第173話 ウィノナとの未来

 妖精文字や言語の研究を経て昼食を終え、しばらくは自由時間。

 妖精の森の幻想的な雰囲気の中で、思い思いの時間を過ごしていた。

 姉さんとドミニクは食事間もないというのに鍛錬を始めている。

 伯爵とカルラさんも、何やら話をしている様子だった。

 ウィノナは昼食の片付けをしている。

 僕はそんなウィノナを横目でちらちらと確認していた。

 しばらくしてウィノナが片付けを終えたところを見計らい、僕は行動を開始する。


「や、やあウィノナ。ちょっといいかな?」

「は、はい、なんでしょうシオン様」


 若干の動揺がウィノナには見られた。

 僕も緊張している。

 告白された日からずっとこんな感じだ。

 お互いに話したり、目が合ったりするとどうしても動揺してしまう。


「話したいことがあるんだけど」

「は、話したいことですか……わ、わかりました」

「ありがとう。じゃあ、少し歩こうか」

「は、はい」


 僕はウィノナと共にキャンプ場所から離れた。

 妖精の森、アルスフィアの中にはまともな道はあまりない。

 一応、哨戒兵や警備兵のためにか、ちょっとした道はあるけど、それも舗装されているわけではなく、ただ邪魔な茂みを刈り取っているだけだ。

 魔力の光がそこかしこに浮かんでいる情景は、いまだに見慣れない。

 落ち着かないわけではないけど、幻想的で美麗なため目を奪われてしまうのだ。

 不思議な空間。

 それは僕がこの異世界に求めていた姿そのものでもあった。

 少し後ろを歩いていたウィノナが止まる気配を感じた。

 振り向くと、ウィノナは魔力の光に見とれていた。

 ウィノナは我に返ると、僕の視線に気づいたのか慌てて頭を下げる。


「あ、す、すみません」

「いや、いいよ。綺麗だもんね」

「は、はい。こんなに綺麗なものは見たことがなかったので。

 魔力持ちになって、素敵なことばかりで夢なのではないかと思うことがあります。

 あ、も、申し訳ありません。お待たせして」

「いいよ、移動が目的じゃないから。ゆっくり歩こう」


 ウィノナは嬉しそうに目を細めて、笑顔を見せた。

 その笑顔を見て思ったんだ。

 ウィノナは本当に変わったんだなって。

 最初の時の臆病な彼女はもういない。

 自分の感情や意思に正直になった、年相応の女の子がそこにはいた。

 僕はその嬉しさを噛みしめつつ、ウィノナが駆け寄ってくるのを待った。

 とととっ、と早足で隣に並んだウィノナと共に再び歩き出す。

 少し前までは気後れしていたのか、僕の後ろを歩くことが多かった。

 でも、今は隣を歩いている。

 もちろん堂々とはしていないし、我が物顔でいるわけでもない。

 静々と慎ましやかな雰囲気のまま、隣にいてくれている。

 対等とまではいかないけど、同じ目線になろうとしているのかもしれない。

 あるいは無意識なのかもしれないけど、僕はその姿勢が嬉しく感じた。

 隣を歩くウィノナの横顔を覗き見る。

 緊張しているのが伝わってくる。

 けれどそれは僕に対して気を遣っているというわけではない。

 これから起こることを想像しているのだろう。

 それは僕もそうだ。

 話をした後、どうなるのか僕にも見当がつかないのだから。


 数分歩くと開けた場所に出た。

 木漏れ日の差す広場には切り株がいくつも並んでいる。

 恐らくは栄養を奪い合わないように、生え過ぎた植物を誰かが伐採したのだろう。

 何も言わず自然に二人とも切り株に座った。

 向かい合うように座ると、気恥ずかしさが込みあげてくる。

 それに心臓がうるさい。本当にうるさい。

 毎回毎回、この相棒は僕に訴えかけてくるのだ。

 わかってる。緊張していることは十分に理解したから、もう少し静かにして欲しい。


 僕は何度も深呼吸して気を落ち着かせようとした。

 少しだけ平静を取り戻し、ウィノナを真っ直ぐに見つめる。

 すると目がバチンとあった。

 周囲に漂う魔力の光と木漏れ日に照らされたウィノナの姿は、神々しくも美しく、まるで森の妖精そのものに見えた。

 ほんのりと朱色に染まる彼女の頬。

 緊張からか僅かに潤んだ瞳。

 微風にゆれる綺麗な髪。

 それらすべてが僕の心を揺るがした。

 僕は呆気にとられ、そして頭を振った。

 虚を突かれたというのはこういうことを言うのだろう。

 落ち着き始めていた心臓がまたバクバクと言い始める。

 これではきりがない。

 無理やりにでも切り出そう。

 勇気を振り絞り、僕は強引に声を出した。


「あの!」


 自分でも驚くほどに声が裏返っていた。

 やらかしたという思いと、恥ずかしいという感情が入り混じる。

 しかしウィノナは笑うでも憐れむでもなく、真剣に僕を見てくれていた。

 話して欲しいと、そう言ってくれているようで、僕の緊張は少しだけ落ち着く。


「……あ、あのさ。話っていうのは」

「は、はい」


 本題に入る前に一拍置いた。

 そして意を決して口を開く。


「この間の、こ、告白のこと……なんだけど」

