第184話 十の魔族 ラプンツェン

「前衛班は赤オークの気を引け! 

 別動隊は後方から攻撃しろ!」


 ドミニクの指示は的確だった。

 騎士たちは徐々に練度をあげていき、赤オーク一体であれば無傷で倒せるほどになっていた。


「よし! よくやった!」

「うおおお! やれるぞ!」

「さっきよりも討伐が早くなっているな!」


 赤オークが倒れると騎士たちが喜びの雄たけびを上げた。

 その横で僕とマリーは、十体目の赤オークを倒したところだった。


「うおお……お、おおぉ……」

「シオン様とマリー様は十体で、俺たちは十六人がかりで一体……」


 騎士たちの声は徐々に小さくなっていく。

 僕は苦笑を返すしかない。

 彼らの働きは十分だと思っている。

 魔法も使えず、魔力の扱いもほとんどできず、鉄雷剣の力のみで戦っているのだから。


「気落ちするな! お二人が強すぎるだけだ!

 我々の目的は妖精の救出、魔族の討伐だ!

 お二人との競争ではない!」

「「「は、はっ!」」」


 ドミニクの立ち振る舞いは堂に入っている。

 指揮官としての自覚が出てきているということだろうか。


「しかし妖精の村があった場所はまだでしょうか」


 ドミニクはやる気を出した騎士たちから離れ、僕たちのもとへやってきた。

 騎士たちの前では不安な様子は一切なかったが、今は感情が顔に出ている。

 信頼してくれていると受け取っていいかもしれない。


「魔覚で確認してはいるけど、妖精の村の気配はないね」

「アビスに入って二日。食料を考えると、帰還も視野に入れるべきでしょうか」

「水だけなら魔法で出せるけど、さすがに食料は無理だものね。

 水分があれば数日はいけそうだけど」


 水を摂取すれば二週間近くは生きられる。

 しかし健康な状態ではない。

 カロリーを摂取しなければ身体は弱り、まともに動けなくなる。

 もしも魔族と戦うなら万全の状態でなければ勝てないだろう。

 アビス内は複雑な構造となっており、一本道ではない。

 かなり道に迷って行ったり来たりしていたので、時間がかかってしまった。

 しかし、帰り道はすでにわかっている。

 恐らく、徒歩で数時間あれば出口まで到達できるだろう。

 とはいえ何があるかわからないのだから、食料がなくなる寸前まで探索するのは危険だ。

 やはり、そろそろ帰還することを考えるべきだろう。


「魔族がいつ出てくるかわからない。

 前回の赫夜では約一年半くらいの間隔が空いていたけど、今回もそうだとは限らないし。

 できれば早急に妖精だけ救出して、次回の出陣で魔族を討伐した方がいいんだけどね」

「妖精の救出にあまり時間を掛けたくはないわね……。

 もう少し粘った方がいいと思うわ」

「確かにお二方の言う通りですね……もう少し進んでみましょうか。

 まだ騎士たちの士気は高いですし」


 赤オークとの戦いで騎士たちは多少の自信を取り戻したらしい。

 最初は僕やマリーと比べて落胆していたが、次第にそれはなくなった。

 途中から、妙に悟ったような顔を見せるようになったのだ。

 どういう心境の変化があったのかはよくわからないけど。


「では進むぞ! 陣形は先ほどと同じだ! 気を抜くなよ!

 魔物が出ても落ち着いて対処しろ! 我々には化け物……ではなく腕利きのお二人がいる!

 常人の我々とは一線を画す方々と理解し、補佐に回るのだ! わかったな!」

「「「はっ!」」」


 何か失礼なことを言われたような気がするけれど、聞き間違いだろうか。

 僕たちは隊列に合流し、再び先を進むのだった。


  ●〇●〇


 アビスは洞窟と同じような構造だが、人工的に思える部分もある。

 特に気になったのは地面だ。

 通常、洞窟となれば非常に狭い通路や、でこぼこした地面や壁、地下水脈があったり、鍾乳洞になっていたりするもの。

 しかし、アビスは舗装されているかのように歩きやすい。

 これは偶然か、それとも魔族の仕業なのか。

 だとしたらなぜそんなことをするのか。

 まるで中に誘われているような錯覚に陥りそうになる。

 そもそもアビスはどこから現れた?

 地下からか? それとも別の空間からか?

 どちらの線もある気がした。

 アビスの表面には木々や岩々があったが、地面から生まれたと確信すべきではない。

 エインツヴェルフはどこからともなく姿を現したのだ。

 空間を移動するか、平行世界のような場所から現れたのか、あるいは別のやり方があるのか。

 どちらにしても僕やこの世界の常識が通じないことは間違いない。

 アビスが魔族によって作られているのならば、この人為的な構造にも意味があるのだろうか。


 引き返した方がいいんじゃないか?

