第183話 ヒール

 翌日。

 外と隔絶されているため朝日は見えず、身体の調子はよくなかった。

 人間は暗闇の中で生活し続けると、変調をきたすという話もあるらしい。

 こんなところに長い間いると気が触れそうだ。

 出発して数時間、同じような景色が続いている。

 赤い水晶、狭い通路、岩壁、不気味な空気。

 ひたすらに歩き続けるも、目的地である妖精の村があった広場へは到達できない。

 魔覚を使い周囲を探索するも、やはり妖精たちの気配は微塵もしなかった。

 アルスフィアはそれなりに広大な森だ。

 しかし、大森林というほどでもない。

 一週間ほど歩けば、端から端に到達できるくらいの広さしかない。

 妖精の村のある広場は、森に入って一時間程度歩けば到着できる。

 だが、すでに十時間近く歩いているはずだ。

 道が複雑に入り組んでいるせいなのだろうか。

 近くにある目印の位置は、魔覚で把握できる。

 だから道を戻っているわけではないはずだ。

 不意に開けた場所に出た。

 野営した場所と似ている広場だ。


「戻ってきたのでしょうか……?」

「いや、目印がない。ここは新しい場所だよ」


 不安そうにしているドミニクに僕は答えた。

 騎士たちの疲労の色も濃い。

 今日中に目途が立たない場合は、帰還もありうる。

 早くメルフィたちを見つけて連れ出さなければ。

 メディフにおいては妖精は貴重な存在だし、僕にとっても大事な友人だ。

 むざむざと帰るわけにはいかない。

 瞬間、僕の肌が粟立った。

 魔力の気配だ。


「魔物だ!」


 姿はまだ見えない。

 だが確かに近づいている。

 全員が身構える中、魔物が現れる。

 僕は虚を突かれた。

 魔物は通路から現れたのではない。

 壁から溢れ出てきたのだ。

 岩壁から徐々に赤オークが出てくる。

 粘度の高い液状の物体を透過してくるようだった。


「な、なんだこれは!?」


 騎士の誰かが叫んだ。

 動揺が広がる中、魔物たちが全身を現す。

 気付けば十体の赤オークに取り囲まれていた。

 通路から現れたのならば対峙するだけで済んだのに、まさか壁から現れるとは思わなかった。


「中央に背を向け、壁際を向け!

 シオン様とマリー先生に戦いは任せろ!

 防御に徹するんだ!」


 端的かつ的確なドミニクの指示。

 恐怖に支配されそうになっていた騎士たちは我に返り、指示通りに行動を開始する。

 僕とマリーは即座に動いた。

 広場とはいえ動くためのスペースはあまりない。

 巨体である赤オークが十体もいるのだから当然のことだ。

 広範囲魔法は味方を巻き込むから使えないし、結合魔法のような強力な魔法も同じだ。

 ならばやるべきことは決まっている。


「姉さん! 僕が足止めする! 姉さんはとどめを!」

「了解よ!」


 赤オークに斬撃が通るかはまだ不明だ。

 レイスと同じなら通常攻撃は効果がない可能性もあるが、赤オークは実体がある様子。

 剣による攻撃が効くことを祈ろう。

 僕はブーストを使いながら地を蹴る。

 一瞬で近くの赤オークの近くに移動。

 まったく僕の動きについてきていない。

 僕は瞬時に、足の裏に魔力を集める。

 その魔力をオークの足元にある土へと移動させ、大気魔力を膨張させた。

 フォールだ。

 手からではなく足から魔力を出したのは、走っている際に手をかざしても揺れが酷く、集中しにくいからだ。

 もちろん手を下ろした状態で魔力放出してもいいのだが、動作と魔力放出は可能であれば一か所がいい。

 全力疾走しているのであれば尚更だ。

 柔らかくなった地面に、ずぶりと赤オークの足が飲み込まれる。

 赤オークはバランスを崩し、倒れそうになるのを必死で堪えていた。

 マリーがそんな大きな隙を逃すはずもない。

 マリーは一瞬で赤オークの後方へ跳躍していた。

 瞬きも許さないほどの刹那の間に、マリーの一閃が走る。


「つっ! かったい……!」


 マリーの手には愛剣が握られている。

 それはグラストさんに作ってもらった普通の剣だ。

 業物だが魔力は帯びていない。


「だったら!」


 マリーは空中にいながら、流れるようにグラストさんの剣を鞘に納めると、鉄雷剣を抜いた。

 瞬間、キィンと鋭い金属音が生まれる。

 マリーの一閃。

 赤オークの首が僅かにずれ、そして落ちた。

 よし!

