第20話 カリブ海クルージング
高さが十三階建てのビルに相当する二十万トンの巨船が、乗客二千人と乗組員千人を乗せて夕陽が傾くニューオリンズの埠頭をゆっくりと離れた。メキシコ湾をめざしてミシシッピー河を下る。
倉庫が建ち並ぶ一帯を過ぎると周囲は一面の湿地帯になった。夕陽が沈みキャビンの外には漆黒の世界が続いていたが、時折街灯が目に入り陸地が続いていることを知る。ベッドを整えにきたクルーによれば、河口に到達するまでには七時間を要するそうだ。ニューオリンズから河口までは百五十キロの距離がある。
深夜にメキシコ湾に出た船は南東に進路を取った。塚堀とスーザンのキャビンは右舷中央に近い八階にあった。窓際に置かれた大きなベッド、ソファー、衣服を収納するクロゼット、冷蔵庫の備わったキッチン、そしてバスルームが並ぶ室内は、ビジネスホテルよりも広くゆったりとしている。大きなガラス窓の向こうには舷側に張り出したベランダがある。海側の壁が強化ガラス張りのために、キャビン内にいても大海原を目にすることができる。デッキにはふたつのデッキチェアーとテーブルが置かれている。
夕食を取るダイニングルームは船尾の五階と六階の一部が吹き抜けになった広いもので、指定された時刻にチェックインすれば待たされることもない。朝食や昼食は最上階にあるビュッフェを利用する。早朝にオープンするビュッフェは、スーザンが楽しみにしていたように食べ放題だ。同じ最上階にはプールやスポーツ番組を映す大型スクリーンもある。そのすぐ下の船尾には、ミュージカルや子供たち向けのショーを楽しむことができるホールがある。
進路の先の空が紫色に変わり、やがて朝陽が水平線上に昇り始めた。メキシコ湾には海底から原油を汲み上げる台状の油井デッキが多いはずだが、沖合いを進んでいるからか右舷側のキャビンからは目にしない。時折貨物船らしい船影が水平線上に現われては姿を消すだけだ。
暖流のメキシコ湾流は黒に近い濃いブルー色をしている。船はその暖流に乗って南東に進んでいる。この海流はメキシコ湾を出ると流れが北東方向に変わり、大西洋を斜めに横断してアイルランド沖に行き着く。そのため樺太と同じような緯度にありながらアイルランドは緑の草で覆われている。エメラルドの島と呼ばれるのはそのためだ。
祖先の国がこの海流の先にある。スーザンは船の行き先に広がる海原を見つめている。巨船の出現に驚いたのか、飛び魚の群が海面から飛び出して着水する輪がいくつも舷側から見える。
メキシコ湾と大西洋に接するフロリダ半島の沖合いにキーと呼ばれる小島が点々と浮かぶ。このフロリダ半島から南に連なる島嶼の最南端がキー・ウエストである。
船がキー・ウエストに近付く。白い砂の海底が舷側から見えるほど水深の浅い海を巨船がゆっくり進んで、やがて埠頭に横付けになった。
キー・ウエストは作家のヘミングウェーやテネシー・ウィリアムズが愛した地で、ヘミングウェーは”老人と海”を残している。ヘミングウェーの住まいの跡を訪れたふたりは、”米国最南端”と書かれた標識に向かって歩む。そこからキューバまでは百四十キロに過ぎず、手が届く距離だ。
スーザンは金門橋の傍にあった丘の頂で塚堀が投げかけた問いを思い出していた。
「この島は十九世紀はじめには海賊が占領していたのね」
「その海賊を討伐してこの島を米国領土に組み入れたのが、その後に日本に開国を迫ったマシュー・ペリー准将だ」
ペリーは父親が海軍軍人だった海軍一家に生まれた。兄のオリバー・ハザード・ペリーは米英戦争では艦長として五大湖に浮かぶ米海軍戦艦を指揮した。そして、五大湖のひとつのエリー湖上で大英帝国の精鋭を打ち破り、救国の英雄として全米に知られる存在になった。若くして病死しなければ大統領候補になったはずだと語り継がれている。
米国ではこの兄が広く知られ弟を知る者は少ないが、このキー・ウエストには弟のペリーを偲ぶ史跡が残されている。
「弟のペリーの行動が当時の米国の外交を語っている」塚堀が続ける。
「第五代大統領のモンローが唱えた外交方針が、後世になってモンロー主義と呼ばれるようになった孤立主義だ。この孤立主義は、米国は欧州大陸には食指を動かさない代わりに、欧州列強も南北米大陸には踏み込むな、という宣言であった」
「ペリーのカリブ海征服はその孤立主義に隠れた米国による植民地獲得に他ならないわね。モンロー宣言はそれに欧州列強が干渉することを阻止する目的を持っていたのよ」
