第157話 告白

 僕は天井を見上げていた。

 いつもならふかふかで寝心地のいいベッドが、今日に限っては妙に固く感じられた。


「一睡もできなかった……」


 どんよりとした思考の中、昨日のことを思い出す。

 妖精祭で姉さんとウィノナ、三人で過ごした。

 姉さんに首飾りをプレゼントし、喜んでもらった。

 あの笑顔。今まで一度も見たことがない、異性を意識させるほどの魅力的な表情だった。


 ウィノナにはリボンをプレゼントした。

 彼女との付き合いはまだ短いけど、新しい顔を見せてくれた。

 いつもおどおどしていたのに、素直に気持ちを言葉にしてくれる。

 その勇気が、思いもよらない方向に作用した。

 告白されたのだ。

 ガバッと布団を頭まで被って、僕は声を漏らした。


「うおおおっ……!」


 気恥ずかしさと嬉しさと何やらよくわからない感情が胸に広がる。

 混乱という言葉が最も正しい表現だろう。

 ウィノナからの好意は感じていた。

 しかしそれは感謝や憧れからの感情だと思っていたのだ。

 父親に命令され、苦しい日々を送っていたウィノナを助けた恩人への思いだと思っていたのだ。

 それがまさか あんなにまっすぐに想いを口にするとは考えもしなかった。


「うがああああ!!」


 あの時のことを思い出すだけで恥ずかしい。

 恥ずかしいのはウィノナに対してじゃない、自分に対してだ。

 好意を伝えてくれたことは嬉しい。本当に嬉しい。そもそも告白されたのは初めてだし。

 まあ、姉さんにそれっぽいことを言われたことはあるけど、あれは幼い頃だったし。

 転生前は、そういうのは一切なかった。

 それはいいんだそれは。

 とにかく、初めて告白されて、僕は有頂天になり、浮足立ち、そして頭を抱えてベッドの中でゴロゴロと転がっていたのだ。

 最早自分の感情もわからない。

 誰か教えてくれ!


「うおおおおお……はぁはぁはぁ!!」


 ひとしきりゴロゴロすると少しだけ落ち着いた。

 告白なんてとんでもない勇気が必要だ。

 しかもウィノナは気弱な性格。

 それなのに健気にも告白してくれた。

 簡単なことじゃないことは、想像できた。

 その想いに、僕も真摯に応えなくてはいけない。

 しかし、自分がどうしたいのかもわからない。

 ウィノナのことは好きだ。

 でも異性として好きかと言われれば、正直わからない。

 助けたい、守りたい、一緒にいたいと思う。

 それが友情なのか愛情なのかの判断がつかないのだ。

 そんなことがわかれば、僕はとっくに童貞を卒業している。

 交際経験や恋愛経験のない僕に、女心や自分の恋心なんてわかりゃしないのだ。


 僕はベッドから飛び降りて、寝巻から着替えた。

 ここでうだうだしていても始まらない。

 昨日起こったことは告白だけじゃない。

 ウィノナはついに口腔魔力を放出できたのだ。

 そして僕も口腔魔力を活用した【呪文】を閃いた。

 色々なことがあり、まだ頭の整理ができていないけども。

 ああ、考えることが多すぎる。

 僕は頭を抱えつつ、部屋を出た。


「きゃっ!」

「うわっ!」


 扉を開けると、ウィノナが立っていた。

 互いに驚いて少しだけのけ反ってしまう。

 数秒間の沈黙。

 そしてなぜか身なりを整えながら、姿勢を整えた。


「お、おはよう、ウィノナ」

「お、おお、お、おはよう、ございます。シオン様」

「た、体調はどう? 魔力が枯渇して気絶しちゃったから、私室に運んだんだけど」

「そ、そうだったんですね。だ、大丈夫です。なんとか、その、ぶ、無事です」


 まともに目を合わせられない二人。

 ああ、むず痒い! 背中がむず痒い!

