第190話 マリーが泣いた、僕は笑った

 無残に轢かれたマリーを前に、僕の感情はぐちゃぐちゃになった。

 轟音と共にアビスが泣き叫ぶように揺れた。

 癇癪を起こすように岩は砕け散り、周囲を巻き込んだ。

 ホールの一部は崩落し始めている。

 僕はジャンプで着地し、続けてジャンプを使った。


「うああーーッッ!!!」


 叫びながらマリーへと跳躍する。

 マリーが地面に落ちる寸前で、僕はなんとかマリーを受け止めることに成功する。

 勢いを殺しきれずにそのまま滑ってしまうが、身を挺してマリーを守った。

 ようやく勢いが止まったのは壁に激突した時だった。

 背中を強打した。

 強烈な痛みが走り、呼吸ができなくなる。

 しかしそんなことはどうでもいい。

 僕は腕の中にあるマリーの姿を見た。


「シ……オン、逃げ……て……」


 呼吸をしている。

 生きている!

 意識は朦朧としているが、失神してはいない。

 僕は即座にヒールを使った。

 大丈夫。きっと治る。


「させるかぁーッ!!」


 ラプンツェンの周辺に浮かび上がる岩の矢を見て、僕は歯噛みする。

 あれだけの大魔術を使っても、まだラプンツェンの魔力は残っている。

 しかし明らかに最初に比べて、ラプンツェンの魔力量は減っている。

 大量の物質をあれほど巧みに動かしているのだから、消費魔力は膨大なはずだ。

 いくら二千万ほどの魔力があっても、無限ではない。

 魔力を枯渇させるか、体力を奪い切るか、殺すかだ。


「穴ぁ開けてやるわぁッ!!」


 ラプンツェンが手を振り下ろすと、無数の岩の矢が僕たちへと迫る。

 僕は集魔で集めた魔力を、全員を守るように配置する。

 魔力の盾。

 全く防御力はない盾だ。

 だがラプンツェンの魔術に関しては有効。

 岩の矢が僕の魔力に触れると同時に、僕は魔力を下方向に動かす。

 僕の魔力に引きずられて大半の岩の矢が落下した。

 そう、大半の岩の矢が。

 一部の岩の矢は魔力の壁を素通りしてしまう。


「伏せて!」


 僕は叫びながら、マリーの身体を庇うようにして岩の矢に背を向けた。

 同時に背中全体にシールドを発動。

 広範囲なため効果は薄いが他に手段はない。

 背中に激痛が何度も走る。

 痛みを堪えつつ、マリーを守り続けた。

 岩の矢は通り過ぎる。

 騎士たちは僕の指示通りすぐに屈んだらしく、致命傷を受けた者はいなかった。

 中々にタフな連中だ。

 だけど僕は結構なダメージを負ってしまった。

 幸いにも傷は浅く、内臓までは到達していないはずだ。

 シールドのおかげだ。

 僕は背中に突き刺さった何本かの岩の矢を強引に抜いた。

 痛みは無視。

 血が噴き出すも、すぐにヒールを使って再生させる。

 傷の治りが遅い。


 衣服が自分の血で湿っていた。

 魔力はメルフィのおかげでまだ残っているが、体力の消費が著しい。

 動悸が激しく、息苦しい。

 限界が近いかもしれない。

 僕は先ほどの攻防を思い出す。

 魔力の壁は通じなかった。

 正確には通じたが、完璧ではなかった。

 最初は完全に防げたのに、今回はダメだったのだ。

 僕はその違いに気づいていた。

 ラプンツェンは魔術の魔力量に差をつけていたのだ。

 無数にあったそれぞれの岩の矢に与える魔力量に差をつけることで、速度と威力の調整をしたのだ。

 最初に僕の魔力の壁に触れたのは、真っ先に飛んできた高魔力の岩の矢。

 遅れて飛んできた低魔力の岩の矢は高魔力の岩の矢の影に隠れて、遅れて飛んできた。

 そのためすべてを防ぐことはできなかった。

 魔力を広げる範囲をもっと広げれば、防げるかもしれないが、高魔力の岩の矢を落とすことができない可能性が高い。


 中々、巧みな手段を使うじゃないか。

 考えなしだと思っていたが、案外頭が回るのだろうか。

 巨岩の拳と岩の矢の雨、二つの攻撃により土埃が舞っている。

 おかげで僕たちの姿はラプンツェンには見えていないはずだ。

 魔覚を用いて、魔力の気配も消している。

 ドミニクは魔力が少ないし、マリーは魔力をだいぶ使ってほとんど残っていない。

 魔力がまったくない場所ならそれでも気づかれるだろうが、ホール中に妖精たちの魔力が充満しているため気づかれることはないだろう。

 僕は音を鳴らさないように少しずつ移動した。


「くおおぉっ! どこだ!? どこにいる!?

