第155話 ウィノナと妖精祭 1

 ウィノナが戻ってきてからも、僕はまだどきまぎしていた。

 姉さんはプレゼントを渡してから、上機嫌な様子だった。

 その姿を見ると純粋に嬉しさがこみ上げてきた。

 街中には、そこかしこに水が入った桶や瓶などが置かれていた。

 綺麗な水で、中央交差路にあった噴水を思わせた。

 妖精には綺麗な水が必要だと言われている。

 その生態を模してのことだろうか。

 露店を回ったり、大道芸を見たり、間食したり、服や小物を見たりしていると、いつの間にか夕方になっていた。


「夜には妖精祭の締めくくりがあるみたい。妖精にちなんだ催しがあるとかなんとか」

「それは楽しみですね!」


 ウィノナが慎ましい感じで同意してくれた。

 しかし表情は明るかったし嬉しそうだったから、本心だろう。

 それはそれとして、どのタイミングでウィノナにプレゼントを渡そうか。

 祭りが終わった後、伯爵家で渡してもいいんだけど。

 どうせなら祭り中に渡したいな。

 せっかくのイベントだし。

 ……あれ、なんだろう、何か引っかかるな。

 もやもやするというか。

 女の子とお出かけ、プレゼント、イベント。

 これはもしかして。

 答えを導く寸前で、姉さんが足を止めた。

 僕とウィノナが振り返ると、姉さんは笑みを浮かべて手を上げる。


「二人とも、悪いけれどあたしは先に帰るわね」

「え? どうして?」

「ちょっと用事があるのよ。鍛錬もしたいしね」


 用事があるにしてもさすがに急すぎる。

 怪訝に思っていると、姉さんが僕の耳元に顔を寄せた。


「ウィノナにもプレゼントあるんでしょ?」


 僕はぎょっとして、姉さんの顔を見た。

 姉さんはいつも通りの笑みを浮かべている。

 そこでようやく僕は心のもやもやの正体がわかった。

 三人でいる時に二人にプレゼントを渡せばいいのに、僕は二人きりの時に渡そうとしていたということを。

 他意はなかった。

 ただ二人に感謝を告げたかったんだ。

 でも二人しか知らないことも沢山あるし、三人だと話しにくいかなと思って、二人きりで話そうとしただけなんだ。

 けれどそれは結局、無意識の内に特別感を演出しようとしていたってことになるわけで。

 これじゃまるで間男じゃないか。

 そんな僕の心情など知らない姉さんは、特に機嫌を悪くせず、むしろ嬉しそうにして僕とウィノナに背を向けた。


「それじゃまたね」


 軽い足取りで去っていく姉さんを僕は見送った。

 というより何も言えなかったのだ。

 姉さんの立場からすれば、他の人にもプレゼントするのか、と思っても不思議はないだろうに。

 せめて別日にした方がよかったかもしれない。

 ああ、考えなしの僕。

 これだから童貞なのだ。


「マリー様がご一緒でなくてよかったのですか……?」


 姉さんに気を遣わせた感は拭えない。

 ただ、今更引き留めるのも遅いし、何より姉さんの気遣いを無駄にしたくない。

 別に下心はないんだ。だから堂々としていればいい。

 告白するとか、どっちにもいい顔するとか、二股するとかそういうことであれば問題だけど、僕は違う。断じて違う!


