間違いだらけのボクたちは

月波結

間違いだらけのボクたちは

 ある日、ボクたちはうっかり友人の柵を越えてしまった。お互いに本望ではなかった。


 何故ならカノジョには彼氏がいたし、その彼氏しか目に入っていなかったから。

 ボクはカノジョに恋をしていたので、こんなことでボクの心の秘密をバラしてしまうわけにはいかなかった。


 朝、目覚めるとボクとカノジョは事もあろうに同じベッドで寝ていた。映画のようにダブルのベッドなんてないもんだから、ボクの部屋のシングルベッドに折り重なるように寝ていた。ボクたちはお互いに体をすすすと離すと、相手の顔をまじまじと見た。

「なんか……ごめんなさい。わたし、昨日、飲みすぎたよね?」

「確かにうちにウォッカを持って現れたけど、はお互い様だよ」

 自分で言ったくせに、とっても残念な気持ちになった。


 そんなわけでボクたちは協力してこの間違いを、正すことにした。




「瀬戸クンてさ、二ノ宮サンのこと、好きだよね?」

「お前、そういうこと軽々しく言うなよ。千智ちさとには彼氏がいるんだし、そんなんじゃないよ」

「そっかなー。二ノ宮サンも瀬戸クンのこと、満更でもないんじゃん? 『ただの友だち』なんてポジ、有り得ないって」

 クラスメイトの多田美咲ただみさきはそう言ってボクを泣かせる。その有り得ないポジに1年以上居座ってるボクはなんなんだよ、と叫びたくなる。「千智、ボクはなんなんだよ」と聞いたところで彼女は花のように笑って「親友でしょう?」と答えるに違いない。


 学校の中庭の石畳の上で力なく座り込む。ボクの隣に多田は同じように座り込む。彼女は両手に白い息をはぁーっとかけて、暖をとっている。そして、

「瀬戸の気持ちがわかったのはね、わたしも瀬戸のこと、ずっと好きだからだよ。わたしとつき合えばいいじゃん? 二ノ宮のこと、忘れられるかもよ?」

 ゆっくり彼女の目を見た。それは名案だと思った。狡い手かもしれない。けど、ボクも多田のことを好きになれば何も問題ない。そうだ、ノープロブレムだ。

 ……この間のことは忘れてしまえばいい。消しゴムで消すように。




「つーか、なんで事後報告なわけぇ? 瀬戸が多田チャンのこと好きだなんて……気づかなかった。まじでこの間のこと、ごめん」

 千智はボクの隣に座って、下を向いた。至近距離にいる彼女を抱きしめたい気がするのだけど。それをしたらせっかくのが全部、ムダになる。

 ――ボクはこれから、多田のことだけを好きになるんだ。

「忘れようって言ったじゃん」

「うん、それがお互いのためだよね」

「そうだよ、だから……この話はもうやめよう」

「わかったよ」


「わかったよ」と言った千智の表情が曇っていたので、気に障ることを言ってしまったのかと気になる。ボクと間違って寝てしまったことを、千智はもしかしたら無かったことにしたくないとしたら?

 ……有り得ないよね。ずっと友だちだ。





 何しろ千智は坂田くん、一筋だった。

 告白してきたのは坂田くんからだ。千智はボクと一緒に中庭でだらだらしていたので、ボクは期せずして坂田くんの男らしい告白の現場に立ち合ってしまった。彼は、

「二ノ宮さん、好きです。あなたには瀬戸くんがいるのはわかってるんですが、それでも気持ちだけは伝えたくて」

と言った。ボクもカノジョもすっかり困惑して顔を見合わせた。兎にも角にもまずは彼の間違った認識を正さなければならなかった。


「坂田くん、ボクたちはつき合ってないよ」

 坂田くんの緊張した顔が、驚きに変わった。

「……瀬戸はわたしのいい友だちなの。坂田くん、でいいんだよね?わたしで良かったらよろしくお願いします」

 半年前の出来事だ。


 つまり、半年前まではボクは今の坂田くんの場所といちばん近いところにいて、千智との距離を見計らっていた。たぶん、そこが間違いだったんだ。そんなことをしていないで、男らしく玉砕覚悟で正面から千智に「好きだ」と一言、言えばよかったんだ。


