第6話 バーベキュー

 その日は塚堀の事前の希望で、スーザンの案内で近くの母子家庭と零細企業主を訪れて実態を視察することにしていた。玄関まで見送りに出たシェリルが、塚堀の車のナンバープレートの横に貼ったシールを目聡く見付けて、

 「アラ、ジムはケンタッキー・カーネルなのね。亡くなった父が巡回裁判所の判事を長く務めましてね。晩年にカーネルの称号を贈られて喜んでいました」

 「マア、気が付かなかったわ。これかれは大佐閣下とお呼びしなければならないわね」スーザンがおどけて敬礼をしてみせる。

 ケンタッキー・カーネルの称号は、一八一二年の米英戦争時に志願兵として戦功をあげた州民に与えられたことに発している。当時の軍隊では民間人の最高階級が大佐だったからだ。その後軍功だけでなく、政財界、社会奉仕や文化、スポーツの分野で州に貢献した男女に与えられている。ケンタッキー・フライド・チキンの創業者で白髭で知られるカーネル・サンダースもそのひとりだ。


 塚堀の車の助手席に座ったスーザンの道案内でNPOを後にした。米国のことで道路は舗装されてはいるものの、センターラインがない田舎道を半時間ほど運転して、とある小規模な製材工場に着いた。

 スーザンがキャシー・リードと紹介した年若い女性はそこで事務員をしている。近年珍しくなくなった若年層に占める白人の貧困家庭の典型例を塚堀は知ることになった。

 キャシーは米国では義務教育である高校在学中に妊娠し、今は三歳の子供を抱えた二十一歳のシングル・マザーだ。出産直後には相手の白人男性から子供の養育費の仕送りを受けていたが、その男が姿を消して久しい。

 キャシーの母親は麻薬服用で捕まり服役中である。最近のデータでは、ケンタッキー州では服役中の親を持つ児童が全体の十三パーセントも占めていて、その大半は低所得層である。アル中の父親は数年前に交通事故で死亡していた。酔っ払い運転のためにセンターラインを越え、対向車と衝突した弾みで車外に放り出されて死亡したそうだ。対向車を運転していた女性は幸いなことに軽症で、そうでなければ損害賠償で破産に追い込まれたとキャシーが付け加える。

 義務教育の高校を卒業していないと職場での待遇面では不利を免れ得ない。高校卒の資格を得るには検定試験に合格する必要がある。この女性はNPOが開くクラスを受講中だ。スーザンによれば受講記録も良好で、間もなく受験を控えている。

 半年前までパートタイムだったキャシーは、事務を担っていた中年の女性が健康を害して退職した後にフルタイムに採用された。しかし彼女の時給は連邦政府が定める最低賃金である七ドル二十五セントに過ぎない。 

 キャシーと子供は今は祖母の家に世話になっていて、日中の子供の面倒も祖母に依存しているが高齢のためにいつまで続くか分からない。自立のために預金制度に期待しているのだ。


 次に訪れたのは製材工場から数分離れた十字路の一角に立つ小規模なコンビニを備えたガソリンスタンドであった。若い白人夫婦がオーナーで、自宅もスタンドの裏に連なっている。以前のオーナーが経営不振のために閉鎖したスタンドを引き継いだのだ。

 夫によれば、ガソリンには利幅がほとんどなく、コンビニで販売する飲料や弁当が収益の柱になっている。近辺の製材所や小工場の社員に朝食を提供するようになってからは収支がプラスになっているが、調理器や製氷機などが買い換え時期を過ぎてしまっている。資金がないためにだましだまし使っているが、修理費もかさむようになった。米小企業庁の制度金融を利用したいと申請したところ、そのためには個人資産が足りず返済能力に疑問が残ると却下されてしまった。預金制度を利用して設備購入の頭金を貯えたいと夫婦は熱心な姿勢である。

 塚堀は職業柄から零細企業主と顔を合わせる機会が多い。事業の成否は帳簿を見るまでもなく、施設の管理状態やオーナーの顔つきを見れば見当が付くものだ。机の上に請求書や帳簿類が雑然と放置された企業で成功した例はこれまでに皆無だ。この夫婦の実直な素振りや整然とした屋内の様子から、ここは期待できると塚堀には思われた。