「ところが、十九世紀前半から始まる西部開拓が太平洋岸に達すると、米国は太平洋を越えた東アジアに利権を獲ようとして、ハワイ、中国大陸や琉球、そして日本に接触し始めた。ペリーによる日本開国の要求はその一環だったのだ。十九世紀末に米国が唱えた門戸開放策の走りが、日米和親条約だったことになる」
「米国はその東の欧州に対してはモンロー宣言で孤立主義を掲げ、西の太平洋・アジアには門戸開放という相反する外交を進めたことになるわね」
「日本の明治維新が一八六八年。南北戦争で南北が統一され、大陸横断鉄道で米国大陸の東西が結ばれたのが一八六九年。米国と日本はお互いに同じような頃に東アジアに躍り出た新興国であった。十九世紀末のスペイン戦争でフィリピンを米国がスペインから奪取した際には、原住民の犠牲者は日米戦争を凌ぐ数百万人に達した。米国ではそのように呼ばれていないが、米西戦争は植民地略奪戦争に他ならない。日清戦争、その十年後の日露戦争とほぼ同じ時代に当る。日米戦争は、日本によるアジア大陸への侵攻と、門戸開放宣言に隠された米国の東アジアでの利権拡大との衝突がもたらした悲劇だったことになる」
「キー・ウエストが日米戦争の起点、という、あなたの見方はそこから出ているのね。日米戦争は避け得たのかしら?」
「領土の拡大がなくても国力が増すことは戦後の日本が実証している。戦前は領土拡大が常識だったけど、戦後の歴史がそれは過ちだったことを語っている。その愚かな過ちが、日本に原爆の被災と三百万人もの戦争犠牲者をもたらしたのだから恐ろしいことだ」
「当時の常識が実は非常識であることを、だれかが世に問うべきだったのね」
夕陽が沈む太平洋を眺めながら塚堀が日米戦争を引き合いに出したのが、どのような意味をはらんでいたのかをスーザンは悟った。どのようにして常識を覆すことができるか? スーザンはタチアナを思い浮かべていた。
キー・ウエストを後にした船は英領バハマに向かう。船が大西洋に出た。水平線上を行き来する船が多い。前夜は前線に遭遇したのか風雨が強かった。二十万トンの巨体であるために大きな揺れはなかったが、船首から伝わるかすかな上下動がキャビン内でも感じられた。キャビンの灯が照らす海面には白波が立ち、波しぶきが八階のベランダまで届くほどであった。
それも朝食を終えた頃には船は穏やかな海域に入った。ふたりは最上階のデッキチェアーに並んで座っている。
クルージングに発つ前に塚堀はスーザンに、米財務省作成の所得階層間の移動率の推移を示すデータを見せたことがある。
一九九六年から二〇〇六年までの十年間が対象のこのデータによれば、一九九六年に最貧層だった納税者の十五パーセントが、十年後には最富裕層とそれに次ぐ階層に上昇している。逆に、最富裕層から下落した者が三十パーセント存在した。
このレポートは、米国では個人の努力次第ではより高い所得階層に上がることが可能であり、高い階層から下落する者も相当数存在し、各階層に競争原理が働いているように見える。
しかし、と塚堀は、「このデータは最貧層の半数が十年後もそのまま同じレベルに留まっていることも示している。競争社会であれば勝者と敗者が出ることは避けられない。しかし、社会の底辺に滞留しているこの大量の貧困層の存在は、アメリカ建国の精神にそぐわないのではないだろうか? 自由で競争を標榜する経済は想定外の結果をもたらしたのではないか」
スーザンが、「インターネットに、米国の経営者が手にした年棒の平均が千三百万ドルで、従業員の三百四十七年分もあったと掲載されていたわ」
米国の経営トップは一般社員の三百五十倍に近い報酬を得ていることになる。米国の上位一パーセントの所得の内訳を分析した調査によれば、資本家の取り分は小さく、経営者の報酬が最も大きな比率を占めることが明らかにされている。二十世紀後半からの資本主義経済、特に米国では、経営陣と従業員との間の所得に大きな格差が生まれた。労働分配率の低下とこの財務省のデータがそれを如実に語っている。
夕闇が濃くなり、キャビンのベランダから陸の灯が見えてきた。一週間にわたったクルージングも最後の夜を迎えようとしている。
「米国の経済はこのクルージングの船に例えることができるわね」
デッキに背をもたせかけたスーザンが呟く。
「この船には千人の乗組員が乗船しているわね。その九割はキャビンの清掃や設備の保守管理のためのクルー、ダイニング・ルームやビュッフェの料理人、ウェイターやウェイトレスたちだわ。この一週間に聞いて回ったのだけど、大半がフィリピン、インドネシア、タイ、インドシナ半島などアジアからの出稼ぎの男女よ」
