第172話 恋愛関係も考察すればいいじゃない


 ベッドから見上げる天井もそろそろ見慣れてきた。

 静まり返った、伯爵家の夜。

 僕はいつものように思考の海をたゆたっていた。

 ドミニクと話した内容を思い出す。


「全部話せ、か。あながち間違ってはいないと思うんだよね」


 ドミニクの考えは理解できる。

 かなり客観的に助言してくれたとも思う。

 しかし、ドミニクの助言通りに行動する気にもなれなかった。

 それは恐らく、自分で考えたことじゃないからだと思う。


「ずっと僕は自分で考えて、答えを出してきた。

 魔法に関しても、他のことも」


 大体、誰かに話す時はすでに答えが出ているか、行動した後だ。

 本当の悩みを人に相談したのは、もしかしたらドミニクが初めてかもしれない。

 だけど、いやだからこそ余計に思う。

 人の言葉を鵜呑みにして、運命を委ねることはできないと。

 結局、僕は自分で考えて、自分で納得しないとダメな性分らしい。

 ということで今後の方針は決まった。


「魔法と同じだ。考察、仮定、検証、そして成果を出す。

 これが僕のやり方なんだから。恋愛も同じだ!」


 理論立てて考えるのが僕のやり方なのだ。

 だったら恋愛関係も同じことだ。

 やり方が決まったなら後は考えるだけ。

 それじゃ、現状を整理しよう。

 まず、僕はウィノナに告白されて、返事を保留している。

 そして姉さん……マリーと僕は子供の頃に誰とも結婚しないという約束をした。

 それはマリーと結婚できないからこそ、他の人と結婚しないことでマリーを一人にしない、という意味を持っていた。

 しかしその約束は、最近になってマリー自身の言葉で破棄されてしまった。

 さて、この状況で考えるべきことはなんだろうか?


 まず最初に選択肢を考えよう。

 一つ目はマリーを選ぶ。

 二つ目はウィノナを選ぶ

 三つめはどちらとも選ぶ。

 四つ目はどちらとも選ばない。

 うやむやにして逃げるという選択肢は排除する。

 選択肢はこの四つ。

 選ぶにはそれだけの理由が必要だ。

 では判断材料を得るために考察と仮定を開始しよう。

 僕の感情について考えてみる。

 僕はウィノナもマリーも好きだ。

 しかし恋愛感情かどうかはわからない。

 家族のような愛情のような気もするし、異性に対しての好意のような気もする。

 確実に言えるのは、どちらの方が好きかは判断できないということだ。

 ただウィノナには悪いとは思うけど、やはり僕にとっては家族の方が優先順位は上だ。

 恋愛関係を結ぶ、という点で秤にかけてはいるが、どちらを優先するかと言われればやはり姉であるマリーを選ぶと思う。

 だけどそれは絶対的に揺るがないというわけではない。

 状況によってはウィノナを優先することもあるだろう。

 二人に対する立場的な感情はこんな感じ。

 では恋愛感情という観点から見て、僕は二人にどういう感情を抱いているのだろう。

 これは重要な部分だ。

 どちらかの方が好きと明確にわかれば、有力な判断材料になる。


 まずはマリーを思い出す。

 幼い頃から一緒の姉。血の繋がりはない。

 しかしマリーは僕のことを実の弟だと思っているはずだ。

 マリーが実際に僕のことをどう思っているかは一旦置いておこう。

 今は僕の感情についてだ。

 では、僕はマリーを異性として見ているのか。

 本心で言えば、無意識の内に異性として見ていた部分はあるかもしれない。

 幼い頃、母さんとマリーの三人でお風呂に入っていたこともある。

 その時、恥ずかしさも感じつつ、異性として意識していたという記憶がある。

 もちろん家族だと思っている。

 でもそう簡単なものではない。

 僕は転生者。前世の記憶があるのだから。

 子供の頃は少し意識していた程度の認識だったけど、マリーが怠惰病になり、失うかもしれないと思った時、僕はどう思っただろうか。

 姉がいなくなる、その喪失感や絶望感を抱いた時、ただの姉として見ていただろうか。

 わからない。でも、恐ろしくてしょうがなかった記憶はある。

 大事で身近な存在がいなくなることを恐れたはずだ。

 ならばあの時、僕はマリーを姉として見ていたのだろう。


 ではマリーを救い、離れ、そして再会し、今日までの共に過ごした日々に関してはどうだろうか。

 マリーは僕の姉だっただろうか?

 僕はふとマリーに首飾りを渡した時を思い出す。

 あの時、見た彼女の顔。

 心の底から嬉しそうにしていた笑顔。

 あの顔を見て、僕はどう思っただろうか。

 ……可愛いとそう思ったはずだ。

 姉にそんなことを思うだろうか?

