第154話 マリーと妖精祭

 数日後。妖精祭当日。

 僕と姉さん、ウィノナの三人は呆気に取られていた。


「わぁ……すごい人……」


 アジョラム都市内に人が溢れていた。

 普段もそれなりに人通りが激しいのだが、今日はレベルが違う。

 大通りを歩く人たちと肩が触れ合うくらいの距離感。

 そこかしこが人で敷き詰められているため、歩くことさえ難儀しそうだ。

 歩きながら僕たちは辺りをきょろきょろと見回した。

 妖精祭と書かれた看板がそこかしこに掲げられ、通りの端には露店が並んでいる。


「どうぞ寄っておいで!」

「アジョラム名物、鱗粉菓子が売ってるよ!」

「そこのお客さん、どうだい!?」


 活気あふれる露天商たちの呼び込みに、観光客たちが吸い寄せられていた。

 熱気がすごい。客も店も。


「こ、こんなに人がいるなんて、驚きました」

「お祭りなんてイストリアにはなかったから、あたしもびっくりよ」


 ウィノナと姉さんはお上りさんのように、視線を忙しなく動かしている。

 かくいう僕も同じ調子だった。

 転生前、日本では僕もそれなりな都会に住んでいたこともあったし、これくらいの人ごみには慣れている。

 でも、こっちに来てからは人が少ないのが当たり前だったため、ギャップがすごい。


「ゴルトバ伯爵様やドミニク様も、来れればよかったのですが……」

「結局、仕事に行っちゃったものね。まあ、しょうがないわ」


 散々「儂も行く」「私もはせ参じる」と言っていた二人だったが、結局、半ば強制的に連れて行かれてしまった。

 二人がいないのは寂しいけど、僕との約束を優先して仕事を放棄させてしまうのも心苦しい。


「仕方ないね。三人で楽しもう!」

「そうね」

「はい!」


 姉さんとウィノナは笑顔で返してくれた。

 以前、ウィノナはメイド服が多かったんだけど、最近は私服姿でいることも増えてきた。

 森に行ったりするとどうしてもメイド服だと動きづらいし、なにより目立つからだ。

 彼女の私服姿も結構見慣れてきたな。見飽きたわけじゃないけどね。

 姉さんはいつも通りの姿だ。

 ただ人が多いので邪魔になるとのことから 普段の二刀流ではなく、鉄雷剣だけ帯びている。

 遊ぶ時も剣を手放さない。まあ僕も雷火を腰につけてるけども。

 成長した姉さんの姿は凛々しく、騎士としてそん色ないような見目になっている。

 かといって姉さんは仕官するつもりはないようだけど。

 僕たちは三人で露店を見回ることにした。

 ちなみにすでに二人へのプレゼントは用意している。

 喜んでくれるといいな。


  ●〇●〇


 露店を見回り、食べ歩いた後、僕たち三人は人気の少ないベンチで休憩していた。


「はー、食べた食べた」


 お腹をぽんぽんと叩く僕。

 久しぶりに暴飲暴食した気がする。

 姉さんやウィノナも満足そうに笑みを浮かべていた。


「最近、ずっと何かしてたからこういう日もあっていいね」

「そうね。戦うか研究するか、って感じだったし。それも好きだけど」

「お、お二人はいつもお忙しいですからね。たまにはお休みも必要ですよ!」

「そういうウィノナも、いつもあたしたちの世話で忙しいじゃない。あなたにも休みは必要よ」

「い、いえ、そんな……」


 二人が仲良さそうに話す様子を眺める。

 まだ数か月の付き合いだけど、気が合うんだろう。

 というか姉さんのコミュ力がすごいんだけど。

 大体、どんな人とも仲良くなるし。

 僕は人見知りだから、結構人を選ぶんだけどさ。

 ふと視界の隅にウィノナの姿が映り込む。

 何か気になって横目で確認すると、何か困ったような顔をしていた。

 そこはかとなく、もじもじしているように見える。

 ふむ……これはあれか。

 しかし、なんと言ったものか。

 僕が逡巡していると姉さんが口火を切った。


「悪いんだけど、ウィノナ。飲み物買ってきてくれない?」

「え? あ、はい! かしこまりました」

「そんなにかしこまらなくても。あたしはあなたの主人じゃないんだから」

「あ、す、すみません……」

「いいのよ。じゃあお願い。ゆっくりでいいからね」

「はい! そ、それじゃ行ってきます」


 姉さんがウィノナにお金を渡す。

 するとウィノナは早足で人ごみに消えていった。

 どうやら姉さんも気づいていたらしい。


「それで、どうしたの?」

「そ、それでって何が?」


 まさか、僕が気づいていたことに姉さんは気づいていたのだろうか。

 それはそれでちょっと気まずいんだけど。


「突然、妖精祭に行こう! だなんて、シオンにしては珍しいもの。

 目の前に魔力に関連する妖精がいるのに、研究を疎かにして誘ってくるなんて何かあるとしか思えないじゃない?