ふたりのキャビンを担当する若い男もフィリピン人で、五年近くこのクルージング会社に勤めているそうだ。母国には妻とふたりの子供が男からの仕送りで暮らしている。フィリピンでは中流の生活を維持するには十分で、これからも出稼ぎを続けるのだそうだ。
「乗客ふたりにひとりのクルーが必要なクルージング業界は典型的な労働集約産業だわね。船長や航海士を除くと船の乗組員に米人を見ないわ。低賃金を求めて海外に生産拠点を移した製造業と同じよ。グローバル化した経済をそのまま再現したのがこの船なのよ」
スーザンの見方は次のようになる。
アメリカ丸と呼ばれる巨船の最上階には、一軒家に匹敵するゆったりとした個室にあらゆる家具調度が備わった豪華なキャビンがある。そこは、使いきれないほどの資産や所得に恵まれた富裕層によって占められている。
その下の中層は、最上階に比べれば狭いキャビンながらベランダを備えていて快適な船旅を楽しめる。この層は塚堀やスーザンのように、バカンスを楽しむ余裕はあるものの、バカンスが過ぎ去れば生活の糧を求めて職場にもどらねばならない者たちで構成されている。
昔のアメリカ丸ではこの層が全体の七十パーセントを占めていた。ところが二十世紀末頃からより安い船賃を求めて下の階に映る者が多く出てきたために、今では全体の四十パーセントに過ぎない。給与の伸びが経済成長に見合っていないために、乗客の多くが毎年値上げになる船賃を負担できなくなったからだ。
さらに下の階は、丸い窓があるだけでベランダが備わっていないキャビンと、廊下をはさんで丸窓もないキャビンが連なる。上の階から移ってくる乗客が絶えないために、廊下は毎年のように作り変えられて狭くなる一方だ。
その下の船底には大部屋が広がる。そこには船賃を自己負担できないために政府からの生活保護に依存する乗客が雑魚寝をしている。トイレやシャワーは共同で利用せねばならない。この船底から上の階に徐々に這い上がる者は年々減る一方で、乗客の半数は常に船底に留まったままだ。これが世界ではもっとも豊かな船といわれるアメリカ丸の実態なのだ。
下層に移る乗客が増えたこの数年は、船会社の採算は悪化の一途だ。船賃からの収入の伸びが停滞したままで、年によっては前年を下回ることもある。ところが、燃料や寄港料の値上げで船の運営経費は高騰する一方だ。低賃金の外国人クルーを活用して人件費を圧縮しても焼け石に水の状態が続いている。
「スー、分かりやすい喩えだね。その通りだ」
「こんな状態が続けば船会社の経営破たんは時間の問題だわね。格差の拡大と低所得層の滞留、そして低成長経済。それに外国人によって職を奪われて下船した多くの米人職員。アメリカ丸は米国経済そのものを象徴しているわ」
上司のシェリルが敏感に感じ取っているのは、このような深刻な疑問に立向うスーザンの真摯な姿勢が醸しだす雰囲気であった。
グローバル化の波が経済成長を促進したのが一九八〇年代以降の先進国に共通することであった。しかし、そのグローバル化の陰に、それまでの中産階級を崩壊する要素が内包されていたことに経営者は無関心だった。塚堀もそのひとりだった。それは当時の政治家や経済学者にも通じる。
規制を排除した開放された市場の需給に任せるならば、人は合理的な行動を取り、経済は人々に幸をもたらすという思想に多くが染まっていたのだ。ところが、その幸を手にし得たのは富裕層で、厚かった中産階級の多くが低所得層に下ることになった。今日目にする大きな所得格差を生んだのは、塚堀の世代の不覚に他ならない。
最後の夜のひとときをダンスホールで過ごすために夕食を済ませたふたりはひとつ下の階に下りた。ホールではジョン・レノン作曲の”ウーマン”が演奏されていて、十組ほどの男女が抱き合っていた。その男女に加わる。
次の曲はスーザンが好きなライオネル・リッチーの”エンドレス・ラブ”であった。ダイアナ・ロスとのデュエットが一世を風靡したヒット曲だ。
スーザンが塚堀の耳元で呟く。
「市民が本来の給与を手にする経済に転換するためには、資本主義経済の根底を支える常識を崩さねばならないわね。可能かしら?」
スーザンの肩を抱いていた塚堀がステップを停めて、スーザンをじっと見つめる。回転する天井のイルミネーションを映す塚堀の瞳は”それは君の手の中にある”と告げていた。
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