 このまま進むと危険なのではないか?

 そんな不安が鎌首をもたげる。

 だが撤退してはメルフィたちを助けられない。

 事態は一刻を争う。

 早く助けなければ、彼女たちは魔物や魔族に殺されるかもしれない。

 僕は妖精たち、特にメルフィに恩がある。

 見捨てることなんてできはしない。

 僕は不安を振り切るように歩き続けた。

 乾いた足音がアビス内に響き渡る中、微かに気配を感じた。


「魔力の気配だ! 間違いなく、妖精の村の入り口にある扉の魔力だよ!」


 僕の前にいた騎士に伝えると、騎士は先頭にいるドミニクたちのもとへ駆けていった。

 さすがに大声を出して伝えるわけにはいかないからだ。

 魔物や魔族が潜んでいる可能性もあるからね。

 妖精の村に入るには魔力による解錠が必要だ。

 入り口は魔力に反応して開くのだから、特別な魔力種を持っているのも当然だ。

 だから間違いない。

 そこにメルフィたちがいるはずだ。


「慎重に進むとのことです」

「わかった。ありがとう」


 伝令役の騎士が戻って、ドミニクの指示を教えてくれた。

 隊の動きが若干遅くなる。

 足音を潜めて、僕たちは進んだ。

 数分後、僕たちの前に現れたのは巨大なホール。

 アビス内で何度か広場に出たことはあるが、その数倍の広さがあった。

 学校の体育館三つ分くらいと言えばわかりやすいだろうか。

 雷光灯の照らす光だけでは全体が見えないけど、全員が散らばるとそれなりに見えた。

 辺りを調べると通路はなかった。

 ここが終着点らしい。

 僕とマリー、ドミニクがほぼ同時にある一点を見つめる。

 僕の魔力探知範囲は100メートル、二人はそれには劣るが、これくらいの距離ならば察知できる。

 僕たちは魔力の発せられた空間へと近づく。

 魔力を感じるが、見た目では何も変化はない。

 僕は魔力へと近づき、いつものように魔力を流した。

 空間が開き、そこから一気に妖精たちが飛び出してくる。


「な、何ごとだ!? 何が起きた!?」


 事態を飲み込めない騎士たちが、慌てふためいてホールに現れた妖精たちを見回す。

 百を超えるほどの妖精たちがホールを彩っていた。

 赫魔力を凌駕するほどに妖精の魔力が溢れ、ホールに温かみが生まれる。

 まるで浄化しているようだった。

 妖精の一人がすーっと僕の眼前まで下りてくる。


『メルフィ! 無事だったんだね!』

『うん! 絶対にシオンが来てくれるって信じてたよ!』


 メルフィが僕の顔に抱き着いてくる。

 不思議な感覚が肌に伝わってくる。

 くすぐったくも嬉しい感触だった。


『すぐにここから逃げよ! あいつが来る前にっ!』

『あいつ……魔族だね。わかった、急ごう』


 メルフィや他の妖精は怯えている様子だった。

 彼女たちの反応からして、悠長にしている時間はなさそうだ。

 僕はドミニクたちに向き直り叫んだ。


「ドミニク! 妖精たちを連れてここを出よう!