 お腹の奥がきゅぅっとなって、言いようのない感情に体が支配される。

 もう何がなんだかわからない。

 ただ顔が赤いことと、視線があちこちをさまよっていることだけはわかる。

 ちらっとウィノナを見ると、同じような状況だった。

 告白した側とされた側。

 きっと心境は近いものがあるのだろう。

 鼓動が早くなり、思考はぐちゃぐちゃになっていく。

 これは恋なのか。

 はたまた単なる動揺なのか。

 ウィノナの髪にはプレゼントしたリボンをつけられていた。

 嬉しいのに少し恥ずかしかった。


「そ、そのリボン、つけてくれたんだ」

「は、はい。嬉しくて何回も鏡で見てしまいました」


 ウィノナは確かめるように何度もリボンを触った。

 その仕草が本当に嬉しいと言っているように見えて、僕も嬉しくなってしまう。

 不意にウィノナと目が合ってしまう。

 しかしほぼ同時に僕たちは目を逸らした。


「ちょ、朝食の用意ができております……こ、こちらへ」

「あ、うん。あ、ありがとう」


 焦った様子のウィノナが案内してくれた。

 これもいつものことだ。

 ウィノナは朝早く朝食の準備をしてくれている。

 ここはゴルトバ伯爵家なんだけど、侍女がいない分、ウィノナが家事をしてくれることが多い。

 伯爵家は広い。そのためウィノナ一人で家事をするのは荷が重いし、ゴルトバ伯爵もさすがにそれは申し訳ないと断ってきた。

 そのためウィノナがしてくれているのは、伯爵家での朝食と僕の身の回りの世話、あとはアルスフィアでの食事の準備などだ。

 もちろんちゃんとお給金は出しているし、休みも与えている。

 とはいえほとんどお金は使っていないみたいだし、休みも返上してしまうんだけども。

 食事室、つまりダイニングに到着すると、すでに姉さんやゴルトバ伯爵が椅子に座っていた。


「おはよ、シオン」

「おお、おはようございます。シオン先生!」


 笑顔の二人が迎えてくれた。


「うん、おはよう、二人とも」


 僕も笑顔で返すと、食卓についた。

 ダイニングテーブルは六人が座れる程度の広さしかない。

 館の大きさに比べてかなり小さめだが、伯爵曰く「客を迎えることはあまりないですし、食事を離れてするなんて意味がありませんぞ!」とのこと。

 僕としても無駄にでかいテーブルで食事をするなんて、落ち着かないので助かる。

 ウィノナはせっせと食事を運んできてくれている。

 思わずウィノナの動向を横目で確認してしまう。

 ウィノナも僕を気にしてか、ちらちらとこちらを見ているようだった。

 むずむずする、この気持ちはなんだろうか。

 僕は頭を振って、邪念を振り払おうとした。

 落ち着け僕、落ち着くんだ。


 そんな中、不意に正面に座っている姉さんと目が合った。

 しまった、僕の奇行を見られたか!?

 姉さんは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。

 そして考え事をするように視線を上に向けると、再び僕を見た。

 にっと笑い、懐に入っていた青い首飾りを出してくる。

 最近では見なかった、姉さんの子供っぽくも無垢な所作がなんだか嬉しく感じた。

 僕は笑みを返して、小さく頷いた。

 満足したのか、姉さんは首飾りを再び服の中に戻す。

 普段は表に見えないようにしているようだ。

 まあ、僕も以前姉さんに貰った首飾りは服の中にしまっているけど。

 姉さんはテーブルに肘をつき、頬杖をついた。

 にひっと笑い、僕を見ている。


「ど、どうしたの?」

「んー? 別に。なんでもないわよ」


 なんでもないと言いながらも、なにかありそうな笑みを浮かべている。

 悪戯っぽい感じではない。

 相好を崩している。つまり嬉しそうだ。

 にまにま、という感じで笑っている。

 昨日のことを思い出しているのだろうか。

 そう考えると、なんだか気恥ずかしい。


 最近の姉さんは、以前に比べて大人しい感じだった。

 昔はもっと明るく、純粋で、真っすぐだった。

 でも今は年相応に落ち着き、大人びで、少女から女性に変わってきている気がした。

 少し遠くに感じることもあったくらいだ。

 けれど目の前にいる姉さんは、やはり姉さんでしかなかった。

 昔の姉さんと同じ。今も昔も変わらない。

 変わらないはずなのに、僕はなぜか動揺してしまっている。

 落ち着け、何をそんなに動揺しているのかわからないけど落ち着くんだ。

 姉さんの優しくも魅力的な笑みが僕の心をかき乱していく。

 なぜなのかよくわからない。でも事実、僕は激しく動揺していた。

 ウィノナが紅茶を置いてくれた。

 よし、これを飲んで心を落ち着かせよう。


「シオン。あたし、シオンのこと好きよ」

「ぶほおぉぉ!」


 盛大に紅茶を吐き出す僕。

 きょとんとしている姉さん。

 伯爵はおやおやという顔をしている。

 ウィノナは慌てて手拭いを持ってきて、拭いてくれた。


「ちょっと、大丈夫なの?」

「だ、だだ、大丈夫だよ。うん」


 何を突然言い出すんだこの姉は。

 周りに人がいるっていうのに!

