第9話 ニューオリンズと仮面

 毎年四月十五日は米国では所得税の確定申告期限日だ。その日までに納税申告書を内国歳入庁に送る必要がある。しかし、例年のことだが期限に間に合わない納税者が出現する。そのための申告期限延長の申請書をその日のうちに送り終えた塚堀は、スーザンを伴って翌日の早朝に車でルイビルを発った。

 目的地はメキシコ湾に面したルイジアナ州のニューオリンズだ。ルイビルからおよそ千三百キロの距離がある。一時間の時差を利用して朝六時に発ち、途中のアラバマ州で昼食を取ると、夕刻の六時過ぎには目的地に到着した。

 スーザンが一週間の休暇が取れたので、今回はニューオリンズに三泊し、その後はメキシコ湾岸を東に向かってドライブを楽しみ、純白の砂浜で知られるフロリダ州ペンサコラ・ビーチに三泊することにしていた。

 スペインとフランスの領地だったニューオリンズは異国情緒に溢れる異色の街である。フランス人の居住区だったフレンチ・コーターと呼ばれる川沿いの一角は、二階にバルコニーを備えた特徴ある建物が連なり、レストランやバーがひしめき合う。ハリウッド映画の舞台にも頻繁に登場することから海外にも知られた繁華街だ。

 その日の夕食はフレンチ・コーターにあるシーフーズのレストランにしていた。牡蠣を食べたことがないスーザンに海産物料理を紹介するためだ。テーブルは蔦が這うレンガ壁に囲まれた屋外であった。

 魚料理にはワインは白とされているが、どうしたことか塚堀にはどの料理にも赤が向いている。自身にはピノ・ノワールを、スーザンには冷えた白のシャルドネを注文した。アピタイザーは、スーザンには生牡蠣は無理であろうと火を加えたロックフェラーを、塚堀は生牡蠣を選んだ。

 ロックフェラーは開けた殻の上に牡蠣とチーズ、ホウレン草を載せ、スパイスとオリーブ油を加えて焼いたもので、香ばしい香りがテーブルに漂う。恐る恐る口にしたスーザンだったが、まんざらでもなかったようで、皿の上の六個を平らげた。試しにと塚堀がレモン汁をかけた生牡蠣を薦めたが、こちらは案の定ダメで、顔をしかめて一口しただけだった。

 「ジャズが聞こえるわね」とスーザンが。

 隣のバーから漏れるジャズがテーブルに届く。奴隷市場があったこの地でジャズが生まれた。黒人霊歌やアフリカの民謡が混じった特徴あるジャズは、その後にミシシッピー河を遡り、テネシー州のメンフィスやシカゴで人気を博した。やがてニューヨークでモダン・ジャズに発展したのだ。

 昔の素朴なスタイルを保ったままのリズムが流れる。このスローなニューオリンズのジャズはデキシーランド・ジャズと呼ばれる。デキシーランドは米国南部の代名詞だ。ルイ・アームストロングはこのデキシーにモダンを混ぜ合わせて屈指のミュージシャンと評された。ロックンロールに転用したのがエルビス・プレスリーであった。

 「この一角にはライブのジャズを楽しめるバーが集っている。食後に立ち寄ってみよう」

 メイン・ディッシュは、スーザンは白身の魚をグリルしたものを注文し、塚堀は小海老とクロー・フィッシュと呼ばれるアメリカ・ザリガニにオクラなどの野菜と米を混ぜて煮たガンボにした。独特のスパイスがよく効いている。


 レストランから通りをひとつ越えるとバーボン・ストリートの一角に出た。観光客と思しき男女で通りは肩と肩が触れ合うほど混み合っている。

 「ここが有名なバーボン・ストリートだ。ここにはあらゆるバーボン・ウイスキーが集る」

 ライブのジャズ演奏が流れる一軒に入った。どのバーもドアーは開け放たれたままで、客が自由に出入りするのがこの地の特徴だ。棚に並ぶ瓶に貼られたラベルを見ながらスーザンが、