 ただ喜んでくれて、こちらも嬉しいなと思うことはあっても、純粋に可愛いと思うことはあるだろうか。

 仮に家族を可愛いと思ったとしても、その時に感じた気持ちとは違うように思う。

 僕はドキドキしていたんだ。

 それは家族に抱く感情ではない。


「そうか……僕は」


 あの時、あの瞬間。

 僕はきっと、姉さんを女の子として明確に認識したのだ。

 姉ではなく、一人の女性として意識したのだ。

 そうでなければあんな感情を抱くわけがない。

 子供の頃、僕を守るために強くなろうとしてくれた。

 魔法の存在があるかもわからないのに、笑わずに一緒に探してくれた。

 エッテントラウトを見つけ、僕に教えてくれた。

 魔法の研究を一生懸命手伝ってくれた。

 いつも僕の傍にいて支えてくれた。

 僕を好きだと、大事だと言ってくれた。

 そんな姉さんを、マリーを魅力的だと思っている。

 僕はその事実に気づき、驚くと同時に、しっくりもきた。

 もしかしたら、僕はもっと前に気づいていたのかもしれない。


 一つ、結論が出た。

 僕はマリーを異性として見ていて、魅力的だと思っているということ。

 我ながらとんでもない結論だが、この事実をまず受け止めよう。

 不意に心臓がとくんと鳴った。

 高揚はなく、熱が胸に生まれる。

 それは穏やかでどこか心地よかった。

 この気持ちを忘れないようにしよう。


「よし。次に移るぞ」


 マリーに対しての僕の感情はわかった。

 ではウィノナに対してはどうだろうか?

 最初は可哀想な境遇の子を助けたいという思いがあった。

 それが徐々に共に時間を過ごし、親近感が湧くことで、庇護対象のようなイメージになっていったと思う。

 そしてウィノナもまた、僕に縋るようになっていった。

 けれどそれは共依存に他ならず、僕たちは互いの考えを改める必要があった。

 僕はウィノナを突き放し、ウィノナはそれでも僕と共にいたいと自分の意思を明確にした。

 あの時から、僕たちは主従であり、そして友人のような関係になったと思う。

 では、告白されるまで、僕はウィノナを友人と思っていたのだろうか。

 いや、それだけじゃない。

 異性として見ていた部分は確かにあった。

 でも恋愛対象として考えたことはなかった。

 それが告白を機に、僕はウィノナへの印象を改めることになった。

 彼女といると心臓が高鳴ることに気づいたのだ。

 ウィノナはスタイルもいいし、性格もいいし、美人だ。

 女性として魅力的だと、誰もが思うだろう。

 そんな女性が傍にいたのだと、強く意識したんだと思う。

 近くにいればドキドキするし、目が合えば恥ずかしくなる。

 そんな青春らしき状況に陥っているのだ。

 けれどそれが恋愛感情なのかどうかわからない。

 ただ好意を持っている女の子と関わるのが、恥ずかしいだけどなのかもしれない。


 また、結論が出た。

 僕はウィノナを異性として見ていて、やはりマリーと同じく魅力的だと思っているということ。

 ここまでまとめるとこうなる。

 僕は二人ともに異性として好意を持っているが、恋愛感情かどうかは不明。

 つまり、少なくともどちらかを選ぶということは不可能である。


「となると選択肢の『マリーを選ぶ』と『ウィノナを選ぶ』は一旦除外しよう」


 残るは『どちらとも選ぶ』か『どちらとも選ばない』。

 我ながら難しい選択肢しかないが、選ばなければならない。

 では次に考えるべきは二人の心情だ。

 僕の感情はわかった。

 しかしマリーとウィノナはどういう心情なのだろうか。

 それをまず考える必要がある。

 ではマリーに関してだ。

 前述通り、マリーは子供の頃に僕と約束した。

 それは誰とも結婚しないという内容だったが、数か月前にその約束はマリー自ら解消した。

 マリーは子供の頃の約束で僕を縛りたくないと言っていた。

 なぜそんなことをしたのだろうか。

 成長して考えが変わった、というのが一般論だろう。

 実際、子供の頃に親と結婚する、と言う子供はいるだろうが、大人になるにつれてその考えは変わるものだ。

 だからマリーが現実的な考えを持ち、約束を破棄したという方が妥当だろう。


「本当にそうなのかな……? あの姉さんだぞ」


 僕が王都サノストリアへ行っている最中も、僕のところへ来ようとしたくらい僕のことを好きな人が、突然に人が変わったように落ち着いたという経緯がある。

 それは父さんや母さんの証言からして間違いない。

 サノストリアでの僕の活動を知り、思うところがあったのだろうと父さんは言っていたけど。

 もしもそうだとして、あそこまで考えが変わるものだろうか。

 マリーが何を考えているのかわからない。


 ゴブリン襲撃後、一人で剣術の稽古をしていたマリーを思い出す。

 あの時も、僕はマリーのことがわからなかった。

 話してみて初めてマリーが思い悩み、戦っていたことを知った。

 今もあの時と同じように何かを考え、そして一人で懊悩(おうのう)しているのかもしれない。

 それでも、マリーは何も言わず僕についてきてくれている。

 それにプレゼントをしてあれだけ喜んでくれていたのだ。

 だから僕を嫌いになったとか、弟離れしようとしているとかではないように思う。

 じゃあ、最近の落ち着いた態度や淡々とした様子はなんなのだろうか。

 昔のように僕を独占したり、僕のことで一喜一憂する姉の姿はもうない……本当にそうなのか?