 盛大にやらかした僕は、色んな意味で動揺していた。

 昨日から、調子がおかしい。

 ウィノナが紅茶を拭き終わると、僕は姿勢を正した。


「さ、さっきのは聞き間違いかな?」

「え? シオンが好きだって言ったこと?」


 やっぱり言ってた。

 なんでこんなに冷静に言ってるの。

 おかしい。いやこれは僕がおかしいのか。


「何よ。いつも言ってるじゃない」

「そ、それはまあ、そうだったけど。子供の頃の話でしょ?」

「あら、そうだった? そうね、最近は言ってなかったかも。でも家族なんだから好きなのは当然じゃない?」


 事も無げに言い放つ姉さん。

 思えばこんなに動揺している僕の方がおかしいんだ。

 だって、僕たちは姉弟。表向きには血が繋がっている家族なんだから。

 今までも、姉さんは「シオンが好き」とか「シオンと結婚する」とか何度も言っていたわけで。

 さすがに子供時代のように純粋には思っていないだろうけど、家族なら好きで当たり前なのだ。

 じゃあ、やっぱりおかしいのは僕なのだろうか。

 姉さんとは血が繋がっていないと、知っているからなのか。

 姉さんは僕を弟として好きと言っている。

 そして僕は血の繋がらない姉を好きだと思っている。

 互いの好意は家族に向ける愛情のはず。

 ……そのはずだ。


「そうだね。まあ、うん。そうかも」

「シオンは?」

「へ?」

「シオンはあたしのこと好きなの?」


 なにこの会話。

 なんでこんな話になってるんだろう。

 姉さんは日常的な会話をしているという風だ。

 動揺も恥ずかしさもない。

 普通にたわいない会話をしている、そんな感じの表情と仕草だ。

 しかし会話の内容は、まるで恋人同士か、恋愛関係の二人だ。

 姉さんに、なんの気負いもない。

 ウィノナは食事の準備で忙しそうだし、伯爵は会話を大して気にしていない様子。

 つまり、あれだ。

 僕だけが気にしているのだ。

 だったら別に深く考える必要はないんだろう。

 素直に言えばいい。それだけだ。


「うん、僕も姉さんが――」


 おい、なぜ詰まるんだ僕。

 言えばいいじゃないか。いつも言っていただろう。

 なのになぜ今日に限って抵抗を感じているんだ。

 姉さんのことは好きだ。心の底からそう言える。

 でも、今はなぜか言葉にできなかった。

 好きの意味が違うように感じた。

 その感情がわからず、僕は逡巡した。

 それは一秒にも満たない時間だった。

 不意に僕は姉さんの顔を見た。

 姉さんは一瞬、ほんの一瞬だけ、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 子供の頃に何度か見たことがある姿。

 胸をかき乱されるような、純真無垢な悲哀。

 くしゃっと歪ませた姉さんの顔は、僕の心を深く突き刺した。

 やってはいけないことしてしまった。

 大好きな姉を悲しませてしまった。

 ほんの一瞬が脳裏に焼き付き、そして次の瞬間それは幻だったかのように消えてしまう。

 姉さんはいつものように落ち着いていた。

 どこにでもいるような姉らしい姉がそこにはいた。

 子供っぽい姉さんはもういない。


「お、お待たせしました」


 ウィノナが食事を持ってきてくれた時には、いつもの姉さんに戻っていた。

 姉さんが怠惰病にかかった時から、王都サノストリアで研修会を終えて帰ってくるまで僕たちはほとんど離れ離れだった。

 その期間に姉さんの心境に何か変化があったのだと、それは父さんや母さんから聞いて知っていた。

 でも僕はまだ、そこに踏み込めないでいる。

 いや、踏み込まなかったのだ。

 姉さんの心にどんな葛藤があったのかさえ、僕は知ろうとしなかった。

 僕がいない間に、姉さんに何かあったこと。

 子供の頃の約束を忘れてほしいと言われたこと。

 今までの姉さんと違い、大人びて落ち着いていること。

 それを僕は全部、成長したから、時間が経ったからだと思い込んでいた。

 でも、本当にそうなんだろうか。


「シオン様? お口に合いませんか?」

「え? あ、い、いやそんなことないよ」


 食事をせずに物思いに耽ってしまった。

 心配そうな顔をしているウィノナに笑顔を返し、僕は食事を始めた。

 姉さんは大人びた姿勢で、品よく食事をしていた。

 それはまるで、怠惰病研修会の選考に参加していた貴族たちと同じように見えた。

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