第168話 ウィノナの才能
昼のアルスフィアは比較的に快適な環境だ。
基本的な身の回りの世話はウィノナがしてくれるし、気温も丁度いいし。
最近はウィノナも、メルフィとのやり取りを見ていることが多い。
以前は魔力が見えず、どこか気後れしているところがあったんだけど、魔力持ちになって自信がついたのかもしれない。
今日も今日とて、僕とゴルトバ伯爵、カルラさん、そしてウィノナを加えた四人で、妖精言語で書かれた本を読んでいるメルフィを見ていた。
『魔物が現れたから退治した』
「魔物が現れたから退治した」
メルフィが文字を読み、僕がそれを翻訳し、魔力色が必要な場合は僕が妖精文字に口腔魔力を使って判別する。
伯爵は僕の言葉を聞き、本に記録する。
カルラさんは単語ごとに存在する魔力色の分類をもとに、文字の傾向を調べ、文章としての法則を考える。
そしてウィノナは一連の流れを観察し、魔力関連の操作や魔覚、口腔魔力の練習を一緒にしているという感じだ。
ウィノナには魔覚を習得するのは難しいと思うが、まずはやってみることは大切だ。
本人から言い出したことだし、僕が止める理由はなかった。
「なあ、思ったんだが妖精文字って書く必要があるよな?」
「ええ、文字ですし書かないといけませんね。それがどうかしたんですか?」
「いや、妖精文字を書くことはできても、どの魔力色に反応するかはどう書き分けりゃいいんだ?」
「た、確かにカルラさんの言う通りですね。やはり魔力持ちが書くんでしょうか。
一回試してみます」
「ではシオン先生、こちらをどうぞ!」
ゴルトバ伯爵から、今まで書き連ねてきた妖精文字の本、つまり妖精語辞典を渡された。
それを見ながら、現時点で複数の意味を持つことが確定している単語を紙に書いてみる。
そしてそれぞれの魔力色を持つ口腔魔力を与えてみた。
結果は反応なし。
「……普通に書くとダメみたいですね。
となるとやはり魔力を与えつつ書くのかな。
口腔魔力を出しながら書いてみます」
僕は赤い魔力色の口腔魔力を出しつつ、文字を書いてみた。
赤い魔力色が文字へと向かいそして、吸収されていく。
文字は一瞬だけ赤い魔力色に染まり、すぐに元のインクへと戻った。
これは成功したのだろうか。
僕は試しに、妖精文字に反応するはずのすべての口腔魔力を与えてみた。
反応したのは赤だけだった。
魔力色は一瞬だけ光り、そしてすぐに消えた。
一秒にも満たない時間だっただろう。
「おっ、反応してますね」
「素晴らしいですぞ!
今の反応を見るに、該当の魔力色を出しつつ文字を書くことが必要なようですな!」
「ええ。今の口腔魔力は、魔覚を用いた魔力の調整を行った妖精言語における魔力。
つまり、呪文とは違う口腔魔力ですね」
「妖精文字も妖精口語と同様に魔覚を持っている必要があると。
いやはやこれは中々に難しい。シオン先生にしかこんな芸当はできませんな」
僕は思考を巡らせる。
妖精の口語と文字。両方とも妖精の持つ言語だ。
口語において魔覚を用いた魔力調整や感覚が必要なのであれば、文字を書く際にも同じように魔覚が必要であることは、一見しっくり来る気がする。。
しかし文字も口語も、両方ともが同じ能力が必要だというのはいささか違和感がある。
共通言語の口語では、話し手は基本的に触覚と聴覚を使い、聞き手は聴覚と視覚を使う。
文字においては書き手は視覚と触覚を使い、基本的に読み手は視覚を使うが、点字のようなものは触覚を使う。
僕が何を言いたいかというと、すべて使う感覚が異なるということだ。
口語と文字が存在するのは、その利便性や特徴の違いがあるからだろう。
もしもまったく同じ感覚を用いるなら、複数ある必要はない。
もちろん文字として書き記せるという利点はある。
それに魔力を持たない人間には書けないし読めない、というのはある意味では利点だろう。
だがそれだけの利用方法しかないのだろうか。
これだけ複雑でよくできた言語が、そんな方法でしか書けないのだろうか。
実際、妖精口語を完璧に使うには魔覚は必須だが、しかし伯爵のように見様見真似で口腔魔力の魔力色を生み出しても、片言レベルには話せるのだ。
魔覚はいわば微妙なアクセントの違いを表現する発音能力や、理解するための聞く能力のようなものと考えていいかもしれない。
つまり口語はある程度、汎用性があると言えるだろう。
となると……。
試してみるか。
僕がやってもいいけど、それだと試験的な意味ではやや効果が薄いかな。
「伯爵とウィノナちょっといいですか?」
「何でもご用命あれ、ですぞ!」
「は、はい、なんでしょう?」
「伯爵は魔覚を用いない口腔魔力で、妖精文字を書いてもらえますか?