 魔族が来る!」

「はい! 全員撤収だ! 急ぎ、妖精たちと共にアビスを脱出するぞ!」

「「「はっ!」」」


 僕は妖精たちに向き直る。


『全員、僕たちについてきて、ここから逃がす!』


 妖精たちは怯えている。

 魔族や魔物にだけではなく、人間もその対象だ。

 だが、今はゆっくり説得している時間はない。

 まずは行動だ。

 僕や騎士たちが入り口の通路へ走り出すと、メルフィを先頭にして妖精たちも続いた。

 どうやら魔族たちよりは、人間である僕たちの方が信用はあるらしい。

 状況的に救助しに来ていると理解してくれているのかもしれない。

 通路はすぐそこだ。

 早く外に出るべきだ。

 ここは嫌な気配がする。

 あと少し、もう少しで出られる。

 そう思った瞬間。

 通路が消えた。


「はっ?」


 素っ頓狂な声をあげたのは僕だった。

 すぐそこの壁に通路があったはずだ。

 それが一瞬で消えた。

 いや、閉じたのだ。

 一体何が起きたのか理解できなかった。

 通路は忽然と消えたのではなく、周囲の壁が膨張して埋まったように見えた。


「な、なにが起きた!?」

「ど、どういうことだ!?」


 動揺が広がる中、僕の背筋が凍る。

 緩慢に振り向くと、ホールの中央に歪みが見えた。

 空間に生まれた違和感。

 その範囲が徐々に広がり、数メートル規模となる。

 ホールを満たしていた妖精たちの魔力は消散し、赤黒い光がホールを満たした。

 赫魔力が中央の空間に収束する。

 赤に塗りつぶされた空間は一瞬で元通りの色へと変わる。

 次いで天井からすり抜けるように、上空から赫魔力が流れてくる。

 あれはアルスフィア上空に漂っていた赫魔力だ。

 僕は確信と共に怖気を感じていた。

 圧倒的な魔力が目の前にある。

 アビス内と上空にあったはずの赫魔力は、すべて空間の中へと消えていったのだ。

 空間にヒビが生まれる。

 そこから現れたのは顔だった。


「ひっ!?」


 誰かの悲鳴が上がった。

 女の顔。

 妖艶でありながら、不気味な雰囲気を漂わせている。

 口腔から覗く鋭い牙、赤黒い目、白い髪。

 頭部にはてらてらと光る角が二つ生えていた。

 露出の多い服装、浅黒い肌、過剰なほどに整ったスタイル。

 妙に蠱惑的で豊満な胸やくびれた腰、なだらかな臀部には女性的な魅力を感じない。

 なぜならば溢れ出す空気が、人間のものではなかったからだ。

 全身が徐々にあらわになり、それは現れた。


「ふぅ……ようやく出られたのだ」


 軽い口調だが、声音からは畏怖を感じさせた。

 人間の女性のような風貌と声。

 だが溢れる魔力は僕をはるかに超える量だった。

 異質、異物、異形。

 この世の理をすべて逸脱したそんな存在。

 まるで悪魔のような姿。

 見た目で判断できない。

 いや判断させてくれないほどの存在感を発している。

 エインツヴェルフの比ではない。

 エインツヴェルフは魔力一千万ほどだった。

 だがこいつはその倍。

 恐らくは二千万ほど。

 エインツヴェルフに勝ったのも奇跡だったのに、その倍の強さを誇る。

 今の僕がエインツヴェルフと戦っても勝てるかわからないのに、それよりもはるかに強い相手が目の前にいる。

 勝てない。あれには誰も。


「お? 人間だな。なるほど千年が経過したか。

 おや、貴様はルグレ? いや少し違う……?

 まあよい、人間はすべて殺すのだ。

 おっとその前に、自己紹介。

 わし様は十の魔族、ラプンツェン。忘れてもよいのだ」


 口調は軽い。

 だが、発する圧力はエインツヴェルフを圧倒的に凌駕する。

 まともに戦っては勝てないと本能が叫んでいた。


「むむ? エインツヴェルフの魔力を感じないのだ。

 おかしいな。先にこちらに来ているはずなのだが。

 ……まっ、よいか! それでは行くぞぉ、皆殺しだぁ!

 ふんふんふーん。殺し殺し皆殺しぃ」


 鼻歌を歌いつつ、無警戒に近づいてくる魔族ラプンツェン。

 僕は足がすくんで動けない。

 どうする。

 どうすればいい!?


「な、なんだ? ただの子供じゃないか。

 これが魔族なのか?」


 騎士の一人が不用意にラプンツェンに近づいた。


「ち、近寄るな!!」


 僕が制止した瞬間、騎士が後方へ吹き飛んだ。

 僕たちの横を通り抜け、壁に激突すると地面に倒れる。

 騎士はぴくぴくと痙攣していた。


「わし様は子供ではない」


 ラプンツェンは人差し指を突き出していた。

 それはつまり指で軽く押しただけで、騎士を吹き飛ばしたということだ。


「ぜ、全員抜剣せよ!!」


 遅れてドミニクの指示が飛ぶ。

 騎士たちは慌てて剣を抜くも、気勢は確実に削がれている。


「おお、ようやくやる気になったのだな。

 少しは楽しめるかの? 楽しみなのだ!

 なんせ千年も閉じ込められていたからのぉ!」


 無邪気な顔。

 だがその手に生まれたのは巨大な魔力の脈動。


「全員横に飛べーーーッ!!」


 無意識の内に僕は叫んだ。

 僕は近くの騎士たちを抱えながら横っ飛びした。

 その刹那、生まれた轟音が僕たちがいた場所を通り、ホール内に響き渡る。

 大気を震わすほどの衝撃。

 僕とマリーは何とか地面に着地する。

 数メートル規模の巨岩が壁から放たれたのだと理解した。

 直撃した壁の近くには、砕け散った岩が転がっていた。

 凄まじい一撃だ。

 直撃したらシールドを使っても意味がなかっただろう。

 石礫で何人かは負傷したらしいが、致命傷は避けられたようだ。

 妖精たちは離れた場所に逃げている。

 どうする。

 どうすればいい?

 逃げ場はない。

 戦うしかない!

 少なくとも奴を弱らせる必要がある。

 僕は覚悟を決めて、身構えた。

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