第189話 手を伸ばす

 マリーとラプンツェンの激しい戦いは継続していた。


「はああああ!!!」

「るううううあ!!!」


 まるで台風のようだった。

 異常なほどの剣速は、視認するだけで精一杯だ。

 あの中に入れる人間はここにはいない。

 近接戦では互角に見える。

 だが圧倒的な体力と魔力がラプンツェンにはある。

 息切れをしているマリーの体には幾つかの裂傷が走っている。

 戦いの腕前は互角なのに、根本的な能力の差がある。

 マリーが負けるのは時間の問題だ。


「どうしたどうした!? こんなものか人間の女!」

「くぅっ!」


 疲弊しているマリーは押されていた。

 劣勢は覆せない。

 マリーがバランスを崩す。

 隙を逃さずラプンツェンは一際大きく拳を引いた。

 大ぶりのパンチだが、マリーは動けない。

 当たれば戦闘不能は必至。

 だが、絶体絶命の状態を止めたのは僕の魔法ではなかった。


「ウルァ!」

「はっ!!」


 ラプンツェンの左右から鉄雷剣を振り下ろすのはドミニクとブルーノだ。

 二人の存在に気づかなかったラプンツェンは、驚愕に目を見開いていた。

 ラプンツェンの手が止まる。

 同時に、二人の攻撃がラプンツェンの両肩に当たった。

 そして、僕は即座にマリーを抱きかかえる。

 すべては一瞬の出来事だった。

 ラプンツェンの意識が完全にマリーに向けられた時、僕たちは行動を開始したのだ。

 僕はマリーを抱えて、ラプンツェンから距離を取る。

 ジャンプは本当に便利だ。

 ただ上空に飛び上がるだけじゃなく、横移動することでダッシュのような動きもできるのだから。

 僕はマリーを抱えたまま地面に着地すると、滑りながら体勢を整える。


「シ、シオン……あの二人じゃ勝てないわ……!

 あ、あたしが行かないと!」

「大丈夫」


 僕はマリーを落ち着かせながらヒールをした。

 そして同時に妖精言語で話す。


『メルフィ、ドミニクたちのフォローをお願い。

 二人が危ない時は、魔力の鱗粉を周囲に落として』

『わかった!』


 メルフィが僕の口腔魔力に気づく。

 それほど遠くなければ魔覚で話せるのだ。

 もちろんラプンツェンも魔覚はある。

 だが、ラプンツェンは妖精言語がわからなかった。

 それはさっきメルフィがラプンツェンを攻撃した時に判明した。


「そんな攻撃が効くかーーッッ!!」


 ラプンツェンは咆哮と共に両手を持ち上げる。

 その拍子にドミニクとブルーノの剣は弾かれてしまった。

 間髪入れずにラプンツェンはドミニクへと迫る。

 ボクサーのジャブを数倍早くしたレベルの拳撃だ。

 ドミニクが避けられるはずもない。

 しかし、メルフィが魔力の鱗粉を辺りに振りまくと、ラプンツェンはその場から飛びのいた。

 どうやら妖精の魔力が本当に苦手らしい。


「くそくそくそぉっ!! イライラするのだあーーーッッ!!

