第161話 カルラ・アッカーマン

 ガンガンガンというけたたましい音で僕は目を覚ました。

 ベッドから跳ね起きて、雷火を装着して音の出所へと向かう。

 伯爵家の玄関が何者かに叩かれていたようだ。


「オラオラ、開けやがれ!!」


 怒号が外から響いてくる。

 外に人がいることは間違いない。

 声は妙にドスが効いているが、どうやら女性のようだ。


「さっさと開けねぇと、この扉ぶっ壊しちまうぞっ!!」


 荒々しい言葉遣い、乱暴な行動。

 これは間違いない。関わってはいけない人種だ。


「な、なにが起きてるんです!?」

「……朝っぱらからなんなのよ、まったく」


 ウィノナや姉さん、そして伯爵が遅れてやってきた。

 全員、寝巻のままだった。

 まだ日が昇って間もないくらいの時間だから当然だろう。

 ほの暗い外の様子が窓から見える。

 ガンガンガン。

 いまだに玄関の扉は、けたたましく鳴っている。


「ご、強盗でしょうか?」

「だったら斬るしかないわね」


 ウィノナは怯え、姉さんは臨戦態勢。

 どっちにしてもこのままじゃいられない。

 開けるしかなさそうだ。

 僕は意を決して玄関に近づいた。


「オラ! 開けろってんだよ! アタシが来てやったんだぞ、コルゥアッ!!」


 怖いから巻き舌を辞めて欲しい。

 僕は生唾を飲み込み、そして一気に玄関を開けた。


「開けろ開け、ぐわああああっ!!!」


 勢いよく開けた扉から、何者かがゴロゴロと転がって出てきた。

 そのまま転がり続け、後方の姉さんたちの横を通り抜け、壁に激突。

 ドンという音を鳴らすと、ようやく止まった。


「うぎゅぅ……」


 小さく声を漏らした、丸まった人物。

 壁際に大の字で倒れている。

 僕たちは恐る恐る近づき、様子を探った。

 女性だ。しかも大柄の。多分180センチくらいある。

 妙に露出が激しい。上半身はビキニの水着くらいの布面積しかなく、たわわな胸をギリギリ隠している。

 もうほとんど胸が見えている。ついでにへそも腋も丸見えだ。

 下半身は短いパンツを履いていて、色々と装飾があった。

 短めの髪のせいか、男勝りに見えるが、格好があまりに女性然としていてギャップがある。

 ボーイッシュという奴だろうか。

 大きな鞄を背負っていたらしく、中身がそこかしこに散乱してしまっている。

 落ちているのは大量の本やペン、紙だ。

 持ち物も気になるが、まずは人物を優先しよう。


「あ、あの大丈夫ですかぁ?」


 僕がおずおずと聞くと、女性はぷるぷると震えた。

 シバリングだろうか。なんだか怖い。


「ひっ!」


 ウィノナが悲鳴を漏らし、僕の肩にくっついてきた。

 柔らかい感触が伝わり、思わず心臓が一鳴りする。

 ドキドキし始めた心臓を、僕は内心で叱咤した。

 いや、今はそんな場合じゃないから!

 大柄の女性は緩慢に立ち上がった。

 立つと余計にでかく見える。

 そして女性は僕に人差し指を向けた。


「てめぇ、いきなり開けたら危ないだろうが!! ああ!?」


 ズビシッと音が鳴りそうなほどの勢いだった。

 僕は反射的に頭を下げる


「ご、ごめんなさい」

「謝りゃ許す! 気をつけやがれ!」


 ふんすと鼻息を漏らして、腕を組む女性。

 なぜこんなに偉そうなのだろうか。

 謎だけど、許してくれたのでいいか。

 女性は我に返ったように目を見開き、そして床に散らばった荷物をそそくさと鞄に直し始めた。


「ったく、仕事道具が汚れちまうだろうが……ぶつぶつ」


 何やら独り言を漏らしながら、テキパキと荷物を鞄に入れていた。

 僕たちは顔を見合わせ、その様子を見守ることしかできない。

 すべての荷物を直し終えると、女性は鞄を背負って仁王立ちする。


「アタシは、カルラ・アッカーマン! メディフ一、いや世界一の言語学者だぜ!!」


 ふふんと得意気に言い放つ、カルラさん。

 年齢は多分二十代半ばといったところだろうか。

 釣り目できつめの印象を与えてくる顔立ちだが、かなり整っている。

 身体の大きさや容姿から、かなり男勝りな印象が強いけど。

 しかし本当にでかいな。色々と。


「あーー!! おい、ゴルトバ! てめぇ、人に依頼しておいて放置すんじゃねぇぞコルゥア!!」

「依頼? ということはこの人が、ゴルトバ伯爵が古代文字の解読を依頼していた、言語学者さんですか?」

「え、ええ、まあ……あまり関わりたくはなかったのですが」

「おいおい! 人に頼んでおいてその態度はねぇんじゃねぇのか!?

