第179話 編成
アジョラムまで戻った僕たちは、報告のために城へと急いだ。
門番たちにはすでに騎士たちの報告が伝わっていたらしく、すんなりと場内へと入れてくれた。
そして僅か数分の待機の後、僕たちは武器を兵士に預け、国王の執務室に通された。
大量の本や書類、豪奢なソファに机と椅子、それ以外には飾り気の薄い部屋だった。
窓際に立っているラルフガング王が振り返った。
謁見の間にいた時と違い、雰囲気がやや柔らかい印象を受けた。
表情や佇まいだけでなく、衣服の違いもその要因だろう。
謁見の間では正に王といった豪華絢爛な格好をしていたが、今は身軽な格好している。
公に姿を現す必要がなければ当然だろう。
ラルフガング王以外にも、数人集まっている。
恐らくは宰相か大臣らしき文官、将軍か近衛騎士らしき騎士、あとは執事と侍女といったところだろうか。
ちなみに地球にある国によっては、宰相は政務における最高権力者の総称だったりするが、この世界では政務を取り仕切る統括者の名称である場合が多い。
最終決定権や発案など、あらゆる国政や国に関わる事項においての、最高責任者は国王である。
恐らくは国によって制度が違うが、少なくともメディフにおいてはその認識は間違っていないはずだ。
閑話休題。
僕、マリー、ウィノナ、ゴルトバ伯爵、ドミニク、カルラさんの六人が招集された。
ウィノナはちょっと居心地が悪そうにしている。
宰相らしき人物が、蔑むよう僕を見ていた。
恐らく伯爵よりも少し若いくらいの男性。
その隣には屈強そうな将軍らしき巨躯の男が立っている。
豪奢な鎧姿は周囲を威圧している。
髭を生やした顔が余計に雄々しさを助長している。
「ドミニク・イェルク、ゴルトバ・ルザール、そしてゴルトバの客人たちよ、よくぞ参った。
王国騎士団長 ラインハルト・ベッカー。
そして、宰相のウッツ・パウマンも同席する」
ラルフガング王にちらっと視線を投げかけられ、二人は一礼した。
「報告は聞いた。赫夜……いや、赫日とやらが起きたと」
誰が答えるのかと思ったら、誰も口を開かなかった。
視線が僕に集まる。
立場的に僕は要人ですらないし、伯爵かドミニクが話すべきかと思ったけど、状況的には僕から説明する必要がありそうだ。
「はい。早朝、アルスフィアに赴いたところ、赫日の兆しとして赤魔力……赫魔力が空を覆いました。
森の中には奇妙な洞窟が生まれ、そこから赤いオークが現れたので討伐しました。
恐らく、赫日の影響により変異か出現した魔物かと思います」
「リスティアにおいて起きた怪しげな現象らしいが……噂程度の話あったはず。
魔力を持つ者しか赫魔力は見えず、また魔力を持たない者には見えない魔物も現れると。
しかしそれは事実であると」
「事実です」
僕は淀みなく間髪入れずに答えた。
ラルフガング王は僕を見つめ、そして目をわずかに細めた。
まるで品定めされているかのように感じて、僕は硬直してしまう。
「肩の力を抜け。何も疑っているわけではない。
すでにすべて確認済みだ。
怠惰病治療に関わる魔力持ちの人間にも協力を仰いだのでな。
アルスフィア上空に赫魔力が渦巻いておることは間違いないと考えている」
僕は内心でほっと胸を撫で下ろした。
迅速な対応だ。
どうやらラルフガング王はやり手らしい。
王なり女王なり、辣腕家でなければ担えないということだろう。
しかしそれにしても冷静だ。
妙にすんなり状況を受け入れている気がする。
もっと狼狽するなり、訝しがるなりするものじゃないのか。
いや違う。
動揺していないわけがない。
ただ表に出していないだけだ。
こんなに早く、しかもメディフで赫日が訪れるなんて僕にもミルヒア女王にも予想ができなかった。
事前に赫夜や魔族のことを知っていた僕でさえ動揺が激しい。
ラルフガング王ならば余計にそうだろう。
「赫日に関して、詳しく話せ。シオン・オーンスタイン」
「はい」
僕は赫夜、赫日に関して知っていることを話した。
イストリアで起きた赫夜では、レイスという魔力を持たない人間には見えない魔物が現れたということ。
怠惰病も赫夜を機に起きたということ。
魔族は魔法がなければ倒すことは困難であるということ。
赫夜、赫日で出現した魔物にも魔法が有効であるということ。
魔物や魔族に魔道具が有効であるということ。
ミルヒア女王との約束に関しては特に話していない。
赫夜において僕が活躍することで魔法の価値を世界中に広く知らしめ、魔道具の有効性、ひいてはリスティアの国力の増加を狙うあの約束だ。
これは国家機密に該当するし、話してもリスティアにとって不利益しかないからだ。
アルスフィアはメディフの特別な場所。
現在起きていることが、ある程度は各地に知れ渡るだろう。
メディフの国王には危機的状況が理解できているはずだし、魔法の有用性も伝わるはず。
ミルヒア女王の目論見も多少は達成できるはずだ。
問題が解決できればの話だが。
「世迷言を。魔族や魔物?