 やっぱり鉄雷剣は有効だ。

 僕は次の赤オークの近くへ移動。

 走りながらフォールを発動し、次々に赤オークの足を地面に飲み込ませた。

 その度にマリーは赤オークの無防備な首を切り落とす。


「う、うわああああ!!」


 遠くの赤オークが騎士たちに斧を振り下ろしていた。

 巨躯から放たれる一撃は、常人が受けられるものではない。


「受けるな! 避けろ! 隙あらば足元を狙え!」


 ドミニクの怒声が上がる。

 今は彼らを助ける余裕はない。

 近くの赤オークたちをせん滅しなければ。

 僕とマリーは赤オークを倒し続けた。

 あと六体。

 騎士たちは必死に赤オークと戦うも、アリと象のようなものだ。

 為す術なく吹き飛ばされたり、斬り付けられていたりしていた。

 だが致命傷はないし、上手くいなしてもいる。

 防御に徹しているからだろう。

 フォールとマリーの一閃でまた赤オークを倒した。

 あと五体。


「グルオオオォオォォ!」


 一体の赤オークが雄たけびを上げる。

 けたたましい鳴き声に僕は顔をしかめ、足を止めてしまう。

 狭い空間での大音量に、身体がすくんだ。


「くっ! ボルト!」


 叫び続ける赤オークに向けて、最低限の呪文と共にボルトを放つ。

 呪文は属性に近い言葉、例えばボルトなら雷や電気などの言葉を使わずとも呪文となる。

 ボルト、という造語も雷や電気を連想することができるからか、あるいは僕がそう認識しているからなのか、雷属性の口腔魔力である紫の魔力が出てくる。

 咄嗟に魔法名を言うだけでも、多少効果があるということだ。

 僕の手のひらから生まれた電流は、叫び続ける赤オークの顔面に直撃した。


「ギィィ……グオオォォ!」


 だがダメージは少ない。

 通常のオークなら焼け焦げるくらいの威力があるのに、赤オークには通用しないようだ。

 怒って僕に突進してくるかと思ったが、意外に冷静な奴だ。


「あの声を止めさせろ! 足を狙え!」

「う、うわあああッッ!! み、耳が! 耳がああッ!!」

「く、くそぉ! 殺せ! 戦えっ!!」


 ドミニクの指示を誰も聞いていない。

 混乱していることは目に見えて明らかだった。

 このままだとまずい。

 せめて彼ら自身の身を守ってくれないと、僕とマリーが戦えない。

 なんとか近くの赤オークを僕たちは倒した。

 あと四体。


「うおおおおお!!」


 ブルーノが奇声を発しつつ、叫ぶ赤オークの足を斬りつけた。

 その一撃は浅かったが、しかし確実に赤オークにダメージを与える。

 それだけに留まらず、ブルーノは何度も赤オークを斬り付けた。


「はっ! はっ! うるああっ!!」

「ギギギィ、グガア!」


 赤オークがブルーノに敵視を向ける。

 さすがに無視できなくなったのだろう。

 雄たけびは止まっていた。


「俺は百人隊長ブルーノだ! 貴様のような魔物に負けるものかッッ!!」


 ブルーノの名乗りが広場に響く。

 騎士たちの顔に生気が戻っていく。

 仲間の活躍により、彼らは恐怖の顔から決意の顔へと変わっていく。


「全員、ブルーノに続け! あの赤オークを倒せ!!」

「おおおおおおおっ!!」


 赤オークに騎士たちが突撃する。

 無謀にも思えたが、それは奏功した。

 他の赤オークは僕とマリーに気を取られており、叫んでいた赤オークは正面のブルーノを攻撃するのに躍起になっていた。