 アタシがわざわざ来てやったんだぞ、コラ!」


 コラコラ言うのやめなさい、コラ!

 なんとも豪快というか、粗暴というか。

 ちょっと絡みづらい人だ。

 伯爵がこそこそと僕に耳打ちしてきた。


「こやつは悪い人間ではありませんし、信用は出来るのですが、実際に関わるのはちょっと面倒でして……」

「面倒、ですか?」

「……いずれわかります」

「おい、おーい! こそこそ話すなぁ! 人前でそういうことするといけないってお母さんに言われなかったか!?」

「あの、ところで」

「不自然に会話ぶった切るんじゃねぇよ! なんだよ!?」

「もしかしてあなたが王から派遣された学者、ですか?」

「おうよ! なんかよくわかんねぇけど、妖精言語の解読を手伝えって言われてな!

 ってか面白そうなことしてやがんのに、なんでアタシに声かけねぇんだよ!」


 伯爵はもしゃもしゃと髭をいじりながら、明後日の方向を見た。

 そのままポケーと口を開き。


「あぁ? なんだってぇ?」


 あ、これ知らぬ存ぜぬ、おじいちゃんボケちゃった演技で逃げるつもりだ。

 伯爵はまだまだ現役だ。

 ボケの気配など微塵もないのだが。

 というかこういうことするんだな、この人。


「ちぃっ! また、それか。困ったらすぐする、それ! 

 ああ、もういい。とにかく、今日からアタシが参加するから、よろしく頼むぜ!」

「よろしくお願いします。僕はシオン・オーンスタインです」

「マリアンヌ・オーンスタイン。シオンの姉よ。マリーでいいわ」

「ウィノナ・オロフです……シ、シオン様の侍女をしております」


 カルラさんは豪快に、にっと笑うと大きく頷いた。

 肩越しに振り返ると伯爵はまだボケ老人の振りをしていた。

 姉さんは肩を竦め、ウィノナは目を白黒している。

 ……不安だ。


  ●〇●〇


 僕たちはカルラさんを連れて妖精の森、アルスフィアにやってきた。

 面子は僕、姉さん、ウィノナ、伯爵、カルラさん、ドミニクに近衛騎士数名だ。

 カルラさんと騎士数名が途中参加した感じだ。

 まあ、騎士たちはお目付け役なんだろう。

 彼らは元々ドミニクの部下だった人たちだ。

 道中かなり気まずそうにしていたから、恐らく彼らが王に情報を漏らした人達っぽい。

 むしろ黙っていてもらったのは僕たちの方だし、非はこちらにあるんだけど。

 空気が重い。

 沈黙が辺りを占めている。

 これはまずい。

 少なくともこのメンバーでしばらく行動するのだ。

 仲違いしているわけではないけど、あまり好ましい感じではない。

 さてどうしようかと考えていたら、姉さんが口火を切った。


「ねえ、なんで学者が一人なの?」

「あ? なんでってなんだぁ? 何か問題でもあんのか?」

「こっちとしては問題ないわよ。でも、そっちには問題あるんじゃないの? 王様の口ぶりだと、もっと人数を寄越すと思ってたのに」

「知らねぇよ。アタシは命令されただけで、事情まで知らされてねぇ。

 ま、なにやらかしたかは想像がつくけどよ。どうせゴルトバが暴走して無茶したんだろ」

「ま、暴走してるのはもう一人いるけどね」


 姉さんが僕を一瞥すると、僕はにへらと笑った。

 姉さんはしょうがないな、という顔をして苦笑した。

 せっかく会話が始まったんだ、このタイミングで参加しよう。


「どこまで聞いているんですか?」

「あ? あー、まあ、アルスフィアに魔物が出たってこと。

 妖精の住処を見つけたってこと。

 妖精に言語があって、それを解析している最中ってこと。

 怠惰病治療にも使ってる魔力っての? その研究も進んだってこと。

 あとは、妖精の住処に古代文字で書かれた本があったってことだな。これはアタシに依頼されてたから現物は持ってきてる。

 妖精のものってのは知らなかったけどなぁ?」


 伯爵は知らぬ存ぜぬモードを継続中だ。

 中々に曲者である。

 まあ、正直にすべて話すとこじれそうだから、伯爵の行動を諫めるつもりはない。

 同じ立場だったら、僕も同じことをしていたと思うし。

 相手との関係性にもよるけども。


「本心で言えば、話半分だな。

 魔力ってのも見えねぇしよくわかんねぇ。

 妖精の住処ってのも本当にあったのかよ?