 

 ガソリンスタンドを出て帰路についた車中で、前を見つめたままの塚堀が助手席に座るスーザンに、「なにごとも現場を見て当事者に会うことが判断の前提になる。スー、機会を設けてもらってありがとう。あれほど期待されているのなら、是非とも預金制度を実現すべきだね」

 「このふたつの例は少ないながらも所得があり、貧困層でも恵まれたケースだわ。安定した所得のない家庭も救済しなければならないのだけど、NPOだけでは支援の範囲も限られるわね」

 スーザンはこのような状況の打破に心を砕いているのだ。あの油絵が訴えている、バリケードを踏み越えようとしているのはこのことなのだろう。この女に手を差し伸べなければならない。

 米国は右側通行だ。塚堀は左手でハンドルを握り、変速レバーに右手を置く癖がある。その右手をスーザンの手が覆った。握手の時とは異なり軟らかな女性の手の平だ。

 「ジム、お急ぎでなければ自宅に寄ってくれる? 父がバーベキューをご馳走したいそうなの」初対面からまだ日が浅い。自宅に招くには当たり障りない口実が必要であった。

 「それはありがたい。お邪魔するよ」

 父親をダシにして塚堀を誘うスーザンを愛おしく思う感情がこみ上げる。塚堀にとっては久しく抱くことがなかったことである。

 スーザンが携帯を取り出した。電話に出たのは母親だったらしく、五時半頃にそちらに着くとダディーに伝えて、といって携帯を切った。

 塚堀がCDのボタンを押すと、バッハの”G線上のアリア”が流れ出てきた。

 「スー、君の髪は亜麻色だね」

 「そういわれるわ」

 「ドビュッシーの作品に”亜麻色の髪の乙女”がある」

 「学生時代に友人からも指摘されたことがあるわよ」

 「名曲だ。が、窓辺に佇んで雨で燻る戸外を見つめる物静かな女性のイメージがあの曲には漂う。君のイメージとは違うな」

 「どう違うの?」

 「今流れているバッハの曲の方が合っているね。崇高でありながらどこか力強い。君にピッタリだ」

 この人は私をいつも考えてくれている。手に力を込め、首を傾げて塚堀の肩に寄りかかった。

 かすかな女の薫りが塚堀に伝わってきた。


 NPOも駐車場を出た二台の車がスーザンの自宅を目指す。片側一車線の途中に大きなカーブがある田舎道だ。

 道路に面した駐車場に歯科医の看板が立ち、診療所の裏側が居住スペースになっている平屋がスーザンの自宅であった。

 駐車場から建物に沿って進むと広い裏庭に出た。父親のジョンがバーベキュー・グリルでステーキを焼き、傍らのピクニック・テーブルでは母親のジャッキーが皿を整えている最中であった。大きなサラダボールがテーブルの中央に置かれている。

 ジョンが手を差し出しながら。

 「ジム、はじめまして。あなたのことはスーザンからしょっちゅう聞いています。ようこそ」

 「ジョン、お目にかかれて嬉しいです。ジャッキー、はじめまして」

 ジャッキーが父親を手伝うスーザンに目線を送りながら、

 「娘がご迷惑をかけていなければよいのですが。会計士さんはお忙しい職業と聞いています」

 「いやいや、スーザンのおかげであらたな体験ができてこちらが感謝しているのですよ」

 歯科を専攻する学生だったジョンは志願してベトナム戦争に海軍士官として従軍した。塚堀よりも十歳ほど年長で、ベトナムに駐留中には日本にも立ち寄ったことがある。除隊後にはGIビルと呼ばれる退役軍人に適用される学費免除制度を利用して大学を修了し、歯科医の資格を得てそれ以来この地で開業している。

 夫人のジャッキーは元従軍看護婦で、ジョンがベトナム中部のダナンにあった野戦病院を訪れた際に知り合ったそうだ。帰国後は近くの病院に長年勤めていたが、高血圧気味のために前年に退職して、今は夫の診療所を手伝っている。