 出てこい! 出てくるのだ! 隠れるでないわッッ!!」


 状況は最悪だ。

 マリーは体力の限界で、傷を癒しても起き上がる様子がない。

 意識は朦朧とし、僕の名前を呼んでいるだけだ。

 戦うどころか、歩くことさえ困難だろう。

 傷を負いすぎたのだ。

 マリーはもう戦えない。

 ホールはラプンツェンの攻撃により崩落が始まっている。

 長くは持たないかもしれない。

 騎士たちは戦うことができない。

 時間稼ぎができたのはラプンツェンが感情的になっていたからだ。

 冷静に岩の矢の魔術を使われれば、彼らに防ぐ手段はない。

 メルフィの魔力も減っている。

 当然だが、妖精の祝福の効果は永遠に続くわけではない。

 彼女も限界が近いのだろう。


 戦いの要はマリーだった。

 そのマリーが戦えない。

 じゃあ逃げるか?

 逃げてどうする。

 僕たち以外に戦える人間はいない。

 一旦、体勢を立て直して戦いを挑んでも、正攻法で戦えばラプンツェンの方に軍配が上がる。

 ここまでやれたのは奇策と奇襲、新魔法の発想と全員の連携あってのものだ。

 そしてアビス内という狭い場所での戦いだったからこそ、生まれた戦術だったのだ。

 ラプンツェンが外に出てしまったら、勝率はほぼないと言っていい。

 鉄雷剣も大して効果はないのだから、援軍が来ても無駄死にさせるだけだ。

 ラプンツェンは弱っている。

 確実に体力も魔力も減っているのだ。

 だったらやることは一つしかない。

 ここで倒し切るんだ。

 僕はマリーをその場に横たわらせた。


「姉さん……無事でいてね」

「……ダ、メ……シオン、行か……ないで……」


 僕はマリーの制止を振り切るように背を向けた。

 行くしかない。

 僕が倒すしかないんだ。


「もう、シオンと、離れる、の……イヤ……イヤァ……!」


 僕はマリーから離れた。

 歯を食いしばり、マリーと共に逃げたい衝動を抑えつける。

 通路は閉じられていたが、ずっと逃げる算段はしていた。

 そのために隙を見て、何度も僕は通路のあった場所にフォールを使っていたのだ。

 通路があったはずの壁に向けてフレアを投げ、すぐに大気魔力を放つ。

 轟音と共に大気が震えた。

 ボムフレアの爆発で通路が開けたのだ。


「な、なにをした!?」


 ラプンツェンは動揺している。

 だが、僕の場所はまだ見つかっていないらしい。

 通路の壁が破壊できたのは、ボムフレアの爆発だけによるものではない。

 フォールによって柔らかくなっていたのは岩壁の隙間の土部分。

 岩壁といえど隙間がないわけもなく、土が存在しないわけでもない。

 ゆえに大気魔力を浸透させるフォールを使えば、強度は落ちる。

 だがそれは壁が薄かったわけではない。

 戦いの最中、隙がある度に僕は何度も何度もフォールを使って壁を柔らかくしていたのだ。

 最初から逃げることは考えていたというわけだ。

 もちろん、こんなことになるとは思わなかったけど。


「ドミニク! 逃げ道は確保した!