 全員ぶっ殺してやるわああぁっ!!」


 わかりやすいほどの怒りを僕たちに向けてくる。

 いいぞ、感情的になっている。

 激情に駆られれば行動は単純になる。

 これならドミニクたちでも十分に時間稼ぎができるはずだ。

 だがそう長くは持たない。


「姉さん、新しい魔法を思いついたんだ」

「ま、魔法? で、でも今はそんな話をしてる暇は」


 僕はマリーに内容を教えた。

 これは非常に画期的で斬新な方法だ。

 正直、成功するか不安ではあるけど。

 話し終えると、マリーは決意を瞳に宿らせた。


「確かに、それが成功したら勝機はあるわね」

「やってみよう。準備は出来てるんだ」


 周囲の地面には十数の鉄雷剣が刺さっていた。

 即座に剣を抜けるように、円状に配置されているのだ。

 これは騎士たちがやってくれた。


「おあつらえ向きね」


 マリーは僕から離れて、円状に配置された剣の中央に立った。

 マリーは地面に刺さっている鉄雷剣を手に取った。

 刀身が真っ二つにわかれている魔力充填状態の鉄雷剣を、引き金を引いて元の剣の形に戻す。

 そしてマリーは鉄雷剣にエンチャントアクアを使った。

 水の剣が姿を現す。


「行くよ!」

「いつでも!」


 掛け声と共に僕はアクアを唱える。

 ホールの大気中にある水分と、水筒からこぼした水を集結させて、小さな水の玉を作る。

 それはマリーの前に現れると静止した。

 マリーの視線よりも、やや高い場所に配置している。


「今だ! 全員下がって!」


 僕はドミニクとブルーノ、メルフィに向かって叫んだ。

 メルフィには妖精言語で伝える。

 全員が下がると同時にマリーが鉄雷剣を振り下ろす。

 水の剣は空中に浮かぶアクアを真っ直ぐに切り裂いた。

 いや、正確には寸断するような軌道ではなかった。

 水の玉の表面を刀身が滑るようにして動いた。

 それはマリーがブルーノとの戦いで見せた武器破壊と同じ軌道だ。

 真っすぐ斬りつけると衝撃が強く、切断効果は薄い。

 だからマリーはブルーノの剣を切る時、刀身の上を滑らせるように刃を動かしたのだ。

 それと同じ要領でアクアを切ってもらう。

 ブーストと熟達した剣術、身体能力、運動神経あらゆる技術とセンスと才能がその一刀に詰まっていた。

 水の玉を撫でているようにも見えた。

 武器破壊と同じ刀身を滑らせる高等技術を行えばどうなるか。

 流れるような所作の中、水の剣と水の玉の間に生まれた現象。

 それは表面張力だ。

 魔力は対象の現象を増幅、維持することができる。

 それが魔法になるのだ。


 では水は? アクアはどうだ?

 魔力によって収束し、水の玉となるのはなぜだ?

 魔力という鎹(かすがい)により水同士が集まる。

 つまり水分子の特性である。

 表面張力が増幅されており、それが維持している結果がアクアならば、アクア同士が接触するとどうなる?

 過剰な表面張力は強い粘性を持つと同義。

 アクア同士は引き合い、繋がる。

 そこにブーストで強化された身体能力と、類まれなる剣術によって生まれた一閃が加わるとどうなるか。

 頭上辺りで僕のアクアに触れた水の剣。

 触れた部分が刀身を滑り、やがて切っ先に到達する中、僕のアクアとマリーのアクアは一つの塊となる。


 速力と重力、そして質量。

 あらゆる力が刀身へと集まり、やがて生まれたものは水の刃だった。

 三日月状の美しい水刃が放たれたのだ。

 マリーのエンチャントアクアだけでは魔力が少ないため、威力が弱い。

 そのためラプンツェンに致命傷を与えられなかった。

 だが僕の魔力を合成させたらどうだ?

 そしてそれが遠距離で可能ならば?

 圧倒的に有利が状況が作れるだろう。

 そうこれは飛ぶ三日月の斬撃。


 クレセントアクアだ!