 「先日父と交わしていたアルコール談義に出てきたスペルにEがあるお酒ね」

 「そう。ミシシッピー河を利用して運ばれてきたケンタッキーのトウモロコシを原料に蒸留したウイスキーがバーボンだ。バーボンはフランスのブルボン王朝の英語読みだ」

 黒人のバーテンダーがカウンターに座ったふたりの前に水割りをふたつ置いた。

 そのボトルのラベルを見たスーザンが、「この蒸留所はリンカーンが幼少時を過ごしたノブ・クリークにあるのね」

 「そうだ。あのすぐ傍にある酒造のものだよ。企画書が承認されたお祝いに乾杯しよう」と、塚堀がグラスを掲げる。それにスーザンがグラスを合わせた。

 「どう、味は?」

 「ウイスキーはめったに口にしないわ。でも思ったよりスムーズね」

 薄暗いバーを照らす天井の一角から放たれたライトにグラスを翳したスーザンが、

 「父が好きなスコッチと比べるとバーボンは色が濃いわね」

 「それは内部を火であぶって焦がしたオーク材の樽に寝かせるからなんだ」

 スーザンがグラスを飲み干した。

 「先日の樽酒といい、見事な飲みっぷりだよ」

 「酔っ払いで知られたアイリッシュの血が流れているからかしら。酔い潰れたら介抱してね」と肩をぶつけてくる。

 「アイルランドからの帰りにロンドンに立ち寄ったの。ディッキンズも常客だったといわれるテームズ川を背にしたパブで、厳つい顔のバーテンダーが、ケンタッキー・バーボンもあるよ、と薦めていて、誇らしく思えたわ」

 「最近は海外でもバーボンがちょっとしたブームで、ロンドンだけでなくパリや東京でも人気だ。もっとも、日本ではあそこにあるテネシー産のものだが」と、棚にある黒いラベルの四角いボトルを指した。

 「テネシー産にもかかわらず、日本ではバーボンの代表格の扱いを受けている」

 カウンターの前で二組の男女がゆっくりとしたジャズに乗って踊っている。塚堀がスーザンの手を引いてその男女に加わった。スーザンの背に置いた塚堀の手が女体を引き寄せる。アルトサクソフォンが奏でるスローステップに合わせてスーザンが頬を摺り寄せてきた。スローなのは曲だけでなく、ここでは空気もゆっくりと漂っている。


 グラスを二杯空けたふたりは河岸に沿った歩道をホテルに向かって歩いている。ホテルはそこから歩いて十分ほどの距離だ。

 スーザンの肩を抱いた塚堀は快い酔いを楽しんでいた。スーザンは塚堀の腰に手を回して頭を塚堀の肩に置いている。

 空には半月が浮かんでいた。薄暗い路地を抜けて月光が射す交差点に出ると、その一角に仮面を売る店があった。この地では二月に海外にも知られたカーニバルのマルティグラ祭が繰り広げられる。その時に使用される仮面やビーズの首飾りを売る店が多い。

 壁一面に飾られた無数の面が店内に歩を進めたふたりを見つめている。壁を見上げていたスーザンが、アッと驚いた声を発してひとつの面を指差した。

 女の面だ。面の右側の三分の一ほどが濃い緑色で占められている。筋の通った鼻に続く鮮やかな紅色の唇。鼻から左側は純白の地だ。左側の縁に沿って孔雀の羽に模した大きな緑の羽飾りが付いている。

 手の届く位置ではなかったので女性の店員に下ろしてもらった。手にしたスーザンが、「これはあなたの事務所にある油絵の、あの民衆を導く女がかぶっている仮面だわ」と塚堀を見遣る。

 不思議だ。あの油絵を見た者がこの仮面を作ったのか、油絵の作者がこれと同じ仮面を持っていたのか。目の部分がくり貫かれているにもかかわらず、血の通った女性の顔がそこにある。マンハッタンの画廊で瞬時に脳裏に焼きついた、そして、最初に結ばれた夜に曇りガラスを開けてシャワーに滑り込んできた、あの艶美な顔である。

 勘定を済ませるふたりに店員が、「お値段が少々張るのは十九世紀にアイルランドで活躍した女流陶芸家の作品だからですのよ。この仮面にはフランスの革命中に命を落としたアイルランド女性の遺志が秘められていると語り継がれてきたそうです」

 外に出たスーザンが面を包み紙から取り出して顔に当てた。そのとたん、スーザンの身が宙に浮き上がったように思われた。そのまま天空に舞い上がってしまうのでは。塚堀が、スー、と叫んで女体を抱き寄せた。

 シャワーを浴びたふたりがベッドに横たわる。テーブルの上に置かれた仮面がふたりの熱い交わりを見つめていた。


 翌日はブランチと呼ばれる朝食と昼食を兼ねる食事をレストランで取った。このブランチもニューオリンズに欠かせないもので、ケイジュンとクレオールと呼ばれるメニューが特徴だ。どちらもフランス料理を下地にこの地の特産物を食材に使用している。

