第181話 アビス

 訓練の時間は約二時間ほどしかなかった。

 その間に、僕は騎士たちが魔力を持てるように呪文のやり方を教えた。

 数人は魔力持ちだったため問題はなかったけど、全員が口腔魔力を放つことはできなかった。

 結果、十五人中十人が魔力持ちとなった。

 たった数時間の鍛錬でこれなら、十分な結果と言えるだろう。

 魔力持ちになるって目的を考えると、呪文はかなり効率がいいな。


「これが魔力……」

「噂では聞いていたが本当に存在するとは」


 魔力に目覚めた騎士たちは驚き、喜んでいた。

 魔力持ちになれなかった騎士たちの表情は複雑だ。

 魔力持ちになった騎士は、マリーと簡単な連携や稽古をすることになっている。

 ちなみにウィノナや伯爵、カルラさんは参加していない。

 三人は一般人だし、戦う力があまりないからだ。

 カルラさんに至ってはそれなりに腕に覚えがありそうだけど、一応学者さんだし。


「シオン様、そろそろ発ちましょう。

 短時間ではありますが、最低限の情報は共有しました。

 魔力鍛錬は道中でも可能ですし」

「そうだね、そうしようか」


 ドミニクの表情は硬かった。

 緊張しているようだ。

 突然、与えられた大役なのだから当然だろう。

 ドミニクが赫日対策騎士隊の隊長に任命された理由はいくつかあると想像できる。

 一つはラルフガング王が、ドミニクに実績をあげて欲しいと考えたこと。

 そうでなければドミニクに白羽の矢が立つとは思いにくい。

 もちろん、完全な門外漢を重要職に据えることはできないが、ドミニクは今回の問題に大きく関わっているため、任命しやすかったとも考えられる。

 そしてもう一つは恐らく僕たちの関係性だ。

 ドミニクと僕たちは半年以上共に過ごしているため、それなりに親密になっている。

 ラルフガング王がどこまで僕たちのことを知っているのかはわからないけど、魔法や魔道具、怠惰病治療、魔力の知識や技術、そして妖精言語の解読と解析、それらすべてに僕が関わっていることは把握しているだろう。

 僕の価値をある程度は察しているか、あるいは探りを入れているか。

 どちらにしても目論見がなければ、僕たちの研究を後押しするようなことはしなかったはずだ。

 魔物の存在を隠し、妖精言語の研究をしていた僕たちに、なんのお咎めもなかった。

 それはつまり前述の、僕たちに恩を売るという側面もあったのではないか。

 あるいは単純に息子であるドミニクの行動を、阻害したくなかったのかもしれないけど。

 とにかくラルフガング王には悪意はないと思う。


 ただ、正直に言うと、赫日への対処としてはかなりお粗末な状況だ。

 アジョラム全域に警戒態勢を敷いてもいいはずなのに、街はいつも通りの様子。

 それに赫日対策騎士隊も少数精鋭とはいえ、後方支援はあまり期待できない。

 アルスフィアの異変は、大きな脅威になると考えられていないということだ。

 仕方のないことだろう。

 赫日も魔物も魔族も、現れると確信している人間は、リスティア国内でも多くはない。

 あんな異常な現象が事実だと受け入れるには、目の当たりにするしかない。

 すでに装備は兵士たちが用意して、馬車に積み込んでくれていた。


「全員、馬車に乗りこめ。これよりアルスフィアに向かう」


 ドミニクの号令で、全員が素早く馬車へと乗り込んだ。

 僕はウィノナたちのところへ向かう。


「じゃあ、行ってくるね」

「お気をつけくださいシオン先生! マリー殿! あまりご無理はなさらず!」

「アタシも戦えるんだがよぉ……ま、今回は任せることにするか。

 やばくなったら逃げて来いよ、二人とも」


 伯爵とカルラさんは心配そうな顔をしていた。


「ええ、大丈夫ですよ。こう見えて、逃げ足は速いんで」

「あたしがついてるから大丈夫よ。シオンは絶対に守るから」


 軽口で返すとほんの少しだけ気が楽になる。

 どうやら僕も緊張していたようだ。

 伯爵の隣に立っているウィノナは胸の前でぎゅっと手を握っていた。


「シ、シオン様、マリー様……」

「ウィノナ。大丈夫だから。すぐに帰るからね」

「は、はい……お待ちしております」


 ウィノナは泣きそうな顔で僕を見ている。

 後ろ髪惹かれそうな思いを振り切るように僕は笑った。


「帰ったら一緒にお出かけしようね。約束だから」

「は、はい! 楽しみにしてます!」


 ウィノナの不安は僅かに拭えたらしい。

 ぎこちなく笑う彼女の頭を優しく撫でた。

 猫のように目を細めて、気持ちよさそうにするウィノナを微笑ましく感じる。

 僕はそっと手を離し、そして三人に背を向けた。


「それじゃ」

「行ってくるわ

「い、いってらっしゃいませ!」


 ウィノナたちが手を振ってくれた。

 僕とマリーは馬車に乗った。

 馬車が進むにつれてウィノナたちの姿がどんどん小さくなる。

 その姿が妙に心に残った。


  ●〇●〇


 アルスフィア前に到着した僕たちは、荷物の準備をする。

 鞄には食料や水筒、雷光灯、発雷石、数枚の手拭い、ナイフ、毛布が入っている。

 大体、四日分の装備だ。

 洞窟は狭いので大荷物は背負えないためこれが限界。

 外套を羽織ると準備は完了だ。


「今よりアルスフィアに足を踏み入れる!