 ずっと見つからなかったんだぜ」

「見ればわかりますよ」

「ふん、嘘だったらただじゃおかねぇぞ」


 彼女のがっちりした身体を見るに、本当にただじゃ済まなそうだ。

 しかしなんであんなに露出した姿をしているのだろうか。

 まあ、さすがに聞けないけど。


「ねぇ、ずっと気になってたんだけど、なんでそんな格好してるのよ」


 聞いた人が隣にいました。

 さすが姉さん、壁をあっさり乗り越える人だ!

 しかしその質問、かなり踏み込んでいるが大丈夫だろうか。

 僕の不安は杞憂だったようで、カルラさんは気にしていない様子だった。


「動きやすいから」

「……それだけ?」

「言語学者ってのは森とか山、洞窟とかに行くこともあるんだぜ。

 古代文字なんてご丁寧に本にだけ書かれているわけじゃねぇ。

 石板やら壁画やら、色んなもんに書かれてるからよ。

 ま、別に古代文字だけが専門じゃねぇけど。共通言語も古い言葉は沢山あるからな」


 共通言語とは僕たち人間が使っている言語のことだ。


「こういった場所に来る時にひらひらした格好なんてしてみろ。

 なんかにひっかかるわ、破れるわ、動きにくいわで大変だろうが」

「ふーん。でも、肌を出した方が危ないじゃない?」

「大丈夫だ。鍛えてるからな!」


 脳筋である。完全な脳みそ筋肉でできている人間の理論である。

 恐ろしい。しかし妙に説得力があった。


「……あたしももっと軽装にした方がいいかしら」

「おう、そうしろ。もっと身軽になりゃ動きやすいぜ」


 姉さんは自分の服を見下ろしながら、唇を尖らせていた。

 いやいや、何を葛藤してるのさ。

 現状でも十分身軽じゃないか。

 スカート姿で、動き回るとひらひら動くのがたまに気になっていたけど。

 これ以上、露出したらどうなってしまうのだろうか。

 カルラさんと同じ格好を姉さんがする?

 思わず想像してしまった。

 あかん。


「姉さんは今のままが一番いいから! そのままでいようよ!」

「そう? うーん、シオンが言うなら」


 まったく恐ろしい。

 なんて提案をするんだこの人は。

 歩く度に胸がぷるんぷるん動いて、露出した太ももをちらつかせるような恰好を姉さんにさせるわけにはいかない。


「ちっ、仲間が増えると思ったのによ」


 なんと恐ろしい策略を練るのだ。

 自分の姉がある日突然、露出度の高い服を着て、町中を歩き始めたことを想像してみて欲しい。

 羞恥心半分、自分の家族を見られることへの恐ろしさ半分だろう。

 ちょっと見てみたいなとか、まったく思っていない。


「皆さま、そろそろ着きます」


 先頭を歩いていたドミニクの声が響いた。

 開けた場所に出ると、いつものようにメルフィが飛んできた。


『待ってたよ、シオン!』


 メルフィの口腔魔力が視界に広がる。


『お待たせ、メルフィ。今日は新しい人がいるんだ』


 ほぼ完ぺきな妖精言語だ。

 日常会話程度だから、できる芸当なんだけど。

 メルフィはこてんと首を傾げて、カルラさんを見つけた。

 びくんと震えて、慌てて僕の後ろに隠れる。


『おっきぃ……オークみたい……』


 僕と伯爵は思わず吹き出しそうになったが、ギリギリで踏みとどまった。

 他のみんなには、メルフィが何を言っているかはまったくわかっていない。


「よ、妖精が懐いてる……そ、それに何か今話してたか!?

 いや、何も聞こえなったから勘違いか……? と、とにかく妖精が懐くなんて珍しいぜ。

 って、別にアタシは妖精学者じゃないから別にどうでもいいんだけどよ!」


 とか言いながら興味津々という感じで、ちらちらとメルフィを見ていた。

 ふむ、この人、もしかして妖精好きか?

 メルフィが恐る恐る僕の肩に隠れながら、頭だけぴょこんと出してカルラを観察している。

 その様子を、目を輝かせながらカルラは見ていたが、すぐに我に返ったように視線を逸らした。


「と、とにかく妖精言語を解析してるってのは事実だったぽいな。

 ここまで妖精と仲良くなってるんだし……。

 そ、それで、妖精の村ってのはどこなんだよ? あ、あんのか?

 本当に、あんだな? ど、どこにあんだよ?」


 完全にそわそわしだしたカルラさんを見て、僕はほんの少し親近感を抱いた。

 それぞれ性格が違っても、学者っていう生き物はみんな同じなのかもしれない。

 もっと知りたい。その感情に突き動かされているのだ。

 そんなことを考えながら、僕は魔力を使い、妖精の住処への道を開いた。

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