第2話 油絵 - 民衆を導く自由の女神
ここは一九八〇年代半ばのマンハッタンである。
近くの日本食レストランで夕食を終えた塚堀敦彦は、それまでにも訪れたことのある一軒の画廊に向かった。その店に飾られた日本人アーティストのヒロ・ヤマガタの手になる作品が気に入っていたからだ。
”七月十四日”と題したその作品は、パリ祭の夜に打ち揚げられた花火がセーヌ川の川面に映る華やかなリトグラフであった。高価なためにそれまで躊躇してきたが、いよいよ買う決心をして店を訪れたのだ。
目当てのリトグラフの前に立った塚堀は、すぐ傍の床に額入りの大きな油絵が無雑作に置かれているのを目にした。長い間放置されていたのか、安っぽい額には薄っすらと埃が積もっている。今までになんどかその場に立った塚堀だったが、この油絵は記憶になかった。
一九六〇年代は日本が高度経済成長を遂げつつ、やがて先進国に仲間入りする時代であった。一九六四年には東京オリンピックが開催されている。一九六八年に丸の内に本社がある総合商社に入社した塚堀は、機械部門の輸出営業に配属された。
経済学部卒業の塚堀の卒論は当時話題を集めていた南北問題であった。配属先の希望欄には発展途上国への経済協力を扱う部門と記入した。ところが担当する地域は希望とは異なり、商社マンの間では通商JALの北回りと呼ばれた北半球の先進国であった。配属先が希望通りであったならば、塚堀のその後のビジネスマン生活はまったく別の軌跡をたどることになり、この物語も生まれることはなかったであろう。
一九七七年に海外駐在員の辞令を手にした塚堀は、米国法人のシカゴ支店に着任した。日本から輸入する単価が小さな量販機械を、四つの時間帯がある広大な米国市場で代理店を利用して販売するのが塚堀の担当だった。量販取引では自社のリスクで在庫を抱えねばならない。それまでの商社口銭を収益の源泉にする伝統的な機械取引とは大きく異なる。
着任するや塚堀は、自らが率いる組織を分離してシカゴ空港に近い地に拠点を移した。伝統的な商社マインドから脱却するためであった。
総合商社は競ってその地の一流オフィスビルに駐在員事務所を構える。シカゴ支店もその例に違わず、市の目抜き通りであるミシガン通りに面した百階建ての高層ビル内にあった。眼下にミシガン湖が広がるその瀟洒な事務所を後にして郊外の工業団地に移る塚堀は、風変わりな商社マンと周囲には映った。
六年間の駐在で塚堀が手にした教訓は、量販品の拡販のために広告費をはじめ販売促進費を効果的に投入するには、事業活動のすべてを自社でコントロールしなければならないということであった。商社を介さないメーカーによる直接の対米進出である。
米国での販売が急成長中だったある通信機メーカーから、米国の事情に明るい塚堀に転職の誘いがあったのは、塚堀が丸の内に帰任して間もなくのことであった。
こうして転社に踏み切った塚堀は、一九八四年の春に再び米国の地を踏んだ。入社希望者が殺到する大手総合商社からの転職が珍しい時代で、塚堀の転職は当時の丸の内界隈ではちょっとした話題になったものだ。
通信機メーカーの営業を担当する塚堀はマンハッタンに駐在した。その駐在事務所はグランドセントラル駅に隣接する高層ビルの中にあった。四十階の事務所の窓からは目の前にエンパイア・ステート・ビルディングを望むことができた。
アパートはマンハッタンの東側を流れるイースト・リバーに近い八十二丁目にあった。アパートの前で西に向かうバスに乗り、レキシントン通りとの交差点で南に下るバスに乗り換えて出勤した。帰宅はそのルートを逆にもどることになるが、単身赴任だった塚堀は夕食を済ませると二番街を散策するのを楽しみにしていた。
二番街には小さな画廊がいくつか軒を連ねていた。趣味と呼ぶほど美術品に関心があるわけではなかったが、油絵やリトグラフを陳列した画廊は、ゴルフもマージャンもしない塚堀には数少ない息抜きの場となった。
仮面の女が描かれた油絵に遭遇したのは二番街に面した画廊のひとつであった。
その油絵は、パリ・ルーヴル美術館ではモナリザ”に次ぐ人気の、ドラクロワ作”民衆を導く自由の女神”を模したものであった。原画は胸を露にした若い女神が右手に三色旗を振りかざし、左手に銃を引っさげた、一八三〇年のパリ七月革命を描いたものだ。
目の前の油絵には、青い胸を露にした若い女神に代わって、仮面をかぶり、たわわな乳房をたたえた熟女が描かれている。三色旗を掲げ銃を手にする様子は同じだが、原画の女神は背後にしたがう群集を振り返っているのに対して、この絵の仮面は絵を見る者を正面から直視している。なにかを訴えるのが伝わるのはそのためであった。
しばしその油絵に見入る塚堀に店主が歩み寄った。これまでにも塚堀とことばを交わしたことのある店主は、この訪問者がヤマガタの作品を気に入っていることを知っている。
「これまで気付かなかったけど、この油絵は以前からここにあったかね?」
「イヤ、裏の倉庫に置いていたんですがね、場所を占めるものですから処分をしようと思いまして。お安くしときますよ。ヤマガタのリトグラフを買っていただけるなら、額代だけでどうでしょうか?」