「う、うん、姉さんは用事があるみたいだし。二人で行こうか」

「で、ですが……わたしと二人で、シオン様に楽しんでいただけるかどうか」


 不安そうに目を伏せるウィノナだったけど、僕は首を傾げて返す。


「楽しいよ? というかずっと一緒だったし、二人だったことも多かったのにいまさらじゃない?」

「そ、それはそうかもしれませんが、こ、今回はその、状況が違う、と言いますか」

「どういうこと?」


 意味がわからず、僕は再び問いかけた。

 しかしウィノナは答えない。というか答えられないという風に見えた。


「う、うー……その、あう……え、えと……」


 ずっと唸って、目を伏せて、ちらちらと僕に上目遣いを送り、そして顔を赤くしてしゅんとしてしまう。

 もじもじして、視線を忙しなく動かし、そしてまた僕を見る。その繰り返しだった。

 まさか……またあれか。お花畑に行きたいのだろうか。

 しかし、さっきと違い今度は姉さんがいない。

 なんと言えば、ウィノナに気を遣わせずに花摘みに行ってもらえるかわからない。

 どうしたもんか。

 とにかく安心してもらうことが大事だな。


「大丈夫。僕はウィノナと一緒にいると楽しいから」

「た、楽しい!? わ、わたしと一緒にいると……?」

「楽しいよ。ウィノナは優しいし、いつも笑顔で僕の話を聞いてくれるし、質問したら真剣に考えてくれるし、気が利くし、料理も家事も抜群に上手いし」

「そ、そそ、そ、そんなことは! あ、ああ、ありません……」


 ウィノナはまた下を向いてしまった。

 顔が赤い。照れているのだろうか。

 しかし謙遜するウィノナを励ましたいという僕の気持ちは、留まることを知らなかった。

 むしろいつも思っていることを口にしたら、止まらなくなってきた。


「いやいや、謙遜しなくていいよ。それにウィノナは美人さんだよね。綺麗だ」

「き、綺麗!? ひょ、ひょんな、こ、ことは」

「そんなことあるよ。ウィノナは本当に美人だと思う。スタイルもいいし、仕草も美しいし、気品があるよね。うん。貴族だからなのかなと思ってたけど、他の貴族に比べると段違いに綺麗だ。見惚れることもあるしさ」


