第178話 変異種

 僕たちは唖然として棒立ちになっていた。

 魔力で輝き、美しかったアルスフィアは一変していた。

 赤く禍々しい魔力が溢れ、淡い光の魔力は消えていた。

 まる赫魔力に侵食されているかのように、木々は力を失い、自然は禍々しさを放っている。

 陰鬱な空気が漂う中、僕たちは歩を進めた。

 明らかに様相が変わっている。

 これも赫夜の影響ということなのか。

 マリーが小さく呻き、僕は思わず振り返った。


「……最悪な気分ね。身体が重いし、吐き気がするし」

「だ、大丈夫ですか、マリー様!?」

「儂は特に問題ありませんが……少し身体が怠いような?」

「恐らく魔覚の影響だと思う。僕も姉さんと同じような症状が出てる」

「な、なんと!? 魔覚が鋭いと、そのようなことになるのですな……」


 全身を突き刺すようなほんの小さな痛みと、まとわりつくような不快感があった。

 魔力感知の感覚が鋭すぎるためだろう。

 だけど耐えられないほどじゃない。

 気を振り絞って、僕たちはひたすらに歩いた。

 そして不意に足を止める。


「なんだ、これ」


 思わず出した声は上擦っていた。

 眼前には巨大な岩々がそびえたっている。

 まるで山だ。

 あり得ない。アルスフィアには木々と湖は存在するが、こんな山はなかった。

 しかも巨大な穴がぽっかりと口を開けている。

 これは洞窟だ。


「い、一体、どういうことなの?」

「昨日まではこんなものなかったですよね!?」

「どうやら、普通の小山ではないようですな」


 三人が驚く中、僕を凝視した。

 やはり、そうだ。


「この山……洞窟は赤い魔力……つまり赫魔力を全体に帯びている。

 赫日によって生み出されたものだろうね」

「……じゃあ、魔族の仕業ってこと?」

「多分そうだと思う」


 上空にはいまだに赫魔力が渦巻いている。

 魔力はこの森に降り注ぎ、汚染しているようにも見えた。

 森中央に生まれたこの洞窟。

 エインツヴェルフの時には起きなかった現象だ。

 何が起こっているのか見当もつかない。

 しかし危機的状況だということは理解できる。

 このまま何も起きないなんてことはないだろう。


「ちょっと飛んでくる」


 僕は言うだけ言って、ジャンプを使う。

 足元に集まった風が僕の身体を上空へと押し上げる。

 数メートルの跳躍。

 それだけでは足りず、何度もジャンプする。

 やがて上空50メートルほどまで到達。

 エインツヴェルフ戦以降、魔力放出を使用可能な間隔は短くなっており、こんな風にジャンプを連続使用すれば、ある程度の高度まで飛ぶことができる。

 飛べば飛ぶほど風が強くなり、コントロールが難しいので多用はできないけど。

 僕は上空を見上げて、さらに飛び上がった。

 100メートルほどに到達して、森を見下ろす。


「……こ、これは」


 あまりの情景に声を漏らしてしまう。

 森の半分以上が洞窟に侵食されていた。

 美麗な森の面影はもう微塵も残されていない。

 赫魔力に染まった不気味な森へと変貌を遂げている。

 洞窟の表面には妖精の森の形跡が残っており、樹木や岩々が乗っていた。

 洞窟が地面から盛り上がってきた、ということだろうか。

 僕は歯噛みした。

 あんなに美しかった森がこんなことになるなんて。


「妖精の村は……」


 周辺を見渡し、妖精の村があった場所に当たりをつける。

 洞窟に埋め尽くされていた。

 そこは洞窟のほぼ中央部分。

 つまり、洞窟内に妖精の村は飲み込まれたということだ。

 僕は落下しながら断続的にジャンプを使い重力を相殺すると、再びマリーたちの近くに着地する。

 ゴルトバ伯爵は驚いていたが、ウィノナとマリーに動揺はない。

 思い返せば、伯爵の前ではジャンプを使ったことがなかったな。


「どうだった?」

「妖精の村も洞窟に飲み込まれてたよ。