 千智の彼氏の坂田くんはずっと体育会系の部活に入っていたという猛者だ。柔道やレスリングをやってきて、今は砲丸投げをやっている。あの、陸上競技の、大きな球をぐるんと回して遠くに飛ばす競技だ。


 一度、坂田くんの試合を見に千智に連れて行かれたことがある。その日はすごく暑くて、日差しを遮ることのない競技場でぐるんと球を放り投げる坂田くんの応援をした。

 千智は日傘をさしていた。太陽がじりじり燃えて焦げそうなボクに、カノジョは傘を差し出した。競技場の応援席には人はまばらで、そんな中でいわゆる「相合い傘」をしていたボクたちはさぞ目立ったと思う。カノジョは涼しい顔をしてイオン飲料を飲んでいた。


 また別の日には坂田くんがあのいかつい体でボクのところに現れて、「頼む! 千智さんをオレから盗らないでくれ」と頭を下げた。

 何かおごってくれるというので遠慮なく紙パックのフルーツミックスを買ってもらった。坂田くんは牛乳を飲んでいた。やっぱり陸上をやってるような人はプロテインなんだろうなーと思いながら見ていると、彼は切々とどれくらいカノジョが好きなのかを訴え始めた。


 坂田くんが言うには千智は輝く宝石で、自分には本当は不相応なのだと言う。だからボクは精一杯の作り笑顔で、「そんなことないよ。千智は確かに坂田くんのことが好きなんだ。ボクはたまにキミのことで相談されるだけの男友だちだよ」と言った。

 まったくその通りだった。

 恋の相談窓口が、ボクの役目だった。




「瀬戸! お前、一応、男なんだからさ、恋愛映画見てまじで泣くなよー」

と言いながら自分も目を真っ赤にして多田はティッシュを手にした。


 だってそれは泣ける映画だった。

 見知らぬ他人同士が友だちから親友になって、あるきっかけでベッドを共にしてしまう。それからふたりはぎくしゃくし始めて……。ハッピーエンドだった。


 ボクの恋はハッピーエンドになりそうにない。たぶん、映画の中の男性のように本当の親友にはなれず、常によこしまな心を持っていたからだろう。キッチンの窓枠のところにあの日のウォッカの瓶を置いている……。女々しいけれど、捨てるつもりはない。それとも多田に夢中になったらただのゴミになるんだろうか?


「どうしたん? なんか難しい顔してる」

「そうかなぁ? そんなことないよ」

「よく見せて」

 多田の顔がそっと近づいてきて、ボクたちは初めてキスをした。

「……ごめん、早過ぎた?」

「ボクたちはつき合い始めたんだもん、早いも遅いもないよ。恋愛映画を見て、キスをするのは順当でしょ?」

「それならいいんだけど、さ」

 彼女は指をごにょごにょさせた。あれは人が照れくさかったり、恥ずかしかったりしたときに見せる仕草だ。千智も恥ずかしいとよくごにょごにょさせていた。


 すべては後の祭りだ。

 ボクは多田とつき合い、キスまでしてしまった。余裕のある対応をしてしまったけれど心の中では「おおお?」と完璧に混乱していた。どんどん千智が遠くなって行く……。




「瀬戸ー、明日さぁ、この間見た映画の主演の人が出てる新しい映画、見ない?」

「ん? ああ、あれね」

「……あんまり気乗りしない感じ?」

「いや、そういうわけでは……」


 あの映画を見て泣いてしまったのは、いい映画だったからという理由もあるけど、それよりも自分と千智の関係がオーバーラップしたからだ。あの主演女優はキュートな面持ちが好みだったけど、それでも新作はきっと泣かないだろう。

 だけど、ボクは多田の彼氏になったんだから、こう言うよ。

「いいね、見たいと思ってたんだ」

 彼女の手持ち無沙汰な右手を、そっと握る。


「ね、席はどの辺がいいと思う?」

「真ん中がいいよねー。あんまり前すぎると首、痛くなるよね?」

 気がつけばボクと多田のデートは、千智と坂田くんも合わせたダブルデートになった。って、死語じゃないのか?