 気を引き締めて進め!」


 騎士たちは全員険しい顔をしている。

 それもそのはず、目の前には禍々しい森があるのだから。

 魔力持ちでなければ赫魔力は見えないが、それでも普段とは違うことは伝わるはず。

 総員十八名が隊列を組んで進む。

 先頭はマリー、ドミニク、ブルーノと続き、他の騎士を介在させて殿は僕だ。

 魔覚を持つ僕、マリー、ドミニクの三人は先頭か殿にいる必要がある。

 先頭は真っ先に戦う必要があるため、魔法を使えなければ意味がない。

 しかし僕とマリーが固まると、反対方向からの襲撃に対応できない。

 そのためこういう布陣になった。

 一応、魔法は使えないが全員が鉄雷剣を装備しているため、戦えなくもないはずだ。

 ただ鉄雷剣はまだまだ試作段階で、魔力を込めて攻撃ができるが、一定の魔力を放出したのちには充填が必要になる。

 魔法に比べると心もとないが、対抗策があるだけで違う。

 魔族相手にどこまで有効か、試す機会でもある。

 不気味な森中を歩き、洞窟へと到着した。


「なんと、不気味な……まるで開闢(かいびゃく)神話のアビスのようだな」


 騎士の誰かが言った。

 開闢神話のことは少しだけ知っている。

 青い妖精に付けたメルフィという名前も、開闢神話から拝借した。

 この世界の成り立ちの話だが、正直あまり覚えていない。

 ただ巨大な洞窟か迷宮のようなものが出ることは知っている。

 確かその名前をアビスと言ったはずだ。


「アビスか……今後はそう呼ぼうか。洞窟、じゃわかりにくいし」

「そうですね。ではアビスに入りましょうか。マリー先生」

「ええ、じゃあ行くわよ」


 先頭のマリーが雷光灯片手にアビスへと入っていった。

 僕たちはそれに続き、次々に穴へと潜っていく。

 中は赤い水晶で満たされている。

 岩壁に無数の水晶が埋められており、それは魔力を発していた。

 しかしその魔力は通常の性質とは異なり、赫魔力と同じものだった。

 この水晶全てが、上空の赫魔力と同じなのか?

 だったらアビスは魔族の腹の中みたいなものなのだろうか。

 そもそも魔族はどんな存在なのか、いまだにわかっていない。

 エインツヴェルフは人型で、吸血鬼のような特性を持っているようだった。

 だが他の魔族が人型であるかどうかはわからない。

 もしかしたらこのアビス自体が魔族だったり……それはさすがにないか?

