第156話 ウィノナと妖精祭 2

 人はいるのに街は静まり返っている。

 そんな中、ふと視界に何かがちらつく。

 それは光を生み出しながら、空を舞っていた。

 まるで蛍のように見えたのは妖精だった。

 彼女たちは空を舞い、魔力の光を放ちながら至るところにある水へと降りる。

 そのための水瓶や噴水だったらしい。

 しかし魔力の光は僕にしか見えない。

 それでも妖精が降り立つ場所の近くには、松明や雷光灯が置かれているため姿は見えた。

 妖精たちの羽根は光を反射している。それだけでも美しい情景だった。

 なるほど、これが妖精祭か。

 普段、街中で姿を見せない妖精が、この日だけ現れるということなのだろう。

 なぜかはまったくわからないけれど。


「素敵ですね」


 ウィノナが微笑ましそうに妖精たちを眺めた。

 思えば異世界に転生して、こんな風に時間を過ごすことはなかったように思う。

 本当に僕は研究や仕事ばかりにしてるな。

 僕は思わず苦笑を漏らした。


「あ、あのシオン様。どうかしましたか?」

「いやなんでもない。ちょっと思い出したことがあってね」

「そうですか……? も、もしかしてわたしと一緒にいても楽しくない、とか……?」

「さっきも言ったけどそんなことはないよ。ウィノナといると楽しいから」

「そ、それでしたらよかったです。わたしもとても楽しいですから」


 二人して小さく笑い合った。

 気持ちを通わせている気がして、なんだか嬉しくなってしまう。


「ウィノナは変わったね」

「わたしが、ですか?

「うん。以前は自分の意思とか言葉にしなかったじゃない? でも、今はちゃんと考えや気持ちを言葉にしてくれる。僕はそれが嬉しいんだ」

「シオン様のおかげです」

「僕の? なにかしたかな?」

「いつも優しく聞いてくださいました。君はどうしたいの、何が好きなのって。

 わたし、優柔不断で、気が弱いからいつも時間がかかってしまうのに、辛抱強く待ってくださって……。

 だからわたし、言葉にしようって思ったんです。

 上手く伝えられなくても、頑張って言葉にして伝えようって。

 いつもわたしに聞いてくれるシオン様に、少しでも思いを伝えようって」

「そう、だったんだ……」


 ウィノナはたった数か月で目を見張るほどに成長していた。

 最初はおろおろとして、常に何かに怯えていた彼女が、今は僕の目を真っ直ぐ見て、想いを伝えてくれている。

 とか思っていたら、ウィノナは我に返ったらしく、慌てて目を逸らしてしまったけど。

 そんな様子も微笑ましい。

 一生懸命なのが伝わってくると、余計に愛らしく思えてくる。

 最初は同情や憐憫が強かった気がする。

 でも今は。

 どうなんだろう、自分でもよくわからない。

 今の僕の気持ちを言葉にすることは難しい。

 感情が自分でもよくわかっていないからだ。

 もしこの気持ちが、何なのかわかれば、いつか言葉にする機会があるのだろうか。

 言葉に……言葉?

 待て。なんだ? 今何か引っかかった。

 言葉。言葉という言葉に引っ掛かったのか?