「瀬戸は飲み物、オレンジ? コーヒーとか紅茶もあるよ」

「ええ? コーラとかじゃなくて?」

「あー、ボクは炭酸、あんまり好きじゃないんだよ」

「オレンジジュースください、とかマジ顔で言うんだよー、ウケるでしょ?」

 久しぶりに千智の笑顔を近くで見た気がした。それは物質的な距離ではなくて、精神的な意味あいでだ。

「苦いものより甘いものが好きだし、お子様だよね?」

 千智に言われると腹も立たない。多田は、ボクと千智の顔を交互に見ていた。




 会うだけなら、大学の中ではいくらでもニアミスする。千智はたいてい、坂田くんと一緒だけど……。ボクが多田とつき合い始めてから、ボクと千智は仲がいい友人とはこれっぽっちも言い難い、ただのクラスメイトに、負のベクトルに引っ張られて進んでいた。


「多田チャンと上手く行ってるみたいジャン?」

「まぁね」

「……どこまで行ったん?」

「そんなことまで聞くのかよ?」と思った。ボクの心はズタズタに破れていく。まさに、broken my heart だ。

「……キスまでだよ」

「なんか初々しいー! 次はさっさと……あのさ、あのときのことはノーカンだよ」

「ノーカンだろ」


 なんだよ、千智はちらっとでも多田を抱くボクを想像したのかよ? そんで、……あの夜のボクと重ねたのかよ。これから見る安っぽい恋愛映画よりよっぽど泣けるし、一周まわって笑えるよ。千智がそれを望むなら、ボクはどんどん狡くなって、どこまでも多田を千智の代わりにして、いつか代わりだなんて思えなくなるまで……。あるわけないじゃん。




「ごめん、やっぱり無理だ」

 映画の後、入ったホテルの部屋でボクはそう言った。彼女はどさっと「その為」にあるベッドに腰を下ろした。

「あのさ、最初に言ったけど『代わり』でいいんだよ? そんなにマジメに考えなくてもさ。瀬戸だってそういう欲求、あるでしょ?」

「……欲求不満てこと? そんで多田を押し倒せってこと?」

「まぁ、そんな感じ……」


 彼女は上着を脱ぎ、セーターの裾に斜めに手をかけた。

「ちょっと待ってよ! そういうつもり……ない」

 うなだれて大きなため息をひとつついて、多田はボクを見た。

「わたし、本気だもん。瀬戸といられるなら、何だってする」

 何だって、って……。仕方がなくなって、ボクはボクたちだけの秘密を打ち明けた。それは本来、ボクと千智だけで共有してるからこそ大きな意味を持っていて、多田に話すことで「ふたりだけの」特別なものでは無くなっていく。