 森の半分以上が洞窟になってる」


 みんなの表情が沈んでいく。

 僕の心も不安に押し潰されそうだった。

 メルフィたちは無事なのだろうか。

 まさか洞窟に飲み込まれて……。

 いや、ダメだ。後ろ向きに考えるな。

 妖精たちは生きているはずだ。

 赫魔力の存在感が強すぎて、他の魔力を感知できない。

 あるいはもっと近づけば気配を感じるかもしれないが、ここからではわからなかった。


「……シオン、どうするの?」


 マリーが不安そうに僕を見ていた。

 僕は必死で考えを巡らせる。

 状況をすぐに整理しなくてはならないが、悠長に考えている暇はなさそうだ。


「…………洞窟の入り口だけ確認しよう。

 中には入らないようにね」

「入らないの? 入り口付近なら大丈夫だと思うけれど」

「この洞窟は突然現れたんだ。もしかしたら入り口がなくなるとかありそうだし」


 アニメとか漫画とかゲームとかの知識だけど、あながち見当はずれな考えでもないだろう。

 実際にこの洞窟は、昨日は存在しなかったのだから、動く可能性もある。

 警戒するに越したことはない。

 少なくとも今は、大胆に行動すべき時ではない。


「確かにそうかもね。それじゃ入り口から見てみましょう。

 ウィノナと伯爵は下がっていて」

「は、はい」

「承知しましたぞ!」


 僕とマリーは洞窟の入口へ向かった。

 なんの変哲のない洞窟に見えた。

 しかし入り口の穴は、やや整っているようにも見えた。

 自然な洞窟にしては不自然。

 人の手が入っているような感じだ。

 入り口から中を見ると、暗闇に覆われている。


「フレアを出してみる。一応離れて。魔力は極力抑えるよ」


 マリーは心配そうな顔をしたが緩慢に頷き、僕から離れた。

 赫魔力がフレアに触れて爆発する可能性もあるからだ。

 僕は小さなフレアを作り、赫魔力に触れるように放つ。

 結果、爆発はしなかった。

 フレアはそのままぷかぷかと浮かび、徐々に消えた。

 次に赫魔力を凝視したり、魔覚で分析してみた。

 赤いが口腔魔力のような感覚はなく、僕たちが使う普通の魔力とは違うような感覚がした。

 魔力でありながら魔力ではない、そんな感じだ。

 僕の持つ魔力とは相いれないという直感。

 いくつか魔法を試してみたけど、阻害も増幅もせず、干渉することはなかった。

 この赫魔力は僕たち人間が持つ魔力とは違うのかもしれない。

 ただ、エインツヴェルフとの戦いで、火魔法を使うエインツヴェルフに対して、僕は大気魔力をぶつけて爆発させたという記憶がある。

 つまり魔族が使う魔法――エインツヴェルフは魔術と言っていたけど――は魔法と同じ性質があるということでもある。

 とすればこの赫魔力の性質が、魔族の使う魔力や魔術とは違うだけなのかもしれない。

 エインツヴェルフが現れた時に赫魔力は吸収されたはず。

 ならばこの魔力は、魔族が現れた時に補給するために漂っているだけということだろうか。

 予備バッテリー的な。


 そして少なくとも現状では赫魔力は通常、人から放出される魔力とは異なった性質を持っていると。

 なぜそんなことになっているのかは判然としないが、少なくとも魔法を使う際の悪影響はなさそうだ。

 とにかく今は、この赫魔力は無視していいみたいだな。

 念のため、洞窟の奥に向けてフレアを放ってみた。

 こちらも異常なし。

 洞窟内でフレアを使っても爆発することはないらしい。


「大丈夫そう」


 僕の言葉に、マリーは安心したように近づいてきた。

 爆発するかどうかより僕の身が心配だったようで、僕の近くに来ると安否を確かめるように腕に触れてきた。

 大丈夫と伝えるためニコッと笑い、マリーの手をポンポンと叩くと、マリーも安心した様子で手を離した。

 僕たちは示し合わせたように二人でフレアを使い、洞窟内を照らす。

 赤い水晶がそこかしこに埋められている。

