第10話 元KGBスパイ

 事務所の窓の外には、新緑の季節が過ぎて緑が濃くなりつつある世界が広がっている。そのようなある日、塚堀の机の上に置いた携帯電話の着信音が鳴った。

 スクリーンには見覚えのあるマンハッタンの市外番号が映し出されている。以前にマンハッタンにある日本人ビジネスマンで構成されたグループに属していたことがある。そのため当時の知人たちから時折電話をもらう。しかしこの電話番号に思い当たる者はいない。だれだろうかと携帯を耳に当てると、

 「アロー! ブイ・ガバリーチェ・パ・ルスキー?」

 あなたはロシア語をしゃべるか?という女の声が飛び込んできた。

 「ダー! ヤー・ガバリュー・パ・ルスキー」

 昔取った杵柄というものだろうか。塚堀はとっさに、しゃべる、と応じていた。

 「ツカボリさーん! ターニャ・イワノバよ、覚えている?」

 今度は外国人に特有のアクセントが強い英語に変わった。ツカボリさんの”さーん”に独特の響きがある。どこかで耳にした、と記憶の引き出しを手探った塚堀は、その昔モスクワで付き合いのあったある女を思い浮かべた。ターニャはタチアナの愛称だ。

 「モスクワ駐在事務所にいたタチアナ・イワノバ?」

 「そうよ、忘れていなかったわね。アツヒコのターニャよ」

 思わず、壁の油絵に目が走る。

 「驚いたな。声を聞くのは三十余年ぶりのことだ。いつからニューヨークに住んでいるんだ?」

 「観光目的の名目で知人の家に居候しているのよ。携帯も持っているのだけど使えない事情があるので、この電話はその知人宅からなの」

 「なにか意味深長な口ぶりだが、元気そうだね。それにしても驚いた。昔の彼女から電話をもらうとは」

 一瞬、間を置いて、

 「実はお願いごとがあって電話したの」それまでとは異なる硬い口調だ。

 「ターニャの願いごとならなにはさて置いても優先するから、遠慮なくいってくれ」

 「あなたの携帯の番号を探すのに手間取って今になってしまったのだけど、明日にはウクライナに帰らなければならないの。来月またニューヨークにもどってくるので、その時、私のために一日時間を割いてくれる?」

 「いいとも。電子メールで連絡し合うのかな?」

 「電子メールも使えないの」

 今のタチアナはなにをしているのだろうか? 塚堀が訝る。

 「ニューヨークに着いたらこの番号からまた電話するわ。いろいろ事情があってね。その時にお話するわ。一週間ほど前に電話すれば都合を付けられるかしら?」

 「今は暇な時期だから一週間前に連絡をもらえば十分だ。なんだか君の身に危険が及ぶような口ぶりだな。気をつけるように。再会を楽しみにしているよ」

 「スパシーボ・ボリショイ! 昔と変わらず親切ね」


 塚堀が商社に入社する前年の一九六七年に、当時のソ連と日本との間でシベリア森林開発協定が結ばれた。ソ連が極東地方に茂る針葉樹を伐採して日本に輸出し、日本はその見返りに開発機材を供給する、両国にとっては初の大規模な双方向の通商プロジェクトであった。

 その開発機材に含まれていた伐採道路を建設するための大量のブルドーザーは大型商談のひとつで、塚堀が配属された部がその商談を担当した。日本経済が高度成長時代に入り、どこも人手不足であった。そのため新入社員の塚堀が輸出商談のための下働きに当てられたのだ。

 当時は契約書や仕様書はすべてロシア語で作成されていた。塚堀は勤務時間後のロシア語教室の受講を命ぜられ、週に三日間、山手線の三田駅の近くにあった某大学に付属する夜学に通った。

 その後日ソ間の取引にも英語が使われるようになり、塚堀が一人前の担当者になった数年後には契約書や関連書類はロシア語ではなくなった。しかし、モスクワ出張やサンプル車の耐寒テストに立ち会うためにシベリアのテスト場に滞在した際には日常会話には役に経った。

 塚堀が頻繁に出張したモスクワ事務所には所長を含めた日本人駐在員が五人、それにロシア人が九人勤務していた。昼食を用意する中年のふたりの女性も含まれていた。

 当時のモスクワでは昼食を外食に頼ると長時間事務所を留守にするために、昼食は事務所内で済ませていた。出張者も含めて駐在員と職員が全員でテーブルを囲む昼食は家族的な雰囲気が漂い、モスクワ出張中の塚堀には楽しみのひとつであった。ロシア語を話す塚堀はふたりの料理人から親切にされたものだ。

 これらのロシア人職員は外国企業に人材を派遣する公団から送り込まれていた。冷戦中のことで、日本を含めた西側外国企業の出先事務所に派遣される者には必ずソ連政府のスパイが紛れ込んでいた。それらのスパイは必ずしも事務所内の重要なポジションにある者とは限らず、時には賄い婦であることも珍しくないと駐在員の間では語られていた。

 機密保持が徹底しているために、スパイがだれなのかを駐在員が知る術はなかった。それでもその素振りから、所長の社有車を運転する中年の男はまず間違いなかろうと考えられていた。スパイは必ずペアで行動する。駐在員の関心はもうひとりはだれなのかだったが、皆の見解は分かれたままであった。


