第176話 マリーゴールド

 僕たちはアルスフィアに向かう途中だった。

 いつも通り、馬車で向かっている。

 アジョラムから一時間程度で着くけど、通勤時間と考えるとやや遠い。

 しかし人間慣れるもので、一時間程度なら特に気にならなくなっていた。

 まあ、僕やマリーは馬車に乗っているだけなんだけどね。

 馬車の操作はウィノナがしてくれている。

 伯爵とカルラさんは別の馬車だ。

 比較的乗り心地が良いが、高級な馬車は基本的に小さくて大人数が乗れない。

 そのため多くても四人程度で乗ることになっている。

 もちろん荷馬車だったり粗雑な馬車であれば別だけど、乗り心地は最悪だ。

 この世界の道はまともに舗装されておらず、石などの障害物に乗り上げた時、ものすごい衝撃が走るのだ。

 この馬車は僕がオーダーメイドした中々の品質の馬車なため、かなりマシではある。

 それでもやはり衝撃は吸収しきれない。

 高品質なサスペンションなんてものはないからね。


「アジョラムに来てから結構経ったわね。シオンは十四、あたしは十六になったし」

「そうだね。姉さんはもう成人か……あ、そういえば成人のお祝いするんじゃ」

「別にいいわよ。年を取っただけじゃない。それにお祝いって言っても、家族と過ごしておいしいご飯食べるくらいじゃないの。

 都会だったら、大勢集まる行事とかあるみたいだけど、あたしたちの村はそうじゃないでしょ」


 僕たちがすむ村は名誉貴族に与えられし、隠遁の村だ。

 名もなき村で、何か事情がある人たちが住む村とされている。

 その割には結構オープンにしているように思えるけど。

 確かに、外部から誰か来ることは今までになかったな。

 だからか、村外に出ることは買い物の時とかだけだ。

 恐らく、イストリアやサノストリアの住人であれば、参加する催しにも、僕たちが参加することはない。

 成人の儀、みたいな催しがある可能性はあるだろう。

 まあ、別にそこまで厳正な規範があるわけでもない。

 参加したいと言えば、父さんたちは了承してくれそうだけど。

 姉さんは記念日とかのイベントが好きではないようだった。

 どうもそこらへんさっぱりしているというか。

 女の子らしい部分はあるんだけど、微妙にずれているというか。

 昔から剣術とか運動が好きだったし。

 大人になってからはそれが顕著になってしまったような気がする。

 以前の子供っぽい素直なマリーも好きだけど、今の大人びたマリーも僕は好きだ。

 外を眺めていたマリーが横目で僕を見た。


「シオンはこれからどうするの?」

「どうしたの? 突然」

「今は妖精言語の研究や魔法の研究を続けているわよね。

 そして魔法で色んな人を助けてきた。今後もそうなのでしょうけど。

 これからどうしたいのか、と思ったのよ」

「うーん、魔法の研究以外にも考えてることは色々あるよ。

 次に起こるかもしれない赫夜の対策とか、魔法士育成学校を作ろうとか、次の魔道具の内容とか、あとは妖精の魔力と自然物の魔力、妖精文字の可能性を調べようとかね。

 今はやりたいことが多すぎて手が回ってないけど。

 魔法や魔力、妖精の研究が進めば僕自身も楽しいし、色々な人を救えるかもしれない。

 だから目標は……色々なことを研究して、成果を上げることになるのかな?」

「……そっか。色々考えてるのね。

 以前は魔法の研究のことだけ、って感じだったのに」

「姉さんが言ったんじゃないか。

 魔法を人の役に立てたらいいんじゃないかって」

「そうね……そうだったわね。

 あたしが言ったんだったわ」


 マリーは目を伏せている。

 その姿は感慨にふけっているように見えた。

 何を考えているのか、今の彼女からは汲み取れなかった。

 いや、今だけじゃない。