 もしもそうだとしたら僕はどう思うのだろうか。

 寂しいと思う。悲しいと思う。

 そして同時に胸が痛くも感じた。

 けれどそれも身勝手な感情だとも思った。

 マリーは僕と血が繋がっていないことを知らないのだから。

 今のマリーの考えはわからない。

 でもやはりどこか違和感があった。


「……やっぱり考えてもわからない、か」


 マリーの考えを知るには、マリー自身に聞くしかないだろう。

 本人に聞いて答えてくれるかはわからないけど。

 とにかく、マリの心情については一旦、結論が出た。

 マリーは何を考えているのかわからない。

 けれど恐らく、マリーが僕を好きでいてくれているのは間違いないと思う。

 それが恋愛感情なのか、家族愛なのかはわからない。

 では次にウィノナの心情はどうだろうか。

 最初、ウィノナに出会った時、お互いに遠慮していたせいで大きな壁があった。

 ウィノナの後ろ向きな性格が原因でもあったけど、大きな要因は彼女の父親にあった。

 ウィノナの父親は没落貴族だったが、その現状を憂いていた。

 何とか再び貴族として大成するため二侯爵である僕に、娘であるウィノナを近づけさせ、結婚させようと画策していた。

 ウィノナの父親は、娘を道具として扱っていたのだ。

 しかし僕たちは話し合い、お互いのことを知るにつれて理解を深め、お互いの距離は縮まった。

 ウィノナは父親の傀儡(かいらい)となっていて、自分の意思を持つことができなかった。

 でも僕と出会い、自我を持ち、自分のやりたいことを口にするようになった。

 そのせいか、僕に依存しつつあったけど、次第に自分自身の意思をもとに行動することが多くなった。


 彼女は強くなった。自分の気持ちを口にすることが多くなったのがその証拠だ。

 その結果、ウィノナは僕に告白してきたのだ。

 僕は面食らった。まさか好意を伝えてくると思わなかった。

 ウィノナが僕を敬ってくれていることは知っている。

 若干、神聖視しているんじゃないかと思うこともあったくらいだ。

 けれどそれは憧れで、敬愛であり、恋愛感情ではないと思っていたのだ。

 それなのにウィノナは明確に僕を好きだと言ってくれた。

 憧れや敬愛で好きという言葉を伝えることもあるだろう。

 でもウィノナはそういった盲目的な崇拝の先にある感情から、僕に好意を伝えてきたのではないと思う。

 なぜなら彼女は己の意思をずっと持てなかったからだ。

 僕に憧れていただけで依存していただけなら、ただ静かに傍にいただろう。

 でも自分の気持ちを主張し、僕に想いを伝えてきた。

 それは明確な恋愛感情がなければできないことだ。

 あるいは本人が恋愛感情だと思っていても、実際は依存である可能性もある。

 でも最近のウィノナを見れば、そんな風に思うことはできなかった。

 ウィノナは十分に一人で考えて、一人で行動し、自分の人生を歩み始めているのだから。

 彼女の言葉は、彼女の本心なのだろう。


 まとめるとこうだ。

 以前のウィノナは自分の意思がなかったが、最近では自立し始めている。

 僕に依存していた傾向はなくなり、憧れや崇敬を超え、対等な立場になりたいと考えていた。

 魔力持ちになりたいという考えは、その気持ちの表れだった。

 その結果、ウィノナは恋愛感情を持ち、僕に告白してきた。

 ウィノナの心情に関して、結論が出た。

 ウィノナは僕に恋している。告白は明確な恋愛感情があってのものだ。

 僕は顔が熱くなるのを感じた。

 自分で勝手に考えて照れるとは。

 そう考えると余計に恥ずかしく思い、枕に顔を埋めて、小さく叫んだ。


「と、とにかく落ち着け、僕!」


 ここまでで僕の感情と二人の感情を考えた。

 恋愛感情という観点で考えると、僕は二人のことを同じくらい好きで、異性として魅力的に思っている。

 マリーは僕のことを異性として見ているのかわからないし、恋愛感情があるかもわからないけど、大事な存在だと思ってくれている。

 ウィノナは僕のことを異性として見ていて、恋愛感情もある。

 現在考えられる判断材料はこれ以上ないだろう。

 残された選択肢は『どちらとも選ぶ』と『どちらとも選ばない』の二つ。

 どうする。

 どちらを選べばいいんだ。

 僕が考えた結論は……。

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