 なぜだ。なぜか気になる。

 なんだ、なぜ僕はこんなに言葉という文言を気にしているんだ。


「シオン様……?」


 心配そうにウィノナが僕の顔を覗き込んでくる。

 僕はウィノナの目を見つめ返した。

 次々に頭の中に色んな情報が現れては消える。

 ウィノナ。僕の侍女。一生懸命な彼女。

 魔力、魔法を使うために日々努力している女の子。

 僕は最近、妖精言語の研究をしている。

 魔力、魔法、妖精言語、思い、言葉。

 その先に導き出される結果は……。


「呪文?」


 突如として視界が開けた気がした。

 雷が頭のてっぺんから脊髄を通っていくほどの衝撃。

 唇はわなわなと震え、僕の視界はまともに情景を映さない。


「呪文だ! 呪文だったんだ!」


 僕は勢いよく立ち上がり叫んだ。

 嬉しさのあまり小躍りしてしまう僕を見て、ウィノナは慌てて立ち上がる。


「ど、どうなさったのですか、シオン様!?」

「呪文だよ、呪文! 妖精言語と活用した、魔法の呪文! うへへ、呪文! 呪文だったんだ! ずっと引っかかってた。その答えが出たよ、ウィノナ!」


 ウィノナは困惑しながらも、必死に僕の言葉を理解しようとしていた。

 とはいえ、さすがに僕の説明は適当すぎる。


「見てて。落ち着け、落ち着け僕。できる、絶対にできるぞぉ」


 僕は腰に携えていた雷火を手にはめて目を閉じると、瞑想するように気を落ち着かせた。

 目を開けて、手を伸ばし、そして言った。

 懐かしのあの言葉を。


「深淵より来たり闇と光の混淆せし異形なるもの。顕現せよ!」


 黒、白、橙、紫、青の魔力色が口腔から放出された。

 妖精言語として使っていた口腔魔力の、倍近くの大きさと魔力量を含んでいる。

 普段ならばそのまま上空へと上って消失する魔力が【僕の手元へと集まっていく】。

 集まった口腔魔力は一つの塊となり、五色を混ぜた濃い紫のような色へと変わっていく。

 その口腔魔力が手に触れる寸前、僕は指を擦らせて火を起こした。

 すると口腔魔力に着火。

 一瞬だけ青い火が付き、そして一瞬で消えた。

 僕はウィノナを見た。

 ウィノナも僕を見た。


「うへへ……見た?」

「み、見ました。ですが、ただ魔法を使ったというわけではないのですか? わたしには魔力が見えないので……」

「説明するね。実はさっきの魔法は帯魔も集魔も使ってないんだ。完全に口腔魔力だけでフレアを使ったんだ! 見ての通り、魔力量は少ない。だからフレアも一瞬だけしか発動しなかった! うへへ、うへ! こ、これはすごいことに気づいちゃったよ!」

「で、ですが先ほど、シオン様は人間の言葉を話していたような。今までは妖精言語を話すときは、特に人間の言葉を発してはいませんでしたよね」

「そう、そこなんだ! そこが盲点だった!

 だってメルフィは話す時に、言葉を発しないでしょ?

 だからその通りに僕も言葉を発せず、メルフィと同じように妖精言語を使っていたんだ。

 確かに妖精言語を話すなら、そのやり方にした方がいい。

 そうじゃないと正確にメルフィに言葉を伝えるのは難しいからね。

 でもそれは【妖精言語を話すために必要なこと】であって【口腔魔力を放出するために必要なこと】ではなかったんだ」


 僕は一息でそこまで説明すると、一拍置いた。


「そもそも魔力は感情か意思をもって放出するものだよね?

 けれど妖精言語には感情を含むのは簡単じゃない。なぜなら言葉を使わないから。

 だから僕は魔覚を使って魔力を調整しているっていう側面もあるんだ。

 もちろん感情を正確に込めれば、妖精言語を話せるってわけでもないんだけど。

 さっきやってわかったけど、口腔魔力自体は人間言語を使っても魔力が放出される。

 つまり、思いを込めて言葉を発することができれば、口腔魔力は放出できるってことなんだ!」


 前提として体外魔力、つまり帯魔や集魔にはある程度の魔力が必要になる。

 しかし口腔魔力は妖精言語として使っているくらいなので、必要魔力が少ない。

 だけど口腔から魔力を放出するための繊細な魔力操作が必要なのだ。

 だからウィノナには口腔魔力を放出することができなかった。

 でも【感情を言葉に乗せることで口腔魔力は放出できる】ことがわかった。


「想いを言葉に込める、ということですね……?」

「そう! 思いを言葉に込める! 帯魔や集魔も同じことなんだけど、大きな違いがある。それは体外魔力は身体から放出するという考えのもとにできていること。

 僕はもともとエッテントラウトの求愛行動を見ていた。

 魔力を頭部から放出したり、身体に魔力を帯びていたりしたことから着想を得て帯魔、集魔を編み出したんだ。

 だから僕はそれ以外の魔力放出のやり方を考えつかなかったし、やろうとも思わなかった。

 魔力にはイメージと感情、意思が必要なんだ。

 そのイメージや発想がなかった僕には、口腔魔力を放出することはできなかった。

 でも今は違う。メルフィや妖精のおかげで口腔魔力というものが存在することを知った。

 それはウィノナもそうだよ」

「つ、つまり……口腔魔力のイメージができているなら、言葉に想いを乗せれば……わたしも魔力放出ができるのですね!?」

「その可能性はあると思う!」


 だから呪文なのだ。

 魔覚を持つ僕であれば、妖精言語を前提とした口腔魔力で魔法を使うことができるだろう。

 でも、魔覚を持たない人が魔法を使うにはどうすればいい?