 三日月の刃はラプンツェンへ放たれた。

 瞬間、ドミニクたちはラプンツェンから離れる。

 ほんの一瞬の隙だった。

 ラプンツェンの背中にクレセントアクアが直撃した。


「ぐがああああああ!!」


 大きな裂傷が走ると血が溢れ出す。

 ラプンツェンは膝をついた。


「効いてる! 効いてるよ、姉さん!」

「ええ、やったわ!」


 僕とマリーが喜ぶ中、ラプンツェンはギロリと僕たちを睨んだ。


「おぉのぉれぇ、くそがぁぁぁーーーーッッッ!!!」


 激昂だ。

 あそこまで怒っている誰かを僕は見たことがない。

 あからさまに青筋を立て、歯をむき出しにしている。

 恐ろしい形相に、誰もが身を竦ませた。

 だがその怒りは、先ほどの攻撃が有効だったことの証拠でもある。

 さっきは死角からの攻撃の上、ラプンツェンは感情的になり周囲への注意が散漫になっていた。

 二度目を当てるのは簡単ではないだろう。

 だが勝機は出てきた。

 まだクレセントアクアの精度は低いが、練習すればもっと効果は上がるだろう。

 実践あるのみだ。

 僕は即座にマリーの前にアクアを浮かべる。

 そしてマリーは剣を振り下ろしクレセントアクアを生み出す。

 共同作業は徐々に効率と速度を増していく。

 最初はドミニクたちのフォローが必要だった。

 しかし、すぐにドミニクたちは戦いに参加できなくなる。

 消耗が激しかったのだ。

 一撃当たれば死ぬかもしれないという状況では、体力も精神も摩耗して当然だった。

 それはメルフィも一緒だった。

 ここからは僕とマリーだけが戦うことになる。


 僕は即座に魔法を使えるし、アクア自体の必要魔力は多くない。

 アクアを大きくすれば粘性が落ちるし、斬撃の形になる質量はある程度決まっているため、魔力の制限が必要だ。

 そのおかげであまり魔力を消費しない。

 マリーは僕のアクアを無心で切る必要がある。

 体力を消費するが、マリーは毎日のように数千回以上の素振りをしている。

 剣を振ることはマリーにとっては、呼吸することと同じくらい当たり前のことだ。

 つまり、体力はまだまだ残っているということ。

 マリーの魔力は半分ほどしかないが、それでもまだ魔法剣は使えるはずだ。


「くっ、この、くそ、なのだッ!!」


 ラプンツェンは攻めあぐねている。

 クレセントアクアは飛ぶ斬撃だ。

 その質量は通常の斬撃に比べ圧倒的に大きい上に、速度は異常に早い。

 しかも狭い空間で、それなりの質量がある縦、横、斜めの斬撃が迫ってくるのだから、避けるのは非常に困難であることは明白だ。

 ラプンツェンはギリギリでクレセントアクアを避けてはいるが、しかしそれも長くは続かないだろう。


「ぐっ! ぐあっ! 貴様! うぐぅぅっ!!」


 ラプンツェンにクレセントアクアが当たり始める。

 僕のアクアを生み出す速度、そしてマリーの剣速が上がり始めたからだ。

 姉弟ゆえの阿吽の呼吸というやつか。

 何も言わずともマリーが何を望んでいるのか、どうしたいのか、どうしようとしているのかが伝わってくる。


「す、すごすぎる、手を出せない」


 誰かが言った言葉がほんの少しだけ耳朶に届く。

 しかしやがて無音が訪れた。

 集中力の極致。

 僕は無心でアクアを生み出した。

 この状況に幸福感を抱きつつあった。

 しかし、それも長くは続かなかった。


「だぁったらぁ! こうしてやるぅっ!!」


 ラプンツェンの咆哮が僕を現実に引き戻す。

 ラプンツェンはクレセントアクアに突っ込んだ。

 両手でガードしながら斬撃を受けたのだ。

 不快な切断音が響く。

 しかしラプンツェンの勢いは止まらない。

 腕から出血しようと構わず疾走していた。

 ほんの数秒。

 その間に、ラプンツェンはマリーの眼前へ到達した。

 マリーが剣を切り下ろすも、ラプンツェンはそれを余裕で躱した。


「ごふっ!?」


 マリーの鳩尾にラプンツェンの拳が突き刺さる。

 吐血したマリーはそのまま後方へと吹き飛ばされた。

 壁に激突し、地面に倒れてしまう。

 相当なダメージを受けたことは間違いない。

 ラプンツェンの傷が徐々に治っていく。

 自己再生、魔力による自動ヒールだ。

 目の前にいる魔族の魔力はまだまだ余裕があった。

 だが体力は削れている。

 傷は癒えたが、ラプンツェンの顔には疲労の色が濃かった。

 ヒールは万能の癒しではない。

 恐らくは魔力の効果によって細胞を活性化し、自己再生するという魔法だ。

 だからこそ体力は無限ではないはず。

 実際に、僕もマリーも体力は回復していないし、身体は疲弊している。

 ならばまだ勝機はある。


 僕は咄嗟にアクアを生み出した。

 だが、ラプンツェンはそれを読んでいたかのように僕の足元へ瞬時に移動。

 衝撃が脳を揺らす。

 気づけば僕は空に飛んでいた。

 何が起こったのかわからない。

 全身が麻痺ししたかのような感覚だった。

 必死に脳を回転し、現状を把握する。

 僕は顎を蹴り上げられたのだ。

 魔力によるシールドがなければ頭が吹き飛んでいただろう。

 だが集魔によるシールドではないため、ダメージは著しかった。

 受身を取らないと。

 そう思うも身体は動かず、そのまま地面に落下した。

 衝撃が電流のように走り、激痛となって脳に訴えかけてくる。

 痛すぎて、一瞬で涙が溢れた。


「か……は……っ」


 受身ができなかったせいで全身を強打した。

 呼吸困難に陥る。

 ラプンツェンが一瞬で距離を詰め、僕を蹴り飛ばそうとした。

 僕は咄嗟に蹴られる場所にシールドを使う。

 サッカーボールのように僕は吹き飛ぶ。

 地面をごろごろと転がる中、僕は自分にヒールを使った。


「人間の癖にタフなのだ。だったら最後は魔術で殺してやるッッ!!

 わし様の痛みをおまえにも味合わせてやるのだ!!」


 ラプンツェンが両手をあげると、岩壁が震えた。

 地鳴りと共に現れたのは巨大な岩石。

 岩壁から岩が溢れ、伸びてきた。

 まるで巨大なゴーレムの拳のようだった。


「死ねぇ!! 人間ッッ!!」


 身体が動かない。

 さっき受けた攻撃からまだ立ち直っていない。

 動かない。足が動かない。ダメだ動かない。どうしてだ!

 死ぬ、死ぬのか、こんなところで。

 岩石が眼前に迫る。

 為す術は何もなかった。

 だから僕はただただこう思った。

 死んだ、と。

 その瞬間。

 ドン。

 僕の身体は宙を舞った。

 何が起こった?

 視界に見えたのはマリーの顔。

 困ったような笑顔。

 泣きそうな笑顔。


「シオン、大好き」


 僕はマリーに手を伸ばした。

 だが互いの距離は開くだけだった。

 僕は無意識の内にブロウを放つ。

 届け!

 届いてくれ!

 しかし僕の魔法はマリーに届かなかった。


「マリーッッッ!!!」


 僕がいたはずの場所を。

 マリーがいる場所を。

 巨大な岩石が通り過ぎた。

 マリーは巨岩に吹き飛ばされて空に飛び上がった。

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