 岩壁は岩壁。生命の脈動はそこにはない。

 大丈夫。不安になるな。

 魔覚を頼りに僕は周囲を探知し続ける。

 今のところ魔物や魔族の気配はない。

 だが魔力を持たない存在がいる可能性も考慮しなくてはならない。

 アビス内は狭い。

 不測の事態が起きた時、対応するためには心の準備が必要だ。

 あらゆる事態を想定すれば即座に対応できる。

 コツコツと足音が響き渡る。

 騎士たちの装備は比較的に軽装だった。

 狭い場所でプレートアーマーなんて着ようものなら邪魔にしかならないからだ。

 歩き始めて一時間ほど。

 道は二つにわかれていた。


「どうする? どっちに行く?」


 マリーの問いかけに誰も答えられない。

 僕は先頭まで移動して道を確認した。

 僕の魔覚の有効範囲は大体100メートルほど。

 まだ何も感知できない。

 マリーが僕を見るが、僕は首を振って答えた。


「妖精の村があった方向は恐らく左だと思う。でもそこまで自信はないよ。

 アビス内は狭くて、方向感覚がおかしくなってると思うし」

「そうですね……。

 ですが他に何も情報がないのなら仕方ありません。

 シオン様の案に従い、目印をつけて左へ行きましょう」


 僕は目印をつけようと壁に近づいた。

 その時、ふと違和感に気づいた。

 魔覚が反応しない場所がある。

 アビス内は赫魔力が充満しているはずだから、魔力がまったくない方がおかしい。

 それにアルスフィアは自然物に魔力が帯びているため、魔力がない場所はほとんどない。

 仮に魔力の反応がない場所でも、ぼんやりとしている感じだ。

 だけど現在、感じている感覚は違う。

 ぽっかりと綺麗に魔力が切り取られているような感じ。

 一部分だけ消しゴムで消し去ったような、はっきりとした違和感がそこにはあった。

 僕は誘われるように魔力が消失しているところへ足を運ぶ。


「シオン? どうかしたの?」


 心配そうなマリーの声が背後から聞こえると、僕は膝を曲げて、それを拾い上げた。

 石だ。正確には鉱石だろう。

 手のひら大のキラキラと輝く鉱石。

 赫魔力に満ちた場所で、この周辺だけ魔力がまったくなかった。

 まるで鉱石が魔力を消し去っているように見える。


「この鉱石、魔力がまったくない」

「ほ、ほんとね。魔覚が反応しないわ……まったく魔力がないというより打ち消してる?」

「確かに何も感じませんね、これは一体」


 三人で首をひねっていると、ブルーノさんがずいっと顔を突き出して、鉱石を眺めた。

「ああ、それは『妖精石(ようせいせき)』ですな。

 妖精を閉じ込めるために使う鉱石ですよ。時折、アルスフィアに忍び込んでは盗んでいく輩がいまして、何度か見たことがあります」

「なるほど、妖精石」


 確かゴルトバ伯爵が同じようなことを言っていた気がする。

 妖精を閉じ込める石か。

 あまり気持ちの良いものではないけど、何かに使えるかもしれない。

 それにちょっと興味があるし。


「すみません、時間を取らせてしまって。いきましょう」


 僕は壁に矢印を描いた。

 ナイフやそこら辺の石で描いてもよかったけど、試しに妖精石で目印を描いてみた。

 すると不思議なことに、目印からは魔力を感じなかった。

 妖精石の破片が壁に残り、魔力を消失させているということだろうか。

 妖精石に関してはまだきちんと調べていない。

 消失しているように見えて、違う特性があるかもしれないので、思い込みは厳禁だ。


「あら、これならわかりやすいわね。遠くからでもわかるわ。

 さすがシオンね」

「ええ、私でもなんとか感じますね。いえ、正確には魔力を感じないのですが。

 これは助かります、シオン様」


 マリーとドミニクは、なるほどという顔で頷いてくれた。

 今後はこれで目印を描いていこう。

 魔覚を使えば離れていても目印の位置がわかる。

 かなり迷いにくくなるだろう。

 僕たちは再び歩を進めた。

 しばらく歩くとまたわかれ道。

 それを何度も続け、五時間が経過した。

 狭い通路から、やや広い場所に出る。

 赤い水晶がぎっちりと詰まっており、雷光灯の光を反射している。

 不気味だが、明るくはあった。


「そろそろ今日は休みましょう」


 ドミニクの号令で全員が思い思いに荷物を下ろす。

 五時間歩き詰めだったから疲れた。

 普通に歩くだけなら大して疲労しないけど、暗く狭い場所で、いつ敵が出てくるかわからない状態であれば話は別だ。

 一時間程度でも疲労は著しいだろうに、五時間ぶっ通しとなれば余計に疲れる。

 日々研鑽し、実戦を積んでいる歴戦の騎士たちでもそれは同じらしい。

 僕とマリー、ドミニクは近くで座り、鞄を下ろして、携帯食料を取り出した。

 異常に硬い干し肉とパン、そして水筒を手にする。


「思ったよりもアビスは広そうですね。

 一日で奥まで行けないとなると……」

「食料は多くないから、二日で奥まで行けなければ帰ることも視野に入れた方がいいかもね」

「シオン様のおっしゃる通りですね。

 行きよりも帰りの方が時間がかかりますし、早めの判断が必要でしょう」


 ドミニクも色々と考えているようだ。

 僕が口を挟まなくても大丈夫かもしれない。

 普段のどこか飄々とした彼とは違い、常に緊張感を持っている。

 それはそうか。

 全員の命を背負っているのだから。

 マリーが静かなことに気づいた僕は、マリーに顔を向けた。

 彼女はどこか上の空だった。

 ぼーっとしながらもさもさとパンを食べている。

 疲労もあるのだろうが、恐らくは朝の一件が響いているんだろう。

 僕もそうだ。

 やはり話すべきなのだろう。

 だけどなんて話せばいいんだ。

 それにこんなみんながいる場所で話すようなことでもない。

 思考の海に溺れそうになっていたが、マリーが僕を見ていることに気づくと我に返る。


「……寝るわ」

「え? あ、う、うん。おやすみ」


 普段なら茶化すように、食事をしてすぐに寝ると太るよ、とか軽口を叩くのに、今日は何も言えなかった。

 マリーが毛布を被って背を向けた。

 話しかけるのはもう難しそうだ。

 今はやめておこう。

 赫日の問題を解決して、改めて話せばいい。

 僕はそう思い込むことにした。

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