第164話 解読 1


 気絶したドミニクはテントに休ませて、全員が持ち場に着いた。

 僕と伯爵、カルラさんは車座になり、中央には伯爵がカルラさんに渡した、妖精の村で見つけた本が置かれている。

 中を開くと、何が書いているのかまったくわからない。

 ミミズ文字みたいな感じだ。いや、ローマ字っぽくもあるのだろうか。

 とにかく見たことがない文字であることは間違いない。


「古代言語であることは間違いねぇ。けど見たことがない文字だな」

 伯爵がもしゃもしゃと髭を触りながら、口を開いた。

「それで、解読はどこまで進んだのだ?」

「まったくだな」

「ま、まったく!? 一つもわからなかったってことですか?」

「ああ。既存の言語や文字列に照らし合わせたり、形そのものを解読したり、文字を入れ替えたり色々してみたけど、まったくわからなかった」


 事も無げに言い放つカルラさん。

 若干の動揺を覚えた僕だったけど、数秒で冷静を取り戻した。

 伯爵も落ち着いた様子だった。多分、僕と同じ心情なのだろう。

 カルラさんが何もしなかったわけでも、能力がないわけでもない。

 伯爵の信頼している人なのだから、当たり前だ。

 では、なぜまったくわからないのか。

 それはこの古代言語が、非常に特殊な言語だからだ。


「通常の言語とは構造が違う、ということでしょうか?」

「ここまで調べてまったく掠りもしないってことはそうだろうなぁ。

 大体は何か似てるとか、法則とか少しはわかるもんだ。

 言語構造なんざ少なからず法則があるし、そうじゃなきゃ言語にならねぇからな。

 けどそれがまったくない。ということは通常の言語とは違う法則で作られてるって考えるのが妥当だろうよ」

「妖精の村で見つけた本ですからな。

 人間言語のように文字と並び、一定の法則で成り立っているわけではない、と考えても不思議はありませんな」

「つまり妖精言語を文字にしたもの、というのが妥当な線でしょうか」

「あるいは妖精に近しい何者かが書いたもの、ですかな」

「妖精が書いたにしちゃ文字も本もでけぇからな。

 後者が近いと判断するべきだろうよ」

「あ、じゃあ、メルフィに読んでもらうのはどうです?」

「おお、そうですな。それは名案です」

「確かに試す価値ありだな。頼んでみてくれ」


 僕は肩に座っているメルフィを見た。

 まだ少しカルラさんに怯えているが、慣れてきたようで隠れる様子はない。

 やや暇そうにしていたメルフィに、僕は妖精言語で話しかけた。


『メルフィ、お願いがあるんだけど。

 この本の文字って読める?』

『文字? 読んでみるね!』


 メルフィが嬉しそうに僕の周りを飛び回った後、本の上に着地した。

 一文字一文字がメルフィの顔くらいある。

 メルフィはぺたんと本に座り、一生懸命文字を見ていた。

 数分ほどそうしていたが、突然メルフィは飛び上がり、僕の眼前に止まった。

 そして両手を広げて、僕にアピールする。


『なんか、お腹が空いたとか、お料理の作り方とか書いてある!』


 僕はそのままの言葉を二人に伝えた。


「――ということは誰かの日記でしょうか?」

「そうなるな。しかも腹が減ったとか、料理の作り方が書かれているってことは……」

「これは【妖精以外の生物が書いたもの】ですね」


 妖精は食事をしない。当然、料理もしない。

 彼女たちに必要なものは綺麗な水だけだ。

 つまりこの日記は妖精以外の誰かが書いたということ。


「魔物にここまで知性があるとは思えねぇ……とすると人間か?」

「ふむぅ、確かに言語を操る魔物はおりませんな」


 いや、いる。

 正確には魔物ではなく、魔族だけど。

 しかし僕はその言葉を飲み込んだ。

 魔族がいるかどうかの問答になりそうだったからだ。

 魔族の存在は噂にはなっているが、いまだに事実として語られてはいない。

 今は、そこに言及するのはよそう。


「それじゃ、この日記を人間が書いてるとしましょう。

 その人は妖精の村に住んでいた。だから人間サイズの家があった、という可能性は高くなりましたね。

 ただその人が書いたかどうかは確定ではありませんが。

 ひとまずその人が書いたと仮定しましょうか」


 誰かの日記をたまたま持っていたという可能性もある。

 実際に僕たちも他者の日記を手に入れているわけだし。

 しかしそれを確かめる術はないため、ひとまずは住人が日記を書いたと仮定した方がいいだろう。


「そうですな。妖精の村には妖精サイズの家々がありました。

 わざわざ人間サイズの家を作る必要はありますまい」

「妖精と住んでいた人間……そいつが書いた文字は共通言語でも、アタシが知る古代文字でもない、か。

 古代言語に関してはまだ見つかってないもんもあるだろうさ。

 つまりこれが未発見の古代文字って可能性はあるな」

「他の可能性もあるんですか?」

「例えば、自分で作った言語とかな」


 カルラさんの言葉に僕はギクリとした。

 昔、自分で考えた文字とか言葉とか呪文とかあったな。

 魔法を使うために考えたんだけど。

 ……誰だってやるよね?