赫夜などというものも眉唾物に過ぎん。
見えぬものを信じろなどと、神の啓示を騙る愚か者と同じではないか」
宰相のウッツが悪意を隠そうともせずに言い放った。
その反応は予想できたし、むしろ正しい反応だ。
僕に動揺はなかったが、マリーの眉がピクリと跳ねた。
お願いだから、今は怒らないでよね。
宰相の隣に立っている騎士団長は黙したままだった。
彼は異論がないのだろうか。
「だが、オーンスタインは怠惰病治療の開発者である。
実際に怠惰病は治療され、その技術は魔力によって行われていると言われている。
メディフに帰還した怠惰病治療医師たちも、魔力は見えると証言している。
彼らは妄言を吐いていると言えるか?」
「……そ、それはそうでございますが」
「事実、アルスフィアに突如として洞窟が現れたことは間違いない。
ならば妖精救出が必要であることもまた明白。
魔族や赤い魔力……赫魔力と言ったか、それが見えずとも為すべきことは変わりない。
ならば救助隊を派遣するべきであろう?」
「……おっしゃる通りにございます」
王の威容は傍から見ても知れた。
言葉一つ一つから覚悟と責務を感じられた。
「ならば話を続ける。オーンスタインよ、魔族はまだ現れていないと思うか?」
「恐らくは。上空の赫魔力は魔族が出現した際に吸収されるはず。
ですがまだ上空に留まっていますので、魔族は現れていないと考えてよいかと。
私も魔族に関してそこまで詳しいわけではありませんので、確実とは言えませんが」
「では以前、アルスフィアに現れた魔物は、洞窟に隠れていたと考えてよいか?」
「その可能性はあるかと。隠されていた洞窟が赫日によって姿を現したのでしょう。
魔物たちは赫日以前は何かしらの方法で、洞窟から出てくることができたのかもしれません。
妖精の村と同じ原理が魔物たちにできるのであればですが」
「ならばやはり赫日の前兆であったと考えられるか。
先の赫夜においてもレイスとやらの魔物が出現したことを鑑みるに、赫夜あるいは赫日発生直後は未知の魔物が出現すると考えてよいな。
だがどちらにしても最早状況は変わっている。
まずは妖精の救出を行う必要があるな。
洞窟内部への侵入は少数精鋭が不可欠。
ゆえに魔力持ちのみで編成する必要があろうな」
ラルフガング王は思案の末、視線をある人物へと向けた。
「ドミニク。おまえに指揮を任せる」
ドミニクは驚愕に満ちた表情を浮かべた。
自分が指名されるとは露ほども思っていなかったという顔だ。
「私……ですか?」
「そうだ。不満か?」
「……いえ」
「ならば、アルスフィアにおいて妖精の救助を行え。
妖精は我が国にとって重要な存在だ。放置しておくわけにはいかぬ。
救助に伴い、アルスフィアと洞窟の調査も行え。魔族や魔物の情報が少しでも欲しい。
指揮の全権はおまえに委ねる。
そして編成隊にはシオン・オーンスタイン、マリアンヌ・オーンスタイン両名の参加を要請する」
予想はしていたし覚悟もしていた。
けれどまさか王から直接言われるとは思わなかった。
判断が早い。
状況を知る僕からすれば正解だとはわかるが、事情を詳しく知らないラルフガング王の立場を考えれば、あまりに的確で迅速な決断だ。
当然、他の人間からすれば意図も意味も理解できないだろう。
その筆頭らしい宰相ウッツが何か言いたそうにしているが、先にラルフガング王が言葉を紡いだ。
