第171話 恋愛相談 2


「おーい、エールくれぇ!」

「あいよぉ」


 僕は客と店員が軽い調子でやり取りをしている様子を横目で見ていた。

 冒険者や一般人、中には兵士らしき人物も食事をしたり、酒を飲んだりしていた。

 心地いい喧騒が鼓膜を震わせる。

 ここは酒場。

 とは言っても昼間なので、どちらかと言えばレストランに近い感じだ。

 こういう場所は夜になると客層が変わり、荒くれ者が増える。

 必然的に荒事が増えるので、僕のような子供やドミニクのような騎士はあまり出入りしない。


 僕とドミニクはテーブル席に着いていた。

 すでに目の前には料理が運ばれている。

 僕が注文したのはヤギ肉のステーキとパン、スープと水だ。

 ドミニクは肉と野菜の炒めものとパンを頼んだらしい。

 この世界の食糧事情は、元の世界と非常に似ている。

 生物は人間、動物、そして魔物がいるが、動物の種類は地球とほぼ同じだ。

 ただ生息する種類は偏っていたり、少なかったりするし、調理方法はかなり雑だったりする。

 まあ、僕は食事にあまり興味がない方だし、食事環境を改善するつもりもないから、出されたものをただ食べるだけだ。


 ちなみに魔物を食べるという文化はない。

 この世界の魔物の大半は、ゴブリンやコボルト、オークの三種類。

 その上、魔物は穢れた存在という印象が強いため、食すという考えがない。

 もしかしたら、中には魔物を食べてみたという人もいるかもしれないけど。

 僕は食べたことがないし、食べたいとも思わない。

 ゴムのように固い肉を咀嚼する。

 美味いとも不味いとも言えない食事だが、お腹は満たせる。

 食事中は二人とも無言だった。

 カチカチという食器の擦過音と喧騒が耳に入る。

 しばらくして食事を終え、ほぼ二人同時にナプキンで口を拭った。


「それで、何があったのですか?」


 食事の終わりを合図としてドミニクが口を開く。

 当然、僕もそうなると予想していたので動揺はない……ないけど迷いはあった。

 正直に話すかそれとも誤魔化すか。

 なんか、いつも僕は誤魔化したり嘘を吐いていたりする気がする。

 だから悩み事が多いのかもしれない。

 ドミニクは薄く笑みを浮かべ、僕を見つめていた。

 彼の瞳は透き通っていて、僕の戸惑いを僅かに氷解させる。

 まだ付き合いはそんなに深くはないけど、ドミニクの人柄はなんとなくわかる。

 話してもいいかもしれない。


「実は――」


 僕はドミニクに悩みを打ち明けた。

 ただし友達の話ということにして。

 まあ、こういう状況で友達の話をした場合、高確率で本人の話なんだけど。

 それはわかっているけど、やはり包み隠さず話すには色々と複雑すぎるし、話していいかわからない要素が多すぎる。

 ある程度フェイクを入れながら、僕はつらつらと話した。


「……なるほど。つまり幼馴染と、最近仲のいい婦女子二人の間で揺れ動いていると」

「揺れ動いているというより、そもそもどうしたらいいかわからないみたいな感じだね」

「私は幼き頃から女性からモテにモテていますから、シオン様……のご友人の心情は理解できませんが」


 さも当然という顔をしているこの男に、殺意を抱いたのは決して悪いことではないだろう。

 しかし、これはある意味では助かったとも言える。

 ドミニクがモテるのならば、助言も期待できそうだ。


「シオン様……のご友人はお二人の女性を嫌っているのですか?」

「まさか。大事な二人だと思っているはずだよ。

 でも幼馴染は家族みたいだし、仲のいい女の子は妹みたいというか……守る対象って感じらしいんだ」

「なるほど。つまり恋愛対象としては見ていないと?」

「それもどうなのかな……わからないらしい。人生で一度も恋をしたことがないから」

「なんと、恋をしたことがない!? それはまた……おかしな人ですね。

 いや変人と言ってもいい。恋をしたことがないなど、人生の大半を知らないことと同義ですよ!

 恋は人生! 愛は幸福! 誰かと恋することは素敵なことですよ」


 ドミニクが、ずいっと顔を近づけてくる。

 迫真の表情に僕はちょっとだけ引いた。


「そ、そうなのかな?」

「そうです! もったいない、ああもったいないです!

 恋をした時のあのときめき、きらめき、ワクワクドキドキ。

 胸を締め付けられる日々、甘酸っぱい時間、触れた時の体温、恋焦がれ、常に共にいたい、しかしそれはできない、そんな切ない想い!