 あるいは体外魔力である帯魔、集魔ができない人が魔法を使うには?

 そう、その答えがこの呪文だ。

 体内魔力である口腔魔力を使い、魔法を使うのだ。

 さっき実践した通り、口腔魔力だけでも魔法は使える。

 魔力量が少ないため、効果は薄いけれど、魔法が使えることに変わりはないのだ。


 僕は期待を込めてウィノナを見た。

 もしこれでウィノナが魔力に目覚めたら。

 魔法学の大きな一歩となるだろう。

 それに何よりも。

 ウィノナが魔法を使えるようになるかもしれないのだ。

 あんなに頑張っていたんだから、報われてほしい

 ウィノナは困惑しながらも、ぎゅっと唇を引き絞り、覚悟を決めたように頷いた。


「わ、わかりました。やってみます」

「うん、頑張って!」

「ど、どんな想いでもいいのですか?」

「そうだね。できれば強い思いがいいね」

「強い、想い……」


 ウィノナは僕を一瞥した後、大きく深呼吸をした。

 ほんのり顔が赤い。興奮しているようだ。

 それはそうだろう。これから魔力が放出できるかもしれないのだ。

 長い間、頑張ってきたことが報われるかもしれないのだ。

 僕も高揚し、ウィノナの次の言葉を今か今かと待っていた。


 そして。

 その時は来た。

 ウィノナは僕を見つめる。

 その顔は、今まで見たことがないほどに真剣で、そして綺麗だった。


「わたしはシオン様が好きです」


 流れるように紡がれたその言葉と共に、ウィノナの口から小さな魔力が生み出された。

 白、ピンク、黄緑。その魔力がぷかぷかと浮かび上がった。


「やったよ! ウィノナ! 魔力が、口腔魔力が出て……」


 僕は興奮と共に、少しずつウィノナが言った言葉に気づいた。


 今、ウィノナはなんて言った?


「侍女のわたしが……こ、こんなことを言うのは、分不相応だと思います。

 み、身勝手にも自分の都合で身体を差し出したこともあるのに、失礼だとも思います。

 け、けれど、わたし……わ、わたしは! シオン様をお慕いしています!」


 次々に同じ魔力色が口腔から溢れる。

 魔力量は多くはない。けれどその数と、ウィノナの目から溢れる涙が、彼女の心を映し出していた。


「気遣ってくださるシオン様が好きです……!

 離れても、すぐにわたしを探してくださるシオン様が好きです。

 優しく質問してくださるシオン様が好きです。

 わたしのことを見守ってくださるシオン様が好きです。

 わたしを認めてくださるシオン様が好きです。

 わたしの良いところを言ってくださるシオン様が好きです。

 魔法に真剣なシオン様が好きです……好き、なんです……」


 痛いほど真っすぐで健気な言葉に、僕は言葉を失った。

 思わず泣いてしまいそうになるくらい純粋な告白。

 あまりの出来事に、僕はただただ佇んだ。

 何か言わなくては。

 でも僕は自分の感情がわからなかった。

 頭がまともに働かない。

 何を考えているのか、どう思っているのかも理解できなかった。

 バカみたいに口をぱくぱくさせて、それでも言葉は何一つ出てこなかった。

 と、ウィノナが糸の切れた人形のように倒れた。

 僕は慌ててウィノナの身体を支えた。


「ウィノナ!? だ、大丈夫!?」


 ウィノナは気絶していた。

 初めて魔力を放出したせいだろう。

 伯爵も何度も同じ症状が出ていた。

 僕は念のためにウィノナの口元に耳を近づける。

 規則正しい呼吸が聞こえた。大丈夫、ただ気を失っているだけだ。

 ほっと胸を撫で下ろすと同時に、いまさらになって鼓動が早くなった。

 ウィノナが告白してくるなんて想像もしていなかった。

 あの気の弱いウィノナが、勇気を振り絞って想いを伝えてくれたんだ。

 彼女が僕に抱いていた感情は、恋愛感情だったのだろう。

 対して僕はどうなんだろう。

 ウィノナをどう思っているんだろう。

 そしてウィノナとどういう関係になりたいんだろうか。

 様々な感情が胸に去来し、僕は小さく嘆息した。


「今日、ずっとうるさいよ君」


 自分の心臓を説教しても、静かになることはなかった。

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