 僕は目を瞑って過去のウィノナのことを思い出す。

 あらゆる場面で彼女は素晴らしい所作を見せてくれる。

 僕はウィノナのことを褒めちぎった。

 本心だったから、次々に言葉が溢れてきたからだ。

 ペラペラと流暢に話していると、不意にドサッという音が聞こえた。

 すると目の前にいたウィノナが尻もちをついていた。


「ど、どうしたのウィノナ!? 大丈夫!?」


 僕は慌ててひざまずいてウィノナの顔を覗き込んだ。

 ウィノナの顔は真っ赤だった。


「も、もう、お、お許しくださいぃ、シオン様ぁ……恥ずかしくてぇ、死んじゃいますぅ……」


 目を潤ませながらも、瞳はとろんととろけていた。

 漏らす吐息が扇情的で、妙に庇護欲をそそる表情だった。

 心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。

 体温が上がる。顔も熱い。

 時間が止まったかのような錯覚を抱いてしまう。

 それほどに目の前の情景が僕の心を奪った。

 綺麗だと、本当に思ったのだ。

 僕は現実から目を逸らすように、視線を落とした。

 そしてウィノナの肩にそっと触れる。

 と。


「……ん?」


 僕は思わず声を漏らした。

 ウィノナの肩は僅かに痙攣していて、そして明らかに力が入っていなかった。

 これは間違いない。

 腰が抜けている。

 まさか褒められて腰が抜ける人がいるなんて。


「ぷっ」

「うう、笑わないでくださいよぉ……」


 思わず吹き出してしまうと、ウィノナが不満げに言い放った。

 悲しみや怒りはなく、ちょっとした不満だけがそこにあった。

 少し前のウィノナだったら、申し訳ないと謝っていただろう。

 でも今は、僕に心を許してくれているのかもしれない。

 ちょっとだけ唇を尖らせたウィノナ。

 僕は笑いながら、そんな彼女に背を向けて屈んだ。


  ●〇●〇


「きゃあっ!!」


 風切り音が鼓膜に響く中、背中からウィノナの悲鳴も聞こえてくる。

 ウィノナを背負いながら空を舞う。

 日は落ちかけて、辺りは暗くなってきていた。

 僕は何度も魔法のジャンプを使い、家屋の屋根――枝と言った方がいいかも――を飛んで渡った。

 アジョラムの家屋は木々をくり抜いたような見た目をしているため、足場は不安定だ。

 けれど、自然を活かした構造をしている分、人目に付きにくい。

 これって泥棒とかも同じなんじゃないかとちょっと不安になった。

 何度かのジャンプを終え、一つの家屋の屋上へと到着する。


「ちょ、ちょっと怖かったです」


 苦笑しながらおんぶしていたウィノナを下ろす。


「ごめんね。やっぱり歩いてきた方がよかったかな」

「い、いえ。それだと間に合わないみたいでしたし……すーはーすーはー、も、もう大丈夫です。それで、ここがドミニク様が言っていた、穴場ですか?」

「うん。妖精祭の最後に何かあるらしくてね。それが一望できる場所がここなんだって。普通は梯子を上ってくるらしいけど」


 高さ10メートルはありそうな建物だ。

 屋上には鐘が置かれているから、多分、時計台なんだろう。

 この世界には精密な時計がない。大体は時刻になったら鐘を鳴らすらしい。

 らしいと言ったのは、僕の村では鐘を鳴らす風習がなかったからだ。

 場所によっては結構適当にやってるものなのだ。

 ウィノナは恐る恐るという感じで下を覗き込んだ。

 しかしすぐに後ずさりして、首をふるふると横に振った。


「た、高いところは怖いです……はしごだったら絶対に来れませんでしたよ、ここ」

「わかる。一歩ずつ上る方が怖いよね……」


 ゲームでよくある、高所にはしごで上るシーン。

 あれを見るだけで背筋がむずむずして、鳥肌が立ったものだ。

 ジャンプは自分の力でコントロールできるから、案外怖くないんだけど。


「怖いなら別の場所に行く? もう少し低いところもあるだろうし。多分、人がいるだろうけど」

「い、いえ! 端っこから少し離れれば大丈夫です」

「そっか、無理しないでね」

「……せ、せっかくシオン様がお誘いしてくださったのですから、で、できるだけ一緒にいたいんです」


 それは掠れたように小さい声だったけど、僕の耳には届いた。

 心臓が一度だけ跳ねた。

 若い男女が二人きり。

 どう考えてもデートである。

 そんなことも、僕はさっきまで気づかなかったのだけど。


「す、座ろうか」

「は、はい! あ!」


 地面に座ろうとした僕を見て、ウィノナはささっと懐からハンカチを出した。

 ハンカチを地面に敷いてくれた。

 しかし、僕だけ座るのも憚られてしまう。


「ぼ、僕は大丈夫だから、ウィノナが座って」

「い、いえ、シオン様を差し置いて座るわけには……どうぞ、お座りください」


 二人して譲り合う。

 それを何度か続け、お互い言葉が浮かばなくなる。

 無言の時間を経て、僕は妥協した。


「……一緒に座ろっか」

「は、はい」


 大して考えずに言い放った言葉だったが、すぐに後悔することになる。

 僕が先にハンカチの半分に座ると、ウィノナは僅かにためらっていた。

 しかし、すぐに意を決したように僕の隣に座った。

 ハンカチは小さい。一人で座るのもギリギリなくらいだ。

 それに無理やりに二人が座れば必然的に、身体が密着する。

 頭の中にピトッという擬音が浮かぶくらいに、ウィノナの身体が僕の身体に触れた。

 互いに硬直する。

 思った以上に近い。近すぎる。これは色んな意味でまずい。

 服越しでもウィノナの身体の柔らかさが伝わってきた。

 できるだけ身体を小さくしようと、自然に二人とも体育座りをしていたのだが、それでもウィノナの肩や腰、お尻が僕の身体に触れていた。

 心臓がうるさい。本当にうるさい。うるさいったら!