「まあ、それにしては言語としての体裁を保っているから、ないとは思うがよぉ。

 そこの妖精が読めたんだから、その証左にもなんだろ」

「確かにそうですね。あ、そうだ。ちょっとメルフィに色々と聞いてみます。

 ずっと妖精言語の解析ばかりしてたんで、妖精の村のこととか聞きたいし」

「おお、そういえばそうですな! すっかり忘れておりました!」

「て、てめぇらなぁ。のめり込みすぎだろ……気持ちはわかっけどな」


 メルフィとお話しして、言葉を記録して、口腔魔力の放出の練習をして、みたいなことをずっとしていたからなぁ。

 妖精のことや村に関して聞くのを、すっかり忘れてた。

 一つのことに没頭すると、他のことに目がいかなくなるのは僕の悪い癖だ。

 僕たちの、かもしれないけど。

 僕は手のひらに乗っているメルフィを見つめた。

 彼女を僕の目線まで持ってきて、話しかける。


『メルフィ、この本って誰が書いたの?』


 メルフィはビクッとして、わたわたと慌て始めた。

 彼女にしては珍しい反応だ。

 いつもは無邪気に笑って答えてくれるのに。

 明らかに動揺している。


『し、しし、し、知ーらなーい!』


 知ってる。これは間違いなく知ってる。

 しかし、追求するのは憚られた。

 今までずっとメルフィは僕たちに協力してくれたんだ。

 何の見返りもなく、ただ楽しそうにして話してくれたし、一緒にいてくれた。

 そんな彼女にこれ以上求めるのは図々しいにもほどがある。

 一度助けたことで恩を着せるなんてこともしたくないし。

 妖精たちの脅威である魔物も排除できていないし。

 とにかくメルフィを困らせたくなかった僕は、話題を変えることにした。


『じゃあ、あの妖精の村。あれはどうやってできたの?』

『し、知らない!』

『妖精の村は他にもあるの?』

『メルフィ、知らないもん!』

『もしかして妖精が魔力を生み出しているのかな?』

『魔力? わ、わかんない!』

『ほら、僕が出してるこれ』


 魔力を放出して、魔力という言葉が何を意味するのか伝えた。

 メルフィはぎょっとして、おおげさに首を横に振った。


『知らない! 知らないんだもん!!』


 あわあわしながら、目を白黒させるメルフィ。

 その様子は可愛らしいが、同時に罪悪感を僕に抱かせた。


「どうでしたかな?」

「どうやら妖精や魔力に関することが話せないみたいですね。

 すべて知らないと言っています」

「話せない……つまり知ってはいると?」

「そんな感じの反応です。話せない理由があるんでしょうね」

「理由ねぇ。誰かに口封じされてんのか? その日記の持ち主とか」


 ありえなくはない。

 だがその持ち主が、もしも人間ではなく魔族だったら。

 妖精は魔族と共に住んでいたことになる。

 もしもそれが事実だとしたら。

 妖精が魔族と近しい存在だとしたら、僕たちの敵になるということなのだろうか。

 そんなことは考えたくない。

 メルフィや他の妖精に害意があるとは到底思えなかった。

 それに、僕はメルフィを友達だと思っている。

 魔族と同じだとは考えたくない。

 そう、きっと人間だ。

 妖精と一緒にいたのは人間なんだと思う。

 今はそう思うことにしよう。


「しかし困りましたな。メルフィに聞きたいことの大半は妖精に関すること。

 この様子では情報を得ることは難しいですぞ」

「妖精言語の解読をしても、この古代文字を理解することは無理だろうなぁ。

 お、そうだ。この文字が妖精言語なのかどうか聞くのはどうだ?」

「いいですね、聞いてみます」