 すべてが日々を彩ってくれるのですよ」

「ド、ドミニクくん? 君、いつもとキャラ違わない?」

「そんなことはどうでもいいじゃありませんか!?

 今は、シオン様……のご友人の話でしょう?」


 シオン様、で一回言葉を切るのやめてくれないかな?

 僕は頬をひくひくと動かした。


「ま、まあ、そ、そうだね」

「とにかく想いを寄せてくれる人がいるならば、応えてあげるべきでしょう!

 嫌いではなく、むしろ好きなのであればなおのこと!

 家族のよう? 妹みたい? そんなのは戯言ですよ!

 共に異性と認識した時点で、そんな世迷言はもう通用しません!

 恋とは理屈ではないんです! 妖精言語の解読や魔法の研究とは違うんですよ!

 心のままに、何も考えず、突っ走るものなのです!」


 もはや鼻がつきそうなほどに顔を近づけてくるドミニク。

 いや、もうくっついている。

 目は少し血走っている。怖い。なんなのこの人。

 いつもの真面目で勤勉な僕の仲間、ドミニク・イェルクを返してくれ。

 ドミニクは急に落ち着くと、席に座りなおした。


「想いを口にする、態度に出す、というのは勇気が必要なことですよ。

 特に婦女子からとなれば、恥ずかしいし怖いはずです。

 もしもその気持ちを蔑ろにした場合、間違いなく相手を傷つけるでしょう。

 懸命に好意をアピールして、しかしすべて無視される。

 それはとても辛いことですよ」


 確かにそうだ。

 僕は理解したつもりになっていたけど、本当の意味ではわかっていなかったのかもしれない。

 でも、仮にウィノナを選んだ場合、子供の頃から僕のことを何よりも優先してくれた姉さんを蔑ろにすることになる。

 姉さんと恋人同士になることはなくとも、他の人と交際することは、やはり姉さんを傷つけることになるんじゃないだろうか。

 じゃあ、姉さんと恋仲になるのか?

 あるいは子供の頃の姉さんとの約束を守り、誰とも結婚せず、付き合わずにずっと一人で生きていくのか?

 それは姉さんを選んだということになるのだろうか。

 その時、僕はウィノナを不幸にしてしまうんだろうか。

 だけど誰かを愛するということはそういうことなのかもしれない。

 愛する人は一人しか選べないのだから。


「……つまり覚悟を決めてどちらかを選べってことだね」

「はい?」


 ドミニクから素っ頓狂な声が返ってきた。

 なんだこの反応。


「え? そ、そういう話だったよね?」

「違いますが?」

「いやいやいや! 熱弁してたよね!?

 想いに応えるべきって! そう言ってたじゃないか!?」

「それは言いましたが、どちらかを選べとは言っていませんよ」


 真顔で首を傾げるドミニクを前に、僕は嫌な予感を感じた。

 こ、ここ、こいつまさかっ!?


「二人とも娶(めと)ればいいのでは??」


 はああああああ!! まったくもって異世界!

 これが異世界だよ、中世的なヨーロッパファンタジー万歳な考えだよ。

 わかってたよ、何となく察してたよ。

 でも考えたくなかったんだよ!


「貴族や王族は一夫多妻が当たり前です。

 中には一妻多夫の方もいらっしゃるくらいですからね。

 シオン様……のご友人は恐らく貴族でしょうから、その幼馴染も、仲のいい女性も恐らくは貴族でしょうね、恐らくはね。

 ということで立場も問題なく、ねんごろになっても体裁は整えられます。

 どちらを正室にするか側室にするかの問題はありますが、お二人を大事に思っているのであればなんとかなるでしょう!」

「ちょ、ちょっと待ってよ。それって不誠実でしょ!

 貴族としてそれが当たり前でも、三人の想いは違うんじゃ」

「では一人選んで一人振りますか?

 それはつまり、一人は不幸になるということでは?

 その方は愛する人が別の人と恋仲になる様子を見せつけられるのですよ?

 あるいは耐え切れず距離を取るかもしれない。それでいいのですか?」

「そ、それはまあ、そうなるけど……。

 そもそも、交際する前にいきなり結婚しろだなんて……」

「交際する必要があるので?」


 はて、という顔をしながら首を傾げるドミニクに、僕は思わず立ち上がってしまう。


「あ、あるでしょ!?

 付き合ってからお互いの人柄を知って、愛を育んでから結婚するんだし!」

「意味がよくわかりませんが。恋愛して結婚しても、結婚して恋愛しても同じでは?