「は、ひゃい!」


 呂律が回っていないウィノナ。

 僕も気を抜けば同じことになりそうで、気を張りながら続けた。


「あ、あれから、ずっと考えてたんだ。

 それで返事が遅れちゃって……ごめんね」

「そ、そんな! だ、大丈夫です。わ、わたしこそ、勢いであんなことを言って……」

「あ、あれ? じゃあ、思わず言っちゃったってことか。

 も、もしかして返事をしない方がいい、とか?」

「そ、それは! ち、違うと言いますか!

 わ、わたしはシオン様が、す、好きです……!

 で、ですから、あ、あの……いえ、その……返事が欲しい、です」


 ウィノナは無意識だったんだろうけど、色取り取りの口腔魔力が出てしまっている。

 それはつまり、それだけ彼女が本気だということだ。


「わかった……じゃあ、返事をするね」


 目を白黒させて、顔を赤らめて、指をいじって、もじもじして、視線は宙を舞い、体中が熱を帯び、心臓は胸を叩いて、逃げたいと思い、それでも勇気を絞り出した。

 僕たち二人とも、きっとそうだった。

 僕は再び深呼吸した。

 そして意を決する。


「僕はウィノナの想いに、今は応えられない」


 はっきりと真っすぐとウィノナに言った。

 淀みなく、迷いなく。

 自分でも驚くほどに言葉はすんなりと出た。

 ウィノナは表情を凍らせた。

 今まであった感情がすべて停止してしまう。

 次に現れたものは落胆だった。

 肩と視線を落としてしまう。

 その姿が胸を締め付けた。


「そ、そうですよね……わ、わたし、なんて図々しいことを……。

 自分のためにシオン様を陥れようとしていたわたしが……告白なんて……。

 シオン様みたいな素敵な方に、見初めていただきたいなんて……。

 も、申し訳ありません。シオン様にご迷惑をかけてしまって……

 本当に……ほ、ほんとうに、も、もうしわけ……あ、ありま……うぅっ……」


 話している最中に、ウィノナは涙を一粒流した。

 それをきっかけに次々に涙が溢れていく。


「い、いや違う。迷惑なんかじゃない。

 告白されて、僕は嬉しかったんだ。本当だよ」


 ウィノナは泣き続けていた。

 僕が泣かしたのだと思うと、いたたまれなくなる。

 おろおろとしてしまい、何とか慰めないと、という思いに駆られたけど、僕はその衝動をなんとか抑えた。

 僕がすべきことは真摯に答えることで、慰めることじゃない。

 考察、仮定、検証、そして結果を出すのが僕のやり方だ。

 さあ、告白という難題に対して、僕の答えを出そう。


「まず僕は感情論が苦手なんだ。感情で考えるとわけがわからなくなる。

 だから理論立てて考えてみた」

「り、理論立てて……ですか?」


 ウィノナは涙を拭きながらも、何とか声を絞り出した。

 断られたばかりなのだから、不安定になって当然だ。

 感情的になり攻撃的になり自暴自棄になってもおかしくない。

 それでもウィノナは懸命に僕の言葉に耳を傾けてくれた。

 だから僕もいつも通り振舞えたのかもしれない。


「うん。僕はウィノナを好きなのかってね。

 色々考えて結論は出た。僕はウィノナを異性として見ていて、魅力的だと思っている。

 それに好意を持っているってね」

「こ、好意を……? で、ですが、その、シオン様は……わたしを……」

「今はウィノナの想いに応えられないって言ったね。

 でもそれはウィノナを好きじゃないとか、恋愛対象として見てないとかじゃない。

 ただ、僕が持っているウィノナへの好意が恋愛感情なのかはわからないんだ。

 だから『今は応えられない』って言ったんだよ」


 ウィノナは少しずつ落ち着いてきたようで、真剣な顔で僕の言葉を聞いていた。

 涙はもう止まっている。


「つ、つまり、希望は残されていると、考えてもいいでしょうか?」

「そ、そうだね。って言うとなんか上から目線で申し訳ないんだけど」

「そ、そんなことは! むしろわたしからの不躾な申し出なので……。

 そ、そうですか。希望はあるんですね……そ、それに好意を持ってくださっていると」


 さっきまでの悲しそうな顔は一変して、今では恋する乙女の顔だった。

 ころころと表情が変わるのは愛らしいが、その原因が自分だと考えると複雑な心境だった。


「じゃあ次ね。以前に話したと思うけど、僕はある人と、誰とも結婚しないという約束をした」

「は、はい。覚えています」

「実はその約束は破棄されたんだけど、でも簡単に、はいそうですかとは考えられない。

 だから、その約束が本当になしになったのか、僕はなしにしたいと思っているのか。

 そしてその人はなぜそんなことを言ったのか、ちゃんと知らないといけないと思ってる」


 マリーの気持ち、そして僕の気持ち。

 恋愛となれば重要なのは自分の気持ちだ。

 だけど、結婚をしないという約束、童貞を卒業したら魔法が使えなくなるかもという不安、そして僕は誰が好きなのか、僕はどうしたいのかという思い、それらすべてを明確にする必要がある。