ウィノナは共通言語を使った口腔魔力、つまり呪文を唱えつつ妖精文字を書いてくれる? 呪文と言っても書く文字と同じ言葉を口にするだけだけど。
……そうですね、どうせなら文章にしましょう。
複数の意味を持つ単語と、単独の意味を持つ単語を含めた文章をお願いします」
二人は大きく頷き、快く了承してくれた。
僕は二人が集中できるように少しだけ離れて見守る。
自然にカルラさんと隣り合った。
「さて、どう出るかねぇ」
「楽しみですね」
「かかか、確かにな!」
カルラさんが嬉しそうに笑う。
この人も伯爵と同じ学者だ。
研究や分析が大好きなんだろうな、僕もだけど。
ウィノナと伯爵が、口から魔力を出しつつ文字を書き始めた。
「朝早く目覚め、朝日を浴びて朝食を食べ、私は幸せを噛みしめた」
ウィノナは共通言語を使い、伯爵は無言のままだ。
しばらくして二人が妖精文字を書き終えた。
僕は二人に近づき文字を確認。
現時点ではどうなったかわからない。
「じゃあ試してみますね」
「は、はい!」
「お願いしますぞ!」
二人がほぼ同時に返答してくれた。
ここまではきはきと答えてくれると気持ちがいい。
僕は二人から渡された妖精文字の書かれた紙を、左右の手に持った。
伯爵の文字はやや荒々しいが、個性的で魅力がある文字だ。
ウィノナはお手本のような綺麗な文字で、まるで教科書の一文のようだった。
まずは伯爵の方から。
僕は文章の頭から一つずつ、単語に含まれるすべての魔力色を放出していった。
魔力色は適した色だけ該当の文字に吸収され、一瞬だけ文字の色が変わり、そしてすぐに消えた。
ほんの一瞬、点滅と言っても差し支えないレベルだったので、瞬きしていたら見逃していただろう。
一応は明滅したので、妖精文字としては読める。
しかし変色時間は非常に短かった。
色々と気にはなるが、ウィノナの文字を見てみよう。
同じように魔力色を一つずつ放つ。
伯爵の書いた妖精文字と同じように、文字は魔力色に染まり色を変えていく。
そこから伯爵の書いた妖精文字との違いが出た。
ウィノナの書いた妖精文字は長時間、魔力色に染まったままだったのだ。
一文を読み、更に数秒間、色は保ったままだった。
恐らく一分以上は色が変わっていただろう。
徐々に薄くなり、やがて元通りのインクに戻った。
圧倒的に僕の時よりも変色している時間が長い。
全員がその違いに気づき、呆気に取られて顔を見合わせた。
「……い、今のは一体? なぜウィノナ殿の魔力色が最も長く色が変わっていたのでしょう?」
ゴルトバ伯爵が動揺してたように言い放った。
誰もが同じことを持っていた。
僕もウィノナも、カルラさんも。
僕は必死で考える。
なぜ僕や伯爵より、ウィノナの方が変色時間が長かったのか。
彼女の魔力は僕や伯爵よりも少ないし、魔力操作もおぼつかない。
しかし、実際に変色時間はウィノナが一番長かった。
これは一体……?