 その分、対処は容易い。

 ブルーノが耐えれば耐えるほど、赤オークの傷は増える。


「奴の斧に気をつけろ! 攻撃は最小限だ、無理をするな!」


 ドミニクの的確な指示は、連携をさらに洗練させた。

 その最中、僕とマリーは別の赤オークを二体倒した。

 あと二体。

 魔力を赤オークの足元に集める度に、魔力の精度が上がっていく。

 普段の安全な場所での研究や鍛錬では起き得ない現象だった。

 戦いの中で行う魔法の方が、より成長するのかもしれない。

 僕は疾走する中、足元に魔力を集めて赤オークのもとへと魔力を移動させる。

 フォールを予測したらしい赤オークは跳躍し、地面から逃げようとする。

 だがそれは悪手だ。


「飛んだら隙ができるでしょ」


 呆れたように言い放つマリーは、赤オークの首を寸断した。

 太い赤オークの首はぼとりと地面に落ちる。

 同時に、叫び声をあげていた赤オークも騎士たちによって倒された。


「討伐したぞぉぉッッ!!」


 ドミニクが勝ち鬨をあげると、騎士たち全員が手にした剣を振り上げた。

 僕は急いで怪我人を確認する。

 二人が怪我を負っているが、致命傷はないらしい。

 あの状況で怪我人がたった二人とは、騎士たちも中々やるらしい。


「傷は?」

「ぐっ、だ、大丈夫です」


 腕や足に裂傷が走っている。

 これは丁度いい。

 怪我をしている人にはちょっと悪いけど、実は前々からやりたかったことがある。

 怪我人の一人は魔力持ち、一人は魔力がないようだ。

 おあつらえ向き、という感じだった。

 僕は魔力持ちの騎士の傷に手を当てた。


「動かないでくださいね」


 魔力を手のひらに込める。

 魔覚を使いながら徐々に魔力を増やした。

 騎士の魔力を感じつつ、状況を確認。

 少しでも異常があった場合は中止だ。

 だがそれは杞憂に終わる。

 傷が徐々に癒え始めたのだ。


「こ、これって……傷が治ってる!?」


 マリーが横で驚いたように見ていた。

 エインツヴェルフ戦を思い出す。

 あの時、僕は気を失い、目を覚ますと骨折も傷も治っていた。

 あれは僕の体内にある魔力が作用したのだと考えられる。

 シールドもその魔力による、身体的な副反応だ。

 魔力により肉体が活性化し、身体能力を強化したり、身体を守る魔力の膜ができている。

 恐らく膨大な魔力があれば行えるのだろう。

 しかし僕はそこで思った。

 魔力そのものにシールドや治癒などの効果があるのならば、他者にもそれは行えるのではないかと。

 魔力を放出した際、魔力自体に実体はなく透過するだけだ。

 つまり体外に完全に放出した場合は、シールドの効果はなくなるということ。

 だが肉体に接した状態であれば効果はある。

 であれば他者の傷口に触れて魔力を流せばどうなるか。

 魔力放出を学んだ最初期は、魔物に魔力を流せば浄化してしまい、炭化することを恐れて、魔力を人間に接触させることを制限していた。

 だが怠惰病治療において、僕は人間と魔物とでは魔力に対する反応が違うと気づいた。

 だから危険性はないと感じていた。

 それらすべての情報を考慮し、僕は思ったのだ。

 魔力を与えれば癒せるのではないかと。

 騎士の傷が徐々に癒えていく。

 数センチの深い傷は綺麗に治っていく。

 これは『ヒール』だ。

 回復魔法。

 人を癒す、治癒の魔法だ!