「詳細は言えないんだけど、誰かと交際したら魔法を使えなくなる可能性もあると僕は考えている。

 もちろん確証はないんだけど、僕にとって魔法は人生みたいなものだから、そのリスクを考えると慎重にならざるを得ないというのもあるんだ。

 僕はそれらを総合して結論を出した。

 今のすべてが曖昧な状態だと、ウィノナの想いに応えることができないってね。

 だから、身勝手な話だとは思うけど……二年半ほど待って欲しい。

 僕が十六歳になった時に、ウィノナが僕をまだ好きでいてくれたなら、僕はきちんと返事をしようと思う。

 もちろん、その時にウィノナの想いに応えられないかもしれない。

 もしかしたら、望んだ答えを出せないかもしれない。

 けれどその時には必ずきちんと答えると約束するよ」


 その間にすべてをはっきりとさせる。

 二年半後、僕は成人を迎え、姉さんに血の繋がりがないことを伝える予定だ。

 二年半の間にウィノナへの想いを明瞭にして、姉さんの本心を知り、魔法は童貞を卒業したら使えなくなるのかという疑問を解消する。

 すべては僕の事情で、本当に勝手な話だと思う。

 けれどこれが僕の本音だった。

 結局は僕は、もっとも選ばないと考えていた『答えを保留する』という手を選んでしまった。

 最初に考えた四つの選択肢の中から、どれも選ばなかったのだ。

 仮に今のような曖昧な状況でウィノナの気持ちに応えたとしても、誰も幸せにならないと思う。

 ウィノナも、姉さんも、そして僕自身も。

 だから可能な限り誠実に、そして図々しくも提案した。

 そう、これは提案だ。告白の返事としては、かなり間違っている。

 告白の返答に対して感情や状況を論理的に説明して、結論を出し、相手に伝える馬鹿は僕くらいだろう。


 僕はウィノナの返答を待った。

 不安でしょうがなかった。

 それは単純に、ウィノナを傷つけていないかという感情によるものだった。

 悲しくて泣くか、怒りをぶつけてくるか、あるいは僕を軽蔑するか。

 ウィノナは恐らく僕を責めるようなことはしないとは思っていたが、けれどそれは都合のいい押し付けだとも思っていた。

 優しいから怒らないだろうなんて考えは、相手を都合のいい存在だと思っていることと同義だ。

 だからこそ不安だった。

 ウィノナがどういう反応をするのか。

 しかし、ウィノナの反応は僕の想定していたものと違った。


「よ、よかった……よかったです」


 ただ嬉しそうに笑みを浮かべて泣いていたのだ。

 悲哀ではなく喜びがそこにはあった。


「待ちます。ずっと、何年でも、一生でも、ずっと……。

 わたしは……シオン様を待ち続けます……。

 もしも恋人にも妻にもなれなくても構いません……。

 あなたの負担になりたくありません。だから……無理に受け入れないでください。

 ……わたしは、シオン様が大好きだから。

 だからどのような結果になっても、あなたの傍にいさせてください……」


 僕は呆気に取られてしまう。

 あまりに真っすぐな想いに。

 それは好意よりも強く深い、愛情のように感じられた。


「好きです、シオン様……好きです……。

 好き、なんです……」


 ウィノナは泣きながら何度も何度も呟いた。

 最初の涙とは違う感情は、言葉には溢れていた。

 健気な気持ちが痛いほどに伝わってきて、僕の胸には激しい痛みが伴う。

 なぜ彼女の想いに応えないんだ僕は。

 好意はある。魅力を感じてもいる。

 今、彼女を抱きしめて、慰めたいとそう思っているのに。

 僕は決してそこを動かなかった。

 ただ強烈な衝動を必死で抑えつけた。

 理性が感情を繋ぎとめてくれた。

 激情の中で、頭の隅に居座っている理性的な考えが僕に訴えてくる。

 ここで彼女を受け入れたら、きっと後悔する。

 自分もウィノナも不幸になる。

 曖昧で不純な動機から始まった関係は、必ず破綻する。

 だから僕はただただ耐え続けた。

 ウィノナの愛は暴力的なほどに、僕を惹きつけて止まなかった。

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