 ここ最近ずっと、僕は姉さんが何を考えているかわかっていない。

 ゴブリン襲来後、思いつめていたマリーの姿が重なる。

 あの時とは違うとは思う。

 そこまで切迫した様子はないから。

 でも、何かが違う。

 あるいはそれが当たり前になったのか。

 それが成長なのか変化なのか、僕にはわからない。

 聞こう。

 ずっと考えていたんだ。

 でも自分一人で考えても限界がある。

 聞かなければわかりはしないとわかった。

 だから、もうわかった振りをして傍観するのは止めにしよう。


「姉さん、何かあったの?」

「何かって何よ」


 かなり曖昧な質問だったことを反省する。

 しかし、なんと言えば伝わるのだろう。

 僕は数秒間だけ頭をフル回転させた。

 やはり少し踏み込むしかない。

 逡巡しても姉さんの心に触れることはできないだろう。


「……父さんたちから聞いたんだ。

 姉さんは、サノストリアにいた僕からの手紙を見て、性格が変わったようだって。

 何か思うところがあるんだろうと言ってはいたけど。

 僕もそう思う。姉さんは以前とまったく違うっていうか……」


 僕はちらっとマリーの様子を窺った。

 マリーは特に感情を表に出さず、僕の話を聞いている。

 ただし僕の方を真っ直ぐ見てはいない。

 斜に構えているようにすら見えた。


「ほ、ほら。前はさシオンシオン! って言いながら構ってくれてたじゃない?

 でも最近は、なんというか距離があるっていうか」

「それは前にも話したでしょ。もう子供じゃないんだし弟離れしないとって」

「そ、それはそうなんだけど」


 マリーの言葉はまともだ。

 普通は成長すれば親や兄弟、姉妹から離れていく。

 それが大人になるということでもある。

 でもマリーがそれに該当するのか、と言われれば僕は素直に納得できない。

 マリーが今の性格になったのは、僕からの手紙を読んでからだと父さんは言っていた。

 それは普段近くにいた僕の活躍や成長を見て、何か思うところがあったということじゃないかとも。

 僕もその考えに賛同できる部分がある。

 完全に正しいかどうかはわからないけれど、でもそうと判断しないと姉さんが変わった理由が見つからない。

 だから僕は思ったんだ。

 姉さんは無理をしているんじゃないかって。


「……もしも、もしも姉さんが無理をしているんなら、僕は自然体でいて欲しいって思う。

 姉さんが我慢しているなら、して欲しくない」


 マリーは真顔のままだ。

 しかし、それが逆に違和感をより強くした。

 いつものマリーなら笑顔を見せるなり、呆れるなりするはずだ。


「無理はしてないわ。今のあたしが自然体よ」

「本当に?」

「本当よ」


 マリーはずっと僕のことを真っ直ぐ見ていなかった。

 ほんの少し苛立っているようにも見えた。

 もしかしたら、サノストリアから家に帰ってからずっとそうだったのかもしれない。

 マリーはマリーだ。

 どれだけ変わろうと僕が彼女を好きでいることは変わらない。

 容姿や性格、考え、立場。あらゆるすべての要素がどれほど変わったとしても、僕の気持ちは変わらないという自信がある。

 今もそうだ。僕の気持ちは昔と変わっていない。

 だからマリーが本当に成長して、納得して今の性格であるのならばそれでいい。

 けれど無理をしているのならば、僕のために我慢しているのであれば話は別だ。

 いつもの僕なら、そうかと言って言及を避けただろう。

 けれど僕はさらに一歩踏み込んだ。


「僕には今の姉さんは無理をしているようにしか見えない」

「……だから、何度も言っているじゃない」

「わかってるよ。無理はしてない。自然体だ。成長したから、弟離れしたからって言うんでしょ?

