような足音が聞こえた。


 間違いない。

 奴が俺を追いかけているんだ!


「どこかに逃げ込まねえと……そうだ、学校なら!」


 俺の通う高校は先ほどの神社からさほど離れていない場所にあった。

 このまま学校に戻れば先生や他の生徒もいるだろうし、そうすれば警察なり、なんなりに通報してもらえるはずだ。


「うおおおおおおおおっ!」


 激しく降る雨の中を人間ひとり抱えて走り抜ける。

 顔に叩きつけてくるような雨のせいで、とにかく視界が悪かった。

 でも、方向感覚はしっかりしているから学校までの道順に問題はないはずだ。


「ハァ、ハァ、あと少しで、学校だ。そうすれば……助かる――」


 その想いだけが唯一の希望であり、俺の原動力だった。

 でも、そんな俺の希望は学校の正門を走り抜けた瞬間に消え失せた。


「なんだよこれ……冗談はやめてくれ」


 俺の視界に映った光景は、誰もいない校舎だった。


「なにがどうなってんだよ……」


 校舎だけじゃない。

 グラウンドにも誰ひとりいなかった。

 この時間なら、たとえ雨が降ろうと練習熱心なサッカー部や野球部の連中がいるはずだ。

 それなのにどこを見渡しても誰ひとりの姿も見えなかった。


「そんなバカな……。まだ四時半過ぎだぞ? そうだ、カナデに電話を――!?」


 カナデの顔を思い出し、ポケットから取り出したスマホの画面を見た瞬間、俺は血の気が引いた。


「……圏外、ウソだろ?」


 今まで圏外になるなんてことは一度たりともなかった。

 やはりこれは、なにかがおかしい。

 とはいえ、ここに居ればあの化け物に見つかってしまう。

 せめて、どこかに隠れて上手くやり過ごせればまだ助かる可能性があるだろう。


「とりあえず、どこかに隠れるしかないな」


 昇降口から校舎内へと足を踏み入れ、静まり返った廊下を歩く。

 教室のドアから室内を覗き込んではみるものの、やはり校内は無人だった。


 よくわからないけれど、俺がいるこの世界はまるで元いた世界から切り離された閉鎖空間というか、別次元の世界にいるようだった。

 今思い返せば、あの神社の鳥居をくぐった瞬間から全てが始まったような気がする。


「あの神社に元の世界へ戻る秘密でもあるっていうのか? いや、その可能性がある保証はないんだ。とにかく今は、身を隠せる場所を探して落ち着いたら考えよう……」


 答えのない自問自答を振り払うようにかぶりを振ると、俺は地面に寝かせたローブ姿の人物に視線を落とした。


「待てよ。こいつも俺と同じ世界にいるんだから何か知っているんじゃないのか?」


 足元でぐったりと横になるローブ姿の人物。

 こいつが何者なのかはわからないが、妙に風変わりな格好をしているから、この現状についてなにか知っているかもしれない。

 勿論そこに確証はないのだけれど……。


「おい、アンタ! 頼むから起きてくれよ。頼むって!」


 ローブ姿の人物を抱き起すと、俺は夢中でその細い肩を揺さぶった。

 本当に線の細い奴だ。

 ひょっとすると、こいつは女なのかもしれない。


 何度か肩を揺さぶっていると、目深に被られていたフードがはらりと外れた。

 その瞬間、俺は手を止めて目を見張る。


「お、女の子? しかも……」


 ――めちゃめちゃ可愛いんですけど!


 綺麗に整った西洋の顔立ちと、陶器のように滑らかで白い肌。

 身体の線はとても細く、カナデよりも華奢かもしれない。

 しかし、それでいながら、ローブの上からでもわかるほど豊満な胸を持っていて、女性らしい身体のラインがくっきりとローブ越しに浮かんでいた。


「マジか……これは女神だな」


 雨で濡れた彼女の長い金髪が、俺の掌にはらりとこぼれる。

 光沢を帯びたその濡れ髪はシルクのようで、どこか甘い香りが漂ってくる。

 そして、頭頂部から伸びた一本のアホ毛が特徴的に揺れていた。


「め、めっちゃ可愛い……って、そうじゃないだろ。おい、キミ。頼むから起きてくれよ? いったい何が起きて――」


 再び彼女を起こそうと声かけたそのとき、後方に気配を感じて寒気がした。

 不意に教室の窓へ視線を移すと、曇りガラスの向こうに影が映りこんでいる。

 その影は、なにかを引きずるような物音を立てて、俺たちが身を隠している教室の手前で立ち止まった。


「マジかよ……もう居場所がバレたのか?」


 曇りガラスの向こうに見える影は静かに静止している。

 俺は自身の口元を押さえ、息を殺していた。


(頼むから、どこかに行ってくれ!)


 そんな願いを抱いていた矢先、曇りガラスの向こうに映る影がその方向を変えてその場から立ち去ろうとした。

 その光景に安堵して、俺が短く息を吐いた直後、教室の窓ガラスが勢いよく破壊され、真っ赤な双眸をギラつかせたあの化け物がこちらを睥睨していた。


「のわああああああああああああああっ!?」


 意識のない彼女を肩に担ぐと、俺は教室のドアを蹴破り、慌ててその場から走り出した。


「冗談じゃねえ! やっと逃げ切れたと思ったそばからすぐこれか? つーか、なんで俺が追いかけられなきゃならねえんだよ!」


 あの化け物がなぜ俺を狙っているのかわからない。

 いや、ひょっとすると、俺ではなく、肩に担いでいる彼女を狙っているのかもしれない。

 だからといって、彼女を置き去りになどできない。

 だって、俺好みの超可愛い白人の女の子だもん!


「ハァ、ハァ……この一件がなんとかなったら、この子が俺にお礼におっぱいとか触らせてくれねえかな? ハッ、バカか俺は……?」


 自分でも馬鹿らしいと思うような台詞を吐いて鼻を鳴らすと、俺は彼女を担いで校舎の裏手へと逃げ込んだ。

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