 ある日公団で商談を済ませた塚堀はホテルの部屋に残した資料を取りに立ち寄った。商談に同行したタチアナもいっしょだった。

 当時の出張者はモスクワ空港で通関を済ませると、インツーリストのカウンターで滞在中のホテルを告げられて切符を受取っていた。出張者にはホテルの選択が許されていなかったからだ。塚堀にも外国人が宿泊する市内のいくつかのホテルを指定されたが、最も多かったのは河畔に建つホテル・ウクライナであった。スターリン時代に建てられたビルに共通する大きなコンクリート製の高層建物で、中央は尖塔風になっていて天辺には赤いソ連国旗が翻っていた。

 ホテルはどの階でも中年の女性が大きな机を前にしていて、彼女たちが各室の鍵を管理していた。宿泊客はホテルを出る際には、鍵のオバチャンと呼んでいたこの女たちに鍵を預け、帰れば受取る。宿泊客以外の者が出入りするのを防ぐためだ。外国人相手の娼婦を排除するのも目的だったようだ。

 いつものようにオバチャンから鍵を受取り、タチアナと部屋に向かおうとすると、その女が大きな声で呼び止めた。早口のロシア語で、女性同伴はダメと叫んだようだ。

 すると、タチアナがここで待ってて、と塚堀を柱の背後に残して机に歩み寄った。

 タチアナがなにか二言三言を女に告げた。それまでふんぞり返っていた女が突然立ち上がり、そのままの直立不動の姿勢でタチアナのことばに聞き入っている。

 資料を手に事務所にもどるタクシーの中でタチアナが、ホテルでの出来事はだれにも喋らないでねと耳打ちした。塚堀は事務所のもうひとりの目付け役はタチアナに違いないと確信した。

 タチアナは機械部門を担当していた三人の女性職員のひとりで、塚堀が滞在中は彼女がアシスタントを務めてくれた。塚堀が三十歳前後の頃で、タチアナは五歳ほど年下と見受けられた。

 ソ連では、契約が成立すると相手の公団関係者を夕食に接待するのが慣わしになっていた。テーブルの上には各人の前にウォッカの中瓶が二本と同じような中瓶のコニャックが一本置かれる。これをすべて飲み干さないと宴会がお開きにならない。タチアナはテキパキと事務を処理する優秀なアシスタントだったが、接待でも塚堀にとっては欠かせない存在となった。

 本社に商談の推移を報告しその後の指示を仰ぐためには、国際電話が高価で利用できなかった当時のことだ、接待を終えるや事務所にもどってテレックスを打たねばならない。接待中に出席者があらたな商談のヒントを暗示することも珍しくなかった。宴会の目的はそこにもあった。折角手にした情報をその日の内に打電しないと東京本社の始業に間に合わなくなる。

 ロシア人職員がいない深夜に馴れない手でテープをタイプし、そのテープをテレックス装置にかけ、送信の確認を済ませてからホテルにもどることになる。酒が嫌いでない塚堀だが、公団幹部を相手に三本の瓶を空けてしまうと、時には暗号が混じるテープを起こせないことになりかねない。そこでタチアナの出番がやってくる。

 ロシア人は理由を唱えてテーブルの全員が一斉に乾杯する。”広大なロシアの地に乾杯”、”共産党の同志に乾杯”と唱えるごとにグラスを一気に乾すのだ。

 塚堀の事情を知るタチアナは、テーブルの下にミネラル水の瓶を秘かに持ち込んでいる。宴が中盤を過ぎ、酔いが回ったロシア人の乾杯のピッチが上がる頃合になると、乾杯が済むたびに彼女の前のグラスをその瓶で満たし、塚堀のグラスとサッと置き換えるのだ。

 彼女はそのグラスを空けることになるが、接待がお開きになるまで飲み続けてもケロッとしているのだから、頼もしいアシスタントであった。


 モスクワ出張を重ねるうちに、塚堀とタチアナの間には出張者と職員の関係を超えた感情が宿り始めた。

 タチアナは赤毛が混じる濃い茶色の髪を肩まで伸ばしていた。白人の語が端的に語るように、白く透き通った肌にかすかにそばかすが散る。強い意志の持主であることを感じさせる端整な顔にグレーの瞳。背がそれほど高くないスラブ人の女性としては平均的な背丈だ。

 若いロシア人には西欧のファッションモデルでも十分通用する細身の美人が多い。それが中年を過ぎると酒樽のように変身してしまう。ジャガイモがその理由だとベテラン駐在員が解説してくれた。

 タチアナは細身と呼ぶには少々太めだった。しかし、すらっとした両脚の上にくびれた腰が載り、歩くたびにセーターの下の豊かな胸が躍る魅力的な女性であった。モスクワの地下鉄はメトロと呼ばれる。そのメトロの駅で待ち合わせた時など、遠くから歩み寄るタチアナは他の通行人から容易に識別できる際立った雰囲気を漂わせていた。

 いつも間にか、タチアナの誘いで週末には赤の広場に出かけたり、郊外に設けられたサーカス場でソ連名物のサーカスを見物する間柄になっていた。

 ソ連といえでも男女の行為は西欧社会と大きな違いはない。街頭で抱き合ったり、キスを交わすカップルは珍しくない。モスクワでは日本人と見間違うアジア系の男女を見かけた。中央アジア出身の蒙古族の人たちだ。

 街頭ではタチアナとは軽く唇を合わせるだけだったが、ふたりが親しい恋人どうしのように手をつないで歩いていても格別奇異には映らなかった。

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