 でもさ、だったら」


 僕はそこで逡巡した。

 本当に言っていいのだろうか。

 でも言わないと何もわからない。

 先に進まない。僕たちの心は停滞したままで身体だけ成長してしまう。

 だから僕は意を決した。

 僕はマリーを真っ直ぐに見据えた。

 マリーは無表情に見えたけど、ほんの少しだけ顔をしかめた。

 その動揺に釘を刺すように、僕は言葉を打ち付けた。


「だったらなんでメディフについてきたのさ」


 ピクッとマリーの眉が跳ねた。


「弟離れするなら、それぞれのやるべきことをするために時間を割くべきでしょ。

 姉さんは言っていたよね。貴族や領主、他にも色々と勉強しているって。

 それは興味本位だけじゃないでしょ。僕がこんなだから、父さんの跡を継ごうと考えてる。

 だからその努力をしていた。違う?」

「……それが何よ」

「だったら僕と一緒に妖精言語や魔法の研究している時間はないじゃないか。

 子供じゃない。成長した。弟離れした。もしもそれが事実なら一緒にいなくてもいいと考えるはずだよ」


 我ながら言い方がよくない。

 けれどこれくらい率直に言わないとダメだとも思った。

 今まで僕たちはぬるま湯のような関係性の中にいた。

 お互いに大事に思い、信頼し、好意を持っていた。

 その関係を崩したくないと、家族なのに変な気遣いがあったように思える。

 だから僕は踏み込んだ。

 マリーは鋭い視線を僕に向けてきた。

 子供の頃に無理に剣術を続けるマリーに、もうやめた方いいと言ったあの時を思い出した。

 あの時と同じ目をしている。


「……それは心配してるからよ」

「心配だとは思う。それは嬉しい。けれど父さんや母さんも同じだと思う。

 二人も僕のことを心配してくれていた。けれど自分たちにもやることがあるから、見送ってくれた。

 それに成長が嬉しいとも言ってくれたよ。

 姉さん、多分それが普通なんだ。それが家族として正しい距離感なんだよ。

 決して姉さんを邪険にしたいわけじゃない。ついてきてくれて嬉しいよ。

 僕は姉さんと一緒にいたい。姉さんともっと楽しいことをしたいし、色んなものを見たい。

 姉さんと一緒だと僕も幸せなんだ。

 でも今の姉さんは幸せには見えない時がある」


 マリーの表情はどんどん強張る。

 大好きな姉が苦しんでいる姿を目の当たりにして、平気な弟はいない。

 胸が締め付けられ、今すぐにでも謝ってしまいたいという衝動に駆られた。

 けれど耐えた。耐えなければならないと思った。

 僕は必死で言葉を呑んだ。

 ただただ、マリーの反応を待った。

 マリーは目を伏せていた。

 僕を見ず、床を凝視している。

 そんな彼女が小さく呟いた。


「……なによそれ」


 怒りというよりもやりきれない、そんな感情が言葉には滲んでいる。


「なんなのよッッ!」


 怒号とも入れる叫びが響いた。

 馬車の周りにいたドミニクたちが、何事かと窓からこちらを見ていた。


「い、言いたい放題言わないで!

 シオンはいいわよ。好き勝手にやって、自由に生きて!

 それでいいのよ。いいんだから、あたしにも口出さないでよ!!

 あたしだって好きにやる。好きにやってるんだからいいじゃない!

 迷惑なら帰るわよ! 嫌ならそう言えばいいじゃない!!」

「嫌じゃないよ。嫌なわけないじゃないか」

「だったらあたしのことは放っておいてよ!

 前と違う? 性格が変わった?

 それが何よ! なんの問題があるのよ!