 必ずしも交際する必要はないかと。そもそも大半の貴族は恋愛結婚じゃありませんし」


 そう言えばそういう話を聞いたことがあった。

 しかし僕の両親は恋愛結婚だし、周りに貴族があまりいないので実感がなかった。

 平民の場合は恋愛結婚が多いらしいから、別に僕の考えが異端であるというわけでもないはずだ。


「交際でも結婚でも、どちらでもいいです。

 二人とも選べばいいということは変わりませんからね」

「で、でも二人選んだら、二人とも不満があるでしょ。

 やっぱり、好きな人は一人に決めるべきじゃないかな」

「理解ができませんね。なぜ二人選んだら二人とも不満を持つと?

 なぜ二人とも不幸になるというのです?」

「そ、それは……愛する人が別の人も愛しているわけで」

「その女性自身も愛してもらっているじゃないですか。

 自分だけを愛してほしいと思う気持ちは、確かに誰にでもあります。

 ですが、自分が愛している男性が別の女性も同じように愛しているのに、自分のためにその女性との縁を断ち切らせて満足するような女性が、本当にその男性を愛していると言えるのでしょうか?

 それは愛ではなく、ただの独占欲では?」


 あまりに真っすぐ且つ自信満々に言われると、そうなのかなと思ってしまう。

 とにかく説得力がすごい。


「う、うーん、そ、そうなのかな?」

「世の中には大勢の男女がいます。

 たった一人の運命の相手しかいないという人間は、ほとんどいないでしょう。

 では複数人を同じくらい愛してしまった場合はどうするのです?

 一人だけ選んで他に愛している人を振ると?

 どうやって選ぶのです? 選べないなら全員振るのですか?」


 頭がこんがらがってきた。

 ドミニクの言葉が正しいように思えてきてしまう。


「もちろん二人ともきちんと愛し、幸せにする甲斐性は必要です。

 ですが金銭的、地位的、名誉的に十分な条件を満たしているのであれば問題ないでしょう?」


 ドミニクはさも当然、という顔をしている。

 僕の価値観の半分は地球時代のものだ。

 だから、僕の方がもしかしたら異端なのかもしれない。

 そして、ここは異世界である。

 実際、ドミニクが言っていることはこの世界では常識であり、そういう話は何度も聞いたことがある。

 かといってすんなり受け入れられるはずもなく。

 考えれば考えるほどわけがわからなくなる。

 正直に言えば、逃げ出したい。

 すべての問題を放棄して、魔法研究だけに勤しみたい。

 しかし、そんなことができる性格ではないことは自覚している。


 姉さんもウィノナも大事な人だ。

 だから二人を蔑ろになんてできない。

 頭痛がする。これは恐らく精神的なものだ。

 ああ、魔法研究をしている時は悩んでいてもどこか楽しいのに、恋愛に関してはただただ苦しいだけだ。

 しかしそれは、二人をそれだけ大事に思っているということでもある。


「困ったものですね、シオン様は……。

 やはりシオン様に感情論を説いても効果はないご様子ですし、理屈で考えましょう。

 では、二人にすべてを打ち明けてみてはいかがですか?」

「……う、打ち明けるって?」

「もうすべてです。

 シオン様が悩んでいることや、実際にあったことをすべてぶちまけるのですよ」

「そ、そんなことしたら、二人を傷つけるんじゃ?」

「勝手に一人で考えて、勝手に結論を出したとしましょう。

 私の経験上、こんがらがります。それはもう見事にぐっちゃぐちゃですよ。

 自分の中に明確な答えがある、自信があるというのであれば言う必要はありませんが、そこまで悩むのであれば言ってしまった方がいいでしょう。

 傷つける可能性はありますが、深読みして行動した時の方が大変なことになるでしょう」

「確実に浅く傷つけるか、深く傷つける可能性を抱えたまま行動するか……ってことか」

「どちらが正解というものではありませんが、確実に言えるのは問題を先延ばしにすればするほど、告白してきた女性の傷が深くなるということですね。

 それと、適当に誤魔化すことだけはやらない方がいいですよ」


 ドミニクの言葉に、僕はようやく頭が働くのを感じた。

 感情で考えると自分の感情自体がわからないのだから、問題解決する兆しはなかった。

 けれど理屈で考えれば少しは光明が見える。


「わかった、ありがとうドミニク。考えてみるよ」

「ええ、頑張ってください。

 そのお二人の女性がどなたかはあえて追求しませんが、シオン様は自分が幸せだということを理解した方がいいかと思いますよ。

 おっと、これはご友人の話でしたね」


 にやにやとしながら話すドミニク。

 僕は視線を逸らしながら苦笑を浮かべることしかできなかった。

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