「オーンスタイン両名はアルスフィアで妖精や魔物の研究と調査を行っていた。
加えて警戒心が強いはずの妖精との仲は良好。
ゆえに救助において最も適した人選だと考える。
また、魔族や魔物、赫夜に関しての情報が我が国にはあまりに少ない。
事実か否かは不明瞭だが、すでに実績のあるシオン・オーンスタインの言を無視するも愚。
そして両名は戦闘技術に長けていると聞いている。
ならば編成は必須であると考える。
そしてドミニク・イェルクは我が国の近衛騎士であり、オーンスタイン両名やゴルトバ・ルザール、カルラ・アッカーマンと共に妖精や、アルスフィアの調査、研究を行っていた。
妖精やアルスフィアへの見識が広く、メディフ王国所属である者を任に当たらせるべきである。
ゆえにこの采配とした。異論はあるか?」
宰相ウッツは不服そうだったが、しかし何も言わなかった。
騎士団長ラインハルトも同様だ。
というかこの人は今まで一切喋っていないが、本当に聞いているのだろうか。
「異論はないようだな。
では編成はこちらで行うゆえ、しばし待て。
何か必要な装備などはあるか?」
「雷光灯と鉄雷剣、発雷石をご用意いただければと。
すべて魔族や赫日に現れる魔物に有効です」
「知らぬ装備だが……集めさせよう。
他にはないな? では頼むぞ」
「はっ! このドミニク・イェルク。必ずや陛下のご期待に沿ってみせましょう!」
いつものドミニクとは違い、模範的な騎士然とした敬礼を見えた。
僕たちはドミニクに続き、部屋を後にしようとする。
「待て、オーンスタイン。二人ともだ」
ラルフガング王に呼び止められ、僕とマリーは足を止めた。
他の皆が振り返るが、僕は先に部屋を出るように促した。
僕とマリー、ラルフガング王、ラインハルト、ウッツ、それと侍女らしき人物が数名だけ残される。
ラルフガング王がくいっと顎をしゃくると、僕とマリー、王以外は全員部屋を出た。
なんだか気まずいけど、一体どんな用だろうか。
「あれをどう思う?」
あれとはなんのことだろうか。
僕たちは質問の意図がわからず戸惑ってしまう。
「……ドミニクのことだ。聞いてはおらぬか?」
「近衛騎士隊で働いているということくらいしか」
「そうか。他言するようなものでもないか。おまえを信頼しているように見えたが。
隠すほどのことでもないのだがな」
ラルフガング王は窓際に立ち、外を眺めた。
「あれは私の息子だ」
「む、息子ですか!? で、ですが家名が違いますよね?
ドミニクはイェルクの家名を名乗っているはず」
「あれは母方の家名だ。末子ゆえ、王位継承権はない。
メディフでは長兄五子までしか王位継承権を与えぬからな。
例外もあるが、それなりの功が必要だ」
「ドミニクが……そうだったのね」
確かに気品はあるし、妙に権限を持っているとは思っていた。
それにゴルトバ伯爵とも懇意にしているようだったし。
なるほど、だからか。
「あれは昔から奔放でな。器用ではあるが、信念がない。
幼き頃からゴルトバと仲が良くてな、そのせいもあるやもしれん」
確かに子供の頃からあの伯爵と一緒にいれば、影響を受けそうだ。
思えばちょっと似ている気もする。
何かに没頭するところとか。
しかし王族だったのか。
あれ、これまずくない?
ドミニクに対しての扱い、かなりぞんざいだったよね?
マリーとか特にぼこぼこにしまくってるよね?