「……ヤッたときの記憶、あるの? 酔ってたんでしょ?」

「ある。千智はすごい酔ってたからわかんないけど。何か不思議な勢いが働いて、そのときはそういう流れになるのが自然だったんだよ」

「……それは、瀬戸がツラいパターンだね」

 ボクらはベッドの上で何もしないで転がっていた。顔を腕で覆って、自分が女の子なら泣けるのにな、なんて女々しいことを考える。


「癒してあげられなくてごめん。もっとセクシーな体だったら瀬戸もクラクラして、わたしでも抱きたくなっちゃったかもしれないし」

「話、聞いてくれただけでありがたいよ。ツラいんだってわかってもらえて」

「うん、彼女じゃなくなっても話は聞くからさ。強引に誘っちゃってごめんね」

 多田は自分にはもったいない女のコだと思った。




「最近、多田チャンと一緒にいないじゃん。ケンカしたん?」

「お前だって『坂田くんがー』って言ってこないジャン。上手く行ってんの?」

「上手く……んー」

 千智は地面に下手くそなアニメのキャラクターを描いて、吹き出しに『へたくそ』と書いた。本当に下手くそで、笑うに笑えなかった。


「瀬戸さー、この前の『ノーカン』のときの記憶ある?」

 突然、多田と同じことを聞かれてドキドキする。

「千智はあるのかよ、あんなに飲んで」

「んー、瀬戸はあんのかよ、あんなに飲んで」

「そういうの、面白くないな」

 描いた絵を履いていたブーツのソールで、ごしごしと消した。そして、自分で自分の肩を抱いて、「寒いなぁ」と言った。

 ここが勝負の出どころかも、と思った。今、ボクたちはストーリーの分岐点に来ていて、ここの出方次第で方向性が変わるように思った。


「……覚えてる、全部。本当は勢いじゃなかったし」

 ぼそぼそっと本当のことを話す。千智の顔がカッと赤くなって、ボクをキッと見た。カノジョの緩くカーブのかかった髪に触りたい、と何故か全然関係のないことを思いながら、カノジョの視線を受け止めた。

「勢いじゃないって何よ?」

「まんまだよ」

「言っていい冗談と、言っちゃいけないのがあるジャン」

「本気だから。ジョークじゃないよ。坂田くんと早く別れればいいなって、最初から思ってるし、千智にアドバイスしながらいつもそう思ってたし」

「ジョークになんないよ」

 立ち上がってカノジョはどこかに行ってしまった。


 すごいバカなことをして、ボクは分岐点の選択肢を間違えたのかもしれない。坂田くんが現れるあの日まではボクの千智だった。ボクが誰よりも千智の近くにいたし、……分岐点を間違えたとしたらあのときで、それは半年も前のことだ。坂田くんのやっている競技が砲丸投げでも円盤投げでも、本当はどうでもよかったんだ。


 アパートの薄い壁にもたれて、あの日ふたりでベッドを眺めていた。好きな女のコを抱いて、忘れるわけないじゃないか。千智はバカなんじゃないの? ……千智は、消しゴムでもう消しちゃったのかよ。あー、坂田くんとは間違えないのかと思うとすごい悔しい。一生懸命、坂田くんとの悩み事を聞いてるふりをしてたボクはバカだった。




 多田はやさしい子で、サヨナラをしたあの日から、ボクの相談役に徹してくれた。あの頃のボクと千智が坂田くんの話をしていたように、多田がボクの片想いの話を聞いてくれた。

「そっかー、そういう場合、怒るんだ?」

「多田は怒んないの?」

 学食のカフェテリアでお昼を食べながら話をする。

「だって、お互い様ジャン? 瀬戸が襲ったわけじゃないし。そもそも、なんでウォッカ? 二ノ宮って酒豪なの?」

「……そう言えば、ウォッカ持って乱入してきて、叫んで泣いて、とりあえず坂田くんのことかなと思ってなだめたけど」

「けど?」

「理由は聞かなかったなぁ」


 あの日の千智はめちゃくちゃ荒れていて、自分の部屋で飲んでから、更にウォッカを買ってボクの部屋に乱入したように見えた。理由はわからなかったけど、坂田くんが浮気でもしちゃったかのような騒ぎだった。