僕は妖精文字を見た。
妖精文字が持つ魔力を微塵も感じ取れない。
そして目を閉じて魔覚で確認しても、やはり妖精文字の魔力は感じない。
しかし妖精文字には間違いなく魔力が含まれている。
そうでなければ妖精文字を書いた後に、魔力色を与えて反応することはないのだ。
だから魔力なり、魔力の反応によって何かしらの変化が文字にあったと考えるべきだ。
ではインクか?
インクに魔力が混じっているとか。
それがたまたまウィノナの魔力と相性が良いとか?
「もしかしたらインクに原因があるかもしれません。
インク以外で文字を書く方法ってありますか?」
「一応、石灰か木炭なら持ってきておりますが」
「試してみましょう」
僕と伯爵、ウィノナは口腔魔力を使い、紙や石に石灰や木炭で妖精文字を書いてみた。
僕は魔覚を用いた口腔魔力、伯爵は魔覚を用いない口腔魔力、ウィノナは呪文で書いた。
結果は同じ。
文字と認識するものであれば魔力色は反応し、そしてウィノナが一番長く変色が持続した。
ちなみに僕や伯爵も呪文を使ってみたが、結果は変わらず、持続時間は短かった。
つまり文字を書く材料は関係なく、ウィノナだけが変色時間を長く持続できるということだ。
「ど、どうして。わ、わたしは何もできないのに。
こ、こんなのはなにかの間違いだと思います」
一日の長がある僕や伯爵よりも、良い結果を出してしまったからか、ウィノナは落ち着きなくおろおろしている。
別に気を遣う必要はないんだけど。
しかし結果が出ているということは、何か原因があるのは間違いない。
確かにウィノナの言う通り、僕や伯爵の方が彼女よりも魔力の扱いは長けている。
魔力調整や魔力量の多さ、魔力色を出す滑らかさなどは秀でているはずだ。
しかし現に僕たちの魔力色では、妖精文字を長く変色させることはできない。
短時間しか色が変わらない場合、読解が難しくなる。
つまりウィノナの書いた妖精文字が、文字としての役割を最も担っているということになる。
ウィノナに天性の才能があるとか?
確かに才能がある可能性はあるけど、現時点で僕や伯爵を超えるものだろうか?
少なくとも、何もせず圧倒的な差が出るほどではないと思う。
つまり、魔力の調整練度や魔力量の多さは原因ではないと考えられる。
練度、練度か……。
僕と伯爵、そしてウィノナの違いは練度の高さ。
ウィノナはまだ魔力持ちになって間もない。
拙いからこそ上手くいったということか?
いや違う。それはちょっと違う気がする。
でも近いような気もする。
僕とウィノナの違い。
ウィノナは魔力の扱いに慣れておらず、魔力が少ない。
魔力が少ない……少ない?
僕は再び妖精文字を書いてみた。
今度は限りなく少ない魔力量で魔力色を放った。
魔力色は文字へと吸い込まれ、ほんの一瞬だけ色に染まる。
妖精文字を書き終えると僕はさっきと同じように、該当する魔力色を持つ口腔魔力を放った。
すると妖精文字が光り出した。
一分ほど発光し続け、ようやく消えた。
「い、今のは長かったですね。これは一体!?」
ウィノナが戸惑っている様子だ。
他の二人も何事かと僕の答えを待っている。
僕は今までの情報を頭で整理しながら口を開いた。
「うん、実は魔力量の【少なさ】が重要みたいだ」
「少なさ、ですかな? 多さではなく?」
厳密には多さも少なさも量そのものを表す言葉でもあるが、この場合は多め少なめという多寡を表している表現だ。
「一見、魔力量が多い方が効果が大きく現れると思いますよね。
僕もそう思っていた。けれどすべてにおいてそれが正しいとは限らない。
過ぎたるは及ばざるが如しとも言います。過剰な魔力量はむしろ邪魔になってしまう。
適した魔力量、つまり想定よりもかなり少ない魔力量が妖精文字の変色には適していた、ということでしょう」
「な、なるほど! ですからわたしの書いた妖精文字は長く色が変わっていたのですね!」
「そうだね。ただ、それだけじゃないかもしれない。