塚堀が壁にある百ドルの値札が下がった別の額を指して、「あの額に入れ替えてくれるかね。この額は貧相で絵とは不釣合いだからね」
商機が熟したことを察知した店主が客の希望をかなえようといそいそと額を入れ替える。
新しい額に入った絵を店主が目の高さに掲げた。
するとどうしたことだろう。
油絵が突然命を吹き返したように輝き始めるや、絵の中の女が仮面を脱ぎ捨てて、塚堀に向かって、革命を成し遂げよう! と叫んだのだ。
仮面の下から現われた深い紺碧色の瞳と紅の唇を具えた熟れた麗人の顔。そして亜麻色の髪が革命の熱風になびく。
瞬時のことだったが、女の特徴ある容貌は塚堀の脳裏にくっきりと焼き付き、その声音はその後もずっと耳に残り続けることとなった。
我に返った塚堀が、「この油絵は古いもののようだけど、いつ頃の作品ですか?」
「だいぶ前に古物市で手に入れましてね。鑑定書もないんですよ。十九世紀の作だそうですが、なんでも数人の手を経たとかで、元々はアイルランドから渡来したと聞きました。この仮面の緑はアイルランド特有のものですからね。広く知られたドラクロワの原画を模倣した、まともな画商が扱うこともない代物だからか、他の数点とあわせて二束三文で買いましたが、案の定、今まで売れずじまいです」
塚堀の目にはこの油絵は原画に優るとも劣らない傑作に映った。ヤマガタの作品を買うことと引き換えに、額代だけを支払ってその油絵を手に入れた。
塚堀はその後に中西部や南部などの数州で勤務したために、かさばる額入りの絵画類はその都度処分してしまった。しかし、この油絵だけは、その大きなサイズにもかかわらず手放すことはなかった。目にするたびに仮面に隠された亜麻色の髪の女がなにかを訴えてくる。いつの日にか、額を飛び出したその女とことばを交わすに違いないと思われたからだ。
通信機メーカーに六年間ほど在籍した塚堀は、テキサス州にあった日米合弁メーカーの責任者にヘッドハントされてダラス近郊に移った。その合弁企業の再建を終えた塚堀は、五十歳を契機に会社員生活を切り上げて独立するために公認会計士試験の受験を目指した。他人に自らの将来を左右されるのではなく、自身で切り拓く。長年抱き続けてきた理想であった。
願書を郵送するとちょっとしたハプニングに見舞われた。塚堀は経済学部の卒業で取得した単位には会計学や簿記論は含まれていたものの、会計士試験の受験資格に必須の監査論や工業会計などの単位は未取得であった。会計士試験を管理する州政府の機関に、すでにグローバル企業の経営に携わった者に対する例外措置はないのかと照会したが、結果はノーであった。そこで自宅で済ませる通信講座を探したところ、西部のモンタナ州の州立大学が提供していることが分かり急遽利用することにした。一年間のコースを半年で修了したいと申し入れたところ、現在のようにインターネットを利用する口座が普及していなかった頃で、大きなカートンボックスに詰まった大量のDVDが届いた。
毎夕の数時間と土曜日と日曜日の終日を独習に投じた結果、半年後に単位試験を受けることができるまでになった。受験場所がモンタナ州立大学のビリングス・キャンパス内であったために、その地で数日を過ごすことになり、キャンパスに近いレストランを夕食に利用した。
ある日、夕食を終えた塚堀は息抜きをしようとバーに向かった。カウンターに座り、口当たりがよいことから時折口にするあるアイリッシュ・ウイスキーをオーダーした。すると、カウンターに離れて座っていた年格好が三十歳前後と思しき女性が隣に移ってきた。
塚堀がオーダーしたアイリッシュ・ウイスキーは、アイルランドでは大西洋に面した小島に蒸留所を持つ酒蔵のもので、そのクレア島と呼ばれる小島は女性の祖先の故郷だそうだ。広くは知られていないそのブランドを東洋人がオーダーするのを目の当たりにして、好奇心から話しかけたという。聞けば、大学の付属病院に勤める脳神経科の医者だそうだ。
女医の髪は淡い金髪の亜麻色であった。マンハッタンであの油絵を購入して以来、塚堀は亜麻色の髪を持つ女性が気になる。この時も絵の中の女性が語りかけてきたのかと一瞬の間疑った塚堀であった。
必要単位を満たして願書を受理された塚堀は、幸い初回の受験で会計士試験の全科目に合格した。会計士の資格を手にし、その間に米国の市民権を得た塚堀は、米国の中央部に位置するケンタッキー州で会計事務所を開業した。ミシシッピー河の支流であるオハイオ河に面したルイビルの町が事務所の所在地であった。
ルイビル市は州都ではないが州内では人口が最も多い。製造業だけでなく流通業や医療業界など各種の産業が拠点を設けている。毎春に開かれる三歳馬によるダービーは、競馬界最大のレースとして海外でも知られ、日本からも多くの見物客が訪れる。
塚堀はそれまでの経歴を活かそうと、中小・零細企業を対象にした会計処理、経営や税務の相談を事業の柱にした。税務が税理士の専管である日本と異なり米国の公認会計士は税務も扱う。開業当初はケンタッキー州内では唯独りの日本生まれの会計士として注目されたものだ。
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