 ほんの少し手足が震える。これは緊張だ。

 異常なほどに体温が上がり、顔が熱くなり、ドキドキし始める。

 ウィノナと暮らし始めて半年とちょっとくらいだろうか。

 ここまで近づくことも、触れ合うこともなかった。

 常に一定の距離をとっていたのだ。

 以前、ウィノナが僕を誘惑してきたことがあった。

 あの時も、ここまでではなかった。

 状況的にはあの時の方がドキドキするはずだ。

 だって夜のお供をさせてくれって言われたのだ。

 でもあの時と今とでは段違い。

 ここまで緊張もドキドキもしなかった。


 なんだこれ。なんでこんなことになってるんだ。

 自分で誘っておきながら、自分の置かれている状況が理解できない。

 やはり立った方がいいだろうかとも思ったけど、そうするとウィノナを拒絶しているように見えるかもしれない。

 だからそれはできなかった。

 それに嫌なわけじゃない。嬉しいと思う気持ちの方が大きかった。

 だから僕は何も言わずに、ただ一人でドキドキし続けた。

 ウィノナの顔を横目で見ると、恥ずかしそうに目を伏せている。

 けれど何も言わない。離れることもない。

 もしかしたら僕と同じ気持ちなのだろうか。

 そう思うと、なぜか嬉しさが込み上げてきた。


 辺りはすっかり暗くなっていた。

 所々に雷光灯や松明の灯りが見える。

 人の流れは昼に比べると落ち着いているが、それでもまだ結構な人がいた。

 しかし昼とは違い、歩いている人は少なく、みんな祭りの締めくくりを待っているらしい。

 一体何があるのか、僕はまだ知らなかった。

 始まるまでもう少し時間がかかりそうだ。

 今の内に渡してしまおう。


「ウィノナ、これ」


 僕は懐からリボンを取り出した。

 簡素な造りだけど、絹のような手触りの素材を使用したものだ。

 ウィノナは呆気にとられたように、リボンを手にした。


「こ、これをわたしに……?」

「うん。プレゼント。いつもお世話になっているからさ」


 僕は何とか笑顔を浮かべた。

 かなり緊張していたから、声が震えるかと思ったけど、ギリギリで耐えた。

 自分を褒めてやりたい気分だ。

 髪飾りにしようかと思ったけど、ウィノナは髪を横でくくっていることが多い。

 だから、シンプルなリボンにしたんだけど。

 あんまり高級そうなのにすると、恐縮してしまいそうだし。

 ウィノナは硬直したまま、動かない。

 表情も真顔のままだ。


「ご、ごめん、気に入らなかった? 僕が勝手に買ってきちゃったから……もし、あんまり好きじゃないなら、一緒に別のものを買いに――」


 僕はそこで言葉を止めた。

 ウィノナは表情を変えず、泣いていたのだ。

 あまりに突然、何の前兆もなく起きたことだった。

 だから僕は呆気に取られてしまう。

 たった数秒の出来事だった。

 ウィノナは、はっとした表情を浮かべ、涙を拭った。


「す、すす、すみません。お、驚いてしまって。う、嬉しいんです。すごく、すごく嬉しくて……そ、それで泣いてしまって。

 き、気に入らないなんてとんでもない! とても気に入りました」

「そ、そっか。よかった」


 ウィノナは泣いて、申し訳なさそうに頭を下げて、首を横に何度も振って、そしてリボンをぎゅっと握った。

 その一連の仕草で、彼女が喜んでくれたことは理解できた。

 僕はほっとした。同時に喜びも感じた。


「ありがとうございます。シオン様……大事にします」


 ウィノナは喜びを噛みしめるように言った。

 それが僕の心を温かくしてくれる。

 プレゼントしてよかったと、そう思った。

 けれど心の隅では引っ掛かりを感じてもいた。

 だって、ウィノナの本当に欲しいものは上げられていないから。

 魔力と魔法だ。

 彼女は数か月もの間、魔力放出の鍛錬を続けている。

 けれど一度も成功はしていない。

 もしかしたらウィノナはまったく魔力を持たないのかもしれないとも思った。

 魔力が見えなかったゴルトバ伯爵も、研修会では魔力放出ができた。

 その前例があるから、もしかしたらウィノナもできるかもしれないと思ったんだけど。

 まったく魔力がない人もいるのかもしれない。

 可能性があるのは口腔魔力だと思っていた。

 帯魔や集魔に比べ、口腔魔力の魔力放出量は非常に少ない。

 だからウィノナにもその可能性はあるとそう思ったんだけど。


「あ、シオン様。始まるみたいです」


 ウィノナは嬉しそうに頬を主色に染めていた。

 正面、街の中央を指さす彼女の横顔は、月明かりに照らされてとても綺麗だった。

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