伯爵、今度は魔力量を抑えて妖精文字を書いてもらえますか?」
「承知いたしましたぞ!」
伯爵が意気揚々と妖精文字を書いて、渡してくれた。
再び僕が妖精文字に口腔魔力を与える。
しかし、その文字は十秒も持たず消えてしまった。
「む! 持続時間は延びてはいますが、ウィノナ殿には届きませんでしたな。
可能な限り魔力を少なくしたのですが」
「ええ、さっきのウィノナが出した魔力とほぼ同じくらいでしたね」
「これはどういうことなのでしょうな!?」
伯爵が興奮した様子で、両手の拳を握りながら、ぶんぶんと振った。
わくわくという擬音が聞こえそうな感じだ。
「魔力量だけでなく、魔力の質や種も関係しているんじゃないでしょうか。
以前に話したと思いますが、魔力には種、質、色、量があります。
魔力種はその個人が持つ魔力の個性。
魔力質は魔力の質そのもので、これは魔覚がなければ調整が難しい。
魔力色は感情と意思によって生み出される口腔魔力の分類。
魔力量は魔力の多寡ですね。
魔力種と魔力質は持って生まれたものであり、魔覚を持っていても魔力質自体を大きく変えるのは難しいと思います。
そして魔力色と魔力量は、鍛錬による魔力操作や総魔力量を増やすことで変えることができる。
前者の二つが妖精文字を書く際に重要なのではないかと、僕は考えています」
「つまり持って生まれたもの……それこそ才能ということですな」
「ウィノナには、妖精文字を書く才能があるかもしれませんね」
魔力色の変色時間を延ばすには、魔力量の少なさが原因だった。
しかし、それだけでウィノナのようにできるとは思えない。
彼女は妖精文字を書くことに適した才能を持っていると考えるのが妥当だろう。
僕や伯爵は限りなくウィノナと同じくらいの魔力量に近づけた。
僕は魔覚を用いて、魔力の質を調整し、そしてようやくウィノナと同じような持続時間だったのだ。
自然体で、無意識の内にできたウィノナの方が才能があるということになる。
「わ、わたしに才能が……?」
ウィノナは狼狽えていた。
しかし、しばらくすると少しだけ困ったように笑ったのだ。
気後れや気遣いはあったが、小さな喜びも表情に出ていた。
僕はそんな彼女を見て、嬉しいと思った。
ウィノナはずっと努力してきたのだから。
「じゃあ、今後はウィノナにも作業に参加してもらいましょうか。
カルラさんが分類した文章や単語を、ウィノナに清書してもらうということで。
ウィノナは字が綺麗だし、正式版の妖精語辞典を書いてもらいましょう」
「もちろん異存ありませんぞ」
「アタシもそれで構わねぇぜ。そもそもアタシも伯爵も文字が汚ねぇからよぉ」
「わ、わたしが清書を……ですか?」
「うん、お願いしたいんだけど、どうかな?」
ウィノナは不安そうにしていた。
今までは見物程度の立ち位置だったのに、いきなり大役を任されたのだ。緊張して当然だ。
いきなり大抜擢されて、喜ぶか怖がるかは人による。
ウィノナは気弱で後ろ向きだった。
だから、怖くて不安でしょうがないだろう。
でも、今の彼女は昔の彼女とは違う。
「や、やります! やらせてください!」
ウィノナは怯えながらも前に進んだ。
瞳には闘志が宿っている。
やる気に満ちた表情に、僕は思わず相好を崩した。
「ありがとう、お願いするよ、ウィノナ」
「は、はい! 絶対にやり遂げます!」
ウィノナは嬉しそうに何度も何度も頷いた。
「では、これをウィノナ殿!」
伯爵が鞄から取り出した蔵書を、ウィノナに渡した。
中は白紙で、まだ何も書かれていない。
つまり妖精語辞典正式版だ。
ウィノナは辞典をぎゅっと胸に抱き、噛み締めるように目を閉じた。
そして長いまつ毛を揺らしながら目を開け、満面の笑みを浮かべた。
「頑張りますね、シオン様」
今までにないほど、微塵の淀みもない晴れやかな笑顔だった。
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