「あ、ありがとう、ございます」

「な、治った……傷が……!?」

「こ、こんな力があるなんて……これが魔法!?」


 騎士たちが次々に感動したように言葉を紡ぐ。

 そんな中、僕に去来した思いは。


「うへ」


 歓喜。

 ダメだ、頬が緩む。

 まだ怪我人がいるんだから、癒さないと。

 それにまだ試さなければならない。

 僕は魔力を持たない騎士のもとへ行くと、再び傷を癒すために魔力を流した。

 が、ダメだった。

 魔力を流しても、魔力を持たない人の傷は癒えない。

 やはりそうだったか。

 もしかしたらそうなんじゃないかと思ったけど、どうやら魔力に作用しないと治癒効果は得られないらしい。

 口腔魔力や、帯魔や集魔、呪文でもいい。

 何かしらのきっかけで魔力持ちにならないと、ヒールの効果もないようだ。


「ごめんなさい、あなたは治せないみたいです」

「い、いえ。かすり傷ですから、お気になさらず」


 魔力は魔力に作用する。

 しかし、魔力を持たない人間には魔力反応はないのだから、ヒールのような魔力そのものの作用を前提とする魔法は効果がないということか。

 これは現時点で魔力を持っていない、あるいは僕からは見えないが魔力の素養はあり、何かしらの方法で魔力持ちになる可能性がある人を含むのかどうかはわからない。

 あるいはヒールの効果がないということは、魔力をまったく持たず、潜在魔力がゼロであるということの証左なのだろうか。

 どちらにしても魔力を持つ人間でなければ、ヒールの効果はないということがわかった。

 怠惰病と一緒だ。

 ただし、魔力を持たないか少ない人間は怠惰病にはならないのだが。

 とにかくヒールを使えるという収穫はあった。


「うへへ……他者を癒せる、ヒールが使えるようになった!」

「おめでとう、シオン。よかったわね。これ、あたしもできるかしら?」

「うーん、それは難しいかも。

 これ結構、魔力使うから。

 他人に使うとなると普通の魔法に比べて、かなり魔力が必要になるから。

 自己回復だったら少しはできるかもしれないね。

 もしかしたら姉さんはブーストや魔力操作が得意だから、あまり魔力を使わずにできるかも」

「そっか。練習しておくのもいいかもしれないわね。

 それにしてもみんなやるじゃない。赤オークを倒すなんて」

「マリー先生にお褒め頂き光栄です!」

「「「光栄です!」」」


 ドミニクを筆頭に、騎士たちが全員敬礼した。

 まさかのブルーノまで。

 一体これはどういうことだろうか。


「先程の戦い、感服いたしました。

 素晴らしい身のこなしと剣術でした!」


 ああなるほど、そういうことか。

 僕は見慣れているけど、確かにあの動きは凄まじい。

 彼らは強い。だからこそ強者を認めることもまたできるのだろう。


「あれくらい当然よ。あんたたちも頑張りなさい」

「はっ! 精進いたします!」


 そう言うと騎士たちは赤オークの死体の確認や、散乱した装備を集め始めた。

 僕とマリーは隣り合ってその様子を眺めていた。


「思ったより簡単に倒せて安心したよ」

「普通の武器だったら傷をつけることもできなかったけれどね」

「どうやら鉄雷剣は赫日の魔物にも有効みたいだね。

 これなら魔法を使えなくても、多少は戦えそうだ」

「そうね。けれど鉄雷剣は長時間使えない。油断は禁物だわ」


 マリーが使っていた鉄雷剣は魔力を失っていた。

 マリーが手元の引き金を引くと、鉄雷剣の刀身が縦から半分に割れて、空間に電流が走った。

 魔力が生まれ、それが刀身に充填されていく。

 しばらくはこの状態にして、魔力を蓄積しないといけない。

 マリーはバリバリという電流音を流す鉄雷剣を鞘に納めた。

 鉄雷剣の鞘は刀身がわかれた状態で納めるようになっている。

 そのため、かなり幅広な鞘だ。

 本来ならば替え刃の入った箱もあるのだが、全員持ってきていない。

 メディフで集めた鉄雷剣には替え刃がなかったためだ。

 流通の際に替え刃を別売りされたのか、あるいは替え刃を捨てられたのかわからない。

 刀身を交換できるなんて代物は他にないので、商人や卸業者が正しい取り扱いを知らなかったのかもしれない。

 セット売りするという概念がないからだろう。


「これうるさいのよね」

「魔力が溜まるまでの我慢だよ」


 マリーは辟易としている様子だった。

 一先ず鉄雷剣の有用性は証明できた。

 魔族が出ても一方的な戦いにはならないはずだ。

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