「ねぇ、二ノ宮は坂田くんのどんなこと、相談してくるの?」

「何って……わりとたわいもないこと。差し入れは何がいいか、プレゼントは何が喜ばれるのか、デートのときに着ていく服はどんなんだと喜ばれるのか、とか」

「それさ、相談て言う?」

「相談だろ?」

 ボクはまたフルーツミックスを飲んでいて、多田はジンジャーエールを飲んでいた。フルーツミックスはいつも通り、安定した甘さだった。


「アホくさ」

「何だよ、その言い方」

 まだ食事の終わらない多田は、和風スパゲティをひと口食べてから答えた。

「そんなの、二ノ宮は瀬戸に話しかけたかっただけじゃん? わかんないの?」


 ボクの頭の中を、坂田くんの投げた砲丸が飛んで行く。脳の壁をぶち破りそうな勢いだ。

 激しい動揺がめまぐるしくやってきて、それはない、と正常な神経に語りかけた。

「ないよ」

「わかんないかなー? だってそんな相談、意味ないよ。二ノ宮だって女ともだちもいるんだし、わたしみたいに瀬戸狙いの女子に睨まれてまで彼氏のちっこい相談する? 瀬戸と話したかったのは、二ノ宮だよ」


 頬杖をついた。

 ボクと彼女の本当の分岐点はどこだったんだろう?

 ベッドを共にしちゃったとき?それとも……。

「そんなこと、にわかに信じられないよ。多田には悪いけど」

「よく考えてみればわかるよ」

 多田はボクの苦手なジンジャーエールに口をつけた。炭酸の細かい泡がパチパチはじけた。




『あんなことで怒ってごめん。元はと言えばわたしが酔ってたのが悪いんだし。悪かったと思ってるよ』

 千智からメッセージが入ってると気がついたのは、部屋に戻ってからだった。そうか、この文面からいくと、千智は覚えてないんだなぁ……。覚えてなかったとすると、彼氏のいる千智をボクは襲ったことになるわけで、なんかちょっとツラい気持ちになった。

『酔った隙につけ込んだみたいでごめん。ノーカンにはもうなんないよね。マジでごめん』

『今から行くから』

『うち?』


『うち?』と打ったとき、既読はつかなかった。最初から来るつもりだったのかもしれない。でも、何をしに来るんだろう?坂田くんのことで相談?何だか上手く行ってないみたいだったみたいだし……。

 こんなことになっても、坂田くんと千智の仲を気にしている自分が滑稽で。


「瀬戸!」

 ドンドン、とドアチャイムを無視して千智はやって来た。まったく女のコなのに……と思いつつ玄関を開ける。

「上がるよ」

「どうしたの?急用?」

 千智は口をきかず、コンビニの袋をテーブルの上にドンと置いた。けっこうな重さのものが入っている音がした。


「ねぇ、千智……同じ間違いはもう」

「いいジャン、瀬戸は覚えてるんでしょ? わたしも覚えてる……」

「あー……」

 何を言ったらいいのかわからなかった。つまり、千智はボクがどんなことをして、どんな風にカノジョを扱ったのか、全部覚えてるってことかー。ボクは恥ずかしくて死んでしまいそうになり、顔を手で覆った。


「あー、ごめん、いまちょっと混乱して……」

 ボクはミシッと音を立てる安いベッドに腰をかけた。そう、あの日のベッド……。そう思うとこのベッドこそ忌々しい気がしてきた。

 あの日のことは覚えてはいるものの、正直、自信がなかった。

 第一、ボクは坂田くんみたいに筋骨隆々ではないペラッペラな男だ。


 プシュッと景気のいい音がして、千智が缶ビールのプルタブを引く。

「ちょっと待って!」

 ボクの言葉にカノジョの手が止まる。

「今日はビールしか買ってないからそんなに酔わないって」

「だってこの前みたいに『間違い』が起こったらさ……」

「問題だよね?多田チャンに申し訳立たないし」

「多田は関係ないだろ?」

「ある」


 千智はビールをもう一度、持ち上げた。

「だから、やめろよ。そんなに強いわけでもないだろ?」

「うっさいなー。わたしの勝手ジャン」

「じゃあ、お前の部屋で飲めよ。とにかく『間違い』はもうごめんなんだよ。後悔したくない」


「シラフならいいの?」

 カノジョはボクに近寄って、肩に手をかけて踵を上げてキスをした。カノジョの目は閉じられていたけど、ボクは目を開けたままで、まだシラフのカノジョの顔が迫ってくるのをじっと見ていた。唇に、やわらかい感触……。