 それで、なに? 妖精祭って魔法に関係あるの?」


 あー、なるほど。そっちね。

 僕の今までの行動を考えると、姉さんが言っていることは正しい。

 僕は幼い頃からずっと魔法にかかりっきりで、他のことは後回しだったし。

 誰かに頼まれたら何かしてあげることはいくらでもあったけど、僕からお願いしたり、誘ったりすることはほぼなかった。

 父さんにペラ鉱石をねだった時は、嬉しそうにしていたくらいだし。


「いや、特に魔法に関係あるわけじゃないよ。

 ただ、みんなと遊びたかっただけ」

「ふーん、ほんとにそれだけなの?」

「うん、他意はないよ」

「だったらいいけれど。あたしも楽しいし。シオンとこうやって遊ぶなんて久しぶりだもの」

「あはは、確かに。色々あったもんね」

「怠惰病やサノストリアでの研修会で離れていた時間が長かったものね」


 姉さんの横顔を覗き見ると、少し寂しそうに顔を伏せていた。

 胸の奥がチクリと痛む。

 姉さんのため、人のため、そして自分のためだった。

 だから後悔はないけど、姉さんに寂しい思いをさせていたという事実は変わらない。

 僕は十三、姉さんはもうすぐ十六歳。

 互いにもう子供じゃないけど、姉弟であることは変わりない。


 今まで姉さんは僕のために色々なことをしてくれた。

 エッテントラウトの魔力を見つけてくれた。

 弟の僕を守ろうと頑張ってくれた。

 馬鹿にせずに魔法の研究に付き合ってくれた。

 いつも僕の味方で居続けてくれた。

 そして僕をずっと信じてくれた。

 姉さんには感謝してもしきれない恩がある。

 姉弟なのだから当然だと姉さんは言うだろう。

 でも、それでも僕はやっぱり姉さんに感謝を伝えたい。

 そう思って、僕は懐から首飾りを取り出した。


「姉さん」

「こ、これって」


 姉さんに渡したのは青い首飾り。

 以前、姉さんが僕にくれた赤い首飾りと対になっている。

 飾りはほぼ同じ。というか同じものを作ってもらったんだけど。

 まったく同じ宝石よりもいいだろうと思い、青色のものにしてもらった。


「プレゼント。いつもお世話になってる姉さんへの感謝の印」

「あ、ありがとう」


 最近では落ち着いていた姉さんだったけど、わかりやすく驚いてくれた。

 目を見開き、パチパチと瞬きを繰り返す。

 その様子が、妙に幼く純粋に見えて、僕の頬を緩ませた。


「つけてみて」


 僕の言葉通り、姉さんはおずおずと首飾りを首にかけた。

 シンプルな装飾。そのおかげで旅でも邪魔にならない。

 光を反射する青い宝石は、どこか魔法的なイメージを与えてくる。


「綺麗……」


 姉さんは青い宝石を見つめ、ほうとため息を漏らした。

 その恍惚とも思える表情に、僕の胸は一鳴りする。

 大人びた表情だった。

 いつもの姉さんとは別人のように見えた。


「大切にするわ、シオン。本当に嬉しい」


 首飾りを胸に抱いて、姉さんは泣きそうなほどにくしゃっと笑った。

 胸の内に温かさが広がると同時に、心臓が早鐘を打った。

 おかしい。

 姉さんを前に、こんな風になったことなんてないのに。

 顔が熱を帯びて、鼓動は激しくなっていく。

 離れていた時間が長かったせいか、それとも姉さんの姿が昔の姉さんと違っていたせいなのか。

 旅をし始めて数か月、何も気にしなかったのに。

 今は、目の前の女の子が妙に可愛く思えた。

 美しい橙の髪や、濡れた瞳に、艶やかな唇、成長途中のしなやかな身体が妙に気になってしまう。

 こんなことは今まで一度だってなかったのに。

 これじゃまるで、姉さんを異性として見ているみたいじゃないか。


「シオン?」


 いつもの近すぎる距離。

 無遠慮に触れてくる姉さんの手。

 姉さんの甘い香りが鼻腔に届くと、余計に動揺が広がる。

 この感情の正体がわからず、僕は誤魔化すように姉さんから少し離れた。


「あ、いや、な、なんでもない。よ、喜んでくれて僕も嬉しいよ!」

「……うん。本当に嬉しい。嬉しいわ。本当に……大事にする。一生、ずっと大事にするから」


 愛おしそうに首飾りを抱きしめる姉さん。

 それは僕の姉さんではなく、ただ一人の少女であるマリーのようだった。

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