 光を反射して、不気味に光っていた。

 水晶洞窟と言えばわかりやすいだろうか。

 しかしその水晶は血のように赤く、幻想的とは到底言えなかった。


「普通、とは程遠いけど洞窟ではあるみたいね」

「かなり深そうだ。着の身着のまま入ると危険だね」

「一旦、街まで戻る?」

「その方が良さそう。僕たちだけで行くのもよくない。

 王様に報告がてら戻って、装備を整えて、応援を頼もう」

「足手まといが増えるのね……」

「ある程度は人手は必要だからね。それに閉鎖空間だと少人数での行動は避けた方がいい。

 危険が多いから」


 強さだけで考えれば、僕とマリーだけで洞窟に入る方がいい。

 だけど閉鎖的な空間では何が起こるかわからない。

 それに洞窟は視野が狭く、死角が多い。

 いくら魔覚を持っているといっても、すべてに対処できるわけでもない。

 少なくとも二人だけで入るのは止めた方がいいだろう。

 瞬間。

 僕たちはすぐにその場から飛びのいた。

 僕たちがいた場所に複数の槍が突き刺さる。

 僕とマリーはウィノナたちの隣で着地する。


「だ、大丈夫ですか!? い、一体何が」


 怯えた様子のウィノナだったが、気配を感じて洞窟の入り口に視線を移した。


「あ、あれ……は……」


 ウィノナが思わず後ずさりする。

 暗闇から出てきたのは赤色のオーク。

 普通のオークとは違う見た目をしている。

 肌の色だけじゃない。目は血走り、筋肉は隆起し、興奮気味に地団太を踏んでいた。

 丸太のような腕をぶるんぶるんと振り回し、我を失っている。

 しかしその魔力は一般的なオークを超えている。

 普通のオークは魔力千、灰色のオークは魔力一万。

 そして赤色のオークは。


「魔力五万。かなり強いよ、あいつ」

「魔力だけがすべてじゃないでしょ」

「姉さんの言う通り。でも強さの指標にはなるからね。

 二人は下がっていて。絶対に前に出ないでね」

「わ、わかりました」

「で、出ようと思っても出られませんからな」


 ウィノナと伯爵を残し、僕と姉さんは地を蹴る。

 マリーは加速と同時に抜刀。

 僕は雷火を構えつつ、魔物と距離を詰める。


「うぐるぅあああっ!!」


 気が触れたように槍を振り回す赤オーク。

 適当に攻撃しているためか地面の土を削っている。

 それが辺りに散乱し、僕たちの動きを阻害した。

 しかしマリーはすべての土を避けている。

 恐ろしいほどの身のこなしだ。

 僕には真似できない。

 僕は一旦、赤オークから距離を取り、マリーを巻き込まないようにボルトを放つ。

 赤オークの足に電流が炸裂する。


「ぎぃぃぅるぅぅぅっ!」


 生物とは思えない悲鳴を上げる赤オークだったが、動きを止める気配はない。

 魔力を1万ほど込めた魔法だ。

 今現在、僕が無詠唱で使える最大魔力のボルト。

 だがおかしい。

 電撃を受ければ神経系に異常をきたし、痙攣や麻痺を起こす。

 意思に関係なく、まともに動けないはずだ。

 しかし赤オークは憤怒をあらわにし、さらに激しく槍を振り回していた。

 それにいつもよりもボルトの規模が大きかったような。

 気のせいだろうか。

 赤オークはもはや敵を見てもいない。

 ただ暴れているだけだ。

 だからこそ厄介でもあった。

 マリーは攻めあぐねている。

 意思なき攻撃は対処が難しい。

 しかも槍に巻き込まれた砂礫や石礫が飛んでくるのだ。

 やはり魔法で隙を作るしかない。


「姉さんもう少し下がって」

「了解よ!」


 マリーの攻撃が届かないなら、下がってもらう方がいい。

 無詠唱のボルトで効かないなら。


「天地を震わす轟雷よ、光芒満つる神雷と為し我が敵を穿て!」


 呪文と同時に無数の黄色い口腔魔力が放出される。

 それは僕の手元に集まり、結合し、巨大な魔力となった。

 僕は両の手をひらを近づけると同時に、前方へ突き出す。


「メガ・ボルト!!」