 だって、こんなの信じられない。


 そっと体を離すと千智は喋りはじめる。

「この間のキスはふたりともアルコール臭くて最悪だったね」

「かなりね」

 今度はボクの方から顔を斜めに傾けて、やさしくキスをする。

「飲む前で正解ジャン」

「ほんとだ」

 くすくす笑う。


「……坂田くんに悪くないの?」

 カノジョはすごく難しい顔をして一瞬、考え事をしているようだったけれど、何かを思い切ったようにボクに顔を向けた。

「坂田くんにはずいぶん前に話してあるの」

 急に「女のコらしく」なった千智に、ボクの目は奪われる。さっきキスをした唇がツヤっぽい。


「覚えてるかな、坂田くんにわたしが告白された時のこと」

「うん、よく覚えてるよ」

 千智はまた指をごにょごにょし始めた。

「坂田くんが告白に来たときに、瀬戸が言ったの。『ボクたちはつき合ってないよ』って」

 何が間違いなのかわからなかった。あの、イタリアンのファミレスに置いてある間違い探しより難しかった。

「すごいショックだった。……お酒飲んでもいい?」

「ダメ」


 テーブルの上はたくさんのアルミ缶に占拠されていて、プルタブを引かれた缶は1本、そのままにしても問題なさそうだ。

「瀬戸に、いちばん近い女のコは、わたしだと思ってたんだもん」

「今でもそうだよ」

 涙を流すカノジョの顔をティッシュで拭いてやる。

「多田チャンがいるジャン」

「もう別れたよ」


「千智だって、坂田くんがいるジャン。……もうつき合い始めてからけっこう長いジャン」

「坂田くんは……はじめからわたしが瀬戸をだって知ってて。つまり、男友だちの延長みたいなつき合いなの。キスもしてないよ」

 よく考えてみると、ふたりは手もつながないカップルだった。

 でもそれで、千智が自分のモノなのかどうか、坂田くんには重要な問題だったのか。……今、ボクを「好き」って言った?


「『好き』って言った、今?」

 千智はぼんやりとした顔でボクを見た。

「そう、『好き』。坂田くんに告白されたときに瀬戸に断ってほしかった。『千智は渡さない』って、はっきり」


 女心は難しい。

 いつも女のコらしくないフランクなつき合いをしてた千智が、ボクを好きだなんてどうして気づくだろう?しかもカノジョは、ボクがカノジョを好きだってことは気がついてくれなかったのに。

「だから、わたしには『間違い』はなかったんだよ。あのときのことを覚えてるなら言っておきたかっただけ。瀬戸を好きだってこと」


 ボクの脳は働きがあまり良くなくて、ずいぶん物事を整理するのに時間がかかってしまった。だって、千智がボクのことを好きなら、ボクはどれだけ迷走したんだろう?

「そのために来たの? こんなにビール持って」

「うん、そう。酔った勢いを利用しようと思って。もう飲んでもいい?」

「ダメ」

「ビール1本くらいなら……」

「ダメ。『間違い』を精算しよう」

 カノジョをこの前と同じように、ゆっくりゆっくりベッドに押し倒した……。




「瀬戸のバカ、1本ダメになったジャン。炭酸抜けてたら飲めないよ」

 朝、目覚めると、そこにはいちばん居てほしい人の顔が見える。

「バカなのは千智だろ? ボクはビールが好きじゃないって千智ならわかるくせに、こんなに買ってきて」

 炭酸も苦いものも好きじゃない。

「……袋の奥、フルーツミックス、買ってある。ビールのことはごめん、気が回らなかった」

「フルーツミックスがあるなら許してもいいよ」


 朝から甘い甘いキスをする。

 それは恋人たちのキスだ。

 ボクたちは、一周まわって「恋人」にランクアップした。そこに「間違い」はもうない。



( end )





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