 あ、あたしがどんな気持ちで一緒にいるか」

「どんな気持ちなの?」


 僕に迷いも後ろめたい気持ちもない。

 だからマリーから視線を逸らさない。

 今のマリーは僕を見ている。

 正確には見ていた。

 すぐに目を逸らし、気まずそうに視線を落としていた。


「姉さんの気持ちを聞かせて欲しい。

 そうじゃないと、ずっとこのまま違和感を抱えたまま過ごすことになる。

 それは嫌だ。姉さんが納得しているんならいい。でもそうじゃないと思う。

 だから僕は姉さんの気持ちが知りたい。

 知らないと前に進めないし、不幸になるかもしれないから」


 マリーはわなわなと震えていた。

 怒りか悲しみかあるいは恐れか。

 僕はその感情がわからなかった。

 マリーが何を考えているかわからない。

 散々考えて、マリーの考えを尊重して、距離を保っていた。

 けれどそれは本当の意味でマリーのことを考えているわけじゃない。

 僕は僕のことを守っていただけだ。

 大好きな姉に嫌われたくないから、マリーを尊重しているような言い訳を並べ立てて、結局は事なかれ主義を貫いているだけだ。

 それは現状維持にもならない。

 徐々に状況は悪化している気がしていた。

 だから今しかない。いや、遅すぎたくらいだ。

 僕は聞かなければいけない。

 マリーはどうして変わったのか。

 本当はどうしたいのか。

 その気持ちを。

 マリーの表情には、子供の頃のような純粋な感情が生まれていた。

 いや、それはただひた隠しにされていただけだ。

 本当はマリーの中にあった。きっとそれを僕には見えないようにしていただけだ。


「……だって」


 マリーはくしゃっと顔をゆがめた。

 子供っぽい、純粋無垢で、不安そうな顔。

 それは確かに僕の知っているマリーだった。


「だって……だ、だって」


 涙を目尻に溜めて、縋るような瞳をしている。

 マリーは僕の服を掴み、僕を見上げた。

 何を言おうとしているのかまったくわからない。

 聞いてはいけない気がした。

 けれどもう遅い。

 マリーの心を開けたのは僕自身だ。

 胸が苦しい。

 苦しくて息切れがする。

 マリーの気持ちが痛いほどに伝わってきた。


 マリーは絞り出すように。

 少ししゃがれた声を出した。


「だ、だって、あ、あたしたち……血が繋がってないんでしょ?」


 頭が真っ白になった。

 突然に手が震え、言い知れぬ感情が身体を支配した。

 驚愕の後に後悔が現れる。

 現実感が薄く、床の感覚が消失する。

 落下感にも似た非現実感が襲ってきて、混沌とした感情が込み上がる。

 ほんの一瞬、あらゆる感情が生まれては消え、最後に残ったのは疑問。

 なぜマリーが知っているんだ?

 誰かから聞いたのか?

 あるいは僕と同じように父さんたちが話している時に聞いてしまったとか?

 わからない。けれど確実なことがある。

 マリーが変わった理由が。

 けれどなぜだ。

 血の繋がりがないとわかって、なぜ性格を変える必要があったのか。

 なぜ僕と距離を……。


 いや、違う。

 僕は何となくわかっている。

 わかっているのに、それを僕は理解しようとしていない。

 マリーは僕に縋るようにしながら泣きじゃくっていた。

 小さな肩が震えている。

 頼りがいのある姉の身体が、いつもよりも小さく感じた。

 今だけじゃない。

 僕が成長したんだ。

 いつの間にか同じくらいの身体になっている。

 それは姉ではなく、少女の身体だった。

 僕はおずおずとマリーの肩に触れた。

 マリーは一瞬だけピクと身体を震わせた。

 僕は何を言えばいいのだろう。

 知っていたと、だからなんだと、気にしなくていいと、今まで通りだと、それでも姉弟だと、そう言えばいいのだろうか。


 けれどどの言葉も、僕の喉を震わせることはなかった。

 思考は巡り続けているのに、理性は微塵も働かない。

 僕は呆然としていた。

 けれどなぜか僕は声を出した。


「ぼ、僕は――」


 何かを言おうとした瞬間。

 全身が粟立った。

 僕は窓から外を見る。

 そこにはアルスフィアがあった。

 しかしいつもと様子が違う。

 全身を刺すような感覚。

 魔覚が激しく反応している。

 突如生まれた魔力の気配。

 これは間違いない。


「……こ、これって」


 マリーも現状に気づいたらしい。

 涙を拭いながらアルスフィアを見る。

 そこにあったのは天を覆うような赤よりも赤い……赫魔力(かくまりょく)。

 間違いなく、それは魔族の襲来の兆し。

 赫夜だった。

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