 僕は不安そうにしているメルフィに再び話しかけた。


『メルフィ。この文字って妖精が使っている言葉を文字にしたものなのかな?』


 メルフィは困惑しながら、何かを考えていた。

 しばらく思考していたが、メルフィは緩慢に頷いた。


「おお、頷きましたな! つまり、これは妖精言語であると!」

「そうみたいです。これは直接妖精に関わることじゃないから答えてくれたのかな?」

「とにかく、これで少しは進展があったじゃねぇか!

 で、次はどうする!? どうすんだよ!?」


 興奮気味の三人である。

 三人とも興味がある分野なのだから仕方がない。


「そ、そうですね。とにかくメルフィに色々と読んでもらいましょうか。

 さっきは文字を読んでくれましたし、妖精言語を教えることは問題ないみたいですからね。

 大変ですが、メルフィには一つ一つの意味を教えてもらいましょう」

「そうですな! 儂もそう思いますぞ! では儂は引き続き記録を!」

「アタシは文字列を考えるぜ。どんな言語も文字列や文脈によって言葉を表すからよぉ!

 一つ一つの意味がわかりゃ、必ず意味と法則が導き出せるはずだぜ!」


 僕は二人に首肯を返す。

 メルフィはまだ少し不安そうだった。

 メルフィには悪いけど、再び付き合ってもらおう。


『お願いがあるんだけど、本の文字を読んでいってほしいんだ』

『文字? うん、それならいいよ!』

『よかった、ありがとう』


 本当にいい子だ。

 愛嬌もあるし、素直だし、好奇心旺盛で、優しい。

 彼女がいるおかげで、僕たちは様々なことを知れたのだ。

 メルフィには恩がある。

 魔物から守るのは当然として、魔物を討伐することは必須だ。

 他にも、何かお礼をしよう。


『じゃあ、どこを読む?』

『そうだね、どのページにしようかな』


 さきほどの続きでもいいけど、僕には気になっている部分があった。

 日本語で『地球』と書かれていたページだ。

 僕は逡巡しつつも、該当のページを開いた。


『こ、このページ読める?』


 メルフィは再び本の上に座り込み、文字を読み始めた。


『これって』


 メルフィの次の言葉を聞き、僕に緊張が走った。


『……ごめん、シオン』


 メルフィは小さな体を更に小さくしてしゅんとしていた。

 予想はしていた。

 だから落胆はなかった。


『こっちこそごめんね。じゃあ、さっきのページを読んでくれる?』

『うん。それなら大丈夫!』


 メルフィはぎゅっと両手を握って笑みを返してくれた。

 妖精文字がわかれば、その内、読めるはずだ。

 それまでお預け、ということか。

 妖精や魔力、言語に関して、研究は間違いなく進んでいる。

 だから僕は落ち込んでなんかなかった。

 むしろ楽しい。

 楽しすぎる!

 こんなに次々の謎が解明されて、開発が進むなんて考えてもなかった。

 ああ、こんな時間がずっと続けばいいのに。


「うへ、うへへへ……」

「うお!? な、なんだこいつぅ!? やべぇぞ、顔が!」

「シオン先生に失礼だぞ、カルラ! 素晴らしいご尊顔ではないか!!

 ほら、あんなに楽しそうにしているのだぞ!?」

「そ、そうかぁ? ま、まあ、楽しそうだけどよぉ」


 僕の頬は緩みっぱなしだった。

 口角は上がったまま動く気配がない。

 この楽しい時間がもっともっと続きますように。

 そう思いながら、僕はメルフィの言葉を聞いていた。

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