 レストランは観光客で賑わっていた。その男女に混じってテーブルに座る今朝のスーザンには、昨夜のうちに仮面の魔力が乗り移ったのか、あでやかさが一層加わった妖しげな色気が漂っている。隣のテーブルに座る中年の男女が興味あり気にふたりを見つめていた。

 ブランチを済ませたふたりはミシシッピー河を下って史跡を訪れる周遊に加わった。利用するのは船尾に大きな水車を備えた十九世紀の蒸気船を模した船で、三階建てのデッキ構造になっている。

 最上階の船べりに寄りかかるスーザンはショーツ姿だ。トム・ソーヤの世界ね、と喜ぶ。水深の浅いミシシッピー河では船底が平らなこのスタイルが昔から使われている。

 「マーク・トウェインは作家になる前に水先案内で生計を立てていたのよ。水深が浅い危険水域に迫ると”マーク・トウェイン(十尋だ)!”と叫んで危険を知らせるの。それをペンネームに使用している」

 米国史を専攻しただけある。

 翌日の昼食後はホテルから数ブロックの距離にある大きなカジノを覗いてみた。塚堀は昔からギャンブルには縁遠く、このような機会でなければ足を踏み入れることがない。確率から考えて素人が大金を手にするのは万が一にもあり得ないことが脳裏を過ぎってしまうのだ。

 ケンタッキーではカジノは解禁されていないが、数時間の運転で利用できるカジノが周辺州に存在する。スーザンの地元でもカジノ浸けで借金を抱える者が出て問題になっている。今回の預金制度はそのような浪費を回避させる効果も狙っていた。

 カジノの収益の一部がインフラの整備や時には教育予算などに充てられる。それがカジノ推進の口実に挙げられているが、賭博は仮装した徴税である、というのが塚堀の昔からの持論である。税率の変更に敏感な層が賭博では進んで金を献上する。

 カジノの向かい側は大型船が発着する埠頭になっている。そこにカリブ海を周遊するクルージングの大型船が係留されていた。十三階建てのビルに相当する高さで二十万トンの巨体だ。案内板には二千人の客と千人のクルーを乗せて一週間でカリブ海との間を往復するとある。

 「スー、また長い休暇が取れた時にはあの船でクルージングに出よう」

 「楽しみだわ。船上では食べ放題だと聞いたわよ」

 「おやおや、スーには食事が目的のクルージングだな」

 「それだけじゃないわよ。同じキャビンに朝から晩まであなたといっしょ。それが一週間も続く。ロマンチックだわ」


 その翌日はメキシコ湾に沿って走るローカル・ハイウェーを東に向かった。ルイジアナ州を出るとミシシッピー州に入る。米国ではどこでもそうだが、州の出口には再訪を期待するという大きなサインが立ち、入口にはウェルカムの文字にその州の愛称を添えたものが立つ。ミシシッピー州のニックネームは”マグノリアの州”で大きな花を咲かせるマグノリアがあちこちに植えられている。

 ミシシッピー州を通過するとアラバマ州に入る。この州の愛称は深南部の中心を意味する”南部のハート”だ。この間、車の右側には白い砂浜と、春の陽光に輝く青色に薄緑色が混じるメキシコ湾が広がる。海の色が紺碧でないのは遠浅だからだ。時折水平線に原油を掘削するリグが現れる。この辺りは有数の海老の漁獲地としても知られている。海底の海老をすくい取る魚網を吊る腕が左右に張り出した特徴ある海老漁船がひしめく漁港を次々に過ぎる。

 CDから流れる曲に、

 「アラ、これはアイルランドのロックバンド、U2ね」

 「そうだよ。曲は”欲しいのは君だけだ”」

 スーザンが塚堀の肩に寄りかかる。

 やがて車はサンシャイン州の愛称で知られるフロリダ州に入り、雪が積もったのかと見間違える純白の砂浜が広がるペンサコラビーチが視界に入ってきた。

 ドライブ中の会話はこのところふたりの間で繰り返されるようになった所得の格差問題であった。

 スーザンは、富裕層と貧困層との間の格差の拡大が著しく大きくなったのは、米国では一九八〇年代以降であることに注目していた。東西冷戦が解消され、グローバル経済は世界中の商品や物産を手にする消費経済を生んだ。そしてパソコンが出現したことで事務処理は効率的になり、通信技術の一段の進歩によって居間にいながら世界の動向を瞬時に知り得る世界が出現した。

 だれもが豊かになって不思議でない。米国経済は世界をリードするとまでいわれる成長を遂げた。ところが、その米国で日々の生活に困窮する個人や家庭が増え続ける。それはなにが作用しているからなのか?

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