 両手から放たれた赤い雷。

 それは電流をはるかに超えた雷の槍だった。

 まるでレーザーやビームのような厚みを持つ、エネルギーの塊。

 それが赤オークの巨体を飲み込んだ。

 バリバリという、小気味いい音が響き渡る。

 大気を走る電流がそこかしこに生まれていた。

 巨大な雷の槍はオークを通り越して、後方の木々まで巻き込む。

 遥か遠くまで走り、そして数秒で消えた。

 赤オークは消し炭となってしまった。


「は?」


 思わず声を漏らしたのは僕だった。

 予想以上の威力に呆気に取られてしまう。

 1万のボルトの十倍……いや、もしかしたらそれ以上の威力と規模だったのだ。

 おかしい。これは異常だ。

 僕は震える手を見下ろす。

 そしてふと思い出した。

 そうだ。

 以前の赫夜を思い出せ。

 あの時も異常なほどの魔力を感じた。

 普段とは比べ物にならないほどの魔力の量と魔法の強さ。

 それが今も起きているということか?

 それにしても凄まじい。

 本気を出したらこれほどの魔法が使えるということか。

 結合した属性魔法だけでこれなら、もしかしたら融合魔法を使えばもっと?


「す、すごい……」


 マリーが呆然としながら呟いた。


「な、なんか赫夜や赫日だと普段よりも力が出せるみたい」

「そ、そう。と、とにかく倒せてよかったわ」


 マリーの動揺が僕に伝わる。

 なぜだろう。

 妙に壁を感じる。

 いつもなら手放しで褒めてくれそうなものだけど。


「……とにかく街へ戻ろう。

 また魔物が現れないとも限らないし」

「え、ええそうね。そうしましょう」

「二人とも大丈夫?」

「え? あ、は、はい! だ、大丈夫です……。

 す、すごいですね、シオン様! さっきのバリバリって!」

「い、いやはやこのゴルトバ。感服しましたぞ!

 し、しかし……魔法とは、あれほどすさまじいものなのですな……」


 ウィノナも伯爵も無事だったようだ。

 二人は感心し、喜び、そして少し怯えていた。

 理解できる。

 目の前であんな威力の魔法を使われたら誰だって怖い。

 僕自身でさえ驚いているのだから。

 けれど不思議と恐怖はなく、高揚だけが胸の内に広がっていた。

 あれほどの魔法が使えるとは思わなかった。

 不意に起きた幸運。

 僕は喜びに打ち震えていたが、それを表に出さない。

 三人の表情を見れば素直に喜べなかったからだ。

 みんなの心情は理解できる。

 目の前で強大な力を見たのだから。

 しかもそれは近しい人間の手で行われたのだから。

 何も感じずにいられるわけもない。


 ちょっと大きな火や電流や水の玉を生み出すくらいなら、幻想的で美しいと感じるだけだろう。

 あるいは便利だとか、何かに使えそうだなという程度の考えに留まるだろう。

 だが先ほどのメガ・ボルトは正に兵器だった。

 恐怖を感じる方が自然だ。

 でも僕は喜びの方が大きい。

 初めて魔法を使えたことを思い出す。

 最初に使ったのはフレアだ。

 あの時は小さな火しか出せなかった。

 でも今は、あれほどの規模の魔法が使えるようになったのだ。

 もちろんフレアストームのように、ある程度の規模の魔法も使えたけど。

 そのさら更に次の段階に到達できた、という達成感があった。

 マリーの態度はやはりよそよそしかった。

 マリーは僕の魔法を常に近くで見ていたはずだ。

 だから怖いという感情はないはずなんだけど。

 さっきの一件が影響しているのだろうか。

 僕は思わず、言葉にしそうになって直前で止めた。

 今はメルフィたちのことを優先しよう。


「街に戻ろう。準備をしてまた戻ってくる」


 三人が思い思いに頷いた。

 僕と三人の間に、小さな隔たりができたような気がした。

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