さすがのマリーも頬をひくひくさせて、額から汗を流していた。
相手が多少の権力者であれば別にどうにでもなるが、王族となれば話は別だ。
不敬罪と言われても不思議はない。
まさか処罰されるとか。
そうなったらどうしよう。うん、逃げよう。
「以前は地に足がついていない様子だったが、最近では目標を持って研鑽を重ねている様子。
なにやらそなたから剣を習っているとか。
相当な手練れらしいな、マリアンヌ・オーンスタイン」
「い、いえ、まあ、そ、それなりです、はい」
謙虚な姿勢を見せるマリー。
いや、これはどうにか誤魔化そうとしているだけだ。
普段のマリーなら自信満々に答えるはず。
「加えて、魔力に関しても興味を持ち、勉学に励んでいると聞く。
怠惰病の治療にも役立たせている技術だ、今後に活用できるやもしれん。
そなたの功績だと聞き及んでいるぞ、シオン・オーンスタイン」
「ま、まあ、ほ、本人の努力あってのものといいますか、あ、あはは……」
真綿で首を絞められているような感覚に陥った。
皮肉なのか、それとも本心なのか。
今のところ判断がつかない。
「あれは王族の端くれとしても功績がない。
幸い、此度の件に関しては適任でもある。
だが能力が高いとは思えぬ。ゆえにおまえたちに頼みがある。
どうか我が息子を助けてやってくれまいか?」
透き通った瞳が目の前にあった。
そこに疑いの余地はなく、ただ純粋に息子を思う父の優しさがあるだけだった。
脅しじゃなかったのか。
特に他意なく話していただけらしい。
功績を挙げさせてやりたいという親心だったのだろう。
ん? ということはラルフガング王はドミニクに王位継承権を与えたいってこと?
ふと浮かんだ考えを僕はすぐに忘れた。
政治に関わるとろくなことがない。
ミルヒア女王との一件で懲りた。
魔法学園設立のためとはいえ、結構な面倒事に巻き込まれている自覚はある。
その上、メディフのお家事情に関わるなんて考えるだけで恐ろしい。
この件に深入りは禁物だろう。
とにかく断る理由はない。
僕とマリーは一瞬だけ目を合わせ、そして頷いた。
「お任せください、王様」
「あたしたちがいれば大丈夫ですから」
「すまぬ。頼んだぞ」
ラルフガング王の姿が、父さんと重なった。
少しだけ故郷が恋しくなってしまう。
父さんも僕のために色々としてくれたことを思い出す。
今も心配してくれているだろう。
もちろん母さんも。
むしろ母さんの方が心配して、おろおろしていそうだ。
いつも心配をかけて申し訳ないという気持ちもあるんだけど……。
僕たちは一礼して執務室を出た。
待機していた侍女に連れられ、廊下を進む。
「今回のことが終わったら、一度家に帰ろうか」
「そうね。そうしましょう。色々と報告もあるしね」
きっとマリーも同じ気持ちだったのだろう。
僕の提案をすぐに飲んでくれた。
元々やる気は十分だった。
けれどラルフガング王と話すことで、より強く僕は思った。
かならず魔族を倒し、赫日を乗り越えると。
不意に訪れた無言の時間。
僕はマリーの言葉を思い出す。
血が繋がっていないと、マリーは気づいていた。
どこで知ったのかは知らない。
でも、確実にマリーは真実を知ってしまっていた。
本来であれば僕が成人するまで、黙っておくつもりだった。
けれど、マリーは知っていた。
……血の繋がりがないと知り、今のような態度をとるようになったのだろうか。
会話の流れからいってそういう風に考えた方が自然な気がする。
でもなぜ。
どうしてそんなことを。
疑問が疑問を呼ぶ中、僕は横目でマリーを覗き見る。
まるで示し合わせたようにマリーも僕のことを見ていた。
そしてお互いに目を逸らし、気まずい沈黙が漂った。
今は二人きりだ。
少しでも話しておくべきだろう。
「姉さ――」
口を開こうと思ったら、遠くの方でウィノナたちが待っている姿が見えた。
僕たちに気づいたウィノナたちは頭を下げたり、手を振ったりしている。
やはり今は話す時間はないようだ。
「……行こうか」
「……ええ」
ほんの少しの違和感が二人の間にはあった。
僕たちはそれに気づかない振りをする。
今は考えるな。
目の前のことに集中するんだ。
そう自分に言い聞かせながら、僕は歩を進めた。
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