 「私は敵の交信を傍受するための通信機器を艦載した小型の艦艇に乗組んでいました。大きな修理や整備はベトナムでは無理なので佐世保や横須賀に数回立ち寄りました。最後は東京オリンピックが開催された年の夏でした」

 「一九六四年ですね。私が大学に入学した年です」

 「秋のオリンピックを見物することはできませんでしたが、真夏に御殿場を訪れたことがあります。同郷の友人が海兵隊勤務で近くの演習場に駐屯していましてね。その友人とフジヤマの登山をしました。頂上で日の出を待つ間の寒さは今でも忘れません。真夏でしたので薄いウィンドブレーカーの下は半袖姿で、周りの登山者たちから驚かれたものです。若かったからでしょうね、風邪をひくこともありませんでした」

 「実は私も同じ年に同級生たち数人と富士山登山をしました。あなたとは反対側の河口湖からの登山道でした。確か八月五日のことで、河口湖の湖上祭で打ち揚げる花火を眼下に見ながら登りました。真夏でも頂上は確かに寒かったですね」


 ジョンが細く四角いウイスキーの瓶を運んできた。塚堀にも見覚えのあるアイリッシュ・ウイスキーだ。ラベルには一六〇八年に蒸留の認可を受けたとある。クリントン大統領の好物と話題になって以来米国の酒屋にも置かれている。

 「ジョン、このアイリッシュ・ウイスキーはスペルがWhiskeyで、スコッチはWhiskyですね」

 「ジム、よくご存知ですね。米国人でもその区別を知らない者が多いですよ。アイリッシュやケンタッキーの特産物であるバーボンのウイスキーにはEがあり、これがウイスキーの普通名詞です。Eが欠けるスコッチは、スコッチ産ウイスキーを他から区別するための商標だったのです。我が家の祖先はアイルランドから渡来しましたが、元々はスコットランドの住民でした。英国王ヘンリー二世が一一七四年になんど目かのアイルランドへの侵攻をし、その帰りにウイスキーをスコットランドに持ち帰ったとされています。大まかなアイルランド人と異なり肌理の細かいスコットランド人が改良を重ねたのがスコッチ・ウイスキーだ、とスコットランド人は自慢してきました」

 「ジョン、そのEが欠けるウイスキーを冠した例外が日本製のウイスキーです。スコットランドで蒸留技術を学んだ日本人が免許皆伝を得て国産を始め、そのために例外措置としてスコッチ並みの扱いを受けています」

 「横須賀のバーで口にしたことがあります。丸い黒のボトルでしたね。美味しかったですよ。スペルまでは注意を払いませんでした」

 「マア、アルコール談義ですか。料理が揃いましたのでテーブルにどうぞ」とジャッキーがうながす。

 家庭菜園から収穫した野菜のサラダと厚めのステーキに舌鼓し、ジャッキーの手になるチーズケーキを楽しんだ頃には八時近くになっていた。夏時間のために八時でもまだ明るい。


 ジョンとジャッキーに別れを告げて駐車場に向かう途中で塚堀が尋ねた。

 「お父さんはCIA職員だったの?」

 「はっきりいわないけど、通信兵は表向きで諜報活動の一員だったみたいね。海上が半分、陸上勤務が半分だったそうよ」

 「だからベトナムの地理に詳しいはずだ」

 「アラ、ベトナムにも関係したの?」

 「いや、日米合弁企業の社長をしていた時に社員に若いベトナム人がふたりいたんだ。ベトナム難民の息子たちで、経営大学院を出た優秀な青年たちだった。ベトナム人は賢いよ」

 「そんな民族を相手にすれば、負けるのが当然だわね」

 身を摺り寄せてきたスーザンを塚堀が抱きしめる。またあの女の薫りが塚堀の無鼻を過ぎった。

 「ルイビルまでは二時間。気をつけてね」

 「きょうはご両親にも会えて有意義な日だった。アイ・ラブ・ユー、スー」

 「アイ・ラブ・ユー・トゥー」いい終えたスーザンの唇を塚堀の唇が覆う。ふたりにとってははじめての接吻であった。

 バックミラーに塚堀の車がカーブで見えなくなるまで見送るスーザンの姿があった。塚堀が長く捜し求めてきた女がバックミラーにいる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る