 姉さんをお願い!!」


 僕は叫んだ後、すぐにその場から跳躍した。

 当然、ラプンツェンに居場所がバレる。


「そこかーーーーッッ!!」


 岩の矢が先ほどまで僕がいた場所に突き刺さる。

 僕は着地と同時にブロウを使い、土ぼこりをすべて吹き飛ばした。

 視界が晴れる中、それぞれの立ち位置が視認できる。

 ラプンツェンは僕がいた場所に手を伸ばしていたが、もう僕はそこにいない。

 マリーは僕がいた場所よりも離れた場所に倒れている。

 ドミニクや騎士たちがマリーのもとへと駆けていく。

 メルフィや妖精たちはmやや離れた場所の上空を飛んでいる。

 そして僕は。

 ラプンツェンの真後ろに陣取っていた。

 雷火にエンチャントアクアを。

 そしてブースト、シールドを使い。

 最大限の威力をもって。

 僕はラプンツェンの背中に全力の一撃をお見舞いした。


「ぐがっ!?」


 衝撃にのけ反りながら吹き飛ぶラプンツェン。

 僕はその機を逃さず、ジャンプで距離を詰める。

 ラプンツェンが地面に落ちたと同時に、更に腹部に拳を突き刺した。


「ぐぼぉっ!!」


 何度も何度も殴りつける。

 パンチの衝撃で、地面にヒビが入るも構わず拳を振るい続けた。

 不意に気配を感じて、僕は後方へ飛び退く。

 数瞬の後に、僕が顔があった場所をラプンツェンの拳が通り過ぎた。


「ぎざまッッ! わし様を殴ったなぁぁ!?」

「全員逃げろ!! こいつは僕が食い止める!!」


 青筋を立てるラプンツェンを無視して、僕は全員に向かって叫ぶ。

 全員から戸惑いが伝わってくる。

 落石が増えていき、地鳴りが響く。

 もうここは崩落する。

 悠長にしている時間はない。


「し、しかし!」

「早く!」


 僕は喉が痛むほどの声量で叫んだ。

 全員が跳ねるようにその場から動き始める。


『メルフィたちも逃げて。僕はここでラプンツェンと戦う』

『メ、メルフィも残る! 妖精は物質をすり抜けられるから!』


 ゴルトバ伯爵が同じようなことを言っていた。

 だからこそ妖精を閉じ込めるために、妖精石を用いて檻を作る者もいるのだと。

 だが。


『……このアビスも?』

『そ、それは』


 アビスには妖精石や赫魔力の込められた赤い水晶が埋め込まれている。

 大量にはないだろうが、アビス中に妖精石の存在は確認している。

 それに赫魔力の込められた魔力が妖精に触れた場合、妖精は通常通りに活動できるかどうかの疑問はあった。

 赫魔力は魔族の魔力、妖精の魔力とは相反するものなのだと、僕は理解している。

 ならば、その赫魔力に覆われたアビスで、妖精の力はすべて使えるのだろうか。

 いまだに赫魔力の感覚はアビス中に溢れている。

 ラプンツェンが現れた際に赫魔力が吸収されていったが、すべてではない。

 つまり、妖精たちはアビスから抜け出せない可能性があるのではないか?

 僕はそう思っていた。


「うおおおお!!」


 ラプンツェンが地を蹴り、僕に迫る。

 僕は身構えつつ、メルフィに最後の言葉を継げた。


『必ず帰るから! だからマリーをお願い!』

『ぜ、絶対だよ! 待ってるから!』


 僕はラプンツェンの攻撃を真っ向から受け止めると同時に後方へ飛び、衝撃を受け流す。

 あえて弾き飛ばされた僕は、空中でアクアブレットを撃つ。

 ラプンツェンはそれを躱すが、地面に足を飲み込まれる。


「うが!? な、なんだこれは!?」


 フォールである。

 熟達の父さんでも引っかかった魔法だ。

 地味だけど、隙を作るために有用であることは明白。

 僕は距離を詰めてラプンツェンを殴り飛ばした。

 ラプンツェンは壁へ吹き飛び、背中を強かに打ち付ける。

 ブーストとシールド、エンチャントアクア、そしてジャンプ。

 すべてを使えば近接戦も可能になる。

 僕にはマリーほどの剣術や身のこなし、動体視力はない。

 だけど魔法の知識や技術、活用できる判断能力には自負がある。

 魔法の扱いでは誰にも負けない。

 それに日々、父さんやマリーと戦闘訓練をしていた。

 多少は戦い方を知っているのだ。

 ドミニクたちが通路から出ていく姿を横目で確認した。

 僕はマリーと目が合った


 マリーが僕を見ている。

 僕もマリーを見ている。


 マリーが僕に手を伸ばす。

 僕はマリーに手を振った。


 マリーは顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。

 僕は力一杯、笑った。

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